オカメインコ~『60歳からの「悠々」生活!?』~ 

ㇷ゚ロローグ / 第1章 60歳は「人生の仕上げ期」の始まり 第2章 定年後は”宝の時間が待っている  

 第3章 元気なうちは働く? 第4章 「自分の時間を売り渡さない」人生への帆を上げる 

 第5章 「悠々」 生活の基礎ー私の例  第6章 お金?そりゃ、あるにこしたことはないが ・・

 第7章 友人は大切だが孤独もまた「友」なり 第8章 おいおい、悠々と老いる / エピローグ

         

     第8 おいおい、悠々と老いる

               

Ⅶ‐Ⅵ)100歳まで生きたくもあり生きたくもなし

 どんなに長生きしたとしてもいつかは人生の幕を下ろさねばならない時がやってくる。厚生労働省の2022年の簡易生命表による男性の平均寿命は、81,05歳、女性は87,09歳である。そして60歳の人の平均余命は、男性が23,59歳、女性が28,84歳である。平均余命とはある年齢に達したとき、あと何年生きられるか、その年齢を示すもの。

 

 したがって、平均すると男性は60歳から23年、女性は28年生きられることになる。それを短いと感じるか長いと感じるかは人によって違うかもしれないが、いずれにしても、子どもの頃は永遠に続くと思えていた命が、60歳の地点に立つとそうやって有限のものとして眼前にとらえられてくる。

 

 そうしたなかで、2023年9月15日現在のわが国における65歳以上の高齢者人口の推計は3623万人で、総人口に占める割合は過去最高の29,1%を占めている。そのうち、75歳人口が初めて2000万人を超え、10人に1人が80歳以上だそうだ。では、その中で100歳以上がどのくらいいるかというと、92139人だそうである。そうした高齢化社会の中で、はたして自分は何歳まで生きられるだろう、また、何歳まで生きたいかということを考えたことのある人は少なくないであろう。

 

 私はできたら平均寿命までは生きたいと思う一方で、百歳まで生きることになったらどうなるだろうと思うことがある。もしそれまで生きられるならその時の世界がどうなっているかを知りたいという気がしなくもない。だがそんなに長生きするのが怖くもある。寝たきりや認知症などの不安があるからだ。また友人や知った人が誰もいなくなったら寂しくてたまらないだろう。妻や子どもに先立たれたらなおさらである。以前シリーズで放送されていた「百歳万歳」というテレビ番組を時々見ることがあったがほとんどの場合、息子や娘などの家族が百歳の人を支えていた。

 

 そんななか、ある新聞がモニター(1万7千人が登録)に対して「100歳まで生きたいと思う?」とアンケートをした結果は次の通りだった。

 

 「はい」と答えた人が35%、「いいえ」と答えた人は65%で、「はい」と答えた人の理由の1位は「やりたいことがたくさんある」、2位は「孫子の成長を見届けたい」、3位が「命を大切にしたい」であった。以下、「長生きすればいいことがある」「100歳の自分に興味がある」「生きるのが楽しい」「世界の行く末を見届けたい」「やり続けたいことがある」「なんとなく」「家族が望んでいる」だった。

 

 反対に、「いいえ」と答えた人の第1位は、「病気になってまで生きたくない」。2位は「親族に迷惑をかけたくない」、3位が「100歳に意味を感じない」である。以下、「いいことがあると思えない」「どうせ長生きできない」「現役のうちにぽっくり死にたい」「自分だけ生き残っても仕方ない」「金銭的余裕がない」「世話をしてくれる人がいない」「やり残したことはない」である。

 

 「はい」と答えた人の割合が意外に少ない気がしたが、「いいえ」と答えた人の理由を見ると、さもありなんと思う。病気になれば辛いことだし長期入院生活をしたり医療費が高額になったりすれば親族にも迷惑がかかる。国の社会保障は高齢者にも負担を強いる方向が強まっている。ましてや「無縁社会」が広がっていると言われるなかで支える家族もなく自分だけが生き永らえても仕方ない。

 

 とはいえ、そうはいっても人は何歳で命を閉じるかはわからない。早くこの世におさらばしたいと思っていてもしぶとく長生きする人がいるいっぽうで、平均寿命に至る前に幕を閉じる人もいる。いずれにしても、与えられた命を大切にするほかない。

