伝法院庭園
ブックマーク★公園
伝法院庭園は参拝者で賑わう仲見世の西側にある国の名勝庭園です。
ちょうど五重塔の裏にあります。
都会の喧騒を離れたまさに都会のオアシスですね。
池の周囲に小径がめぐらされた「回遊式庭園」で
庭園の諸所に石塔や石灯籠などが置かれ景観の変化を楽しめます。
寛永年間(1624~44)、作庭家として著名な近江(現在の滋賀県)の大名
小堀遠州により築庭されたそうです。
庭園には京都表千家の「不審庵」を模して作った天祐庵があります。
天明年間(1781~1789)作


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伝法院庭園は参拝者で賑わう仲見世の西側にある国の名勝庭園です。
ちょうど五重塔の裏にあります。
都会の喧騒を離れたまさに都会のオアシスですね。
池の周囲に小径がめぐらされた「回遊式庭園」で
庭園の諸所に石塔や石灯籠などが置かれ景観の変化を楽しめます。
寛永年間(1624~44)、作庭家として著名な近江(現在の滋賀県)の大名
小堀遠州により築庭されたそうです。
庭園には京都表千家の「不審庵」を模して作った天祐庵があります。
天明年間(1781~1789)作


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伝法院
ブックマーク★レトロ系建物
伝法院は浅草寺の本坊であり、大玄関・客殿・使者の間、(安永6年(1777)の再建)
大台所・大書院・住職の間(安永6年以降の再建)などの建築と、江戸時代初期の庭園で構成されています。
江戸時代初期、「観音院」や「智楽院」と呼ばれていましたが、
浅草寺中興四世の宣存僧正の坊号をとって、元禄3年(1690)頃より伝法院と称されるようになりました。
客殿には阿弥陀三尊像が奉安され、その左右には徳川歴代将軍、そして浅草寺歴代住職の位牌が安置されています。
平成23年(2011)に伝法院の庭園が国の名勝に、
平成27年(2015)には「客殿、玄関、大書院、小書院、新書院、台所」の6棟が国の重要文化財に指定されました。
一般公開はしていませんが不定期で特別公開されることがあるそうです。

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伝法院は浅草寺の本坊であり、大玄関・客殿・使者の間、(安永6年(1777)の再建)
大台所・大書院・住職の間(安永6年以降の再建)などの建築と、江戸時代初期の庭園で構成されています。
江戸時代初期、「観音院」や「智楽院」と呼ばれていましたが、
浅草寺中興四世の宣存僧正の坊号をとって、元禄3年(1690)頃より伝法院と称されるようになりました。
客殿には阿弥陀三尊像が奉安され、その左右には徳川歴代将軍、そして浅草寺歴代住職の位牌が安置されています。
平成23年(2011)に伝法院の庭園が国の名勝に、
平成27年(2015)には「客殿、玄関、大書院、小書院、新書院、台所」の6棟が国の重要文化財に指定されました。
一般公開はしていませんが不定期で特別公開されることがあるそうです。

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浅草神社境内
ブックマーク★レトロ系建物
浅草神社境内には勿論、狛犬はありますが
他にも二体並んでいる「夫婦狛犬」があります。
夫婦狛犬は「恋愛成就」「良縁」「夫婦和合」のご利益があるといわれ
縁結びのパワースポットとなっています。
また社殿の奥には別の小さな祠があります。
これは被官稲荷神社。創建安政元年
伏見稲荷神社から祭神御分身を当地に勧請しました。
その後、小社を創建し、被官稲荷神社と名付けられ、
現在浅草神社の末社としてその境内に祀られています。
朱も鮮やかな浅草寺の東門、本堂の東に建つ朱塗りの門は二天門。
今の門は慶安2年(1649)に浅草寺の東門として創建されました。
現在の持国・増長の二天像は、上野・寛永寺の厳有院(四代将軍徳川家綱霊廟)
から拝領した像です。
門に向かって右が持国天、左が増長天。
二天門は境内に残る江戸時代初期の古建築として貴重で、
国の重要文化財に指定されています。

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浅草神社境内には勿論、狛犬はありますが
他にも二体並んでいる「夫婦狛犬」があります。
夫婦狛犬は「恋愛成就」「良縁」「夫婦和合」のご利益があるといわれ
縁結びのパワースポットとなっています。
また社殿の奥には別の小さな祠があります。
これは被官稲荷神社。創建安政元年
伏見稲荷神社から祭神御分身を当地に勧請しました。
その後、小社を創建し、被官稲荷神社と名付けられ、
現在浅草神社の末社としてその境内に祀られています。
朱も鮮やかな浅草寺の東門、本堂の東に建つ朱塗りの門は二天門。
今の門は慶安2年(1649)に浅草寺の東門として創建されました。
現在の持国・増長の二天像は、上野・寛永寺の厳有院(四代将軍徳川家綱霊廟)
から拝領した像です。
門に向かって右が持国天、左が増長天。
二天門は境内に残る江戸時代初期の古建築として貴重で、
国の重要文化財に指定されています。

