赤薔薇『老後の資金がありません!』

ヒヨコ「老後資金」は早くから大きな関心事だった

  定年後を年金と退職金と貯蓄だけで暮らすとしたらどれだけお金が必要だろうか・・・。定年になる前からそのことを考えた私は時々手帳の後ろのページに必要と思われるその額をああでもないこうでもないと計算したものです。

 

 計算をするといっても、大雑把な計算です。定年前は定年後の「年金額」と「生計費」の確定的な数字がわからないからです。そのため「年金額」も「生計費」も概算した数字を使用しました。

 

 また、計算をする際に2つの前提をもうけました。1つは、定年後再就職して収入を得ることはしない。これまで40年間も働いてきたのでもうどこかに雇われて自由を拘束されるのはごめんだと思っていたからです。

 

 前提のもう1つは、定年後も定年前と変わらない質素な暮らしを維持することでした。そうやって、私は百歳まで生きると仮定して(ガハハ)、それまでの「老後資金」を計算してみたのです。今から10年ほど前のことです。

 

 しかし実を申すとそうした「老後資金」の計算をするより前に早くから私がしていたことがありました。それは、40代の後半から定年まで、住宅ローンを返済しながらそれと並行して、定年後の「老後資金」をたくわえることでした。

 

 ですから、冒頭にのべた定年後にどれだけのお金が必要かという計算は、その「老後資金」をたくわえる計画と実践の延長にあったといえます。つまり、それだけ「老後資金」の問題は、リタイアする前の私にとっては大きな関心事でした。

 

 目がハート“旧友”に出会ったような映画のタイトル

  前置きが長くなりましたが、そうした経過をたどって定年を迎え62歳からリタイア生活を始めた私が出会った映画『老後の資金がありません!』(前田哲監督 2021年

10月公開)。

 

 先述のように40代後半から「老後資金」のことが頭にあっただけに、《そういえば私にもそれを考えていたころがあったなあ・・・》。まるで “旧友”に出会ったかのような懐かしさを覚えた映画のタイトルです。

 

 映画は期待以上に楽しめた作品でした。笑いあり、涙あり、元気になり、学ぶものがある、上質なエンターテインメントだと思いました。

 

 原作になっている小説『老後の資金がありません』(垣谷美雨)は2015年に中央公論社から刊行されています。私が定年退職した年の3年後です。

 

 小説のテーマは先述したような私が定年前にいろいろ計算して頭を悩ました「老後資金」そのものズバリなので、当時、書店で「買おうか、買うまいか」迷った本でしたが、結局は買いませんでした。

 

 もともと小説を読むのが苦手なのと、本が出た年には、自分の「老後資金」の算段については一応の決着をつけていたため、いまさら時間をかけて苦手な小説を苦労して読むまでもないと思ったことを記憶しています。

 

 で、映画館で映画を見終えて書店に寄り、棚にあった小説を改めて手にして奥付を見ると中公文庫のそれは2018年初版発行、2021年9月で31刷発行とあります(2015年に発行されたものは中央公論新社刊で文庫ではなく四六版)。

 

 つまり売れていたのです。累計で40万部!とあります。本が売れないと言われる中で、すごい部数です。映画になるはずだと思いました。

 

 口笛映画は「老後2000万円問題」への“回答」”

  もっとも、原作小説が売れた累計部数の大きさはともかく、「老後資金」の問題は定年が近くなる50代の人たちにとってだけでなく「自分たちが年金を受け取る頃に年金ははたして受け取れるだろうか?」と気がかりな若い世代にとっても、「老後資金なんてまだ関係ないや・・」ですませる話ではなさそうです。つまり誰もが身につまされる問題です。

 

 それに映画が公開される2年前には、記憶に新しい「老後2000万円問題」というのがありました。老後は国から支給される年金があるから大丈夫と国民が安心していたところに、金融庁が突如、「老後資金として年金とは別に2000万円が必要」と言い出し、日本中が大騒ぎになったあの問題です。

 

 ですから、映画『老後の資金がありません!』は、多くの国民が「老後資金」に関心を寄せ、不安を抱いている世間の空気の中で、その「老後2000万円問題」を受けて、金融庁が投げかけた「年金の他に2000万円が必要」ということに対する映画による“回答”になっていると言えます。

