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ここ最近のわたしはブランキーを掘りだしては聴いている。
昔から彼らが好きだったが、久しぶりに彼らの音に出会うと、ああなんて完璧なのだろうと改めて思い知らされる。
感じる気持ちよさのポイントが昔よりも格段に増えていることに気付き、
よい音楽というのは出会うたびに深みを増すものなのだと感じた。
そして同時に久しぶりに聴く浅井健一、ベンジーの声はいつまでたっても中毒性を以って私を刺激する。
甘くて気だるくて、繊細なのにどこか乱暴で、そして優しい。
ベンジーの魅力とは、ギターと彼の声ひとつで完全に世界を成立させてしまえることだ。
彼が喉を震わす瞬間、1フレーズ弾く瞬間に世界は見事に描かれ始めるのだ。
そして彼の言葉は、抜群に美しい。
それは彼の声と同じように、危険で美しく、そしてそれがあまりにも正しい言葉たちなのだ。
そんなベンジーの魅力が底抜けに披露されているのが(少なくともわたしには爆発的な威力でとりつかせている)、ソロシングル「危険すぎる」だと感じている。
安モーテルに宿泊する男女の情景を描くこの歌では、まるで映画のような美とロマンがある。
テレビもつかずシャワーも壊れかけた部屋で行われるやりとりを、
ここまで印象的な画として描けるのは浅井健一だからこそなのだと思う。
私が猛烈に胸を打たされたのは、
“コカコーラ買ってくるけど 他に何かいる物でもある?
だったらついでにマルボロとトランプとチョコレート あとスケッチブック
笑顔を描きたい”
の歌詞である。
もはや、説明なんかしたくないくらいに、私は熱く燃えてしまう。
こんなにシンプルなやりとりだが、彼の声とギターになるとこんなにも美しく胸を打つ魔法に変わるなんて!
それはまさに音楽でしかなせない興奮なのだ。
音が鳴り、言葉が乗る、その瞬間に起きる魔法に猛烈な感動と歓びが産まれる。
どちらか一方でもきっと成し遂げがたい魔法であり、
また、この両方がそろうことで、信じられないくらいの威力を持ってしまうのだ。
そんな根本的なことを改めて素敵なことだと思わされるくらい、このフレーズのこの瞬間、わたしはどうしようもなく熱く燃えるし滾る。
そんなことできるのはロックの魔法でしかあり得ないだろう。
浅井健一はそれを成し遂げてしまう。
“甘くて気だるくて、繊細なのにどこか凶暴”
彼の声そのもののとしか思えない、ロックの魔法にとりつかれる歓びに私は笑顔を隠せない。
言葉にできない、なんて表現は本当に最低な類だと思う、が、
わたしはこの「危険すぎる」に関しては、具体的に何かをとりあげて説明なんてしたくない、とすら思う。
それは映画のワンシーンに注釈を入れるくらい無粋なことのように思うからだ。
そしてなによりこの歌は一回聴けばすべてが判る、すべてが伝わるように出来ているかのように思う。
この歌は聴きとるものでも考えあぐねるものでもなんでもない、ただ無心で味わうだけでその甘い滋養が届く類のものである。
考えるよりも感じとらせてしまう、そのエッセンスをわたしはただただ味わってほしい。
