無一文の旅
ブログネタ:今までにした最大の忘れ物 参加中本文はここから
ブックマーク:★巨大建物
それは財布ですね!
無一文で高速道路に乗って出口の料金所で払うお金が無かった事がありました。
ECTが普及するだいぶ前の話ですけど・・・。
首都高速回数券が廃止になってもしばらくは購入してしまった券について使用出来る期間があったのです。
首都高の新宿入口は回数券で入って、三郷ICで常磐道に乗換、(常磐道の三郷料金所は高速券を受取るだけなのでお金は要りません)
目的地、つくば市付近で高速出口の料金所でお金を・・・あれ?財布持ってくるの忘れた!と気付くのです。
(o _ _)o バタッ
仕方が無いので車をバックして道路公団の事務所で相談。
住所と電話番号を伝えて東京に帰る時に事務所に寄ってお金を払う事に・・。
早速友達に電話してお金を持って無い事を伝えました。
「ええ?!」って驚いてたけどしょうがないよね・・。
ランチは奢ってもらったし、高速代の往復分のお金も借りる事に。
面目無い。 (ノДT)
その友達とはσ(^^)が宇宙センターでSEの仕事をやってた時からの知り合い。
自分は家業を継ぐ為東京に戻ったんだけど、彼は今でも宇宙開発事業に携わってます。
初めて筑波サーキットに行ってレーシングカーに興味を持ったのも彼のお陰。
他の仕事仲間と一緒にヨットレースに出た事もあります。【2011年02月20日(日) ヨットレースの日記参照】
茨城県は思い出がいっぱいある場所です。
7年も居たので自分にとっては第2の故郷なのです。
住んで居たのは万博の時に出来た博物館、「筑波エキスポセンター」と筑波大の間にある松見公園近くの独身寮。
隣の部屋にも同僚、下の部屋は毎日飲まずに居られない筑波営業所所長。
松見公園のお店が終わってからお店の従業員達とみんなで別の深夜2時から朝8時頃までやっているお店に行った事もあります。
ある日所長は飲んだ後、幹線道路片側3車線の1番右側の追い越し車線で青信号なのに寝てしまい、
不審に思ったパトカーが近付き、確保されてしまいました。
その日以来、所長は車禁止になりました。
当時では大騒ぎになった事も今では良い思い出です☆
最近、筑波方面の先輩や友達にも会ってません。
落ち着いたらまた筑波に遊びに行って写真を撮って来たいと思います♪
⇒

▼ テーマが茨城県の記事
2011年08月12日(金) 海と風車
2011年03月19日(土) 最後の旅行
2011年02月20日(日) ヨットレース
2010年09月02日(木) Be Cool!







古代ギリシャ
前の日記、「第3のローマ」の続き・・。
ローマ帝国崩壊後、蛮族の破壊活動により科学技術は原始時代レベルにまで後退してしまいます。
また暗黒時代と呼ばれる中世には「異教徒の遺産」としてギリシャ時代の書物が処分されたり、
アレキサンドリア図書館が焼き討ちにあったりして貴重な知的財産も多く失われました。
15世紀以降。それまでのキリスト教的封建社会に飽きた西ヨーロッパ諸国は
古き良きギリシャ・ローマ時代の文化、技術を再び蘇らせます。(ルネッサンス)
そして1000年の暗黒時代に夜明けが始まったのです。
ギリシャには古代から天才的な頭脳集団が居ましたが、(アルキメデス・ピタゴラス等)
特に科学技術は群を抜いて発達し、ピタゴラスの定理で地球の直径も計測していたそうです。
古代ローマ国家もヨーロッパを統一する過程でギリシャを併合した際、
水道設備や土木建築、測量技術やコンクリートの作り方を学びました。
ローマ帝国時代の巨大な遺跡群は全てギリシャの技術と言っても過言ではありません。
古代ギリシャには他にも現代へと繋がる画期的な技術が沢山ありました。
今回はそれらの紹介です☆
■羅針盤

