ジョリのブログ -66ページ目

ジョリのブログ

ブログの説明を入力します。

 先日、学生時代にバイトしていた出版社の先輩方と久しぶりに会って、神保町のボンディのカレーがやっぱりうまいということになり、昼飯を食いにボンディまで行ってみたら、けっこうな行列だった。ボンディはやめることにして、それなら、やっぱりうまいと勧めていた共栄堂のカレーを食べようと思って、食べに行った。神保町はもう長いのだけれども実は共栄堂のカレーを食べるのは初めてで、ちょっと自分の昼飯の予算にしては高いと思ってずっと敬遠していたのだが、お店も空いていたことだし、入ってみることにした。ちなみにボンディの方が高いのだけども……。

 共栄堂のカレーの味の話はおいておいて、白い小粒のらっきょと赤い福神漬けが置いてあって、なんだか懐かしいなあと思った。懐かしいと思ったのは、早稲田の穴八幡神社の横の崖みたいな場所に、カレー屋があって、そこも、らっきょが置いてあったなあと思い出したのだ。

 今は、もうとっくになくなってしまったその早稲田のカレー屋なのだが、名前も忘れてしまったのでネットで調べてみたら、一つブログにひっかかって名前が判明した。そうだ「タイム」というカレー屋だった。

 どんな味のカレーだったのか、すっかり忘れてしまっていて、ただ、小粒のらっきょが置いてあったということだけは、鮮明に覚えている。

 やっぱり、早稲田の文キャン正門の横にあったメーヤウというカレー屋は、そんなに行ったわけではないけれども、辛かったということで覚えている。同じ味の店が神保町の三省堂の前の裏道を通ったところにもあって、たまに行くが、やっぱり辛い。

 

 少し話は変わるが、東武東上線の大山にライモンディというカレー屋があって、一度も行ったことがないのだが、行ってみたいと思っている。実は、その店の店主の人が屋台で店をやっていたときに、わりといつも弁当を買っていて、おいしかったのだ。店を作るという話を聞いていて、店が出きたら行きますと言っていたのだが、結局、行っていない。

 車を改造した移動式の店舗で、忌野清志郎とエレカシを小さなラジカセみたいなもので流していた。

 

 とりとめのない話。

 

 

 

 エレカシの『風』については、昔、ブログに書いたことがあるが、エレカシの中ではやっぱり一番、好きな曲だ。とにかく、自分の心にこれ以上、しっくり曲はないんじゃないかなと思ってしまうくらいに、心に響く。

 

 

 

 

 イエス・キリストじゃないけれども、人が謝ってきたら、許した方がいいと思う。自分の苦い経験からすれば、もし謝ってきたら、笑顔で、だいじょうぶ、だいじょうぶ、まったく気にしてないと言うべきだ。間違っても、謝ってきた人に対して、また怒ったりしてはいけない。

 ところで、ジーザス・クライストは、なんて言ってたっけ?

 神田の古本屋で買った聖書が本棚にあったので、その部分にあたるであろう箇所を、ちょっと調べてみた。マタイ6章14節にこう書いてある。

「もし人の罪を赦すなら、あなたがたの父もあなたがたを赦してくださいます。」

 そして15節には、人を赦さないなら、おまえの罪も赦してやらない、と、書いてある。

 

 50歳に近いおじさんが言うのも変だが、学生時代に、はっきりつきあっていたわけじゃないけれども、なんとなくそんな感じの女の子がいた。できるなら、将来結婚したいぐらいに僕は思っていた。

 ところで僕はその彼女とけんかした。何が原因だったのか、まったく覚えていないのだが、けんかした。彼女が僕を怒らせるような何かをしたのだ。それで僕はすっかり腹を立てたというわけだ。

 僕が腹を立てていることを、彼女もわかっていて、後になって彼女から謝罪の電話がかかってきた。彼女は本当にすまなそうに、心の底から振り絞るような声ですまなそうに謝っていた。30年近くたった今でも、なんとなくそのときの彼女の声が聞こえてくる。かぼそくて、真剣な謝罪の電話だった。そこで、僕は大きな失敗をした。