               ハイビスカス

  ふたご座差別について考える⑩

 ●記憶の底に沈んでいた “差別の心”アセアセ

 先述したように私は過去をふり返ってみても差別をした記憶が思い出せないので、「もしかしたら自分は差別意識を持ったことがなかったかもしれない」と思いかけましたがよほどの人でないかぎり「差別する心が一切ないという人はまずいない」『差別の教室』という一文に出合い、そう思うのをやめました。そして子供の頃に父親がハンセン病療養所の職員だった関係で療養所の近くにあった職員用の官舎に住んでいたときのことをふり返り、差別体験の有無(の記憶)を探ってみました。

 

 その結果、やはり明確に差別をした記憶は思い出せませんでしたが、当時、いつも遊んでいたハンセン病の患者さんの子供のことを何かの折に、“患者の子”と、“差別的に意識”したことがあったようなことをふと思い出しました。その子に向かって、“患者の子”と口にしたわけではありませんでしたが、差別的な心を抱いた(意識した)ことに変わりはありません。

 

 その頃のことでは、夏休みのある日、こんなことがありました。療養所の入り口に通じる小さな橋を渡った先のすぐそばにある木で鳴いているセミを、私が橋を越えて網で捕まえようとしていたところをたまたま事務所の中で目撃していた父が夕方帰宅して、「橋を越えてはいけないよ」と注意したことです。それ以来、私はハンセン病に対して「近づいてはいけない」と拒絶反応をとるようになりました。

 

 けれども、そうしたことがあったことを含め、私は小学1年から高校を卒業するまでハンセン病療養所の職員用の官舎で過ごしたことや、ハンセン病のことについては、時々思い出すことはあっても長い間忘れ去っていました。

 

 ●「愛の判決」に共感しつつも・・ヒマワリ

 しかしながら何十年と時がたち、こうして「差別について考える」なかで先のように子供の頃、ハンセン病とかかわりのある環境のもとで「差別的な心」を芽ばえさせていた記憶を思い起こしました。またそれだけではなく、わが国においてハンセン病の患者とその家族がいかに長い間、偏見と差別の嵐にさらされてきたかを知りました。そして、元患者が提訴した裁判で、国がハンセン病患者を強制隔離してきたことは違憲であると、1991年に熊本県地方裁判所が裁定を下したことも知ることができました。裁判所の判決は、ハンセン病患者を療養所に強制的に隔離したことは憲法違反だと断罪したのです。

 

 前の⑨でもふれましたがある原告は、この判決を「愛の判決」と呼び、またある原告は「ようやく人間として認められた」と顔をあげたとのことです。私もそれに共感します。しかしながら、ハンセン病療養所の職員だった父親のもと家族と共にそこの官舎で子供の頃を過ごした身としては少し複雑な気持です。なぜなら、言うなれば、違憲の強制隔離政策下の療養所を支える仕事に携わっていた父親の扶養のもとで生活していたからです。もしも誰かから「偏見と差別と人権侵害を生んだ強制隔離政策の方棒を担いできた」などと糾弾でもされようものなら返す言葉もないからです。

 

 勿論裁判所は、隔離政策がもたらした被害の責任は国と国会にあるとしていて、療養所で働く医療従事者や父のような事務職員とその家族に責任があるとは言っていません。けれども、いつも一緒に遊んだ患者さんの子供——どんなに辛かったことか—ーに対して「差別の心」を抱いた自分がかつていただけに、その精神的な傷が私の中から消えてなくなることはないのです。

              チューリップ赤チューリップ黄チューリップ赤チューリップオレンジチューリップ黄

 ■漫画『はだしのゲン』ラブラブを読むかに座 

        <42>

     麦よ出よ

 ●前回〈41〉までのあらすじちょうちょ

 ゲンは母をラクにさせたくて仕事をはじめました。ゲンが頼まれた仕事は「うじがわいてウミがたれてクソやしょんべんをたれながして」も家族からはほっとかれている男性・政二の世話を1日3円ですることです。政二は学徒動員で広島へ勤労奉仕にでたときにピカの光を浴び(被爆)ヤケドを負いました。どこの病院も「ピカの患者」であふれているため入院できず大きな屋敷の中で背もたれが傾斜した椅子に頭と顔半分と手足に包帯を巻かれて座っています。