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浅草神社
ブックマーク★レトロ系建物
浅草寺には神社もあります。
浅草寺本堂右隣にある浅草神社です。
通称、三社権現、三社様。
5月17日、例大祭の三社祭は有名ですね。
草創に関わった土師真中知、檜前浜成、武成を主祭神とし、
この三人の霊をもって「三社権現」と称されるようになりました。
社伝によれば、推古天皇36年(628年)、
檜前濱成(浜成)・檜前竹成の兄弟が現在の隅田川の漁で
網に同じ人形の像が繰り返し掛かかり、土師眞中知(真中知)に相談した所、
これは観音像であると教えられ、二人は毎日観音像に祈念するようになりました。
明治の神仏分離により浅草寺とは別法人になり、明治元年に三社明神社に改称、
明治5年に郷社に列し、明治6年に現在の浅草神社に改称しましたた。
現存の社殿は徳川家光の寄進で慶安2年(1649年)に完成したもので、
昭和26年(1951年)に拝殿・幣殿・本殿が国の重要文化財に指定されました。

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浅草寺には神社もあります。
浅草寺本堂右隣にある浅草神社です。
通称、三社権現、三社様。
5月17日、例大祭の三社祭は有名ですね。
草創に関わった土師真中知、檜前浜成、武成を主祭神とし、
この三人の霊をもって「三社権現」と称されるようになりました。
社伝によれば、推古天皇36年(628年)、
檜前濱成(浜成)・檜前竹成の兄弟が現在の隅田川の漁で
網に同じ人形の像が繰り返し掛かかり、土師眞中知(真中知)に相談した所、
これは観音像であると教えられ、二人は毎日観音像に祈念するようになりました。
明治の神仏分離により浅草寺とは別法人になり、明治元年に三社明神社に改称、
明治5年に郷社に列し、明治6年に現在の浅草神社に改称しましたた。
現存の社殿は徳川家光の寄進で慶安2年(1649年)に完成したもので、
昭和26年(1951年)に拝殿・幣殿・本殿が国の重要文化財に指定されました。

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浅草寺 五重塔
ブックマーク★レトロ系建物
五重塔は仲見世通りから見ると宝蔵門や本堂の左手に見えます。
浅草寺最初の塔は三重塔で本堂の左右に二つの塔が建立されました。
平公雅により天慶5年(942)に建てられたとされます。
三重塔焼失後、慶安元年(1648)に徳川家光が五重塔を再建しますが
三重塔は復興されませんでした。
この慶安の五重塔は本堂の東側で現在は礎石が残っているだけです。
浅草寺の五重塔は、浅草のランドマークで、
浅草や浅草寺を描いた絵画必須のモチーフでした。
江戸時代は、上野寛永寺五重塔、芝増上寺五重塔、
谷中天王寺五重塔とともに「江戸四塔」として親しまれたそうです。
現在の五重塔は鉄骨・鉄筋コンクリート造り。
昭和48年(1973)に再建されました。
屋根には土瓦風チタン瓦が使用されています。
軽量なので建物にも負担が少なく地震にも強くなります。
チタンは貴金属に匹敵する耐食性を持ちますが高価なのが難点です。
構造 鉄骨、鉄筋コンクリート
塔高 48.32m(地上、53.32m)

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五重塔は仲見世通りから見ると宝蔵門や本堂の左手に見えます。
浅草寺最初の塔は三重塔で本堂の左右に二つの塔が建立されました。
平公雅により天慶5年(942)に建てられたとされます。
三重塔焼失後、慶安元年(1648)に徳川家光が五重塔を再建しますが
三重塔は復興されませんでした。
この慶安の五重塔は本堂の東側で現在は礎石が残っているだけです。
浅草寺の五重塔は、浅草のランドマークで、
浅草や浅草寺を描いた絵画必須のモチーフでした。
江戸時代は、上野寛永寺五重塔、芝増上寺五重塔、
谷中天王寺五重塔とともに「江戸四塔」として親しまれたそうです。
現在の五重塔は鉄骨・鉄筋コンクリート造り。
昭和48年(1973)に再建されました。
屋根には土瓦風チタン瓦が使用されています。
軽量なので建物にも負担が少なく地震にも強くなります。
チタンは貴金属に匹敵する耐食性を持ちますが高価なのが難点です。
構造 鉄骨、鉄筋コンクリート
塔高 48.32m(地上、53.32m)

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