すいらんぶろぐ -22ページ目

すいらんぶろぐ

群馬県/フランス美大留学/芸大受験・美大受験予備校/カルチャースクール/介護保険認定アートデイサービス/企画画廊/学校教材/画材/総合デザイン研究所/他

エクサンプロヴァンスの芸大に入学して

何が何だか分からない、

右往左往している僕を見て

何らかの理由で興味を持って友達になってくれた中に

ドイツ人でスリムな美女Aと

スウェーデン人の大柄な金髪Fがいて

最初はフランス人より、

同じ外国人として入学した連中との方が

なんとなく話があって・・・。

一般的に日本人男はあまり欧州の女性から

相手にされないのだけど、

何故か、僕はよく話しかけられたのです。

(自慢じゃありませんよ!)


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それぞれの母国の家庭料理を作りあって、

誰かの家で食べたり

ラオス人のヴォンとバイクに彼女達を乗せて、

海に行ったり・・。

勉強と陶芸の内職の合間を縫って,

そうした夜も寝ずに遊んだ日々が

またとても楽しくて、

次第にフランス語も上達していくのが分かって・・・。

 

ある時、ドイツ人のAと付き合いたくて告白したら

しっかりふられて 

”私はドイツに彼氏がいるの・・” と

ショックだったな~・・・。

 

それと、スウェーデン人のFが一度、

スウェーデン料理を作ってくれるというので

僕のアパートで張り切って作ってくれたのだけど、

たぶん有名なスウェーデン料理だと思うんだけど・・・

二口以上はもう食べれなくて・・・

 

僕は大概のものは美味しく頂くことが出来て

いやで残す ということがないのだけど

僕には、どうしても食べられなかったものが生涯に3つあって、

その中の一つが、この彼女が作ってくれた

発酵したニシンと牛乳とキャベツを煮込んだ料理。

 

匂いも味も見た目もアウト!!

この料理がXXなのか、

彼女の料理の腕がXXなのかは分かりませんが

本当にダメだった。

 

まあ、この料理を食べることを拒否したことで

彼女との関係も微妙に・・・。

食と相性ってけっこう大切ですよね~。

 

ちなみにドイツ人のAはいつも講釈と

お母さんの料理自慢をいつもしていたけど

結局作っているのは彼女のドイツ人の女友達で

高等音楽院でバイオリンを勉強しているB

彼女Aはもっぱら食べるのが専門で、

僕の野菜のてんぷらが大好きだったな~。

 

芸大の一年が終わった最初の夏休みに

高校時代の友人で、

Kという当時N大の数学に行っている

仲の良かった・・といより

Kから一方的に行動を共にする奴がいて

彼が、フランスの”僕の所へ

”遊びに来たい” 

と手紙で連絡があったのです。

 

でも、そのころは とにかく忙しくて忙しくて、

勉強も課題にも追われていて

彼が来ても、観光案内も出来ないし、

一緒にどこかに旅も出来ない

それに、いささか金銭的にも余裕がない・・・。

”日本の大学生とは全然違うんだ~”

(まあ全ての日本の大学生ではないと思いますが・・・)

と言ってもなかなか聞き入れず、

 

断る口実に 

”じゃ~、ギターをお土産に買ってきたらいいよ”

”でも安物じゃだめだよ! 

最低20万以上するヤツじゃないと・・・”

と手紙を書いたら

 

”分かった、じゃ~それ持っていくから・・・” 

”あ~、こいつ大地主のボンボンだった・・・” 

と猛省

この「高級ギターお土産作戦」は あえなく撃沈

 

結局、夏休みに遊びに来ることを

了承せざるを得なくなったわけです。

そして、僕は彼が少しでも早く音をあげて帰国するように

パリに迎えに行くこともなく

(彼は帰国日が決まっていない、

オープンチケットでフランスに来たので・・・)

南仏、エクサンプロヴァンスまで自力でやってきて

それもハードケースに入ったヤマハのフォークギター。

 