 

 手と足はヤケドのあとにわいたウジが動きだすとかゆくてたまりません。ゲンは政二に言われるままピンセットでウジを取って容器に入れます。政二は近所の子どもたちや家族からオバケのようだと気持ち悪がられています。家族は早く死んでほしいとさえ思っています。そんな酷い目にあっている政二は戦争が終わったら「パリへいって絵の勉強をする」のが夢でした。しかしピカの病気はうつるとみんなに嫌がられ、自暴自棄になります。

              ニコニコ

 もうこんなかたわの手では絵筆を握って大好きな絵を描くことはできない。もう死を待つだけだ。しかしゲンは政二を「ぜったいにおまえを死なさんわい」「ぜったいに生きさせるわい!」と叱り、励まします。その結果元気を出した政二はゲンに「ありがとう」と礼を言い希望を持ちます。

 

 ●「政二さんが苦しん泣いている」お金飛び出すハート

 「こぞう ごくろうじゃった 約束の三円 わたすぞ またあした きてやって くれよ」「うん まかしとけ」。ゲンに弟・政二の世話を頼んだ兄の映造が家の門のところでその日の仕事を終えて帰ろうとするゲンに封筒に入れたお金を渡します。

 

 「エヘヘへ三円もうけたぞ」とお金を手にして喜ぶゲンのクローズ・アップ。

 「はよう この金 おかあちゃんに やってよろこばしてやろう 友子にも ミルクをかってやれるかもしれん・・・うれしいのう」「わ——い かあちゃ——ん 三円もうけたぞ ばんざ——い ばんざ——い—」 ゲンは嬉しさのあまり両手を広げてピョンピョン跳ねています。「ジャンジャンジャガイモサツマイモ~」とお得意のフレーズを口ずさんでいます。

              口笛

 未成年のころに、新聞配達などのアルバイトをして報酬を手にしたときの喜びを体験した人はこの時のゲンの気持ちが手に取るようにわかることでしょう。私もアルバイトをしたことがあるからよくわかります。けど、私はその後のゲンに驚きました。

 ゲンはもらった3円を手にしながらこう言うのです。「だけど この三円 よろこんで もらえる 金じゃ ないのう 政二さんが 苦しんで 泣いている 金じゃ・・・」「わしゃ 政二さんを 元気にしてやるぞ」

 

 ふつう、仕事(労働)をした対価としてもらうお金をよろこばない人は少ないはずです。もらったお金が対価として割に合わないと思ったりしたら喜べないかもしれません。しかし多くは、自分の私的な時間を割いて他人のための仕事(労働)をしたのだから、もらったお金はもらうべき当然のお金である。それがふつうかもしれません。 

 しかしゲンは、もらった3円をいちおう素直に「ばんざ—い」と喜んだうえで、だけどこのもらったお金は「政二さんが苦しんで泣いている金じゃ」から「よろこんでもらえる金じゃない」と言い、「わしゃ 政二さんを 元気にしてやるぞ」と言っています。

 ここから何が感じられたかと言うと、それはゲンが、ピカによって「苦しんで泣いている」政二に対して心の底から寄り添っているということです。

 

「元気な人がピカのやけあとをあるいただけで死んでいる」ので、ピカをうけた政二から「おそろしい毒がうつって死んだらたいへん」だから、政二の部屋に出入りできないように「フスマにクギをうちましょう」とそれまでは、そうやって身内からも遠ざけられ地獄にいるような思いの中で孤絶していた政二の、ゲンはたった一人の味方になっているのです。

 

 ●第2巻で登場した隆太が再び登場するイルカ

 そのゲンが「むっ」、と立ちどまりました。

 「 な・・・なんじゃ おまえら どけよ!」

 手にカマや棒を持った少年5人がゲンを取り囲んでいます。シャーツ、ビシッ、カマがゲンの腕の服を切りました。「な なにを するんじゃ」

 

