東京の九段下で用事を済ませたあと少し時間があったのでそのまま地下鉄に乗らずJRの市ヶ谷駅の方へ歩いてみました。坂道を登っていくと大きな鳥居が見えてきました。そうでした、ここには靖国神社があったのです。


東京で学生をしている頃ですからもう20数年前に一度お参りしたことがありましたがそれ以来訪れたことはありません。土曜日の午後、人通りはまばらで今年初めて聞く蝉の鳴く声があたりの木々に染み渡っている歩道にビラを配っている中高年の男の人たちが居ます。

靖国神社は最近では政治的な問題の火種になっていますので近づくことに一瞬ためらいもありましたが、参拝することでその政治問題にも自分なりの答えが見えてくるのかもしれないという期待もあって足を進めました。


実は、去年受験したTOEICという英語の試験の会話力を計る口頭試問で靖国問題を聞かれ英語力以前に靖国問題に対する自分の考えが全くなくしどろもどろの答えになった事があったのです。


靖国神社の拝殿と本殿はとても立派で境内もきれいでこざっぱりとしていて政治的な匂いはしません。もっと右翼っぽい何かがあるのかと思ってました。ただ、菊の御紋章があちこちに使われているのが気になりました。天皇家とどういう関係なんでしょうか、この点は少々きな臭い感じです。


折角来たので参拝させて頂き、世界の平和を祈ってきました。参道を戻ると左手に大きな建物が見えます。近づいてみると宝物殿か博物館のようです。名前は遊就館というそうです。

中へ入ってみるといきなりゼロ戦が展示してあり少々驚きました。それに蒸気機関車と大きな大砲が2門、一瞬戦争博物館かと思いましたがパンフレットを読むと戦争で亡くなった人たちの心や事跡を今に伝えると書かれています。


2階が展示スペースになっていて入場料800円也。ずいぶん高いと思いましたが何かに引かれるようにエスカレーターで上に上がっていきました。

展示品は明治の頃からの日本の戦争の歴史です。危うい所で戦争賛美とも受け取られかねない表現もありますが中立を保とうとする努力は感じられます。


展示場の中に小さなホールがあって映画を上映していました。歩き疲れていたので休憩のつもりで見ていましたが次第に引き込まれてしまいました。日清・日露戦争のころから太平洋戦争までを主に軍部の立場で説明していてあまり良い感じではありませんでしたが、国の為、愛する人の為に命を投げ打った若い人たちに罪はなくその御霊を英霊として敬っている所は感動を誘います。戦争という時代の中で自分の行為が正しいと信じて死んでいったのです。今ならその行為も批判できるでしょうがその当時、彼らにそれを判断することは出来なかったはずですしそれ以外に選択肢はなかったのでしょう。そう思うと熱いものがこみ上げてきました。


展示場を出たところに売店があり書籍や関連するものなどお土産として売っていました。何げなく見ていて「英霊の言の葉」という本が目に止まりました。第一巻から八巻まである薄い小冊子という趣ですが一冊取り上げて開いてみるとそれは戦争で死んでいった人たちの遺書でした。死に行く直前の心情がストレートに書かれているものもあり心打たれました。


首相が参拝するとかしないとか、そんなことよりもっと大切な何かがありました。不戦を誓った日本はここを原点に世界へアピールするべきではないかとも思います。プレゼンテーションが下手な日本人は世界の中で誤解を受けているのかもしれません。国内の政治闘争に使うのではなくもっと大切なメッセージを聞くべきだと思います。このままでは英霊たちも安心して眠ることが出来ないかも知れません。



少し重い話でした、すみません。でも政治的・宗教的な背景は一切ありません。いろいろな意見があっても良いと思いますが意見を言う前にやはり現実をしっかり見るべきですね。今日は勉強になりました。


合掌

台風が行ったと思ったら今度は新潟地方で大きな地震がありました。


新潟では3年前にも大きな地震があったばかりなのにまたか、という思いです。たくさんの家が壊れ、9人の方が壊れた家の下敷きとなって亡くなったそうです。

多くの人が学校などの避難所で一夜を明かしたそうですが、時間が経つにつれ被害の大きさが分かってきて地震の怖さが身にしみて分かります。


台風は事前に来ることが分かりますが地震は突然に襲ってきますから対処のしようがありませんね。日頃から家具の倒壊対策をするとか、持ち出すべき貴重品をまとめておくとか、非常用の水や食料などを蓄えておくなど準備をしておくに越したことはありません。

