英語落ちこぼれ社会人がぺラオになるまでを描く*********実録アメリカ大学留学ドタバタ日記 -2ページ目

英語落ちこぼれ社会人がぺラオになるまでを描く*********実録アメリカ大学留学ドタバタ日記

TOEFLは大学入学最低水準。リスニングは特に苦手の英語落ちこぼれ社会人が、がむしゃらに頑張ってNYの大学で勉強し、半年後ぺラオになって帰国する姿を描く実録日記である。

11月13日(日)

8時15分頃起床し、晴天を確認し思い立ったかのようにフィラデルフィアへ行くことにした。

8時45分頃42Stポートオーソリティーへ行き、9時発のフィラデルフィア行きへ乗る。


NYからグレイハウンドバスに揺られること、2時間で到着。トムハンクス・デンゼルワシントン主演のゲイ・HIVをテーマにした映画フィラデルフィアをポータブルDVDでちょうど見ながら、気持ちを高めていった。


アメリカ人で知らない人はいないという独立宣言の際に叩かれたというLiberty Bellを見学、その他都合4時間ほどの滞在で充分おつりが来るほどのコンパクトな町であった。


帰宅後、世界遺産の確認を行なうと、世界遺産はLiberty Bellではなく、その奥にあったLiberty Hallであるとのこと。視界には何度も入っていたが、写真は撮らなかったし、近づかなかった。


とりあえずは久し振りの世界遺産訪問と自分の中で整理しておくことにする。


LibetyBell  議事堂

11月12日(土)

カテキョ-を9-11時で終え、TOEICを受けに行く。


場所は以前受けていた語学学校のEmbasyCESである。午後1時開始ということで12時15分頃到着するも、会場にはパラパラとしかいない。12時50分頃突然担当者が下りて来てパスポートチェックとEメール配信の申し込み控えを提出。こちらのTOEICは写真はいらないようだ。


午後1時までの10分で80人ほどの教室が埋まる。机はアメリカにありがちな椅子に申し訳程度についている机である。名前等を書きながら、個人の英語に関するバックグラウンドの質問があった。この15問ほどの英語の問で少しおなかがいっぱいになる。さらに、イタリア系男性試験官の右耳の大きなピアスと頭以上にシャンプーを使っていると思われる胸毛が妙に気になる。


問題が配られて『開いてください』といわれたその瞬間、ある女性がトイレといってどこかへ行く。優しい試験官は彼女の帰りを待つようだ。とその時まわりの人たちは文法問題を解き始めている。『マジ?』と思いながら私も負け地と文法ページへフライング。


リスニングが開始するも、外の外人の笑い声が妙に気になる。隣りの教室で授業も行なわれている模様。集中力が全然続かなかった。問題は日本で受けるものと全く同じ。受験者はほとんどが日本人。一部韓国人と台湾人。それ以外は誰一人としていない。TOEICってアジア向け?


既に3ヶ月近くいるのに感触は日本で受けたのとほとんど変わらなかった。まったくダメですなぁ。


左前にいた韓国人女の子の整形失敗気味の目元や問題用紙と解答用紙がはみ出るほどの小さい机、なぜか頭の中で味噌汁の映像が消えない自分、いろいろ気になる。まだまだ無心になるまで時間がかかりそう。

11月6日(日)

朝から朝もやがマンハッタンの町をおおっていた。

今日はNY最大の市民マラソンのある日である。スターターは当地日本語新聞ディリーサンによると石原都知事との事。本当かと思ってニューヨークマラソンのホームページを見るも見つけられない。


午後1時ごろ、コロンバスサークル駅へ行き、ゴール付近の様子を見学した。ゴール付近ではバンドが演奏をして、ランナーを迎え入れていた。


翌日新聞によると、世界記録保持者Paul Tergat (ケニヤ)がディフェンディングチャンピオンHendrick Ramaala (南ア)を1足分早く、時間にして1秒ゴールするという大接戦だったと言う。


人生はもっと終わるまで分からない。

11月5日(土)

会社関係のコンペに参加した。

場所はNJにあるOld Orchard Country Clubという所。ほとんど夏に近い晴天だったため気持ちよかった。

前半54、後半58、合計112というほとんどゴルフをやらなくなった近年にしてはNot Badという感じ。

平均パット数は脅威の2.0。パットが冴えた。


1ヶ月前の前回から20打改善した。上手い人について回るといいなあと感じた。

ゴルフも人生もイメージが大切なんだなぁ。




11月1日(火)

