すいらんぶろぐ -23ページ目

すいらんぶろぐ

群馬県/フランス美大留学/芸大受験・美大受験予備校/カルチャースクール/介護保険認定アートデイサービス/企画画廊/学校教材/画材/総合デザイン研究所/他

日本へ一時帰国なんだけど

実は、以前書いた毎週末 

フェット(パーテイー)をする中で

”同じクラスの女性に声を掛けよう!”

と友人のヒロシと話し合って

”誰を呼ぼうか・・・  ” と

 

クラスは約15人くらいで半分が女性

日本人女性を含めアジア系の女性は一人もいなくて

 

ノルウェー人、トルコ人、エジプト人、イギリス人、

アイスランド人、ドイツ人、ベルギー人

僕らの中で、一番人気はトルコ人女性

黒髪の長い髪で瞳がブルー。

 

 

瞳がブルーなのはブロンドの人にしか存在しないと思っていたので

そのコントラストと彼女の顔立ちに僕らはメロメロだったので

”絶対彼女を呼ぼう!”  と。

(若いとは、なんと不純な動機なんだろう~・・・)

 

 

いつも彼女は誰とも話をせず、

クラスの仲間同士は、授業が終わると声を掛け合いながら

近くのカフェで、コーヒーかビール 

なんていうのも良くあったのだけど

彼女は一度も一緒に来たことがなかったので

フェットへ誘っても来てくれるかな~

”どうかな~” と思ってはいたけど 

それでも勇気を出して 彼女にアプローチ。


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そしたら無視されることもなく

ちゃんと座ってゆっくり話をしてくれたんです。

 

”あなたたちはとても真面目だし、日本人だから・・・”

と言うと

”本当は本国へ帰れば、こうしてあなたのような男性と

話をすることも許されないの。

”本来は顔を見せて、男性とこうして一緒に立っていることも

許されないの。” と。

 

僕はこの時、まったく何のことを言っているのか理解が出来ずに

”どうして・・・?” と聞くと

”私達の宗教ではそうなの・・・” と。

 

そこではじめて、イスラム教について知り、

”彼女にとってはもの凄く勇気を出して断ってくれたんだ・・”

と知ったわけです。

 

でも彼女はそれほどまでに美しい女性だったので、

本当に毎日にように、色々な国の男から

結構、強引に声を掛けられていて

殆ど 無死するように足早に帰っていたので、

授業ではあれほど積極的に話をしているのに

”なんで無視するんだろう”  

と思っていたわけです。

 

”でも、じゃ~なんで僕にはこうして答えてくれるの?” 

というと、

”あなたは日本人だから・・” と

 

”私達、トルコ人はみんな 日本人を尊敬しているの・・・”

”日本人は欧米人とは違うから”  

とか  

”私達と考え方が似ているから・・・”

と言っていました。

 

僕とヒロシはよくわからないものの 

”へ~・・・日本人は特別なんだ~・・”

と妙に納得して 

” じゃ~仕方がないね ” と


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でも彼女はしばらくして、学校に来なくなったのか、

上達してクラスが変わったのか・・・

その辺のことはよくは分かりませんが

突然僕らのクラスからいなくなってしまいました。

 

僕らのクラスの先生、ベンによると

彼女はトルコでは学校の先生を目指していて

”予定のコースが終わったから国に帰った” 

と言ってたのですが

僕らと話をしたことが知れて、

宗教上帰国せざるをえなくなってしまったのかと

とても心配でした。


 

その後はまったく分かりませんが、

今でもとてもはっきりと覚えている出来事です。

 

世界には本当に様々な事情があって

異なる価値観と思想で動いていて

なんか、ぼ~と平和ボケして何も考えてなかった

僕ら日本人が、少し情けなく思える瞬間でした。

 

僕らは幸せなのか、、、不幸せなのか???

 

 

つづく

語学学校・エクスマルセイユ第3大学付属語学学院の

中級過程のデイプロム(修了証)ももらって、

事務局のマダムに会いに行ったら、

またまたぎゅっと抱きついてきて

両頬にいつものようにビーズ ”チュッ チュッ”

 

”この後、あなたどうするの??”