 

 その“回答”は何かといえば、「年金の他に20000万円が必要と今ごろそんなことを突然言われても、ほおらこのとおり、老後の資金はありません!」というものです。

 しかもそれを決して深刻ぶらずに、笑いと、おかしさと、暖かさで包み、見ていて、楽しく、観客が「そうそう・・・そうだ」と共感できるようなエンターテイメントに仕上げていることです。

 

 さらに言えば、人間賛歌、元気が出る人生賛歌ともいうべき映画になっていたと思います。

 

 ハイビスカス映画のあらすじと感想

  映画は冒頭で、街の電光掲示画面にテレビでおなじみの経済評論家の萩原博子さんが映し出され「老後資金は4000万円必要です!」と煽りぎみに言っているところから始まります。

 

 そんな中、家庭の主婦・篤子(天海祐希)は、家計は妻に任せきりの夫・章(松重豊)

給料と篤子がパートで稼いだお金でやりくりしています。夕食の鍋の中はいつももやしと豚なので娘と息子からは「今日もまた?」と言われます。

 

 篤子が自分のために使えるお金と許した額はヨガ教室の月謝の5000円だけだ。何年も使っているバックはかなり傷んでいるが、街のショーウインドーにある憧れのブランドバックも必死に我慢しています。

 

 ・・・・・そうやって、篤子が節約しながらコツコツ老後の資金として貯めてきたお金はなんと700万円と少し。夫の章はそれを知り「2000万円くらいはあると思っていた・・」とつぶやきます。

 

 私も妻に家計を任せていた時期にそのように「家にはお金が貯まっているだろう」と能天気だったことがあったから、章がそうつぶやいたときは思わず、見ながら「そうそう・・」と思いました。

 

 確かにちっとやそっとのやりくりだけでは、お金はなかなか貯まらないのが多くの家庭の実情なのだろうと思います。

 

 しかし篤子たちの貯金額の700万円余ははたして多いのか少ないか。少し前の新聞にサラーリーマンの平均貯蓄額が1000万円余りとあったから、それからすると、章は56歳、篤子は53歳という彼らの年頃にしては決して多いとはいえないかもしれません。

 

 けれども貯金がほとんどないという世帯もある現実や平均貯蓄額は富裕層が平均額を押し上げているともいうから、700万円はまあまあともいえるかもしれない。

 

 だがこの後、篤子と章の生活は突如、ほころび始めます———。

 

 入院していた章の父(篤子の舅)が死去し、章は妹(若村麻由美)に喪主を押し付けられてしまい、その結果、夫婦は葬儀代400万円近くを支出することになってしまいます。しかも折り悪く、篤子はパートの契約を切られてしまう。

 

 そこへもってきて娘の結婚である。相手が地方の実業家の息子だったため、盛大な披露宴を希望されてしまい、両家折半で章と篤子が負担する費用は300万円超。

 

 つい先日まで700万円あった貯金はあっという間に200万円台になってしまいます。そこへさらなる事態が押しよせます。章の会社が倒産したのだ。住宅ローンの完済に当てにしていた退職金の2000万円は1円もでない。

 

 そうやって遂に夫婦そろって失職したなか、それまで章の妹夫婦の家にいた章の、浪費癖のある母(草笛光子)(篤子の姑)を篤子と章が引き取ることになりました。

 怒涛のように押し寄せるとはまさにこのようなことを言うのだろう。

 

 しかし明るく元気で、さっぱりした性格の篤子と、ちょっとたよりなく脱力感がいい感じの章をはじめ登場人物が全員適役で、映画を見ているうちにカラリと笑い飛ばせる元気が出るコメデイ映画になっています。

 

 映画のタイトルは「老後の資金がありません!」と深刻ですが私は見ながら何度もクスクス笑いました。そしてとめどなく涙があふれた感動的な場面もありました。

 

 それは、クライマックスの生前葬が行われたシーンです。篤子の姑役の草笛光子がスピーチをした後、越路吹雪の「ラストダンスは私に」を歌ったところでした。

 映画の大団円の場面で披露されたその歌声は「生きているって素晴らしい・・・」と感じさせるものでした。

 