ドイツに居たときは台風も地震もありませんでしたから天災に対しては全く意識することもなく無防備でしたが日本ではいろいろなリスクがあることを改めて思わされました。


テレビのニュースで被災して非難した人、ボランティアでそれを助ける人、自衛隊や消防団など救助活動をする人、いろいろな場面が映っていましたがそれを見ていて日本人の均一性を感じました。助ける人も助けられる人もみんな同じ目線で震災に耐え頑張っているようです。困ったときはお互い様、という日本的な助け合いの気持ちなんだなと思い、地震被害のひどい状況に気持ちが暗くなる中でもそんな日本人の心が生きていることに少し暖かいものを感じました。


地震で被害に遭われた方々にお見舞い申し上げます。


大型の台風が日本列島を縦断する可能性があるという予報が出て昨日と一昨日は一日中台風のニュースばかりでした。


台風は日本各地に爪跡を残し、亡くなった方や怪我をされた方も多く居たようですし崖崩れで家が流されている映像もニュースで流れていました。その台風も昨日の夜には東の海に抜けていってしまい、幸いにも私の居た東京では雨も風もそれほど強くならず被害はありませんでした。


ドイツには台風は来ませんので私としては久しぶりに経験する台風ですので正直言って少しワクワクしながら待っていたのですが少し拍子抜けの感じでした。不謹慎とは思いますが、テレビのニュースで朝から晩まで大きな台風が来るぞ、大変だぞ、というニュースを見せられたら否が応でも自分の所にも強い雨と風がやってくるように思えてしまいます。まるで事前の情報をたくさん流して本番へ向けて雰囲気を盛り上げるイベントのような感じでした。


送り手の方にしてみれば現在の被害状況を正しく伝え、台風の進路に当たる人たちに警戒を呼びかけているつもりなのでしょうが、興味本位でニュースが作られているような印象も受けました。死者や行方不明者が出たことを他局よりいち早く伝えその状況を現場で中継しているテレビニュースはまるでその事故があったことをテレビ局が喜んでいるようにも感じてしまいました。


逆にあれだけニュースで台風のことを伝えているのに川に流されたり屋根から落ちたりする人がいることも不思議です。危ないと言っているのに危ないことをしてしまうのですね。いろいろと個別の事情はあるのでしょうがニュースから適切な情報が伝わっていなかったということでしょう。亡くなったり怪我をされたことも残念ですが、その事故によって台風の中で危険に身を晒しながら救助活動や捜索をしている人たちの姿をテレビで見るとやるせなさを感じます。


台風の力は決して侮ってはいけない大きなものでしょうから用心に越したことはないのですが公共放送として情報を正しく送ることの難しを考えさせられると共に、日本のテレビ局は興味本位にニュース番組を作っているようにも思えました。


台風一過の今日は普通なら抜けるような青空になるのでしょうが台風の影響が残っているような曇り空が広がっています。 何だかスッキリしない台風に乱された2日間でした。


小学生の頃は東京の高円寺という所に住んでいました。ねじめ正一さんの「高円寺純情商店街」という小説の舞台とほぼ同じ時代です。


新宿まで中央線で10分ほどでしたからどこへ行くのも便利なところで、放課後に友達と新宿へ遊びに行ったこともありましたが、40年も前の小学生のことですから新宿で遊ぶといっても小田急デパートの屋上で熱帯魚を見て帰ってくるぐらいでかわいいものです。


週末にはよく秋葉原に通ったものです。総武線の黄色い電車に乗れば一本で行けました。秋葉原は今ではすっかり町並みも変わり、オタクのメッカのような町と見られていますがその当時はガード下に小さなお店がたくさん集まりラジオの部品を売っていましたし、大きな電気店の店頭には家具調のカラーテレビが並べられていました。


私のお目当てはそんなガード下のお店で部品を買い集めることで、雑誌の記事などを見て自分でラジオを作ったものです。もちろん真空管です。並3ラジオ、高1ラジオ、5球スーパーなどいくつも作りました。

丁度、ラジオの深夜放送が人気を集め始めた頃で、毎日のように自分で作ったラジオでTBSのパックインミュージックを聞いたものです。

そのうちアマチュア無線に興味を持ち受信機も送信機も真空管で自作して、開局したのが中学2年のときでした。その後、趣味はオーディオに変わりましたが秋葉原通いは変わらず20歳の頃までは月に一度は行っていたと思います。


少し前の話ですが引越しの荷物を整理していたら、トランクルームに預けていたダンボール箱の中から中学生の頃に作った真空管のラジオが一台出てきました。たくさんの部品も一緒に。。。急にあの頃が懐かしく思い出されたものです。