古代ギリシャでは鉄を引き付ける不思議な石、ロードストーンが知られていました。(クレタ島・紀元前600年頃)
これらは「マグネシア」地方で多く採掘された為、後に「マグネット」と呼ばれる様になりました。
西ヨーロッパでの羅針盤と測量技術の発達でその後航海術は著しく向上しました。
■世界地図

ピリ・レイスの地図:オスマン帝国の海軍軍人ピリ・レイスが作成した地図。(1513年)
イスカンダル王(アレキサンダー大王 ギリシャ・紀元前4世紀)の時代の地図、その他を参考に作成したと言われる。
現存する地図では世界最古の世界地図。当時未開拓の土地も描かれています。
■天文時計 ⇒ 新宿アイランドの天文時計の記事参照。

アンティキティラ島の機械:世界最古の天文時計。(紀元前150年)アテネ国立考古学博物館に展示。
月や太陽だけでは無く太陽系の惑星の動きも再現していて、世界最古のアナログコンピューターとも言われています。
非常に精度が高く作られていて、4年に1度の閏年も計算されているのでオリンピック開催時期がこれで分かるのです。
2008年6月30日発行のネイチャーでの発表によるとアルキメデスとの関係が示されています。
最近、X線撮影技術と3DCG技術により実物大模型も再現されました。
Virtual Reconstruction of the Antikythera Mechanism (by M. Wright & M. Vicentini)
■蒸気機関


ヘロン:紀元前1世紀ごろの数学者にして工学者。
著作に『気体装置(Pneumatika)』があり、ラテン語の写本がローマの国立図書館に収蔵されてます。
有名な発明品には蒸気タービンや神殿の自動扉、水圧オルガン等があります。
水圧や気体の圧力を利用した装置の発明が多いです。
■アレキサンダー帝国とエジプト

アレキサンダー大王(アレクサンドロス3世)在位紀元前336年 - 紀元前323年
家庭教師は哲学者アリストテレス。彼は弁論術、文学、科学、医学、哲学をアレキサンダーに教えました。
アレキサンダー帝国はローマが進出する以前の国家としてはヨーロッパ最大の領土。
ギリシャ統一後、ペルシャ⇒エジプト⇒インド遠征。遠征先、バビロンで病死するが、その後帝国は崩壊。
部下のプトレマイオスは植民地エジプトを統治、ギリシャ人支配のプトレマイオス王朝が始まります。
しかし支配するギリシャ人が少数なので近親交配が続きます。
王朝最後の女王クレオパトラをエジプト人と思っている人が多いけど、プトレマイオス直系の子孫です。
つまりエジプト人では無くギリシャ人だったので肌は白く鷲鼻でした。
クレオパトラの死後、エジプト王朝は廃止されローマ帝国エジプト州として提督が管理します。
世界史の記事に引き続きお付き合いありがとうございました!
興味が無い人には申し訳なかったです・・・m(u_u)m
第3のローマ
ブックマーク★レトロ系建物
前の日記、ニコライ堂の続き・・。
聖堂内も拝観させてもらいました。
日本でこれほど美しいビザンチン様式(ギリシャ)の建物を見る機会は他に無いでしょう。
ろうそく代として300円、納めさせてもらいました。
形だけかと思ったら本当にろうそくと案内を頂きました。
既に火の点いているろうそくで火を点け、燭台にろうそくを立てました。
聖堂内は写真撮影は原則禁止です。 (画像は絵葉書から)
でも見る価値はあると思いました。
聖堂の1番高い所、ドーム天井の中心から長い鎖がぶら下っていて、
そこに見事なシャンデリアが下がり、聖堂内を照らしています。
外から射す日中の光により窓のステンドグラスもきれいでした。
拝観を受付は平日の午後(10月から3月は13時から15時半、4月から9月は13時から16時)
所在地:東京都千代田区駿河台4-1-3
JR中央線、JR総武線・御茶ノ水駅(聖橋口)
東京メトロ千代田線・新御茶ノ水駅
東京メトロ丸ノ内線・淡路町駅
ここ、ニコライ堂の正式名称は東京復活大聖堂。
日本中に支部のある日本正教会が管理しています。
正教会はギリシャ正教、ロシア正教とも呼ばれ、現在のプロテスタント、カトリック以前のキリスト教です。
かつてのキリスト教国家:東ローマ帝国の首都、コンスタンティノープル(現イスタンブール)より、
ギリシャ、東欧、ロシアへ広がりました。