 また、映画は老後の資金に頭を悩ます篤子と章をはじめ登場人物たちが巻き起こす騒動を通して、観客に”学び”もくれていたのではないかと思います。

 

 私にとってそれは、章の父が死の間際に残した「おはぎは3つは食べられない」という言葉と、ラストで姑役の草笛光子が章と嫁の篤子の家から越していくときに篤子に言い残した「人間わがままに生きたほうが勝ちよ」というセリフでした。

 

 章の亡父のそれは、足るを知ればもっと豊かに生きられるという意味なのだろう。

また草笛のそれは、人生いつまでもクヨクヨ、いつも我慢ばかりしていないで、自分の思うがままに1度っきりの人生を謳歌して悔いなく生きましょうと言いたかったのかもしれないと思いました。

 

 そして楽天性に思いを馳せてそれらを合わせて考えると、映画は確かに「老後の資金がありません!」ということで老後のお金がなくて困ると叫んではいるが、しかしそれで人生が終わるわけではない、色々大変かもしれないが元気をだして人生を楽しんで生きようよと優しく、温かく訴えかけているようにも思えました。

 

 俳優陣の演技の達者さ、脚本の巧みさと監督の演出の力にも脱帽しました。

               タコ

  ピンク薔薇差別について考える

 ●患者さんに思いが及ばなかった少年時代かに座

 昭和20年10月、シベリアに抑留され3年後に復員した私の父は、昭和27年にハンセン病・国立療養所奄美和公園に就職。以来、昭和59年に58歳で定年退職するまでの30年余りを、転勤を繰り返しながら九州、沖縄の各療養所で勤めました。

 

 退職後は生まれ故郷・奄美大島の再就職先で65歳まで働いた後、平成20年83歳で病没しました。その生前の父のもとで、前にもふれましたが私は小学1年生の時から高校を卒業するまで(昭和31年~昭和43年)を奄美和公園の官舎で過ごしました。今から55年~67年も前の昔のことです。

 

 そしてこれも前にふれたように、その少年時代に官舎で過ごしていた頃も、こうして差別について考えている今の今まで、私は、わが国のハンセン病患者とその家族が長い間、差別と偏見にさらされてきた事実に思いを馳せることはありませんでした。

 恥ずかしながらハンセン病についての知識はほとんどなくハンセン病と聞けば条件反射的に「怖い」と感じていただけでした。

 

 しかしそれにしても、ハンセン病療養所が近くにあり、そこで父親が職員として働いていたという環境にありながら、なぜ思いを馳せることがなかったのか。不徳の致すところと言えばそれまでですが、今にして思うとそうした環境の中に、偏見や差別の影が全くと言っていいほどなかったことです。

 

 そしてまた、足元のリアルな現実を見る眼や想像力がまだ子供だった私にはなかったからだと思います。日本が高度成長を遂げようとしていたその時代に、幼い少年だった私の頭にバクゼンとあったのは、近い将来に東京のような都会に出ていくことでした。そのため身近にあったリアルな現実——療養所で暮らす患者さんたちの置かれた現状と心情には思いが及ばなかったのです。

 

 ●患者に寄り添っていた医療従事者・職員ハイビスカス

 ところで、これまで何度も引き合いに出している2001年の熊本地裁判決は、約90年間わが国で続いたハンセン病強制隔離政策を憲法に照らして憲法違反と断じました。また、隔離政策によってハンセン病患者が差別と偏見にさらされ人権侵害の被害を受けたその実態を明らかにしました。

 

 2001年は今から22年も前で、その熊本地裁判決は当時きっとテレビや新聞で大きなニュースになっていたはずですが、すでに50代になっていた私はそれさえも知りませんでした。そうした中で、最近、私がふと思い当たったことは、先にのべたような経歴を持つ生前の父と父の同僚たちは「隔離」政策下で療養所に入所させられていたハンセン病の患者さんたちと日常的にどのようにかかわっていたのかということです。

 

