【再投稿】フランス・第2の故郷 エクサンプロヴァンスVol.24 | すいらんぶろぐ

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いよいよ、

Ecole d'art surperieur d'aix-en-provence

(エクサンプロヴァンス芸術大学)

への登校一日目。

 


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なんと珍しく、この年は日本人学生の入学者が4人もいました。

 

一人は、すでにフランスに4年いるという

父親が北陸でけっこう有名な骨董屋をしているらしい

20代後半のOさん

 

二人目は、ご主人と二人で日本では劇団に入って演劇をしていて、

フランスで総合芸術を学びたいという

N大芸術学部出身の女性Eさん。

 

三人目は、名前も忘れて

あっという間にいなくなってしまったM美大出身の男性?さん

 

そして四人目は僕。

 

M美大出身の?さんは、フランス政府の給費留学制度を使って

入学したみたいで、たぶんバカンス気分で

何を学ぼうとかもなく 来ていいたみたいなので

あっと間にいなくなってしまいました。

 

まあこういう日本の美大芸大生があまりにも多くて

入学して学校に通わず、旅行をしたり

遊びまわっていたらくし、それが問題になり

今では美術系のフランス政府給費留学制度が

廃止になってしまったのも事実。

 

なんとも嘆かわしい!!

まあそれはともかく、

この年は入学者が多かったらしく約60人(建築科は除く)

 

日本の大学であればこのくらいはかなり

少ないくらいですが、

フランスはとにかく高校卒業後の進学率が少ないし、

学費もほぼ無料なので、余分な生徒は取らないので

今では30人くらしか合格者を出さないところもあるようです。


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で、入学して所属担当の先生分け。

 

4人の日本人はやっぱり、

全て異なる先生にわけられたので、

あまり授業内での接点はなかったんですが・・・。

僕もこの時点では、けっこう日常会話くらいは何とか

コミュニケーションがとれるようになっていたものの、

初めての普通のフランス人同窓生達。

 

ほほ普通に話しかけられてくるので、

その話の早さに

”ちょっと待って、もう一度話して・・”

 

通常、留学してくるアジアの外国人はこの頃はまだ

結構、すでに母国で大学を卒業していたり

一度、社会人になってから入学してきたりする人が多いせいか

そんな中にあって、僕は珍しく若くして渡仏しているので、

在仏アジア人(フランス生まれのアジア人)

だと思われることが多くて、

普通に話しかけられて

 

”えっ”て顔をすると、

”何” って顔で聞き返されて

”へ~、何でフランスに来たの? ”

”日本人?? 日本ってどういうところ・・・” 

みたいに質問されることが

とても多かったな~。


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今みたいに、ネットやマンガで

簡単に日本のことを知ることが出来ない時代なので

みんな中国人やベトナム人ではなく、

日本人が何でパリではなく

エクサンプロヴァンスにいるのか・・・みたいな 

とにかく興味津津!だったんです!

 

芸大に入学してからしばらくはとにかく、

右も左も分からない。

 

授業も教授達が言っていることが、

たぶん半分も分かっていなかっただろうな~・・・。


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でも不思議なもんで、分からないでいると

誰かが助けてくれるもので

1年目はとにかくがむしゃらに、無我夢中で

1週間の1日か二日は徹夜。

 

本を読んでレポート。

でもその本もフランス語で読むには全然進まなくて

結局、親に手紙を書いて、

フランス語の原文のタイトルを知らせながら

その本が日本語に翻訳されているものを

送ってもらって・・・。

その殆どは、哲学書や社会学書とか形象学、

心理学書なんかで

まあ、美術史とか美学書はたぶん必要になると思って、

日本に一時帰国した際に購入していて

フランスに持っていったのだけど

まあそれにしても、日本語で読んでも良く分からない・・・。

それでも辛抱強く。。。

 

今度は読み終わっても、

それをフランス語でレポートを提出しなくてはならないので

もう頭は破裂しそうなくらい、パンパンだし、クラクラ。

 

本を読む時間、ゼミで受けた授業の課題制作の提出物

レポートを辞書片手に書く時間・・・。

とにかく寝る時間がない・・・・・・・・。

と言う感じで1年が終了した感じでした。


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あまりにも無我夢中、一心不乱に毎日をすごしていたので

1年目はあまり記憶がないんです。

それに、親からの仕送りもすっかりストップしていたので

一月、生活費4万5千円。 なんとか、ぎりぎりでやっていたし

簡単にアルバイトも出来ないので、

学校の陶芸の設備や粘土を借りながら、日本風の四角いお皿や

湯飲み茶碗やご飯茶碗を作って・・・

それも学校の設備なので全てタダで制作して

実はそれを、朝市で売ったり

知り合いの友達や、友達の知り合いに売ったりしていて

結構稼いでいたのです。

まあ稼がないとなかなか生活もすでに楽ではなかったので・・・。


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そしてあっという間に1年目が終了。

1年から2年に進級する時、入学時の同窓生は、

何と60人いた生徒は約半分の35人に・・・。

僕もかろうじて進級。

 

でも僕以外の3人の日本人は全員落第・・・。

厳しい現実。

まあ一人はもともと不純な動機で入学したので、

落第して当然の素行。

 

もう一人は、M大出身の給費留学生なので遊んでいるうちに✖

学校にはこなくなってしまったので、

もともと正規の学生とは違うので。

 

もう一人の演劇出身のEさんは、

精神的に追い詰められている時に

交通事故にあってしまい、

それがもとでうつ病に。

”結局、日本に送り返した。” 

ということで僕ただひとりに。


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それでもきびいしいと言うより、

毎日が楽しくて仕方なくて

それより、そのころ親しくなったフランス亡命の過去を持つ

ラオス人のヴォンという友人がいて、

(今はロンドンを拠点に欧州を代表する、

超有名現代美術家になっていま~す)

 

彼がバイクを乗っていてそれがかっこよくて・・・。

僕もどうしても乗りたくて、彼に頼んで

すごく安い中古といっても、本当にボロい

ホンダの125ccのバイクを探してもらって、

とにかく塗装を自分でやり直して

さびも必死でとってピカピカに・・・。


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真っ赤なバイクを風を切りながら乗りまわしていた

楽しい思い出のころです。

 

 

つづく