進路について話したら、

”大丈夫 あなたならきっとうまくいく!!” と

太鼓判を押してくれました。


 

そしてそれまでに知り合った、安部さんやOさん、

Iさんとの勧めもあって

エクスマルセイユ大学文学部美学美術史科への進学をやめて

エクサンプロヴァンス芸術大学への進路変更。

 

伴い、受験勉強と受験の際に提出する作品を制作することになり、

彼らが僕に受験指導をしてくれることに・・・。

これもけっこう今考えたら、無謀ですね!!!

 

それから、毎日彼らから与えられた課題を

約2カ月間こなして

これもまた、モージェ ブルーでの

毎日50回筆記に勝るとも劣らない

猛特訓開始・・・。

 

モノクロ、鉛筆、木炭、コンテ、

アクリル絵の具、油絵の具などを使って

毎日手や風景、点や線、とりあえず何でも目の前にあるものを

一日50枚は描け というわけです。

”でもそんな枚数のスケッチブックないいです~”

というと

 

”スケッチブックじゃなくていいんだよ” 

”その辺の紙に描けば”

”????” 

 

”でもその辺の紙もないし・・・” というと

”じゃ~紙を買いに行こう!” ってことに早速なって

 

後をついていくと、画材店の前・・・ 

Oさん画材店を通り過ぎて

”Oさん。画材店ここじゃないんですか~”

でも、Oさんは僕の言うことを完全無視して

どんどん歩いていくと

突然何の変哲もない殺風景なお店へ

す~と入って行くではないですか。

 

 

そこはなんと紙屋さん、それも紙の卸問屋??

 

Oさんはそこで、ニコニコとそこの店主に

”ボンジュ~ ヴザレ ビヤン?” 

”〇○紙を1キロ、〇○を1キロ・・・シルブプレ”

 

僕はあっけにとられて”?????”

”えっ、そんなに買うんですか?”

Oさんは

”だって毎日これから出す課題のデッサンや

色彩構成なんかを毎日50枚づづ描くんだから 

このくらいなくちゃ 

アッという間に 紙がなくなちゃうだろ!” と・・・。

 

あまり衝撃と あまりの紙に重さに、

帰り道はヘトヘトクタクタ。

 

ものすご~いカルチャーショックと

ここでも芸大受験も ”まあ何とかなるだろう・・・”

という僕の悪~い、安易な考えが、反省に変わり、

面白いことに、ふつふつと湧き上がる

”よ~し、やっているぞ!” 

という影を潜めていた気持ちが、

一気に強くなった気がします。

 

 

結局何千枚描いたのだろう・・・

部屋の中は、大量のデッサンや出された課題で

足の踏み場もないくらいにいっぱいになって

失敗したものも含め、作品で山のようにになりました。

 

そして勿論受験指導のお礼は、

彼らに美味しい料理を作ってご馳走すること

 

でも、こっちは結構好きで全然苦にならない・・・

それどころかしばらくすると、彼らが 

”学校の彼らのアトリエの隣で絵を描いてもいいよ 大丈夫大丈夫”

というので、入学前からアトリエで勝手に制作・・・。


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実は入学試験の際、面接で 

” あれ??君 もう生徒じゃないの・・・?”

と聞かれたのです。

 

まあ、平然と 

”いえ、まだです! ” 

と答えましたが、内心 ドキドキ・・・でした。

 

約2か月の猛特訓を終え、

7月に受験

3日間に渡る試験は、初日はモノクロデッサン 

使用画材は鉛筆、木炭、コンテ等 

 

2日目は決められたテーマ 

「Music」 で制作 画材は自由

このコンセプトと制作意図をA4に2枚程度文章で筆記

 

3日目は自分の作品を持ち込み提出閲覧と面接

 

とにかくドキドキでしたが何とか3日間の試験が終了

 

翌々日A4の平凡な紙に合格者名がタイプ打ちされていて

それを見たら、僕の名前が・・・

”やった~!! 合格!!”

晴れて合格書類をもらって、

約1年前何も分からずフランスに来た頃が

 

本当にはるか昔のように思えるほど、

長い長い約10ヶ月でした。


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そして、大韓航空の1年オープンチケットを用意していたので

その後日本へ一時帰国

 

エクサンプロヴァンスに到着したあの大変だった日の夜

チケットの予約を電話で出来ないと思った瞬間

このうえないほど感じたあの孤独感、 

あの瞬間を思い出しながら

電話をパリのチケット予約センターにフランス語で電話して

帰りの日を予約出来たその瞬間は

本当に本当に心がス~~っとスッキリしたのを

今でもよく覚えています。


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でも、この一時帰国が大変なことに !!!