 父はもうこの世にはいないので、それを直接聞くことはもうできません。しかしながら、私は父が亡くなった時に形見として父の遺品のうち蔵書の何冊かを家に持ち帰っていたので、その中に患者さんたちのかかわり方の一端をうかがい知るものがありました。そんななか、そこで見えたものは、ひと言で言うと、療養所内の患者さんたちに寄り添う、医師・看護師などの医療従事者と職員たちの献身的な姿でした。

 

 奄美和光園の『創立六十周年記念誌』には「ハンセン病を正しく理解する」ための取り組みとして園内で職員が相撲大会やバレーボール大会を開催したことや、市のゲートボール協会に患者さんたちの参加をお願いして苦労のすえに参加を認めてもらったことなどが書かれてあります。また園内では、療養生活が単調にならないように、夏祭り・カラオケ、囲碁・短歌、クリスマス会など様々な催しが行われていたようです。

 

 父が書き残していた思い出の中には、患者さんの野球チームにこれまで勝ったことがなかった職員チームが勝ってしまったので、職員で祝杯をあげたら、「お前たちは、患者さんに勝って何が嬉しいのか」と園長にこっぴどく叱られたというのがありました。

 

 つまり熊本地裁判決によってハンセン病患者に対する偏見と差別の実態が天下に明るみになり、ハンセン病患者イコール偏見と差別の被害者という形で一般的に広く知られることになりましたが、父たちが勤務していた療養所の中では、患者差別はもってのほかで、医療従事者と職員たちは患者に日夜、寄り添っていたのです。

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   ■漫画『はだしのゲン』ラブラブを読む牛 

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      麦よ出よ

 ●隆太がゲンの家の一員になる愛

 「なっ おかあちゃん ええだろう 隆太をわしらと 

  いっしょに おいてやってくれ たのむよ・・・」

 

 ゲンが、家(母の同級生・キヨの家の物置小屋)の中で母・民江と談判しています。ゲンは、家で隆太が一緒に暮らせるように母に「たのんでみる」と隆太と約束していたからです。隆太は農家から食べものをドロボウして捕まり、警察に連れていかれそうになりましたが、ゲンが、隆太を捕まえた相手側に隆太が盗ったものを返したうえで、ゲンが稼いで得た報酬の三円をくれてやって相手側に許してもらっていました。

 ゲンが母を喜ばせるために稼いだお金を、惜しいと思いつつも隆太のために使ったワケはゲンが隆太を死んだ弟の進次だと思っていて、どんなことをしても隆太を助けたい、それは進次を助けるのと同じことだと思っていたからでした。

 

 ゲンと母親が話している間、隆太は家の外で「まだか・・・」「わしゃ ほんとに この家に おいて もらえるかのう」「もし だめだっていわれたら どこへいきゃ ええかのう」と首を長くしています。

               お願い

 隆太を家に「おいてやってくれ」と言うゲンに母・民江は、今でもご飯が食べられないのに「もうひとりふえてはたいへんだよ・・・」と渋りますが、ゲンは「わしが 吉田の政二さんの めんどうをみれば 一日三円 もらえるけえ 金のことは わしにまかせて 隆太をここへ おいてやってくれ~~~ おねがいじゃ~」となおも頼みます。

 (「吉田の政二さん」とはピカでヤケドを負い家族から冷たくされている人です)

 

 しかし民江は「こまったね」と言ったはものの、外で手持無沙汰にしている隆太を見て、「なん回みても死んだ進次にそっくりだね・・・」と言います。そして、在りし日の進次が、病の床にいた自分(民江)の皿のサカナを見て、そのサカナを自分が食べたら、「骨をしゃぶるとうまい」から「わしに骨をくれよ・・・」と言っていた(ひもじい思いをさせた)ことを思い出し、

 

 また、原爆が投下された日に家の下敷きになり火に焼かれながら「おかあちゃん あついよ~~~ あついよ~~~」と助けを求めて死んでいった進次のことが思い出され、その結果気持が変わり、隆太を家の中に招き入れたのです。

              照れ

 「 お・・・おばちゃん」「 お・・・おかあちゃん ええのか!」

 「進次の うまれかわりだと おもって かあさん そだてるよ 進次には つらい思いを させたからね 罪ほろぼしだよ・・・・・」

 

