この日に寄りたいと思ってた隧道のうちの1つ(正確には近接した2か所)に向かう際にその近くの地図の隧道記号かQ地図様かで見て気になっていた隧道も見に行ってみることにしました。
場所はここ、神奈川県鎌倉市御成町。
ポータル部分だけ見るとそんなに古そうには見えない…かな。
私の勝手な妄想だとこれは改修済の姿だと思ったのですが…。
扁額があります。お名前は「佐助隧道」。
Q地図様には竣功年が不明となっていますが、ググってみると1965年(昭和40年)生まれとしているサイト様もあれば1921年(大正10年)以前から存在していると記載しているサイト様もあります。
これについては後述します。
歩いて通り抜けします。
できるだけ人が写らないようにしたというか、人が写ってない写真を選択したというか…なのですが、実際は鎌倉駅から銭洗弁天方面へ向かう道だったりするので観光客がけっこうな数歩いてて、人がいないタイミングを撮るのが難しいなと思ってました。
あと、たまに車も通ります。これだけ人がいると車で通るの嫌だろうな…。
内部はコンクリート巻き立て部分とライナープレート巻き立て部分があります。
坂になってるようで、路面に滑り止めの丸い模様(?)がつけられていました。
出口が近づいてきました。
ここから見える両側の擁壁の感じとライナープレート巻き立て部分があったりする感じからして、ここって元々は素掘り隧道だったんじゃないかという妄想が頭に浮かんできました。
それで最初に改修済じゃないかと書いたのですが…。
脱出。こちら側には扁額とかないんですね。
この出口左側は月極駐車場だったのですが、そこにも防空壕跡なのか穴があるようでした。
そんな穴に停まってる車もあったりしたのですが、なんとなく撮影は控えました。
帰宅してからここもっと歩いて進めば良かったと思うこともあったのですが、目的の隧道はここから引き返した位置にあるので戻ります。
というわけで引き返して目的の隧道の方へ向かいます。
(近日中に紹介予定)
それで、後述すると書いた隧道がいつからあるのかについてですが、気になったので今昔マップを開いてみました。
それがこれです。
確かに大正10年の地図に佐助隧道と思われる隧道が描かれています。
現在の地図で「市」の字の右、古い地図では「鎌」の字の右下辺りの隧道が佐助隧道です。
でも今と長さや東口の位置が違いませんか?
東口にカーソルを合わせると緑ので〇した辺りに坑口があったように見えます。
というわけで、隧道そのものは大正10年以前より存在していたものが、今の位置になったのが昭和40年くらいなのかなと。
最初は素掘りだったんだろうと思いますが、今の位置で素掘り時代があったかは微妙になってきましたね。
これは、見に行っておくべきだったかとも一瞬思ったのですが、現在その旧東口があったと思われる位置には建物(民家?)が描かれているので痕跡が残っていても残っていなかったとしても確認は不可能と思います。
航空写真でも民家の屋根みたいなのがあるし行くのは無理っぽい。
というわけでブログ文章にしようと思い始めてから書くのに意外と時間がかかってしまいました。(笑)