そんな約束をちゃんと果たしてきたので

しぶしぶ我がアパートに泊めてあげることに・・。

これだけ書くと、なんか僕が凄く意地悪そうですが

とにかくKが強引でわがままなので・・・。


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しかしながら、2年ぶりの再開にお互いに感無量。

Kは相変わらず強引な物言いで、着くなり 

僕のフランス留学の実情を褒めたり、けなしたり・・・。

まあでも彼らしい・・・。

 

そんな彼の歓迎会をしてあようと思い

せっかくフランスに来たのだから

フランス人もいた方がいいと思い

大学の同級生のフランス人の女の子2人に声を掛けて

レストランへ。

 

せっかくだから、典型的な

一般的なフランス料理を食べさせてくれる

レストランに行こう ということになり

たまに行っていた食堂的なレストランへ


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まず、頼んだのパテ。 

そしてやっぱりフランスと言えば、ステックフリッツ

サーロインステーキに沢山のフライドポテト

Kはまずはけっこうお腹がすいていたようで

出てきたパンをすかさずバクバク食べて

”あんまりパン食べすぎるなよう_!!” 

と言われつつも

パンだけバクバク。

それと、パテがあまり得意ではなかったようで

半分くらい食べて ”もういいや ”

フランス人の女の子達は、

”なんでこんなにおいしいのに・・・”って様子

 

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次に出てきたのは、彼にとっては見たこともないような

大きなサーロインステーキとお皿山もりのフライドポテト

”ね~、これって何人前??”

 

一人前だと分かるとその瞬間に食欲減退みたいで

”オレ、ヒレステーキの方がよかったな~・・・”

 

それでも、僕らの食欲と食べる速さに押されるように

最初は一生懸命食べていたけど、半分くらい食べた時点で

”もう いいや・・・ オレ腹いっぱい”

”お前ら よく食べれるな~・・・!”

僕らは 

”みんなこれくらい普通に食べるよ・・・。”と。

 

一緒に行ってくれたフランス人の女の子は、

喜んでくれると思って

連れて来てくれたレストランの食事を

彼があんまり嬉しそうに食べてくれないので、

ちょっとテンション下がり気味。

 

英語での彼とのコミュニケーションもあまり盛り上がらず

さらにテンション低下。

 

それでも僕らは、デザートとコーヒーを飲んで大満足。

結局、このレストランの食事は、

僕らが歓迎会をする側にもかかわらず

Kが申し訳ないと、お支払い・・・。

 

そんなわけで、

”じゃ~、明日私達が食べやすいフランスの家庭料理を

作ってご馳走するわ!”

ってことになって

 

翌日は僕のアパートで彼女達がフランス家庭料理を。

僕的には本当に美味しかったにも関わらず

相変わらずKは、食が進まず 

Kは ”あんまり腹減ってないんだ・・・” 

彼女達も再びテンション下がり気味。

 

もう彼とは一緒に食事をしたくない

ということになって 翌日はKを大学食堂へ。

 

フランスの大学食堂のフルコースもまた

僕が体験した楽しいところだったので

彼を連れて行ったのだけどやっぱり半分も食べずに・・・。

 

そのうちKが ”ね~、日本食食べれるところないの???”

”え~~~” 僕は唖然。

 

結局彼があんまり痩せてきたので、

仕方がない和食を作ってやろうと

生姜焼き定食を作ってあげたところ

”うっめ~・・・やっぱり和食が一番だよな~!” 

と腹減ってないどころじゃなく

バクバク1週間分の食欲をそこに投入状態。


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僕は心の中で 

”何しにフランスにこいつは来たんだろう・・・・” と。

 

その後も、どこに行くこともなく和食を食べたがるKに

僕も彼女達も呆れて

Kを説得して旅に行かせることに。

 

フランス国内を旅すればいいのに

”ギリシャに行ってみたい” と

またトンチンカンなことを・・。

 

まあでもこのままグダグダと

彼の面倒をみるのも疲れてきたので

旅行代理店に連れて行ってチケットを買って

ギリシャへ送りだしたのですが・・・。


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そして彼が帰ってきたのは一週間後・・・。

 

つづく

 