「 うわーい 隆太よかったのう ギャハハハハ」。ゲンと隆太は跳び跳ねて喜びます。

 

 ● “くそババア” が文句をつけに来た宇宙人あたま

 エーイ オー ドスン バタン キエ— ギャオー。家の中から声がします。ゲンと隆太が忍者ごっこをしています。「おのれ 佐助のやいばを うけてみよ」バシッ、「なんのちょこざいな」エーイ、バシッ「オ・・・オ——ッ」「どうじゃ かんねんせえ」「う——む」「こうなれば忍術でにげてやる」。

 

 2人が楽しそうに遊んでいるのを母・君江は赤ん坊を抱きながら「友子ちゃん おにいちゃんが もうひとり ふえてよかったね」とニコニコして見ています。

 ところが、そうした平和な家の中を、あの意地悪な3人組の “くそババア” と辰夫と

竹子がのぞき、「ばあちゃん へんなやつが はいりこんで いるぞ」「うむ さわがしいとおもったら・・・」となります。

 

 覚えておられるでしょか。“くそババア” とは、現在、君江に家の物置を貸している親友・キヨの姑です。辰夫と竹子はキエの子どもで、“くそババア” の孫です。

 

 第2巻のおしまいのとろで登場した彼らは、キヨの好意で家に住むことになった民江たち親子に意地悪の限りをして(民江が盗んでもいない家の米をドロボウしたとして警察に突き出した)、親子を家から追い出した3人です。

 

 再び民江親子がキエの好意で現在の物置に住むようになったときは、最初、せっかく追い出したのに、また帰ってきやがったと思った3人でしたが、今度住むのは物置だし、家賃は払うし、飯も食べさせないと決めたから「いいだろう」と、“くそババア” は言っていました。その3人が、隆太が家族の一員になった平和な家庭にイチャモンをつけに来たようです。

             ダッシュ

 「民江さん」「あの子は なんじゃ? まさか この家に おくつもりじゃ ないだろうね」「わしゃ あんたらに この家を かしたけど 自由にして ええとは いうとらんぞ」「・・・・」「なんじゃ どこの 馬の骨か わからん きたない子を かってに つれこんで ええかげんに しんさい」「はよう おいだしんさい この家に ノミやシラミが ふえる ばかりじゃ」。言いたい放題です。

 

 だが民江も黙ってばかりではありません。

「 この子は どこにも いくところが ないんです あたしらが ひきとって やらないと この子は どうなるんですか ゆるしてください」「だめじゃ だめじゃ」

             飛び出すハート

 「 どんなに 苦しい時でも 人の道と いうものが あるんじゃ ないですか たすけて やってください」「だまらっしゃい 自分の 頭の上のハエを おいはらう ことが できんやつが 他人の世話をするがらかい」「そんなにえらそうなことをいうならまずこの家の家賃をはらってからにしんさい」

 

 ●「殺しゃる」と「死ね」にはガーン驚いたがえー

 前〈39〉に『はだしのゲン』のストーリーを面白くしているのは登場人物の中の敵役の存在だという意味のことを書き、なかでも「敵役のくそババアは、話に緊張感をつくり、話をドラマチックに盛り上げるエンターテイナー的な存在」と賛辞をのべておきましたが、ここでも、この意地の悪い登場人物のお陰で人物同士のやりとりには緊張感と不安感が生まれ、読んでいてハラハラドキドキさせられます。

 

 民江が家賃は「もう しばらく まってください」と言うと、くそババアは「ふん 家賃も はらえんくせに よくも 人の めんどうを みれるもんじゃ」「とにかく わしは こんな子を ここには おかせんぞ はよう 追いだしんさい」「なにを しとるんじゃ はよう」とたたみかけます。そして民江が「い・・・いやです」と断ると「なんじゃと」「はよう ださんかい」バチンと民江を叩きました。