今日はAll Saints’ Dayというカトリックの休みであった。

よって、観光に行く。


まず4番線の地下鉄で最終駅Woodlawnへ。1,000円札の肖像画にもなっている悲劇の化学者野口英世が眠っていた。駅を降りて3分で墓地へ。墓地から3分で野口英世の墓があった。がしかし、少しだけ特徴のあるお墓の写真を事前に見ていなければ、絶対に探せなかったであろう。なぜならば、入り口にて墓地マップをもらえるのだが、野口の墓がある場所には、同じような墓が50以上あり、探すのに苦労した。次に行くときは、寝袋が必要だ。


尚ここには、ジャズで有名なMiles Dvis、God Bless Americaの作曲者Irving Berlinなども眠る。


その後、4番線地下鉄でBrooklynbridge駅へ戻る。ここは、住んでいる寮から10分の最寄駅の一つである。ブルックリンブリッジを歩いて渡った。約20分。12年前に着たのは昼であったが、景色は似ていた。また、ブルックリンブリッジをブルックリン側から眺めるスポットのバニラアイスクリームはおすすめである。なかなかいい散歩であった。


ブルックリンブリッジ

10月28日(金)午前2時1分

その時、第一子が生まれた。2,905g。陣痛開始後5時間。分娩室入室後4分。それは看護婦さん3人、医者1人が子供の出産の準備をしようとしていた矢先だったと言う。うち2人はエプロンを懸けたかかけないかのタイミング。栄養を入れる点滴はこれからというところ。看護婦さんの『4分です。』の声が分娩室に響いた。通常は数時間はかかるであろう出来事が高速出産の超安産であったという。


同日午後8時30分

JFK空港出発して19時間経過後、出産当日に自分の子供と言われたその子を抱いた。へその緒がかすかについている。そして、僕にあるものがない。


母子ともに健康であったことが何より。この際子供の顔は気にしない。将来の変身に大いに期待する。


娘

10月25日(火)

朝からハリケーンウィルマの影響で風と雨が外では踊っている。狼が吠えたのかと思ったら、それは風の音だった。しかも、突然窓が空いて風と雨が入ってきた。おいおいと思い慌てて窓をしめるが、ちょっと待てよ。

『窓空くんじゃんか。』


この2ヶ月窓が空かなかったので、空気の入れ替えはもっぱら入り口のドアを適宜開けることにしていた。当然風がないから基本的によどんだ空気が充満しており、1週間前のインドもどきパサパサごはんカレーのにおいが残ってたりもした。これで空気の入替ができる。


午後、Student Lifeのスタッフに聞くと、今日から暖房が入っているとのこと。部屋で暖房をつけると今まで部屋着として愛用していたジャンバーを脱いだ。

『暖房つくじゃんか。』


既に風邪気味になり1週間がたつ。ここにきて2ヶ月半で3回目の風邪は一番長い。風邪を引く原因と思っている諸悪の根源『暖房つかない・窓空かない』がなくなり、風邪の完治まで早そうである。





10月24日(月)

先週から月・水・金は朝7時マンハッタン発クイーンズ行きのシャトルバスに乗ることに決めている。時間が有効に使えるからだ。7時15分頃にイーストリバーをマンハッタンとクイーンズを結ぶウィリアムズバーグブリッジ越しに朝焼けが見えた。揺れていたからきれいに撮れなかったが、実際はその10倍はきれいな色彩だった。


暗い車内で、頭の中ではLouis Armstrong『What A Wonderful World』がかかっていた。


ウィリアムズバーグブリッジ朝焼け

10月22日(土)

Bラインで行く110stの家庭教師からの帰りに、雨だったので81stで降りる。そこは、言わずと知れたMuseum of Natural Historyです。駅から直通の入り口に向かい学生証とともに23ドルのフルセットを申し込む。

ビッグバン・火星探索のプラネタリウムやガラパゴス諸島の映画、などマンモスや恐竜の常設展にはないイベントもかなり面白かった。土曜日であったため、多くの子供にまぎれて一人で楽しんだ。


メキシコ偶像  猿


左はメキシコユカタン半島にある偶像?、右はガッツ石松。

2人とも夜はタバコを吸いに戸外まで行くから困っているって警備員が嘆いていた。

10月21日(金)

会社の研修を終え、異業種交流会へ参加する。生保会社、証券会社、コンサルティング、会計事務所、TV局、音楽プロデューサー?、生物学者??兼スポーツライター!?、そして損保会社の人々。スペイン料理店で久し振りに時間を忘れて飲んだくれ、気付くと7時半入店が11時半頃。そんな時間の間、話し続けられるなんて、僕の英語もけっこう上達したなぁ、などと言うわけは全くなく、日本語命の時間をほどよく満喫した。