 

 

つづく

いよいよ、

Ecole d'art surperieur d'aix-en-provence

(エクサンプロヴァンス芸術大学)

への登校一日目。

 


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なんと珍しく、この年は日本人学生の入学者が4人もいました。

 

一人は、すでにフランスに4年いるという

父親が北陸でけっこう有名な骨董屋をしているらしい

20代後半のOさん

 

二人目は、ご主人と二人で日本では劇団に入って演劇をしていて、

フランスで総合芸術を学びたいという

N大芸術学部出身の女性Eさん。

 

三人目は、名前も忘れて

あっという間にいなくなってしまったM美大出身の男性?さん

 

そして四人目は僕。

 

M美大出身の?さんは、フランス政府の給費留学制度を使って

入学したみたいで、たぶんバカンス気分で

何を学ぼうとかもなく 来ていいたみたいなので

あっと間にいなくなってしまいました。

 

まあこういう日本の美大芸大生があまりにも多くて

入学して学校に通わず、旅行をしたり

遊びまわっていたらくし、それが問題になり

今では美術系のフランス政府給費留学制度が

廃止になってしまったのも事実。

 

なんとも嘆かわしい!!

まあそれはともかく、

この年は入学者が多かったらしく約60人(建築科は除く)

 

日本の大学であればこのくらいはかなり

少ないくらいですが、

フランスはとにかく高校卒業後の進学率が少ないし、

学費もほぼ無料なので、余分な生徒は取らないので

今では30人くらしか合格者を出さないところもあるようです。


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で、入学して所属担当の先生分け。

 

4人の日本人はやっぱり、

全て異なる先生にわけられたので、

あまり授業内での接点はなかったんですが・・・。

僕もこの時点では、けっこう日常会話くらいは何とか

コミュニケーションがとれるようになっていたものの、

初めての普通のフランス人同窓生達。

 

ほほ普通に話しかけられてくるので、

その話の早さに

”ちょっと待って、もう一度話して・・”

 

通常、留学してくるアジアの外国人はこの頃はまだ

結構、すでに母国で大学を卒業していたり

一度、社会人になってから入学してきたりする人が多いせいか

そんな中にあって、僕は珍しく若くして渡仏しているので、

在仏アジア人(フランス生まれのアジア人)

だと思われることが多くて、

普通に話しかけられて

 

”えっ”て顔をすると、

”何” って顔で聞き返されて

”へ~、何でフランスに来たの? ”

”日本人?? 日本ってどういうところ・・・” 

みたいに質問されることが

とても多かったな~。


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今みたいに、ネットやマンガで

簡単に日本のことを知ることが出来ない時代なので

みんな中国人やベトナム人ではなく、

日本人が何でパリではなく

エクサンプロヴァンスにいるのか・・・みたいな 

とにかく興味津津!だったんです!

 

芸大に入学してからしばらくはとにかく、

右も左も分からない。

 

授業も教授達が言っていることが、

たぶん半分も分かっていなかっただろうな~・・・。


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でも不思議なもんで、分からないでいると

誰かが助けてくれるもので

1年目はとにかくがむしゃらに、無我夢中で

1週間の1日か二日は徹夜。

 

本を読んでレポート。

でもその本もフランス語で読むには全然進まなくて

結局、親に手紙を書いて、

フランス語の原文のタイトルを知らせながら

その本が日本語に翻訳されているものを

送ってもらって・・・。

その殆どは、哲学書や社会学書とか形象学、

心理学書なんかで

まあ、美術史とか美学書はたぶん必要になると思って、

日本に一時帰国した際に購入していて

フランスに持っていったのだけど

まあそれにしても、日本語で読んでも良く分からない・・・。

それでも辛抱強く。。。

 

今度は読み終わっても、

それをフランス語でレポートを提出しなくてはならないので

もう頭は破裂しそうなくらい、パンパンだし、クラクラ。

 