▲中世において西ローマ帝国は滅亡し、東ローマ帝国はビザンチン帝国として生き残ります。
( 330年~1453年まで。)
首都、コンスタンティノープルは約1123年間キリスト教の聖地として栄えました。
【2011年05月18日(水) 世界の中心だった街より・・】
1123年間続いたキリスト教都市コンスタンティノープル(ギリシャ)も1453年、オスマントルコ帝国により陥落し、
最後の皇帝コンスタンティノス11世も戦死、東ローマ帝国は滅亡しました。
【2011年05月18日(水) 世界の中心だった街の記事を参照してください。】
しかしこれで終わりではありませんでした。
東ローマ帝国最後の皇帝コンスタンティノス11世の姪ソフィアを娶ったイヴァン3世は正教会の擁護者となり、
自分こそローマ帝国の正当な継承者で、モスクワを(ローマ、コンスタンティノープルに続く)
「第3のローマ」であることを宣言したのです。
またコンスタンティノープル陥落前後には、多くのギリシャ人の学者・知識人が西ヨーロッパへと亡命し、
文化、技術、書物を西ヨーロッパに伝えイタリア・ルネサンスや大航海時代への技術的基礎を作ったのです。
後に西ヨーロッパ諸国は大西洋、アメリカ大陸へ。
モスクワ大公国は東へ拡大し世界一の国家、ロシア帝国を築くのです。
⇒

前の日記、ニコライ堂の続き・・。
聖堂内も拝観させてもらいました。
日本でこれほど美しいビザンチン様式(ギリシャ)の建物を見る機会は他に無いでしょう。
ろうそく代として300円、納めさせてもらいました。
形だけかと思ったら本当にろうそくと案内を頂きました。
既に火の点いているろうそくで火を点け、燭台にろうそくを立てました。
聖堂内は写真撮影は原則禁止です。 (画像は絵葉書から)
でも見る価値はあると思いました。
聖堂の1番高い所、ドーム天井の中心から長い鎖がぶら下っていて、
そこに見事なシャンデリアが下がり、聖堂内を照らしています。
外から射す日中の光により窓のステンドグラスもきれいでした。
拝観を受付は平日の午後(10月から3月は13時から15時半、4月から9月は13時から16時)
所在地:東京都千代田区駿河台4-1-3
JR中央線、JR総武線・御茶ノ水駅(聖橋口)
東京メトロ千代田線・新御茶ノ水駅
東京メトロ丸ノ内線・淡路町駅
ここ、ニコライ堂の正式名称は東京復活大聖堂。
日本中に支部のある日本正教会が管理しています。
正教会はギリシャ正教、ロシア正教とも呼ばれ、現在のプロテスタント、カトリック以前のキリスト教です。
かつてのキリスト教国家:東ローマ帝国の首都、コンスタンティノープル(現イスタンブール)より、
ギリシャ、東欧、ロシアへ広がりました。