              炎

 さあ、大変です。「お・・・おどりゃ くそばばあ よくも かあちゃんを なぐり やが

ったのう わ・・・わしの だいじな かあちゃんを」「やかましい子どもはひっこんでおりんさい」。すると、怒りに火がついたゲンは「くそったれ」とナタを手に取って言います。「お おどれ みたいな くそばばは 殺しゃげたる」。「ヒ——」「ギェー」「ウワッ」。「死ね 死ね」ブーン(くそババアの前でナタを振り下ろすゲン) ギャー。

「おどりゃ まちやがれっ」「うわ——っ」「ヒ——ッ」。「元——おやめ!」

 

 家から逃げていくくそババアと辰夫と竹子を、ナタを手に追いかけようとするゲンを母・民江が抱えて止めます。「元 やめんさい いまは なにも いえんのよ がまんするのよ」「く くそー はなせ かあちゃん」「ばかたれー くそばばあ 鬼ばばあ おどれなんか 死にやがれ」「家賃は あした かならず はろうて やるわい」「隆太は ぜったいに 家から ださんぞ おぼえておけ~~ わかったか くそばばあ」

 

 「ああ びっくりした まったく あのガキは とんでも ないやつじゃ いまに 思いしらせて やるぞ」。逃げてきたくそババアは息を「ゼイ ゼイ」させながら孫の辰夫と竹子にそう言うのです。

 

 それはそうと、漫画を読んでいてビックリしたことは、ゲンがナタを手にして「おどれみたいな くそばばは 殺しゃげたる」と言い、「死ね 死ね」とそのナタを振り下ろしたことです。母が叩かれたためにカッとなり、反射的にとった言動として、また、それまでのくそババアに対する怨みの激しさが、「殺しゃる」「死ね」というゲンの激しい言葉になったのでしょう。

               えー

 ただ、それにしても少年たちが読む漫画の中の言葉としては衝撃的すぎます。前にふれたように『はだしのゲン』が連載されていた「週刊少年ジャンプ」の当時の路線は「努力」「友情」「勝利」—主人公が目的に向かって努力し、友情に支えられつつ、勝利する物語—です。なので、「殺しゃる」「死ね」という過激な表現は、少年たちにはいかがなものか? という見方をする人がいたとしても不思議ではありません。  

 しかしながら私はゲンが隆太は「ぜったいに家からださんぞ」と言ったその隆太のような原爆孤児に対する作者・中沢啓治さんの著書の中の次のような文章を読むと、ゲンがそうした過激な言葉を口にせざるをえなかったワケが理解できるような気がします。なぜならゲンは作者の「分身」であると作者自らが明らかにしているからです。で、『はだしのゲン自伝』の中のそれは次のようなものです。

 

 「 孤児たちは、どんなに辛い歳月を送ってきたことだろう。弱者の上にばかり過酷な運命を背負わせた戦争と原爆を、私は、腹の底から憎み怒る。戦争を起こした戦争指導者どもと、原爆を投下したもはや人間と呼ぶに値しない者たちを、皆殺しにしてやりたいとすら真剣に思った」

  

 ●“シングルマザー” 民江の 不安オカメインコ

 「お・・・おばちゃん あんちゃん ごめんよ」「わしの ために いじめられて ごめん

よ」。隆太は、自分が家に転がり込んだのが原因でめんどうなことになったので、神妙な面持ちでひざまずいてゲンと民江にあやまります。「ば・・・ばかだね もうええのよ 気にしなさんな」「ほうよ 隆太 もう心配するなよ また あのくそばばあが もんくいいやがると クソを 口にぶちこんで それからションベンをかけて 頭から 花を さかしてやるわい」

 

 「ううう おばちゃん あんちゃんわしゃ うれしいよ うれしいよ」うわーん。

 しかし、その夜、民江は、ゲンと隆太が寝た後、夫・大吉と娘・英子、息子・進次の頭蓋骨を前にして胸の内をのぞかせます。

 

 「あたしゃ この子たちを りっぱに そだて なくちゃ いけんのだ だけど これから あたしらは どう なるのかね 不安だね まったく 不安だね・・・」。(大吉の骨に)「あ・・・あんた ひどいよ あたしらを のこして 先に 死ぬなんて・・・」「あんた おねがいよあたしに 力をかしてよ もう あたしは つかれた あたしらを まもって くださいよ たのみますよ たのみますよ」「うううう」。