本を読む時間、ゼミで受けた授業の課題制作の提出物

レポートを辞書片手に書く時間・・・。

とにかく寝る時間がない・・・・・・・・。

と言う感じで1年が終了した感じでした。


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あまりにも無我夢中、一心不乱に毎日をすごしていたので

1年目はあまり記憶がないんです。

それに、親からの仕送りもすっかりストップしていたので

一月、生活費4万5千円。 なんとか、ぎりぎりでやっていたし

簡単にアルバイトも出来ないので、

学校の陶芸の設備や粘土を借りながら、日本風の四角いお皿や

湯飲み茶碗やご飯茶碗を作って・・・

それも学校の設備なので全てタダで制作して

実はそれを、朝市で売ったり

知り合いの友達や、友達の知り合いに売ったりしていて

結構稼いでいたのです。

まあ稼がないとなかなか生活もすでに楽ではなかったので・・・。


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そしてあっという間に1年目が終了。

1年から2年に進級する時、入学時の同窓生は、

何と60人いた生徒は約半分の35人に・・・。

僕もかろうじて進級。

 

でも僕以外の3人の日本人は全員落第・・・。

厳しい現実。

まあ一人はもともと不純な動機で入学したので、

落第して当然の素行。

 

もう一人は、M大出身の給費留学生なので遊んでいるうちに✖

学校にはこなくなってしまったので、

もともと正規の学生とは違うので。

 

もう一人の演劇出身のEさんは、

精神的に追い詰められている時に

交通事故にあってしまい、

それがもとでうつ病に。

”結局、日本に送り返した。” 

ということで僕ただひとりに。


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それでもきびいしいと言うより、

毎日が楽しくて仕方なくて

それより、そのころ親しくなったフランス亡命の過去を持つ

ラオス人のヴォンという友人がいて、

(今はロンドンを拠点に欧州を代表する、

超有名現代美術家になっていま~す)

 

彼がバイクを乗っていてそれがかっこよくて・・・。

僕もどうしても乗りたくて、彼に頼んで

すごく安い中古といっても、本当にボロい

ホンダの125ccのバイクを探してもらって、

とにかく塗装を自分でやり直して

さびも必死でとってピカピカに・・・。


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真っ赤なバイクを風を切りながら乗りまわしていた

楽しい思い出のころです。

 

 

つづく

少しばかり話がはずれて、スペイン旅行の話とかに

なってしまいましたが、元の話に戻し

フランス・第2の故郷のつづき、

それも日本へ一時帰国・・・。

 

前にも書きましたが、晴れてちゃんと帰国の航空チケットも

フランス語で電話して予約も出来て、

この一年弱前に、ホテルロトンドの一室で、

孤独と絶望に涙流していた時のことを考えたら

当時の僕にとっては、相当な大進歩でした!!


 

そんなわけで久しぶりに日本へ。

この日本への旅は、親への近況報告

そして、大問題になった進路変更・・・。

 

親は、もともと僕のことは

それなりに信用をしてくれる親だったので

1年で何とか語学を習得するだろう・・・と、

安易に思ってくれてはいたらしいのですが

 

それでも、語学力の習得の難しさ、それも大学での

専門分野を身につけるための語学力は

ただ、日常会話や少しくらい愛をささやけるくらいでは

どうにもならないことは歴然。

 

だから、美学美術史科はやめて芸大を受験して合格した

それも猛特訓の末に・・・

という話をしたら、父親はもう大変

 

”おまえを何のためにフランスに行かせたと思うんだ!!”

”作家にする為にフランスまで行かせたわけじゃない!!”

と 浅間山が噴火したような勢いで

”そんなことならもう日本へ帰ってこい!!” と

むちゃくちゃ

 

そんな売り言葉に買い言葉の親子喧嘩が始まり 

収集不可能。

 

挙句の果てに父親が

”それなら勝手にしろ! そのかわり仕送りはもうしないぞ!” 

と。

当然僕も 

”あ~いいよ、自分で何とかするから!” 