 聞けば、少年たちはゲンを「コソドロの仲間」だと疑っています。自分たちの家からニワトリや米、味そ、イモ、塩を盗んだ10人ぐらいの子どものドロボウの仲間だろうと言うのです。「すなおに白状せえ」

                炎

 ゲンが「なんの証拠があって」? と聞くとそれはゲンが持っていたお金でした。そのお金をゲンが盗んだものだというのです。「フン とぼけるつもりか 警察ではっきり させてやるわい」「さあ わしらといっしょに こいっ」「やかましいわい わしは ドロボウじゃ ないわい はなせっ」

 

 さいわいゲンに3円を渡した政二の兄の英造が通りがかり、「元がもってる三円は たしかに わしがやったぞ」と言ったため、少年たちがゲンをドロボウと勘違いしていたことがハッキリします。ところがしばらくして「くそっ まったく 腹がたつやつらじゃ」とゲンがいまいましさを口にして歩いていると、「お——い コソドロが いたぞ~~」と声がします(展開が矢継ぎ早)。

                鳥

 見ると、ゲンを取り囲んださっきの少年たちが再び手に棒やカマを持ち「あそこじゃ」「にがすな」と生い茂った草むらで逃げる人影を追いまわしています。

 そのうち(コソドロが盗ってきた)ニワトリが草むらから顔をだしてコケ― コケ―  コケ―と鳴き声を上げます。

 

 「 ばかなやつだ ニワトリを ぬすんだばっかりに かくれてもばれるわい」と見つかってしまいます(ユーモアにクスリとなる)。  

 

 「このやろう」ドスン バガッ ガツン ゴキッ。「つかまえたぞ」。「ぐぐぐぐっ」(隆太の顔のクローズ・アップ)。なんと、捕まったのはあの原爆孤児の集団のリーダーの隆太です。「ああっ」(ゲンの顔の大写し)

 

 隆太は第2巻で登場したキャラクター。

 顔がゲンの弟の進次とそっくりのため、ゲンが進次と思いこんでいた少年です。

 結局、家の焼け跡から進次の骨が出てきたためゲンは、彼は進次ではなく「近藤隆太」という原爆で両親を亡くした原爆孤児だということがわかります。

 

 その隆太が第3巻で再び登場したのです。

 

 ●食べものがなくドロボウした隆太たちショボーン

 「このやろう よくもわしの家の ニワトリを とりやがったのう」「こいつめ よくも米をとりやがったのう」「さあ 警察へつれていこう」。そこへ「り 隆太 ドロボウは おまえだったのか」とゲン。「ぐぐぐ ぐぐぐ」「 お・・・ おまえ なんでドロボウなんかしたんじゃ」「や・・・やかましい すきこのんで ドロボウをするやつがいるか・・・」。隆太が「わ・・・わしら腹がへって腹がへって」・・・とふり返る内容がフラッシュ・バック(回想)で描かれます。

 

 防空壕の中をねぐらにしている隆太たち。

 仲間らは「食糧隊長」の隆太に腹が減っているので「なんとかしてくれよ——」「イナゴや食用ガエルをくってばかりじゃ力が でんよ~」と訴えます。炊きだしのめしもぜんぜんこなくなりました。そのため米のめしが食べたくてたまりません。両親が生きていたらめしを食わせてくれるのにと「うわ~~~ん おとうちゃ~~ん おかあちゃ~~ん なんで死んだんじゃ~」と泣きます。

 

 可哀そうなことに、仲間の1人だった “ラッキョウ” は、畑でイモを盗ったため、畑のおじさんに「この イモドロボウ」と頭を棒で激しく殴られ、みんなが「ラッキョウしっかりせえ」と防空壕内で見守る中、「うううう 隆太・・・梅干しがたべたいよ~ すっぱい梅干が・・・」と言いながら死んでしまいます。

 

 「 このままじゃ わしらはひぼしになるぞ」。「ようし こうなったら やけクソじゃ ぬすみにいくかっ」とゲン。「どうせ死ぬなら 腹いっぱい くうて 死にたいわい」という仲間の言葉をうけ、「ようし やろう」とゲンは拳を握りしめます。

 

 ――――というゲンの回想で、彼らがドロボウにいたった窮状と経過が示されるのです。

 