 いいよ、とは言わずに、逆にもっともっと怒って、電話で彼女をずっと不機嫌そうに叱り続けたのだ。僕はその電話の後、すっかり怒った気分は解消され、愚かにも彼女とまたまた前のように仲直りして、良好な関係を続けようと考えていた。

 

 ところで、彼女は、それ以来、僕と一切、関わりを持とうとしなかった。話しかけても、一切無視する。目も合わせないし、口も聞かない。簡単に言うと、彼女は僕に対して、完璧に心を閉ざしてしまった。

 僕は、なんとかその関係を修復しようと、がんばって彼女を捕まえては謝った。しかし、全然、ダメだった。それが、たぶん大学3年の終わりぐらいのことで、結局、大学を卒業するまで、僕と彼女の関係が回復することはなかった。彼女とは、同じサークルだったし、大学の同じ学部だったので、それとなく顔をを会わせることあったが、結局、ほとんど会話らしい会話もすることもなく、卒業してしまった。

 

 卒業してから、何年か後に彼女が結婚することを聞いた。僕は他のサークルの友達と一緒に結婚式に呼ばれた。卒業してから、初めて会うのが、彼女の結婚式だった。その時に、一言、二言、あいさつをした。

彼女と話すのは、ずいぶんひさしぶりだった。

 それから、結局、10年以上、やっぱり会うことがなくて、また再会したのが学生時代のサークルの集まりだった。彼女はもう母親になっていて、話してみると、昔、僕たちが最初仲良かった時のように、とても穏やかで、やさしかった。

 彼女とはfacebookでは、一応、友達になっているが、特に連絡をとっているわけでもない。お互いfacebookをほとんど更新していないので、何をしているかもわからない。特に会いたいとも思わないし、思い出すこともめったにないのだが、もし死ぬ前に、もう一度会う機会があったら、聞いてみたいことがある。

 いったい、あの時のけんかが原因はなんだったんだろう?僕はなんど思い出そうと思っても、まったく思い出せなかった。

 きっと、彼女に訊いたとしても、やっぱり覚えていないと言うだけだろう……。そもそも、けんかのことは全く覚えておらず、そんなことあったっけ、とケロっとして言うに違いない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 グラム・パーソンズの歌は、たいした歌じゃないと思って、10年ぐらい聴き続けていると、、突然、ふっと彼の歌の良さが心に響いてくる。死後発売された、アルバム「Grievous Angel」に入っている曲は、粒ぞろいだ。書き忘れていたが、「Wild Horses」の入っている、フライング・バリットブラザーズの2枚目は、ひどいアルバムだ。

 グラム・パーソンズを聴くなら、彼のソロアルバムの最初の2枚を聴くべきだろう。

 

 ところで今日、9月19日はグラム・パーソンズの命日で、1973年に亡くなっている。

 

 

 

 

 

 シューベルトのピアノ・ソナタの20番は、大好きだ。なんど聴いたかわからない。飽きるほど聴いて、また聴きたくなって、聴く。その繰り返し。 この2楽章は、とても暗い雰囲気だ。切なくて、重苦しい。だから、苦しい気分の時、聴くと、とても心地良い。

 

 人間、最後の最後にトドメを刺される時がある。敵に攻撃されて、死ぬのなら、まあ、それは普通の死に方だろう。

 もっとひどいのが、いわゆるカエサルの「ブルータスおもえもか!」というやつで、この人だけはだいじょうぶだと思っていた人に、裏切られる場合だ。そんな時のショックはひとしおだ。

 この人だけは自分の見方だ、信頼できる。最後の最後に頼れるのはあなたしかいない、そう思っていた人が、実はそうではなかった……。そんなときの苦しさは、例えようがない。

 そんなふうにして、耐えられなくなった時、人は自らの死を選ぶわけだ。