と。

 

まあ、そんなことで1週間はそれから

口を聞かなかったでしょうか・・・。

 

でも当時も今もかもしれませんが、

学生がバイトをしてお金を稼ぐ

とういう習慣が元々フランスにはあまりなくて、

というか日常のアルバイトは禁止。

夏休みとかの長期休みの間のみ許可

 

それに大学への進学率もあまり高くないし、

大学も日本のように私立はなく、

一部の私立を除いてほぼ全て国公立大なので、

学費も登録費や健康保険登録費以外は、

ほぼ無償なので、生活費だけ何とかなれば

学生生活は送れるわけです。

 

何でも学生割引や25歳以下であることで

交通費が40%offになったり

いろいろなものがもの凄く安くなったり、

無料になったりしたので・・・。

 

ましてや外国人の労働は原則禁止だったので、

そんなにバイトはないわけです。

だから、”仕送りはいらない・・・”

は後々けっこう大変なことになったわけです。

 

それについてはまた後で。

 

それと、帰国の夏は実は既に何度か紹介した

フランス人の親友で、元大使館公使になった

クリストフ.Pが日本へ初めて来た夏。

ここ前橋の我が家に1週間、

東京世田谷の従兄弟の団地アパートを1週間借りて

過ごした夏の思い出です。


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前橋では初めて行った、飲み屋のスナック

父親や叔母さん達が連れて行ってくれて、

日本のスナックを満喫。

カラオケを知り、フランスのシャンソンを歌い、踊り

みんな大盛り上がりでした。

 

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特に今でも思い出すのは、浅草に行きたいというので

浅草に連れて行って、

”お昼に何食べようか・・”

ということになって

天ぷらかうなぎ?? 

天ぷらは食べたことがあるけど、

うなぎのかば焼きは食べたことがなかったので

”じゃ~ウナギを食べに行こう!”

 

でも実はフランスにもウナギ料理はあって、

でもクリストフはあまりウナギは好きではなく

それほど乗り気ではなかったのです。

 

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でも、絶対美味しいからと言って 

父親によく食べに連れて行ってっもらった

浅草の大衆老舗鰻屋「小柳」へ


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当時でも大衆といっても学生にとっては

お昼としては結構いい値段だったけど、

なんとか食べてもらおうと・・・

”松、二つ、肝吸いつけて!”

 

出てきた鰻のかば焼きが、

それまでクリストフが思っていたそれと

かなりかけ離れていたようで、

先ずはその見た目にびっくり。


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恐る恐るそれを食べたら

”ン~ セ デリシュ~!!

(ん~、なんて美味なんだ~!!)”

”ジャド~ ス ランギーユ!

(大好きだ~この鰻!)”

って感じで、舌舐めずりしながら完食。

 

それからというもの、

”何食べたい?”

と聞くと 

”ウナギ!”

”鰻、美味いけどけっこう高いから・・・”

というと、

”じゃ~今回は僕がおごるから・・・”

とにかく鰻にハマってしまって大変でした。

 

今でも彼は鰻のかば焼きが大好きのようです。

それから、彼は今回の本来の目的だった、

僕の面倒を最初のころに見てくれていた

日本人女性MIEKOさん。

丁度同じタイミングで一時帰国していて

彼としてはMIEKOさんのご両親に会って

”彼女と結婚前提にお付き合いをしたい”

とお願いに行こうと考えていたもの面会を拒否され、

彼の何とも古風なアプローチもあえなく撃沈。。。。

 

いろいろな意味で、

僕にとっても彼にとっても、

刺激的な日本での1カ月でした。

 

それから、父の機嫌も少しはよくなり、

真面目で優秀なフランス人の友達に会ったことで

僕の約10カ月の素行も多少認めてくれつつも、

相変わらず会話はするようになったものの、

仕送りストップはそのまま

僕も、

”やってやるぜ~・・・” の勢いで

今度は片道航空チケットだけ購入して再びフランスへ・・・

 

父親の本音からは、無一文からの再出発をしてから約2年弱

本音からすれば、仕送りも十分できないからい一刻も早く

「仕事を手伝わせたい」

というのもあったのだろうと思います。

 

僕としても、お金のやり繰りが大変な中

仕送りをしてもらうのは、とてもとても気がひけたので・・。

それでも母親は、2,3ヶ月は暮らせるお金を持たせてくれて

本当に ”感謝、感謝でした。”