続きはまた

 

 

 

それはまたつづきとします。


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そんなわけで 劇的にフランス語が上達した僕は

もう残り僅かになった学校の授業に、今更いくのも面倒だし

なんか恥ずかしさもあって、

学校に行かなくなっていたのですが

僕の上達ぶりは、親友 ヒロシから

語学学校のクラスの先生、例のベンにも伝わっていて

 

”とにかく学校に来て、元気な顔を見せろ” 

って言ってるよ~! と・・・。

 

すでに僕の中では学校は終わっていたので、

何度となく伝言をされながらも学校に行かなかったのです。

 

ある日ヒロシが、今日が学校の1年間の修了試験を行うので

”必ず来い” 

”ってベンが言ってるから ちゃんと来いよ!” と。

 

その頃はもう、何か面倒なヤツに

僕もなっていたのかな~・・・というか

もう語学学校にこだわっていなくて

年上の外国人の彼女も出来ていたし、

日本人とは殆ど逢わず、

日常的に大変でもフランス語を話す環境にすでになっていて


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もともと、エクス=マルセイユ大学の

美学美術史科に入学して

美術を学ぼうと思って、留学をしたわけですが、

フランスに到着して以降、

この時期、確か5月ごろまでには、フランス人も含めて

いろいろな人と知り合いになっていて、

相談もしていたので、とてもじゃないけど

大学の「教育学部美術美術史科で学ぶ」 

なんてことは、その時点でのフランス語力で考えたら、

”僕にはまったく無理だな~!!” と思っていました。


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そんなわけで、

エクサンプロヴァンスに到着した時からお世話になった

安部さんやOさん、そしてIさんという日本人達と

その友人のフランス人達とも知り合いになったこともあり、

エクスの芸大を受験して、美学美術史を学ぶのではなくて

”アートを実践する方を目指そう!” 

”その方が可能性があるし僕には向いてる!!” と・・・。

 

実は小学校の時、渋谷区の美術コンクールでほぼ

全てのコンクールで特選他、いろいろな賞を総なめしていて

姉もJ美の付属から大学にも進んでいたせいか

部屋には石膏像も何体かあったりして、

いつも姉の真似をして、遊びで石膏像も描いていて

 

高校の時は学校の選択でとった美術の時間に

時間つぶしに石膏像を描くという機会があって描いたら

美術教師から

”これだけ描ければ、M美大くらい行けるぞ・・・” 

と言われていたくらい実は絵画実技が得意だったわけです。

(M美大出身の方、誤解の無きように)

 

そんなこともあって、

美学美術史科に進学するための、語学のデイプロムを

取得する必要を感じなくなっていたこともあって

修了試験も、”別に受けなくてもいいや!!” 

と勝手に思い 試験を受けに行かなかったんです。

 

ところが、ベンも 何をそんなにこだわって 

僕の為にそうしてくれたのか

「翌日、特別に僕の為に再試験を行うから

”必ず受けに来い!”」 

とヒロシが伝言しに我が家にやって来て

さすがにそこまで言われたら、もともとの上州人気質、

義理と人情の魂がふつふつと湧いてきた??のか

翌日、学校に試験を受けに、本当に何ヶ月振りかで行ったわけです。


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初めのころ親切にしてくれた事務局のマダムも

”お~、どうしてたの学校に来ないで・・・元気にしてた?” 

と・・・

そして、いきなりちょっと流暢になり始めていた

僕のフランス語を聞いて

”??? どこでフランス語を覚えたの??” 

 

きつねにつままれたような顔でびっくりした様子・・・。

で、マダムからベンから頼まれているという試験用紙をもらって

筆記試験と録音された声を聞いての作文と他の先生からの

口頭試問を受けたのですが、

筆記は見た瞬間

”なんだこれは?? 簡単すぎる・・・”

 

結果 筆記試験、満点。

 

作文と口頭試問もあまりにも普通に出来てしまって

結構高得点だったようで

数日後に貼りだされた試験結果は、見事合格

それも上位合格!

 

それには、ベンも事務局のマダムも大喜び!!

僕をぎゅっと抱きしめて、両頬にビーズ(ハグ)

”チュッ チュッ” 

 

入学時にかつてない 0点を取って、

まったくフランス語が分からない無知な日本人が

「ここまで変わるのか・・・!!」 と

 

でもそれを見ていたギリシャ人で

既に流暢な言葉を話すかつて同じクラスにいながら

飛び級して上のクラスに進んでいった連中が

同じ試験を受けて(正確には僕のより1日前に受けた)

不合格!