 

  敵役の “くそババア” がストーリーを面白くしているのでついパワフルな彼女の言動に目を奪われ、民江は、“ひっそり” した女性のイメージがします。しかしそんな民江は、今でいうシングルマザー。夫・大吉が原爆の日の火災で亡くなった後、路上で生んだ赤ん坊(友子・ゲンの妹)を抱えながら、ゲンとゲンが連れてきた隆太を “女手一つ” で育てなくてはいけない大変な境遇にいる女性。それだけに、彼女は先のことを思うと不安でいっぱいなのです。

 

 ●政二の異変を知り屋敷に向かうゲン炎

 その夜中、ドン ドン ドン と戸を叩く音がします。「この家は 中岡元くんの 家ですか?」「はよう あけてください」

 

 「 ファ~~ だれじゃ いまごろ ねむいのう」とゲンがガラッと開けると、「お おねがい すぐ 家にきて」「政二 おじさんが へんなのよ」と政二の姪・冬子が立っています。(このあと話の舞台は再び、ゲンが1日3円で、ピカでやられた政二の世話をすることになった屋敷の中になります)

 

 冬子は、政二がおそろしい声をだしていると言い、ただどうしてなのか、気持が悪くて政二の部屋に近づけないので、ゲンに「あんたが いって しらべてよ」と言います。

 「 ばかたれっ おどれら どこまで くさっとるんじゃ おまえの おじさんじゃ ないか!」「もしも 死にそうで 苦しんでいたら かわいそう じゃないか なんで しらべて やらんのじゃ」「わかったわい すぐいくわい」

 

 「かあちゃん わし 政二さんの とこへ いってくるよ」「わーい わしも いくぞ」と隆太。そして、ゲンは「政二さ——ん 死ぬな いまいくぞー 意地でも 生きてろー」と

 隆太を従えて屋敷に向かって走ります。

 

 ガウ~ ウウウ~ ウオ~。

 屋敷の部屋の中から異様な声がします。

 

 茂みの中で政二の兄・英造と妻のハナと冬子の妹・秋子がガタガタ怯えています。

 ガオ~ ギギ~。「あ あんた 政二さん 気が くるったん ですかね あんな声を だして・・・」「あんた はよう みてくださいよ」「ば ばかたれ おまえが みてこいっ」「い いやですよ なにを されるか わかったもんじゃないわ・・・」。ウウウウ。

 相変わらず家族は政二に冷たいままです。

              お願い

 そこへ、ゲンが「ハァ ハァ 政二さん 死ぬな 政二さん 死ぬな・・・」と言いながら隆太とともに屋敷にたどり着きます。

 

 「 おお 元 きてくれたか はよう 政二をみてくれ」。英造は兄らしくそう言いますが、妻のハナは相変わらず意地が悪く、「なにを しとったんね おそいじゃ ないの!三円が ほしかったら もっと はよう きんさい」

 

 ゲンは、ムカッとしますが、胸の内だけで「このくそばばあ」「いまに おまえら ええ 死にかたは せんわい はく情ものが!」と思って、怒りを口にだすのをこらえます。

 

 ●絵筆の柄を口に咥えていた政二の気迫炎

 ウオ~ ガウウ~ ギャオ~

 「 せ・・・政二さん どうしたんじゃ」「あ・・・あけるぞ ええか?」とゲンが異様な声をあげ続けている政二の部屋の戸をガラッと開けました。

 

 ウウウ グウウ と声を上げていた政二がふり向いたその口には、絵筆の柄の端が咥えられています(政二の顔のクローズアップ)。「な なにを しとるんじゃ」

 

 驚いた表情のゲンと隆太。2人の目に飛び込んだ光景は、政二が、ウウウウ と声を出しながら絵筆の柄の先端を先ほどのように口に咥えて、

 

 床の上に置かれたキャンバスに、前かがみになって正座した状態で向き合っていた気迫漂う姿でした。

―続く 

           チューリップ赤ちょうちょふたご座チューリップオレンジラブラブパンダチューリップ黄

           2023年12月1日(金)

                おばけくん