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そして、フランスへ

エクサンプロヴァンス芸術大学入学、芸大生活が始まります。


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つづく

 

 

前回のつづきです。

 

アイスランド人の女性達と僕を合わせて7人

当時は、マルセイユから電車に乗って

バルセロナまで約8時間。

 

一度フランスとスペインの国境の町

セルベールで乗り換えてバルセロナへ。


 

電車も、コンパートメント(コンパルトモン)という

部屋に仕切られてあるタイプの電車の車両で

とにかく初めて逢う彼女Sの友達とも

電車内のそこで初めて会うことに・・・


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”アンシャンテ” よろしく・・・。

一緒に来た女性達は22歳~25歳くらいまでの

100%アイスランド人。

 

全員フランス語が話せるわけではなく、

何人かは単純に休暇でフランスに滞在して、

Sと部屋をシェアしているだけで

フランス語には興味がないらいしく

彼女達とはもっぱら英語での会話でした。

 

彼女達は学生ではなくて、

アイスランド航空のキャビンアテンドや

公立学校の先生・・。

 

そんな彼女たちの主導で当時まだ19歳の僕は、

言われるがままについていくって感じで・・・。

 

年齢は19歳だと、なんか子ども扱いされて

相手にしてもらえないんじゃないかと当時は思って、

実は髭も伸ばしていたので 

”23歳” と言っていたんですが

信じてくれていたかは定かではありません・・・???

僕は当時からかなり童顔だったので

 

でも、バルセロナまで8時間もかかったはずなのに、

楽しかったのか、辛かったのか、

どうだったのか、まったく覚えていない・・・。

不思議なくらい記憶がないのです。

 

それでも何とかバルセロナに着いてホテルへ。

 

通されたのは広い広い部屋

何でこんなに広い部屋に・・・ と思っていたら

何と全員その部屋で寝泊まりをするらしく

そして僕も同じ部屋で・・・。

 

”なんでオレも一緒の部屋~???”

それにベッドはデカイベッドが3つあるだけ・・・・。

”????”

 

Sは、”僕も一緒にどれかのベッドに寝ればいい” 

と・・・・????

要するに、僕はその時は 

「男」として彼女等の中にはカウントされていない

ということで・・・、

それからのバルセロナからマドリッドまでの旅の1週間は

「男」という異性としての性別は

まったく無視されながら 

仲のいい7人の友達として、

複雑な思いをして過ごした1週間でした・・・。

 

 

まあでもバルセロナでもマドリッドでも

たまたま持っていた「地球の歩き方」がむちゃくちゃ役に立って

”スペインを案内してあげる”って感じで

言われるままにただ付いていったはずだけの僕が、

そのガイドブックのお陰で、

むちゃくちゃ彼女達の信頼を得ることになったわけで

僕はちょっとした、彼女達のヒーローになっていました。

 

ちょっとしたことで、人の関係と言うのは

不思議な方向に展開していくものです。

 

その後、マドリッドにまたまた電車で行くことに。

予定はまったく聞かされていなかったので

”あ~そんなんだ” って感じで。


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マドリッドではとんだことに・・・。

Sがマドリッドに着いた早々に、ひったくりに会って、

パスポートやお金を取られてしまい

POLICEとアイスランド大使館に行かなくてはならなくなって・・・

 

でも場所が分からず、ここでも「地球の歩き方」が大活躍!