 

”だから、あんなにフランス語が出来なかった

なんで、あいつが受かって、僕らが不合格なんだ!!” 

ということらしく

 

事務局に文句を言いに行ったらしいのです。

でも聞くところによると、

彼らは筆記が全然出来ていなかったらしい・・・。

 

”モージェ ブルーを毎ベージ 

50回づつ書き写した成果だな~・・”と

”よかった・・・”


 

”馬鹿のように信じて 

Oさんと彼女の言うとおりにしてよかった~・・・!”

人って時にはやっぱり馬鹿になることが大事ですね。

 

もともと言語に興味がある人を除けば

言葉はやっぱり、本気になって必要に迫られなければ

なかなか身につかないのかもしれません。

 

「人に心の底から何かを伝えたい!」 

「人(学問)から何かを本気で学びたい!」

 

と本気で思わなければ・・・  ですね。

言葉は・・・。

何でもそうかな??!!

 

つづく

毎週、フェット(パーテイー)を続けていると、

さすがに元々ないお金も、どんどんなくなってくるし

フランス語を話すのも、

やっぱり外国人同士で話していると

いろいろな話が英語が混さってきたり、

 

 

お互いに分かったつもりになってたり

以前より僕もちょっとフランス語が分かるようになると

ますます自分が基本的なフランス語の

知識が足りないことが分かってきて

このまま、語学学校へ分かっても分からなくて

行き続けていてもダメだな~  と・・・。

 

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親切にしてくれる先生・ベンと事務局のマダム達も

”日本人はなかなか話が出来るようにならないから、大変なのよ~”

みたいな同情も最初の内はありがたいと思いつつも

だんだんと「あわれみ」を持たれているようで

なんとも自分自身に腹立たしささえ覚えてきて

”よし、学校へ行くのはとりあえずやめよう!”

”学校に行っても授業が分かるように、

一度ちゃんと一人でフランス語を勉強しよう!!”

って思ったんです。

フランス語をフランス人がフランス語を話しながら教えてもらっても

基本的な単語力や動詞の活用が分からなければ

理解できない・・・

当たり前ですが、そのころは”何とかなる~” という勢いだけだったので・・

 

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その当時、Oさんと言う、その後僕の母校となる

エクサンプロヴァンス芸術大学に在籍していた先輩がいて、

僕がたまたま

彼の「知り合いに瓜二つだった?!」 

ということで

”めったに日本人には話しかけない・・” 

という人との出会いがあって

そんなことが切っ掛けで知り合いになって

その後は大学のことも

私生活もよきアドバイザーになってくれたのですが

 

彼にはその頃、フランス人の彼女がいて

その彼女がとても綺麗で、優しい人だったのです。

 

 

忙しい仕事の合間を縫って

(彼女はすでに社会人だったので・・・)

僕にフランス語のレッスンをしてくれるようにもなって

 

”あなたはとても綺麗な発音をするし、

言い回しが日本人らしくなくフランスっぽいから

きっと綺麗なフランス語を話せるようになるわよ!” と。

 

勿論全部は何を言っているか分からないので、

Oさんの通訳で理解して・・・。

 

僕を励ますつもりもあって、

そう言ってくれたのかもしれませんが

当時、なかなか上達しないフランス語に

ちょっと自信をなくしていたので

そういってもらえたことは、

とてもとても嬉しかったんです。

 

で、そのOさんが根本的な問題点を指摘してくれて

どうやってフランス語をマスターしたかを教えてもらったのですが

当時、フランス語の教本に「モージェ ルージュ」

と「モージェ ブルー」

という本があったのですが、

その「モージェ ブルー」 を一冊丸暗記する。

 

これはとにかく短期間に集中してやらなければ

とっても一冊丸暗記出来るページ数ではない ってことで

 

まずある一定期間 「人に合わない」

「人が来る時間帯に部屋に居ない」 

 

その頃、すでに外国人を含め沢山の友達は出来ていて

けっこう彼らが頻繁に部屋に遊びに来ていて 

(僕のご飯を食べるためにかな~???)