▲中世において西ローマ帝国は滅亡し、東ローマ帝国はビザンチン帝国として生き残ります。
( 330年~1453年まで。)
首都、コンスタンティノープルは約1123年間キリスト教の聖地として栄えました。
【2011年05月18日(水) 世界の中心だった街より・・】
1123年間続いたキリスト教都市コンスタンティノープル(ギリシャ)も1453年、オスマントルコ帝国により陥落し、
最後の皇帝コンスタンティノス11世も戦死、東ローマ帝国は滅亡しました。
【2011年05月18日(水) 世界の中心だった街の記事を参照してください。】
しかしこれで終わりではありませんでした。
東ローマ帝国最後の皇帝コンスタンティノス11世の姪ソフィアを娶ったイヴァン3世は正教会の擁護者となり、
自分こそローマ帝国の正当な継承者で、モスクワを(ローマ、コンスタンティノープルに続く)
「第3のローマ」であることを宣言したのです。
またコンスタンティノープル陥落前後には、多くのギリシャ人の学者・知識人が西ヨーロッパへと亡命し、
文化、技術、書物を西ヨーロッパに伝えイタリア・ルネサンスや大航海時代への技術的基礎を作ったのです。
後に西ヨーロッパ諸国は大西洋、アメリカ大陸へ。
モスクワ大公国は東へ拡大し世界一の国家、ロシア帝国を築くのです。
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ニコライ堂
ブックマーク★レトロ系建物
2012年01月15日(日)鉄人養成所の日記のコメントで
お友達のあめず★オールディーズさん【オールディーズ 懐かしい洋楽名曲】が、
「ニコライ堂みてニコライ学院でロシア語を高校時代学びました。」・・と。
高校の担任に「なぜ?」と聞かれたので「かっこいい建物だったから!」と答えたそうです。
素晴らしい☆ (☆゜∇゜)☆
昔σ(^^)もお茶の水付近を通る時はその美しさに見惚れた建物です。
でもここ、10年以上実物を見てません。
あめず★オールディーズさんのコメントを見て、とても心配になりました。
古い建物の保存状態は周りを取り巻く環境によって大きく左右される事が多いからです。
お茶の水駅のホームを降りた時、嫌な予感がしました。
聖橋の向こうに何本ものクレーンと高層ビル群が見えたからです。
こんな風景、全く予想してませんでした!
ニコライ堂はまだあるんでしょうか?!
足早にホームを歩き改札を出ました。
ありました♪
でも周りを高層ビル達に取り囲まれ、日影となってます。
しかも南にビルがあるので全ての写真が逆光です・・・・。
昔、ニコライ堂は石垣を積まれた高台の敷地に建っているので遠くからでも見る事が出来たのです。
その頃はこの付近のランドマークになっていたのでちょっと残念でした。
ドームや屋根の緑色の部分は銅板で造ってあります。
銅が酸化して緑青となっているのです。
製作時は赤銅色に輝いていたでしょう。
1891年(明治24年)竣工 高さ35m
日本最初&日本最大級ビザンチン様式の教会建築。
1962年6月21日、国の重要文化財に指定されました。
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2012年01月15日(日)鉄人養成所の日記のコメントで
お友達のあめず★オールディーズさん【オールディーズ 懐かしい洋楽名曲】が、
「ニコライ堂みてニコライ学院でロシア語を高校時代学びました。」・・と。
高校の担任に「なぜ?」と聞かれたので「かっこいい建物だったから!」と答えたそうです。
素晴らしい☆ (☆゜∇゜)☆
昔σ(^^)もお茶の水付近を通る時はその美しさに見惚れた建物です。
でもここ、10年以上実物を見てません。
あめず★オールディーズさんのコメントを見て、とても心配になりました。
古い建物の保存状態は周りを取り巻く環境によって大きく左右される事が多いからです。
お茶の水駅のホームを降りた時、嫌な予感がしました。
聖橋の向こうに何本ものクレーンと高層ビル群が見えたからです。
こんな風景、全く予想してませんでした!
ニコライ堂はまだあるんでしょうか?!
足早にホームを歩き改札を出ました。
ありました♪
でも周りを高層ビル達に取り囲まれ、日影となってます。
しかも南にビルがあるので全ての写真が逆光です・・・・。
昔、ニコライ堂は石垣を積まれた高台の敷地に建っているので遠くからでも見る事が出来たのです。
その頃はこの付近のランドマークになっていたのでちょっと残念でした。
ドームや屋根の緑色の部分は銅板で造ってあります。
銅が酸化して緑青となっているのです。
製作時は赤銅色に輝いていたでしょう。
1891年(明治24年)竣工 高さ35m
日本最初&日本最大級ビザンチン様式の教会建築。
1962年6月21日、国の重要文化財に指定されました。
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