 

なんとアイスランド大使館の場所も載っていて

すかさずSと二人で・・・。

 

他の5人の友達は、

”せっかくマドリッドに来たのだから・・・”と言って

まったく ”我れ関せず” で、”じゃ~またあとでね~”

ってな感じで さっさと行きたいところへ・・・

 

彼女達はとても合理的で、とても仲がよく

変なところにお互いに気を使うことなく、

出来ることを出来る人がやる・・・って感じで。

 

まだまだ、剣道と上州気質の義理と人情がベースの僕には

なかなかその考え方や行動が理解できずに・・・。

けっこう気持ち的に違和感があったのですが、

Sは全然、そんなことなくて

 

”やっぱり北欧やアイスランドの人たちは合理的なんだな~”

とつくづくカルチャーの違いに感心しきりでした。

 

結局、当時はまだEU圏ではないので、

スペインからフランスへ入る為の

仮のパスポートを発給してもらって、

残りの一日は、プラド美術館へ行ったり、

安いバルを見つけて


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美味しいものをみんなで食べたり

スペイン人のオヤジにいわれもない言いがかりを・・・

”アイスランド人女性6人の中に

なんでアジア人のお前一人だけがいるんだ・・”

みたいなちょっかいを出されて、

とてもしつこくて皆うんざりしたりとか・・・。

 

たぶん宗教的なところから、

たぶんモラル的に文句を言われていたらしいのですが

”そんなこと言われても・・・オレ男にカウントされてないよ!!”

ってところでした。

 

それでもあっという間の1週間。

 

無事にまた同じマルセイユからニースまで行く列車に乗って・・・。

マルセイユから高速バスで、エクサンプロヴァンスへ


 

こんなこともあって、彼女Sと旅を通していろいろなことが分かって

晴れて僕は彼女の年下のボーイフレンドに認定されることに・・・。

品定めの旅??? 

ってことだったのでしょうか?!

 

でも、いろいろあったけど楽しい旅で

彼女のお陰で、フランス人ではないけれど

必死で自分の思っていることを

フランス語で相手に伝えようとする

そんなチャンスをもらったわけです。

また機会があれば、

僕の聞いたアイスランドのいろいろな不思議を

書けたらな~と思います。


 

 

つづく

 

前回の続き・・・・

 

そのトルコ人の彼女の次の人気はノルウェー人

ノルウェー人の女性の中では

大きいほうではないみたいだけど

でも1m70cmくらいでやせ形のブロンド。

 

まあ、日本人にはあまり縁のなさそうな 

とてもかわいい感じの女性で

僕らのフェットに来てくれるかどうかは分からないけど

ここでも ”ダメ元で声を掛けてみよう!" 

ってことになって

いろいろ話をしたら 何と ”OK =3 =3!!"

僕らは大喜びでした。

 

そして僕らのクラスからはあと一人女性を呼ぼう

ということになって

もう一人、アイスランド人で赤毛の、

いつもちょっとツンツンしている

でもけっこう美人な女性。

 

ヒロシが 

”彼女にもためしに声をかけてみよう~” ってことになって

彼が英語で声を掛けたら 

意外と簡単に ” いいわよ・・・!”

 

そんな感じで声を掛けて集まった女性は5人

男は僕とヒロシとその他の信用が出来る

日本人3人の合計5人

男女合わせて10人で、僕の新しいアパートで週末フェット。

 

朝から買い出しに行って、料理開始!

巻きずしに刺身に天ぷら、コロッケ、ポテトサラダ、

そしてフルーツポンチにホワイトラムを入れたカクテル

 

食べて飲んで、踊って、

日本の遊びを教えよう ってことになって

簡単に出来て、言葉をフランス語に置き換えられる遊びで

思いついたのが 

「じゃんけんポイ! あっちむいて ホイ!」 

フランス語に

「アン ドウー トロワ! ホギャルデ ラ!」 

とごろ合わせして・・・

 

これがむちゃくちゃ受けて、とにかく止まらない

 

次から次へとチャレンジしたいという気持ちに

ホワイトラムががっちり入ったお酒のせいで

みんなとにかく盛りあがって、

止まらなくなって夜中まで延々と・・・。

 

まあ若かったので、

とにかくみんなエネルギー有り余っている感じで・・・。


 

そんなわけで

帰りはあまりにも遅くなってしまったので

”女性達を送って行こう” 

ということになったのですが

「誰が誰を送るか」 

で、実は人気がある女性に集中してしまって

収集がつかなくなってしまったんです。

 

それがもともと僕はあまり注目していなかった、

アイスランド人の女性。

 