なかなか集中して勉強する時間がなかったので

考えたのは 

昼間は部屋から出て人に逢わないように郊外へ行って

どこか花やとうもろこし畑の陰や林の木陰で昼間は寝る。

 

南仏の郊外の空気の匂いや時折そよぐ風。

光と影のコントラストが美しくて、眺めていると

知らないうちに眠りについている って感じでした。

 

つらかったけど、何か気持ちよかったな~~


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夕方ごろになったら部屋にそっと戻り、

夜に人が来ても居留守を使って、

とにかく朝まで勉強する

このモージェ ブルーを1ぺージにつき50回

意味が分かっても分からなくて

先ずはとにかく ノートに書き写す

 

そうするとだいたい20回くらい書き写すと

最初のころは簡単な単語や文章のなので

すらすらと見なくても正確に書き写せるようになっていて

それでも、最後まで必ず50回書き写す 

(これが大事!!)

 

書き写したら、分からない単語や熟語の意味を辞書で調べる

というのを繰り返していくと、

そのつど丸暗記しているので、

ページが進んで行って文章が長くなったり、

単語も増えているのだけど

そのつどの知識の蓄積で、そんなに辞書を引かなくても

わかるようになってくるんですね。


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結局このモージェブルー一冊 この方式で丸暗記

夕方から朝まで食事を作って食べている時間以外は

一日12時間~14時間くらい.。

約1カ月間 無我夢中で勉強したな~・・・。

 

同時に、発音記号の読み方も勉強したので、

フランス語の発音の法則みたいのもわかってきたりして・・・。


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で一冊終了して、

”まるで○○○から出所するかのように”

普通に町中に出かけて行って、カフェとかで話す人や

ギャルソンとお客との談笑など聞いていると

 

”あれ?そのいい方、暗記した!!”

”その意味分かる・・・!” みたいになって

 

急にフランス語がわかる という 

本当に不思議な不思議な体験をしたんです。

 

友達は、”どうしたんだ?”  

”どこに行っていたんだ?”

”どこか、旅行に行っていたのかと思った”

”急にいなくなったから、皆な心配してたぞ・・” と

 

それと同時に急にフランス語が分かり、

流暢とはならないまでも

意味が通じる話が出来るようになっている僕に

 

”あれ、どうしたんだ? 何があったんだ?” 

って感じで唖然。

 

その経緯を説明すると 

”ポカ~ン”

 

まず僕が、彼らが質問してくるフランス語が分かることにびっくり。

日本人の友達は ”なにそれ??”

結局、その後は日本人に限っては

「本当に将来の目的があってフランスに居る人以外とは群れない」

と決めて、遊学で来ていた日本人とは

本当に行動を共にしなくなりました・・。

 

分かるようになったフランス語を出来るだけ長い時間使って

通じるかどうか話をしてみたい・・・と。

 

その時は、もうフランス語を話すのが楽しくて楽しくて・・・。

ちょっと将来の希望が見えてきた瞬間です。

 

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つづく

 

ここのところ、

はじめてフランス留学で、現地に到着してから

3ヶ月くらいのところの話をずっと書いていましたが、

まあ、相変わらずそのころはなかなかフランス語が上達せず、

僕の面倒を見てくれていた女性、Mさんや安部さんを通して

エクサンプロヴァンスに留学、遊学している

沢山の日本人と出合うことになります。


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色々な人がいたな~。

 

勿論、語学を勉強に来ていた人

日本の大学でフランス語を専攻していて、

フランスの大学に正規入学や編入するために

先ず語学学校でさらに勉強している人

 

脱サラで、昔からの夢を貫くために

退職金を持ってフランスに来て画家を目指していた

某有名電機会社の専務だったというUさん

 

外務省や丸紅、伊藤忠商事のエリート達。

”でも僕らはこの後、アフリカなんだ・・・” 

と言って嬉しそうではなかった人たち

 

日本で何らかの夢破れ、

フランスに留学という名のもとに

遊学で来ていた元OL達。

 

日本の大学で、フランス文学や美学美術史、

言語学や社会学を専攻して

大学院を修了後か大学院を休学し、

エクスの大学に正規留学で来ていた

ここでもその道のエリート達。

 

そんな人達でも、フランスの社会にはなかなか入りこめず

いつもフランス人やフランスの社会への

不満をぶちまけていました。

 

ストレス、欲求不満全開。

だから、人間がみんなどんどん横柄だったり

傲慢になっていくんです。

 

フランスのエクサンプロヴァンスという、

狭い日本人社会の中でだんだん、人に基準をつけてくる。

 

学歴、学閥、家系、容姿、財産、親の学歴、仕事・・・。

 

次第にその基準の中で、

そこのコミュニテイーに居ない人たちの

批判や悪口を言うことでストレスを発散して

異常なコミュニテイーが表れてきて

 

”これって、日本にある普通の社会の縮図なんだろうな~” って・・・。

 

僕なんか当時、まだ高卒で超貧乏だったので、 

 

”大学はどこ?”

