吉井和哉モバイルファンサイト限定ツアー「YOSHII ZENZAI」に参戦してきた。
初日ということもあり緊張と期待で臨んだのだが、さすが吉井和哉、1ミリだって観客を裏切らない最高のパフォーマンスをしてくれた。
全編に及ぶ感想を書いていくとどうにもキリがないので、一曲だけ話そうと思う。
※ネタバレを好まない人に関しては、読むのを控えることをお勧めします。
今回「ならず者アイムソーリー」をカヴァーしていた。
ヒーセが作曲、吉井和哉が作詞のあの“500円”の曲だ。
何度か耳にしたこの曲、そのときからその曲のよさを感じていたものの、
やはりライヴという状況で聴くこの曲はその重みがちがった。
ヒーセは元来ポップ性をすごく持っている作曲家だと思うのだが(それは彼のベースプレイからも感じることだ)、この曲に関してはセンチメンタリズムと抒情性が加わっている。
ゴリゴリ押していくポップさだけでなく、立ち返り振り返ることのせつなさを体現するようなメロディ、そして元来の彼のポップ性も控え目ながらもわたしたちを魅了してくれている。
そういった意味でもこの曲はヒーセの歴史の中でもすごく新しい曲だと思うのだ。
そんなヒーセの新しい魅力が溢れたこのせつないこの曲に、吉井和哉の詞が混ざり、もうどうしようもないほど美しい一曲が生まれている。
もはや理屈を抜きにして、胸を鷲掴みにされるようなせつなさが全身を凌駕して、苦しいとすら思う。
しかし、その苦しさはあまりに甘美な音の魅力に支えられているのだ。
だからわたしたちは、この苦しさ、このせつなさを、涙しながらもう一度と繰り返す。
ロックンロールに魅せられた者はいつだって苦しさを感じながらその喜びに涙しているのだ。
そういった意味でも、この曲は揺るぎようなく名曲だとおもう。
そしてそれは、イエローモンキーというバンドのことを抜きにしたって語れるものだと思う。そしてそうでなければ、これを音楽などと呼ぶことをわたしは絶対に許さない。
そう、この曲が、イエローモンキーの休止/解散という事態を介さなくても正しくわたしたちを震わせる名曲だからこそ、わたしは、この曲の奥深い切なさを訴えることができる。そしてそれは、あくまで音楽を批評するわたしという立場ではなく、もっと素直に、イエローモンキーのファンとしての、わたしの、目線だ。
こころは今でも
おまえの笑顔憶えて
時々つまずく
どうしたんかねえ どうしたんかねえ
日暮れのバスでも
夜中の酒の席でも
時々へこむんだ
どうしたんかねえ オレ変かねえ
この歌詞を読んで、この「おまえ」がイエローモンキーなんじゃないか、と思わないでいられるファンはきっと居ないだろう。
だが、ここにあるのは過去をいとおしみ、惹かれながらも、「今」に生きることを覚悟した者の悲しさと強さである。
過去へ行ければそりゃいいね
死んだヤツにも逢えるだろう
でもね残酷なのは
今だけが横たわる
過去をどんなに大事に思っても、今しかないのだと自覚する。
それをこんな風に解釈するのは、ほんとうは、間違いなのかもしれない。
でも、わたしはおもうのだ。
ああ、彼らはイエローモンキーという過去をこんなにも大事に思いいとおしみながらも、
「今」を生きようとしているのだ、と。
そしてイエローモンキーは「過去」なのだと。
だが音楽を批評する立場でもなんでもない、ただの一ファンとして思うことは、
ヒーセの曲で、吉井和哉の歌詞で、こんなに素晴らしい名曲が産み出せるのなら、と思わないでいられないのだ。
たしかにイエローモンキーは最後、路頭に迷っていた。生まれた時のイエローモンキーとはもう変わっていた。
でも「8」にしても、その葛藤すらもロックンロールとして、音楽として産み出せるのが吉井和哉の才能だったし、それを体現するのがイエローモンキーだったじゃないかと思う。
イエローモンキーは、たしかに、どうするべきか、どう行くべきか、どこへ行くべきか、迷っていた。
ファンの立場から言っても、それはたしかなことだったんじゃないかと思う。
それでも、ヒーセのこの「ならず者のアイムソーリー」のせつなさはたしかに新しくて、もしこれをいまイエローモンキーとして発表していたら、と思ってしまうのだ。
もっと変わってゆくイエローモンキーをみれたんじゃないか、と思ってしまうのだ。
だがしかし、ここにあるせつなさとは、イエローモンキーを「過去」として見るがゆえにうまれるせつなさなのだ。
だからこそわたしはファンとしてはどうしようもない胸の痛みに襲われる。
バンドという生命の不思議を想わされ悲しくなる。出来る出来ない、だけでの話しではない。
この曲の完成時はまだ“休止中”だった。
それでもこの曲が生まれるのは、きっとそういうことだったんだろう、と思う。
一音楽リスナーとしてはこの曲のせつなさにロックの悲しみと喜びを観て、その音楽としての美しさに全身を貫かれるように感動させられる。
一イエローモンキーファンとしては、このせつなさの裏にある悲しみに胸が激しく痛くなる。
そんな感動と痛みにこころはぐちゃぐちゃになりながらも、
この曲を聴いて、やはりわたしは、その音楽としての圧倒的な美しさに涙を流した。
くるおしいその感情に、わたしはまだイエローモンキーを卒業できない人間なんだなと思いながら、
それでもただただ美しく切ないこの曲を聴ける喜びをただただ感じていた。
アイムソーリーとせつなく唄いあげる吉井和哉を観ていて、ああ、このひとたちを憎めなんかしないと思った。
なにはともあれ、こんなファンの私情をはさまずとも名曲のこの曲を聴けたことは幸せ以外の何物でもない。
いつ聴いてもわたしたちを震わせるこのせつなさに、人としてわたしは突き動かされるだけだ。