 ●隆太を助けるために三円を使うゲンカエル

 「そ・・・そうだったのか・・・」とつぶやくゲンに隆太は(2巻でも言っていたように)「おまえは ええよ かあちゃんがおるけえ」と涙をこぼして言います。

 

 「さあ 警察へいくんじゃ」。隆太を捕まえた少年たちに促され、「いやだ いやだー わしゃ 警察へいきとうないよ~」。隆太は木にしがみつきます。そこへゲンが「ま・・・まってくれ みんな この隆太を ゆるしてやれよ」と割って入ります。

 

 「な なにっ」「こいつは ええやつ なんじゃ ピカで ひとりぼっちになって しかたなく ドロボウしたんじゃ みのがして くれよ」「やかましい ねごとを いうなっ」。

               お願い

 「たのむ このとおりじゃ  ゆるして やってくれ」ゲンは土下座をして頼みます。 

しかし「だめじゃ だめじゃ おまえなんか ひこんでいろ」と言われ、「おどれらも この隆太の ようになれば ドロボウするわい あんまり 弱いもの いじめをするなっ」と拳を握ります。だがそれでも「やかましい ひっこめっ」と言うので、ゲンは、その棒を持った少年たちに、隆太が盗んだ品物を返したうえで3円をやるということにして話にケリをつけます。

 

 もちろんその3円は、母を喜ばせるためにゲンが政二の世話をして手に入れたお金です。それを、隆太を助けるために使ったのです。少年たちにしてみたら、盗られた品物が返ってくるばかりか、「ハハハハ もうけた もうけた 三円まるもうけ!」と得をした結末でおわりました。

 

 ●隆太がゲンを “あんちゃん” と呼ぶ口笛 

 「わ わりゃ なんで わしをたすけたんじゃ・・・?」と言う隆太にゲンはこう答えます。「死んだ進次に そっくりの おまえを だまって 警察につれていかれて たまるかい!」「わしゃ おまえを 弟の進次だと おもうとるんじゃ どんなことをしても おまえを たすけるわい」「隆太 おまえも つらいけど 元気をだせや」

 

 「うわーん」「うわーん」「うわーん」「うわ~~~ん あんちゃん うれしいよ~」。「お・・・おまえ いま なんというた?」

 

 「ううう・・・あんちゃんと いうたんじゃ」・・・読むほうもビックリです。何故なら2巻で隆太が始めて登場した時には、ゲンが「お前は弟の進次じゃ」と何度言っても、「わしゃ 進次じゃ ないわい」「わしは隆太じゃ 近藤隆太じゃい」「わしには おまえみたいな あんちゃんは おらんわい」と言っていたからです。

 

 ドロボウをして捕まり、警察に連れていかれそうになったとこをゲンが親身になって助けてくれたから思わず「あんちゃん」と口にしたのか。いずれにしてもそれまで「進次じゃないわい」と言われ続けていたゲンの喜びはひとしおです。

 

 そのため隆太に、「もう一度よんでみい」と何度もリクエスト。すると「おやすいことじゃ」と「あんちゃーん」「あんちゃーん」と何度も言い「 エ~~~ あんちゃーんは いりませんか あんちゃーんは やすいですよ~」とふざける隆太の頭を、ゲンが「ばかたれっ 調子にのるなっ」とゲンコツでゴ~ン。2人は「エへへへ」「エへへへ」と笑い合います。

 

  ●隆太と仲間たちとの悲しい別れショボーン

 「さあ おまえら たてっ」

 農家の庭先で胴と手を縄で縛られた隆太の仲間の5人に警察官が言います。

「駐在さん こいつら 二度と ドロボウができんように しっかり ぶちこんでおいて つかあさいよ」と農家のおじさん2人に対し「わかった わかった」と警察官。

 

 「さあ あるけ あるけ」5人がしょっ引かれていくところを隆太とゲンが遠くの木の陰から見ています。「 ち・・・ちくしょう  みんな つかまって しもうたん じゃのう・・・  くそ みんな なかよく していたのに わ わしゃ がまんができんよ みんなと いっしょにいくわい」と隆太が言えば「ばかたれっ あきらめろ」とゲンが止めます。

 

