- JAPANESE POP/安藤裕子
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安藤裕子の5thアルバム「JAPANESE POP」
安藤裕子の“世界への視点”の重さ、深さをいかにポップスに、心地よい音楽として昇華してゆくのか という彼女のアーティストとしての命題をまっとうしているかのようなアルバムだった。
安藤裕子というアーティストは、自己顕示欲や表現のために音楽をやっている人間ではないとわたしは思っている。
誰かを救おうとしているわけでも、まして自分を救おうとしているわけでもない。
もっと言えば、“造らずにいられない”人間でもないだろう。(それに近いほどの才能の持ち主だとも思うが)
だが彼女は音楽を紡ぐことをやめない。
わたしは、彼女のその世界への温かくも重い眼差しを、音楽に昇華させることが
彼女に与えられた命題なのだと思っている。
思っている、というよりも、むしろ、彼女がそのように感じているのではないか、と思うのだ。
わたしは、丁寧なほどに音と向き合い、造り上げようとする意識を彼女からは強く感じる。
“才能”のまま気ままに音を造る“天才”ではなく、彼女はたしかめながら丁寧に音を創り上げる人なのだ、とおもう。
そしてそれは、才能や表現への欲求から生まれる創造ではなく、
おそらく自分を支持するファンから、世界の裏側で飢える子供にまで“届けなければならない”という
自分の才能を任務とする意識からなのではないかと思う。
いつでも誰かのプレゼントに美しい装いを、あたたかなまごころを込めたい、と思うその気持ちとまったく同じように
彼女は自らの音楽を創り上げているのではないかと思うのだ。
話はすこし逸れたが、今作はとくにいかに“音楽”に、そして“ポップス”に昇華するのかということを意識させられたと思う。
複数のアレンジャーをはじめて迎えたということも大きいのだろう。前作「chronicle.」が、一言で言えば“重い”一作だったと思うのだが(しかしこれはこれで素晴らしい一作であった)、それに比較しても「私は雨の日の夕暮れみたいだ」からはじまるトリッキーで素直にたのしいアレンジは、音楽のもつ、素直な喜びや楽しみが溢れていて、実に心地よい。
それは「chronicle.」の一曲目は「六月十三日、強い雨」という美しく、深い深いナンバーであっただけに、
今作が象徴するものが実にポップなものなのだと思わされる。(もちろん、このアルバムタイトルからも明白ではあるが)
彼女の従来の視点―― 重く苦しいほどに、人を、世界を見つめるその視点のへヴィさをまるで緩和するかのような楽しみ、音としての歓びが重なって、くるおしいほどに癖になる。
それの集大成が「問うてる」なのだと思う。
「命ってなに?それは燃やし続けるものなの?」とこれまでの彼女の世界観からしても、一番にへヴィな言葉を投げかけているこの曲が、イントロからして軽やかで音の歓び溢れたポップスであるところに、わたしは驚愕に近い感動を覚えるのだ。
思いがけず唄い出してしまいたくなるこの軽やかさに乗せられる、くるおしいほどのへヴィな意識は
今までの彼女の集大成とでも言いたくなるし、そして、”音楽”というジャンルにおいて
音としてのキャッチーさ、大衆性、そしてポップさを兼ね揃えておきながら、
ここまで、深い“個人の”世界観を持ちこめるという、その成立そのものの稀有さには鳥肌ものの感動を覚える。
こういう曲はあまりに少ないと思うし、これを産み出せる、成立させうる彼女のスキルとキャパシティの高さは、すでに彼女にとっての唄が“業”としてあるからなのだと思う。
そういったポップ性をちりばめている今作だが、ラストの「歩く」の壮大なうつくしさに
わたしの胸はくるおしいほどに痛んだ。あまりに美しい音楽、あまりに美しい唄声、そして、重く、それでも生きることに向き合おうとする彼女の強さに。
ここにあるのは、生きることの悲しみや苦しさ、自分のずるさだ。
だが、安藤裕子は、それをわたしたちに見せながらも、誰よりもあたたかく寄りそってくる。
悲しいのにあたたかく、あたたかいからくるおしい。
生きることの重さは誰だって承知だ。
彼女の音楽は、そんな重さから目をそらさない。じっと見つめ、それこそ「問うて」くる音楽だ。
だが、同時に安藤裕子自身が「問われ」続け、生の重みに戦い、惑い、それでも「歩く」と決めている人なのだ。
そして、それは、わたしたち、と同じように。
だからこそ、彼女の音楽はこんなに温かく、こんなに寄りそう。
でも彼女には苦しみをみつめる強さがある。平凡な言葉だが、彼女からはその強さをたしかに感じる。
生きることは、悲しいのに、こんなにも、温かい。
わたしは彼女の音楽からそんなことすら思うのだ。
そして、そう思わせる音楽を作れるひとは、本当に、ごく限られている。
くるおしいほどに彼女の音楽に胸を甘く痛ませ、何度でも彼女の音を聴きたくなるこの不思議は
悲しいのに、こんなに苦しいのに、愛さないでいられない 命 そのもののようだ。