”あっそ、高卒でフランスに来たんだ~・・・” 

と鼻もひっかけてもらえず

”お父上はどんな仕事をされているの~?”

”????”

 

我ながら

”フランスに来たのに、

何で日本人とばかり一緒にいるんだろう???って・・・”

 

この人たちも、一対一でいる時は皆いい人なのに、

”どうして塊になるとこう意地悪になるんだろう~”と・・・。

 

最近のいじめが起きる原因や構図と同じなんだろうと思います。

そんな人たちといることで、

「フランス語を使う機会も増えない」

フランス人も最初はフランス語が出来ない自分に興味を持って

親切にしてくれているけど、

やっぱり、だんだんまともにコミュニケーションが取れない 

となると 僕と会わなくなる。

話をしようとしなくなる。

 

 

僕と言う個人にはまったく興味がなくなってくるもんなんですね。

日本人には興味があったとしても・・・。

 

でもそのころ、そんな僕でも見放なさなかったのは

以前紹介した、後に在日フランス大使館公使

後に在豪フランス大使になった.クリストフ.P

 

最近になって、そのことについて聞いてみたら

”とにかくコーキ(僕のこと)は他の日本人に比べて

とても真面目で、一生懸命だった” と・・・。

(ありがとう!)

 

あまり大した理由ではない気もするのですが、

まあ僕の場合、”これしかない” 

というところで行ったフランスだったから

必死は必死だったんだろうな~ と思います。

 

でも、そんな日本人たちの中にいても、

”自分だけ まだ何もなしていない”

そんな劣等感と孤独感がいつもあって


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今でもよく覚えているのは、12月31日の夕方から

エクサンプロヴァンスから見える、

あのセザンヌが生涯を掛けて描いた

サントヴィクトワール山に一人で登って、


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頂上の十字架が立つ横で一夜を過ごし

元旦の日の出を見ながら、涙をこらえて

 

”頑張ろう・・・今の状況に屈しない” 

と心に誓ったことは今でも鮮明に覚えています。

 

で、考えたことは一つ。

「極力、これらの日本人とは会わない!」

ってこと。

 

先ずは語学学校以外でも、

フランス語で話をする機会を増やすにはどうするか・・・

すでにこの頃、同じクラスにいて

とても仲がよくなっていた度々登場のヒロシは

それまでの留学経験からか、

その日本人達とほとんど群れていなかったし

まあもともと、あまり人に関心のない男だったせいなのかも・・・。

 

で、その親友・ヒロシと取りあえず、

同じクラスの外国人達と

”もっとプライベートで話をする機会を作ろう” 

ってことになって

そのころ凄くハマっていた料理を生かして

週末、”日本の食事と御酒を用意するから家に遊びに来ない”

とクラスメイトを誘い、

だんだんクラス以外の人たちも誘うようになって

毎週末 フェット(パーテイー)!!!


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兎に角、料理本が優秀だったので作るものは

みんな ”C'est bon! C'est bon! おしいしい!おいしい!”


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お酒も基本は寸胴鍋に、ワインとフルーツ、

フルーツジュース、ホワイトラムを入れて

フルーツカクテルにして飲みやすくしているので

すすむすすむ~~・・・。

持って行った当時日本製のラジカセで音楽を流し、

みんなでダンスダンス。

 

友達には基本的には、

”何か一つ飲むもの食べるもものを持ってきて”

と誘うけど、学生だから? 大したものは持ってこない

 

でも、このフェットでは 食べ放題 飲み放題 

それもめちゃくちゃ上手い

外国人も日本の料理は食べたことがないから

興味深々で来るわけで

男も女もみんな週末、我がアパート(スツウデイオ)に

来るのがとても楽しみだったみたい!

 

本当に毎週末が楽しみだし、楽しかった~!!

 

そんあこともあって、

それを機会にフランスに行ってはじめての彼女も出来たし・・・。

チャレンジに必死だった時期でした。

 

つづく