- ¥1,700
- Amazon.co.jp
-----------------
SEBASTIAN X の2ndミニアルバム『僕らのファンタジー』が発売される。8月4日だ。
ひどく個人的な話をしてしまって申し訳ないが、
SEBASTIAN Xをはじめて聴いたとき、涙があふれた。
でもそれは、たとえばロックに涙するような類のものではないのだ。
生きるのが辛くてロックを聴くとき、そこにあるのは自分と同じように絶望が鳴っている、という経験があるだろう。
自分が感じる絶望が音として、ロックに昇華されるとき、そこに言い知れぬエクスタシーや歓びがある。
そこにある美としてロックに救われる人も数多いと思うし、私自身そうだ。
だが、そこに救いはないし、現実が変わらないのは事実である。
簡単に言ってしまえば、それは慰めなのだ。そして慰めは人の心を癒すが、何かを変えるわけではない。
もちろん、慰められた心によって何かが変わることはあるだろうし、わたしは慰みを否定しているわけではない。
ただ、そういう意味合いで愛されるロックに、具体的な変化の指針はないということが言いたいのである。
話がそれてしまったが、SEBASIAN Xにはそういう慰みはない。
彼女たちが歌う世界は、圧倒的なほどの、人生/世界への肯定である。
永原真夏の伸びやかで力強い唄声と、太陽のように温かいメロディーには、まっすぐな人生や世界への信頼がある。
もちろん彼女たちにも悲しみや絶望はあるに決まっている。
でも、彼女たちは徹底的に音をハッピーに鳴らす。生きていることをひたすらに笑顔の溢れるものだとして音にしているのだ。
しかも、そこに押しつけがましい人生肯定論はない。
彼女たちは自分たちの音を徹底的に幸福にすることで、聴く人々の心を動かそうとしているのだ。
自分自身が幸福な音を鳴らすこと、幸福に世界を唄うこと。
そうすることで、彼女たちは生きることを肯定しているのだろう。
“生きるしかない 諦めなよ”と「食卓の賛歌」で彼女たちは唄っていて、そこからも彼女たちには人生への諦めや自傷的な目線など見られない。
いや、本当はあるのかもしれない。だが、彼女たちはそれを演ることを許さないのだろうし、それを表現するべきではないのだと捉えているのだろう。
徹底的に幸福に、圧倒的に信頼している“生”を唄う彼女たちのその世界は、
生きる辛さに辟易していたわたしの心を大きく壊してくれたのだ。
幸福に生きること、幸福に過ごそうとする彼女たちのハッピーな世界は、くるおしいほどにキラキラと輝き、そしてなにより力強かった。
彼女たちはわたしを慰めたりしない。
でも、まるで笑いながら自然に手を取り、歩きださせてしまうかのような、不思議なエネルギーを持っている。
だからと言って彼女は何も言わない。前を向け、なんて言わないのに、自然にそうさせているのだ。
そしてわたしは、そういう音楽は、ほんとうに正しいと思うし、それこそが本当に救いなのだと思う。
今作にも収録されている「世界の果てまで連れてって!」では
“今日もなんだか苦しいね めいっぱい生きてるからね”と冒頭で、あんなに笑顔で永原真夏は唄う。
その姿には、生きていくことを信じている者の強さがある。それは、無敵だ。絶望の入る余地などない。
SEBASTIAN Xの音には幸福な未来の約束すら感じる。
そして音楽からそんな美しい希望を感じられることは、こんな時代において、なんて貴重なことだろうと思う。
8月4日、彼女たちが鳴らす太陽のような強さをさらに知りたいとわたしは思っている。






