- 5years/木村カエラ
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デビューから5年という歳月を迎え、この国のポップアイコンとしてありつづける木村カエラ。
先日発売されたベストアルバムも順調だと聞いている。
昨年、彼女の「Butterfly」がどれほどに愛されたのだろうか?
非シングル曲であるこの曲がこんなにも全国に流され愛されたのには正しい理由があるのだ。
それはけっして、ゼクシィのCMソングだったから、ということでも、
このご時世において配信限定という形態が有効だった、といったことではない。
もちろんそれらの機能も否定こそしないが、この一曲がこれほど世間に受け入れられたことの理由は、
彼女がまさにポップミュージックとしての大前提をふまえた、渾身の一曲を創り上げたということに他ならないだろう。
彼女はデビュー当時、「あたしはロックだ」と言っていたし、その佇まいからどこか反抗的で、だれかに受け入れられることを拒否したような精神性がみられた。
わたしはデビュー当時の彼女の音楽をどうしても認めることができなかった。
彼女が自らをロックというわりに、どこにロックがあるのか?ということが疑問だったからである。
それはロックに憧れるモデルの女の子のたわごとにしか思えなかったのだ。
今にして思えば、私のこの気持ちは、彼女を音楽を生業と、職業とした人間への視点、としては間違いではなかったと思うのだが、
わずか19歳の当時の少女に思うのは、もしかすれば酷なことだったのかもしれない。
思春期が抜けきれない不安定な時期の“人間”なのであるのだから、それは“人間”としては至極当たり前の感情だったであろうな、とも思う。
人間はいつでも完璧でいられないし、思春期の刺さるような鋭い感受性において、彼女が自らを「ロック」と称することで自分を守ろうとしていたことは、わたしも同じ人間として容易に判ることだ。
話がそれたが、デビュー時において「ロック」を口にし、自らを守っていた彼女であったが、
冒頭でも言ったとおり、今やこの国のポップアイコンである。
ロックとポップは著しい差を持つし、その定義はそれぞれによって大きな異なりがあるだろう。
またいわゆるJ-POPという概念もまた、ポップスというジャンルにそぐわない事も多い。
ただあくまで私の考えで言わせてもらうとすれば、ポップスとは“誰かに向けた音楽”なのだとおもう。
たとえばロックにおいてもだれかへのメッセージを含むことはあると思うし、一概に言えることではないと思うのだが、
ロックがどこか孤独や痛みや絶望というネガティヴを起点に生まれていくことに対して、
ポップスはあくまでも人へのポジティヴな意識から生まれていくことが多いと思うのだ。
たとえば絶望的なポップス、というのをわたしは想像しづらいし、それはポップスなのだろうか?と思う。
(でも絶望的なロックは存在する、と思うので、ここに両者の異なりを感じるのだ)
人への思いが産む音楽がポップスなのだとすれば、このButterflyはまさにそうなのではないだろうか。
この曲が、木村カエラが親友の結婚式にむけて造った曲であることは有名だが、
彼女はこの曲を作るにあたって“苦労した”といった趣旨のことを言っている。
おそらく、それまでだって彼女は創造の苦労を何度もしてきたであろうし、
音楽を生業とする限りそれは付きまとうことであろう。
だが、この「Butterfly」において明確に違うのは、音楽という自己世界の創造、もっと端的に表現してしまえば“自己満足の追及”ではないのである。
この曲は、“自分以外のだれか”のために生まれることを望み、産み落とされ、そして育てられた一曲なのである。そこには自己満足以外の“だれか”のための強い強い思いがあるのだ。
ここで、だれかのために曲を、なんて考えがすでに自己満足だ、なんて野暮なことを言うのはよしてほしい。
少なくとも、わたしはこの曲から自己満足の要素などひとつも感じない。
それくらい音楽は素直なものだと思っている。
親友のために、親友の幸せのために産み落とされたこの一曲は、
誰かへの強い思いが生んだまさにポップスの大前提によって生まれた実に幸福な一枚なのである。
たったひとりの親友のために創り上げられた曲が、こんなにも日本中に愛される一曲になったのは、
ポップス、ひいては音楽が起こす魔法のような現象に他ならない。
わたしには、彼女の思いが生んだ本当の奇跡のようにすら、おもえるのだ。
そこには、思春期のむきだしの弱さで、ロックを求め自らを守っていた彼女が、
いつの日か“人と繋がること”に全力を傾け、その才能も意識もすべて音楽に注ぎこんだ結果なのだともおもう。
繋がりすら拒否していたかのような彼女のたたずまいからは考えられないほど、
人を思い人を思う彼女の姿勢は、温かいものを感じる。
ここにある木村カエラのひたむきな祈りが、全国に広まったことはこの国において本当に幸福な現象であろう。
音楽は世界を変えないが、音楽は人を変える。
彼女の強い祈りが受け入れられ、愛されるということは、この国はまだ血の通う国なのだろう、と思わされる。