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2009年に音楽シーンにおいて(まだ2か月近く残っているが)ひとつの事件であったのが椎名林檎のソロ活動の復帰であったと思う。
それまでも映画音楽の作成や楽曲提供、コーラス参加などの活動は見られたものの、“椎名林檎”での活動自体はおよそ6年にわたり控えられていた。
その彼女が世に送り出してきたのが、シングル「ありあまる富」であり、アルバム「三文ゴシップ」であった。
今日は三文ゴシップについて書きたいと思う。
一曲目「流行」という作品が実に象徴的であった。
この曲に関して彼女はインタビューなどで「女性と現在の音楽の在り方」を表しているという旨のことを言っていた。
もう忘れてしまったんでしょ
剥いだ裸の素材
君が造った女
今じゃ会ったってハヤらない
「女」というキーワードには、まさにそのまま、女性という意味合いと音楽という意味合いが込められているのだろう。
女性、という視点におけば、“対男性”の世界の中でどこかで、意志や存在よりも、女として“造られる”という出来事への諦めのような認識があるのだろうと思う。この曲において彼女は「女の・・・私に個性はいらない」とはっきりと諦めてしまっているが(それがフェイクかどうか、というニュアンスの差はここではあえて考えないつもりだ)
かねてより「百色眼鏡」という世界でも、彼女はこの「対男性」における女性の“役割”と“存在”について訴えかけていたように思う。
そしてもう一方、この歌詞が象徴しているのは、流行的なニュアンス・テイスト重視で、ユーザーが好む方向へと作り上げられてしまう“現在の音楽”への強い揶揄がここにある。
CDは売れない時代となり、“音楽”という存在への重き、扱われ方の軽さを彼女はひどく恐れている。
それは約十年前、19歳の彼女が「日本に足りていないポップを生みだすんだ!」という思いでデビューしてきたときの意志と変わらぬもののように私には思えた。
当時の、代替のきく量産的な安易なポップミュージック全盛の時代において、彼女は、「この世界」に足りないものをただ届けようとしていた。
それは強い責任感・使命感であり、そこには音楽へのゆるぎない信頼と真摯さがあるのだ。
そしてさらに、彼女が“音楽を生み出す”理由は、その使命感ゆえ、のものであり、また同時に、それのみ、なのかもしれない。
ただ言えることは、十年という歳月を経て彼女はひとつもブレていないのだ。
音楽への責任感、世界への使命感で彼女は“音楽”を生み出し続けているかのように思う。
だからこそ彼女はアーティストという言葉よりも“音楽家”という言葉を好むのかもしれない。
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このアルバムを全編聴いていくと、ラップから童謡まで多種多様の世界観が存在し、
十年以上のキャリアを持つ彼女からまた新しい顔をみつけたかのような喜びもあった。
個人的な話をすれば、彼女の口から
「したいことだけしてたい/痛いのは余り好きじゃない」「不養生をちゃらにして!」
なんて言葉を聞くとは思わなかった。
それくらい彼女は実直、真摯に生きている印象であったし、だからこそ彼女のその言葉に自分との共通項、みたいなものを感じてなんだか嬉しく思った。
だが、もちろんそれだけではなく「あなたとわたしの何方が変り果てたかを 問い質したい」と強いメッセージをも残し、ひとつひとつの音楽を、ひとつずつ、ただ素直に味わうことのできる一枚でもある。
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そして私が格別に感動したのは、ラストを飾る(「丸ノ内サディスティック」を含めないで)「余興」である。
この曲は昨年のRINGOEXPOでも披露された一曲だが、わたしはこの曲に彼女の“現在”の集大成のようなものを感じた。
ギターの歪みから始まるイントロは、かつてギターの印象の強かった1stや2ndアルバムの頃を私に思い起こさせた。
そして圧倒的なサビの魅力!メロディがいかに肉体に歓びを仕掛けるものなのか、ということを思わずにはいられないほど、胸を歓びでわしづかみにするような魅力が、あった。
そしてそれに載る言葉が「実直なほうが美しい」という言葉だということに、彼女のゆるぎない生き方を垣間見てわたしは涙を流さずにはいられなかった。
そしてなによりも感動的なのは、
続く大サビにおいて、彼女はあまりにも明朗に「嫌われて御出でよ 向かい風、乾杯!」と唄いあげてしまうことだ。
椎名林檎は、この世界に足りないポップスを世の中に送りだすのだ、という思いでデビューしてきた。
わたしは、さっきあげた一節に、彼女はまた、“この世界に足りないもの”を残して行ってくれたのだと、強く、強く思った。
愛されないことを恐れる弱さに怯えることよりも、嫌われることを受け止めてしまえる強さのほうが、どれだけ尊いのだろう。
向かい風に挑んでいくことが生きていくことでどれだけ重要なのか。
そんな、あまりにも強く優しいメッセージを、彼女はわたしたちに残す。
いま、こんなことを言える人間がどれだけいるのだろう、とわたしは思う。
向かい風乾杯!と微笑んで言えるひとが。
現在の時代において、置かれている状況や世界の流れに、疲弊した諦めや批判の声だけは高く鳴り響く。
それだってもちろんあるだろう、必要なことだろう。
でもそうじゃない、「嫌われてしまう」ことに向かおうとする思いが、向かい風に挑もうとする強さが、
どれだけ必要なのだろうか!
彼女はそんなことまでわたしたちに伝えようとする。
そう、それもまた、“この世界に足りないもの”なのだ。
十年の時を経て、彼女は変わらない。まさに、実直、なのだ。
椎名林檎の六年ぶりの一枚は、
そして、十一年目の一枚は、
音楽を生み出すべく東京に出てきたそのころと変わらない大きな意志がこめられている。
わたしは、彼女のような世界を生み出せる人がこの世界に存在することに、
また彼女と同じ時代を生きていけることを ただ単に 感謝する。
たとえまた十年経ったとしてこの一枚を聴けばまた変わらぬ感動がここにあるだろう。
“流行”に咀嚼されない、実直な強さがあるからこそ、音楽なのだ。
彼女が残していくもの、教えていくものは、あまりにも大きい。
2009年において、そして現在の世界において、あまりに重要な一枚だ。
語弊を恐れずに言うが、椎名林檎の音楽は、この現在の世界において、圧倒的に、正しい 。 そう思わずにはいられない、一枚だった。