 隆太は自分だけ助かるのはいやだし1人ぼっちになるのもいやだと言いますが、ゲンは出ていったらおまえも一緒に捕まるぞと説得。そして自分がかあちゃんに頼んでみるから「わしの家にこいっ いっしょにくらそう」と言います。

 隆太は「 ほ・・・ほんとうか」と驚き「わしゃ ほんとうに信じるぞ」と言います。

              ショボーン

 しかしこのあと、隆太と仲間たちとの悲しい別れのシーンが描かれます。隆太は叫びます。「お——い ドングリー カッチーン ムスビ— 信平― 明夫― タヌキ— あばよー 元気でな— まけるなよー」「おっ 隆太じゃ」「食糧隊長じゃ」「わ—い 隆太— たすけてくれー」「わしら 警察へいくのは いやじゃ—」「うわ~ん」「うわ~ん」「うわ~ん」「うわ~ん」

 

 「隆太 みんが 元気がでるように うたってやれよ」「ううう ううう」。2人は遠のく後ろ姿の5人に向かって大声で歌います。「さよなら三角 またきて四角 四角はトウフ トウフは白い 白いはうさぎ うさぎははねる」「はねるはカエル カエルは青い青いはバナナ バナナはむげる むげるはチンポ―」「うわ~ん」「うわ~ん」「うわ~ん」「うわ~ん」5人の泣く声が遠のきます。

 

 そしてゲンが目から涙をこぼしながら怒りをにじませてつぶやきます。

 「 ち ちくしょう ドロボウをしなくては いけないようにしたのは戦争じゃ ピカじゃ あいつらわるくないんじゃ わるくないんじゃ~っ」

  

 そばにいる隆太の目からも涙がこぼれています。

 

 ●作者の原爆孤児への思いがこもる愛

 ゲンが目から涙をこぼしながらつぶやいた「ドロボウをしなくてはいけないようにしたのは戦争とピカだ。あいつらは悪くないんだ」という思いは、自らの分身とでもいうべきゲンの口を借りて、作者の中沢啓治さんの原爆孤児たちへの思いが込められているように思われます。というのも中沢さんは著書でそうした思いをにじませているからです。

 

 『はだしのゲン』のストーリーに起伏を持たせているキャラクター〈隆太〉のモデルは前〈34〉にもふれたように、中沢さんが子どもの頃の友だちでした。

 その子は、戦時中は裕福な陸軍大佐の息子で、いい暮らしをしていたおぼっちゃんだったそうですが、原爆で家族がみんな死んでしまい、戦後はいっさいがっさい親戚に財産を取られたそうです。そのため、彼はワルの世界に入り、鳥取の刑務所に収監されたとのことでした。

 

 当時の広島の焼け跡にはその友だちのような原爆孤児が6~7千人いたそうです。

 「ボロボロの衣服をかぶり、垢に塗れ、骨が浮き出て汚れきった黒い体をさらしながら、食い物にありつけない子は栄養失調となり、路上に横たわって動けなくなっていた。通行人に頭を踏まれてもかすかに目を開くだけで、怒る気力も失せていた。そんな孤児たちが駅前周辺に群れ、翌日には、その群れのなかの何人かが死んだ」

(『はだしのゲン自伝』。だからそうした劣悪な環境に放り投げられた彼らは「家族も親戚もいなくなり、すべてを破壊されてヤクザになるか、ドロボーをやって犯罪を重ねていく、そういう道を選ぶほかなかったのです」(『はだしのゲンはピカドンを忘れない』)

 

 ・・・・・それだけに漫画の中で、隆太が警察官にしょっ引かれていく仲間に、「お——い ドングリー カッチーン ムスビ— 信平― 明夫― タヌキ— あばよー 元気でな— まけるなよー」と叫ぶと、仲間が「おっ 隆太じゃ」「食糧隊長じゃ」「わ—い 隆太— たすけてくれー」「わしら 警察へいくのは いやじゃ—」「うわ~ん」「うわ~ん」「うわ~ん」「うわ~ん」と泣きさけぶゲンと仲間の別れのシーンを見ると、しみじみと胸に迫るものがあります。

 ー続く

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           2023年11月21日(火)

           おばけくん