そしてつい先日、都心で用事を済ませたあと時間があったので久しぶりに秋葉原に行ってみました。

駅もすっかりきれいに改装され、新しい大きなビルも建っていますがガード下の部品屋さんは健在でした。あの頃抵抗やコンデンサを買ったお店がそのまま残っています。もちろん変わってしまったお店もありますが昔から変わらないお店には郷愁を感じるということを通り越して感動に近いものを覚えました。ボリュームの品揃えが豊富なお店やスイッチの種類が多い店など当時のままなのが嬉しいです。

もしかすると小さなお店の奥に座っているおじさんもあの頃から変わっていないのかも知れませんね。


そんなお店の一つで赤い箱に入ったロータリースイッチを見つけました。ロータリースイッチとはラジオのバンドを切り替えるのに良く使われた回転型のスイッチです。お店の人に聞くとメーカーではもう生産中止になっているとの事。店頭の在庫がなくなれば終わりだよ、と聞いて迷わず一つ買いました。

スイッチを買っても使うあてはありませんが、単に懐かしいだけではなくこの赤い箱が自分のルーツのような気がしていつまでも自分の机の上に置いておこうと思いました。


東京で暮らしていると車の必要性をあまり感じませんが、地方都市では車は必需品です。


私の住んでいるところは地方都市の更に郊外の山を切り開いた新興住宅地で、恐らく全ての家に車があって、そのうち半分ぐらいは2台以上車を持っていると思います。路線バスも走っているのですが一日に6本だけです!!朝7時が始発で夕方6時までで終わりですから単純に言って2時間に一本です。これではバスでちょっとお出掛け、といっても帰って来れなくなったりしますからかえって不便ですね。きっと乗る人も少ないから本数も少なくせざるを得ないという赤字路線の悪循環なんでしょうね。


先日、そのバスに初めて乗ってみました。夕方18時6分の最終バスは住宅街の真ん中のバス停を出てJRの駅まで15分ほどの間、幾つかの停留所を全て素通りしてしまい最後まで乗客は私だけでした。たった一人の貸し切りバスのようなものです。バスを降りるときに「お世話様でした」と運転手さんに声をかけたのですが、聞き取れないような小さな声で「ありがとうございました」と返事が返ってきたのですが、そのとき運転手さんの顔は見ませんでしたがきっと淋しい思いをしているんでしょうね。


そんな状況なので私もまずは車、ということで知り合いに紹介していただいた中古車やさんで車を購入しました。最近は展示してある車だけでなく、中古車業界のネットオークションで日本全国の実にたくさんの車から探し出してもらう事ができます。私はとりあえず乗れる車で良いと思いましたのでその方に全部お任せで手ごろな車を探してもらいました。


納車された車は見た目はきれいで8万キロも走っているとは思えませんが、昔の車だっていう雰囲気は隠せません。まあ、無職のニートにはこのくらいの車が丁度良いかもしれません。

それにしても適当に探してきてもらうという車の買い方は、小さなことにこだわらない鷹揚さなのか、車に全く無知な鈍感か、現世に興味を失った世捨て人なのか、自分でも分析できませんが年とともに物欲が失せて行くのは確かですね。


車で日本の道を走っているとドイツとは微妙に違う感覚を覚えることがあります。昔の交通標語に「運転が示すあなたのお人柄」というのがありましたが、言い得て妙だと思うことが良くありますよね。

一言で言うと日本のドライバーはムラっ気が多い感じです。つまり強引に割り込んできたと思えば妙にやさしく道を譲ってあげたり、高速道路で勢い良く追い抜いたのに私の目の前に入ったらスピードを落としたり、左側の走行車線から抜いたりと、何が起こるか予測できない不安を感じます。


ドイツではこのようなことをあまり感じなかったのは全てのことがルールに基づいて行動されているからではないかと思っています。例えば譲り合いというあいまいな判断はなく、どちらが優先であるかということが行動の判断基準になっているのです。

良くドイツに来て間もない人は交通違反や事故を起こす事があるのですが、それはその人がドイツの運転ルールやドライバー間の阿吽の呼吸を体で覚えこんでいないために周囲のドライバーとは少し違った動きをすることが原因となっているのではないかと思っています。流れに乗れないということかもしれませんね。


もしかすると私の運転は日本のドライバーからするとおかしな動きをしているのかもしれません。

何はともあれ安全運転。そういう面ではスピードの出るドイツ車よりも中古の国産おんぼろカーの方が安全かも。