このフェットに来たら、いつもの 

昼間 見ている感じとまったく違っていて

とにかく くそまじめなツ~ンとしている感じから

お化粧もしてきて、ちょっと妖艶でとても美しい、

にこやかな女性になっていて

僕ら男どもの心は完全に彼女の方へ・・・。

 

呼んだ時は、ノルウェー人のかわいい女性が

本命だったんですが・・・。

そんなわけで、みんな 

”アイスランド人の彼女を送っていきたい!!” と。


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お酒も入っていて、

男達はみんな目が血走ってくるし興奮状態・・・

結局、5人のうち話し合いでは決まらなくて

「じゃんけん」で

「じゃんけん ぽい!」

一瞬で決着

「僕の勝ち!」

 

”え~、まあ仕方がないか、お前が主催者なんだから・・・” と

 

それからみんなそれぞれの担当の女性を伴って

彼女達のアパートまで送っていったわけです。

僕はそのアイスランドの女性 S と。

 

彼女は僕の家まで自転車で来ていたので

本当なら、僕なんかが一緒に行かなくても

自転車に乗っていけば

あっという間に自分のアパートに

帰っていけたのだと思うのですが、

ずっと自転車を押しながら・・・

彼女は僕より5つ年上で、小学校の新米先生。

 

半年間休みをとって、フランス語を学びに来たんだそうで

僕のアパートから彼女のアパートまでは

けっこう距離があったけど、

その時間は 

”あっという間だった” 気がします。

 

まだ僕もフランス語があまり上手ではないし

彼女もそれほどでもないので、

フランス語で話をする分では

いいレベル同士。

 

でも、アイスランド人は英語も日常語だから、

話ずらくなると英語になって。

 

僕もそのころはまだ英語の方が

単語の意味が分かって理解できたので

フランス語と英語がごちゃ混ぜ。

 

そんなのが楽しかった~~!

彼女の家についたら、

実は彼女はアイスランド女性の友達数人と

アパートを共同で借りていて、

夜中の2時ごろ送っていったにもかかわらず、

「よかったら、お茶でも飲んでから帰れば・・・?」と

 

 

僕もどうしようかちょっと迷いながらも、

アパートの中に・・・

結局、お茶を飲みながら朝方5時まで話は尽きず・・・。

 

フェットを企画した友達は、

僕のアパートに全員戻ってきていて

僕がなかなか帰らないので、

これは”あいつ、うまくやってる・・・” と

帰らないで待っていたらしいのです。

(すいません、ちょっと不謹慎は話になって)

 

でも本当にお茶を飲んで朝まで話して

”それじゃ~” と言って

帰ってきたわけです。

 

みんなお前 ”馬鹿じゃないの~?!” 

と日本語とフランス語、英語で・・・

(またまた不謹慎ですいません)


すいらんぶろぐ

 

実はその行動が、

アイスランド人の彼女達には

とても不思議な体験だったようで

僕の紳士的態度に 

”なんて紳士なんだ・・・” 

と友人達と感心していたんだそうで

 

でもただそれは僕的には緊張しただけだったわけですが・・・。

それから僕はアイスランド人のSに誘われて、

彼女に家でご飯を食べるようになったり

 

僕の家でご飯を食べるようになって

親しくなっていったんです。

 

急速に親しくなっていったある日の朝

急に彼女が家にやってきて

”これから、皆でスペインに旅行に行くから、一緒に行かない?!"

”えっ、これから?!”

”別に大したものは持っていかなくてもいいから!”

”だいたい私達が必要なものは持っているから!”

”○○カフェにいるから支度して直ぐに来て” 

ということになり急遽、スペイン旅行に・・・。

 

 

そう言って迎えに来てから、

30分後にスペインに旅行に行ったんです。

 

それも男は僕一人、

あとは彼女とそのアパートをシェアする

アイスランドの女友達合わせて6人

 

男一人、女六人の七人旅。

僕は ”うっそ~!!”

 

ここからスペインへの旅、

フランスへ行ってから初めての

外国への旅は始まりました。


すいらんぶろぐ

 

つづく