2時間14分。瞬間英作文のみ。

『スラスラ話すための瞬間英作文シャッフルトレーニング』を始めているが、英作する時の負荷が丁度良い。半分近くまで終えた。もちろんこれから何度も復習するわけだが、とりあえずはひと通り終えてみようと思う。今までに、この前作の『どんどん話すための瞬間英作文トレーニング』や『Data Base 3000』等でそれなりの数をこなしてきているので、わりと早く進めることができる。また、これも以前書いたことだが疑問文に慣れていないので、そのトレーニングとしてとても良い結果を生むような気がする。

以前Twitterだかで読んだのだが、韓国などの場合ネットをしていてリンクで英語のページに飛んだとしても、そのまま読み続ける人が多いそうだ。日本の場合はそこで、「ああ、英語ね。読めないから」と戻ってしまうという。もちろんこれは全ての人に当てはまることではないし、そのTweetした人の受けた印象であるわけだけれど、何となくうなずけるのだ。そして、他でもない自分自身にもこのことが当てはまる。

平易なものなら長文でも読めるけれど、ちょっと複雑な文章になるとたちまち理解不能に陥ってしまうのだ。これはもう勉強と慣れで克服していくしかないのだが、そうするとやはり文法と単語。文法はいま進行中だから、瞬間英作文がひと段落したら単語暗記に取り掛かろう。おとといも書いたが、出て来るまで単語は覚えない、なんて悠長に構えていては進歩もないような気がする。

そうは言っても
Little by little I'm starting to understand English.
本日勉強なし。車中でCD聴いて、帰宅後にわずかに瞬間英作文をしたのみ。また週末頑張ります。

とりあえず自分はTOEICを受ける予定があるのだから、そこで点数を取れるように対策を始めたほうがいいのでは、とやっと気付く(今頃)。公式問題集でも手に入れて慣れておいたほうが良いだろう。
3時間1分。瞬間英作文のみ。少し前に買っておいた『スラスラ話すための瞬間英作文シャッフルトレーニング』森沢 洋介を始めた。シャッフルされた文型の日本語文を英語に訳していく。『Data Base』の時にはほとんどなかった疑問文も多く含まれていて、とても良い頭への負荷となりそうだ。年内に一周したい。と同時に今までの復習も並行していこう。

学習の対象としての英語から、使う・楽しむためのものとして移行して行きたいので、少しずつネットで英語のページを読むようにしている。主にTwitterなどで知った面白そうなページをその都度お気に入りに入れておいてたまに覗いているのだが、下のリンクはそのブログのひとつの記事で今日読んだものだ。短期間でいくつもの言葉を覚えていっているという方のページだ。

『How to make time if you are too busy』

そんなにたくさんの外国語をいつ勉強しているのか、といつも聞かれるというブログ主がその質問に答える形となった文章だ。細切れの時間を上手く活用しているようで、これを読んで自分ももっと時間を活用しなければと思った。

先日読んだ『言葉が足りないとサルになる』岡田憲治 の中に国語教育について述べた文があった。内田樹の論をひいてかかれているのだが、今の教育では「心の中にあるさまざまな思い」を「いま知っている言葉で表現してみましょう」と導いて言語表現能力を向上させようとしている。それが無意味とは言わないまでも、逆のプロセスでおこなってみてはどうか、というものだ。意味を完全日本理解出来なくても、とにかく大量の言葉を頭に詰め込み、その生徒が成長と共に「ああ、あのとき頭に入れたあの言葉はこういう意味なのか」と遡及的に気付くことの大切さを主張している。つまり、「思い」を「言葉」へ昇華させるのではなく、「言葉」が人間の心や誠心を「形成させる」という、いま成されている順序とは反対のやり方だ。

”豊饒な表現ができるようになるために、とにかく洪水のような「気持ちの言語表現」に触れることが大切ではないでしょうか。「そこはかとなく漂う寂寥感」とか、「後ろ髪を引かれるような気持ち」とか、「忸怩たる思い」、「頂門の一針を受けたような衝撃」といった表現を、「はい、黙って覚えようね!」とやることではないかと思うわけです。”(前掲書 p.112~113)

と、丸暗記の効用を説いている。幼い頃に意味もわからずに漢文の素読をさせられ、何度もするうちに頭に入ってしまい、成人後にようやくその意味するところがわかった、とする教養人は多い。何もこれは、国語についてだけではなく、外国語を学ぶ際の態度についても同様の事が言えるのではないかと感じたのだ。

外国語学習は経済学になぞらえることができる。どちらも少ない資源をいかに有効活用するかが重要なのだ。つまり、少ない語彙でいかに多くのことを表現できるかということだ。単語学習のみに時間を割く必要はなく、未知の単語に出会ったときに初めてそれを調べて行けばよい、頻度の高いものは覚えようとしなくとも何度の出てくる事で自然と頭に入ってしまう。まだ現れてもいない数限りない無数の単語を覚えることに時間をかけるのは無駄である、とする考え方もある。

確かにそうだとも自分も思っていた。出会ってもいないし、表現しようとも思っていない単語や言い回しを時間をかけて先回りして覚えるよりは、読む文章に出てきた時に、あるいはある表現をしたい時に調べて使えばいいのでは、と。頻度の高いものは何度も現れるわけだし、使いそうもないこと覚え続けても時間がかかるだけだ、と。

けれどこの部分を読んで、そうとも言えないなと考えるようになった。あらかじめ様々な表現や単語を頭にのなかに入れておくのだ。そう「はい、黙って覚えようね!」と自分に言い聞かせて。やはりオーソドックスに、こつこつとその言葉の世界での既知の部分を広げていくことが、言葉の獲得という事になるのだろう。

さて、今日はiTunesで『ソルト』をレンタルしてみた。二日間は何度でも観られるとのこと。カーチェイスや格闘シーンも迫力があり、ストーリーもどんでん返しが続いて面白かった。英語も聴き取れる部分がある程度あって、その意味でも楽しめた。もう一回くらい観られるだろうから、その時は字幕を見ないようにして(消すことが出来ないので)英語に集中して観てみたい。先日購入した『インセプション』も二回目を観ているところだ。これも、映像が奇抜でとても驚かされる。いい買い物をした。
本日も勉強なし。年末にかけて仕事が忙しくなってきている。年末年始に出なくてもいいように、今やっておかないと。。

車中で聞き始めたCDだが、少しずつわかる部分が増えてきている。エンドレスで繰り返しかけているのですでに何度か通して聴いたのだが、同じ部分を聴いても理解度が上がってきている。ほんの少しずつだけれど。これを買った数年前にCDのスクリプトと日本語訳に目を通した事があったので、それが頭に残っているということが大きいのだけれど。細かいフレーズなんかはもちろん覚えていないが、何の話をしているのかといった大まかなものが記憶にあるのでそのせいだろう。それにしても、繰り返しが重要な事がわかる。たくさんの音源が入っており、色々な声で話される英語を聴くことで英語に対する自分の耳が広がっていく様な感じを得られる。低い声、高い声、早口な人などなど。自分ももっと低く響かせる様な音を出せるようになりたい。意識しないと、口先だけで発しているような音になってしまうのだ。何だか、話す内容と同時にそれを発言する時の声質も重要であるような気がしてきた。日本語以上に英語の場合。

最近、勉強は時間がないといってしないくせにiTunesはiPadからチェックしている。毎日どんどん映画のレパートリーが増えてきているようだ。今日見たら短編映画や年末年始特集のコーナーも出来ていた。短編映画では面白そうなものもいくつかあった。短いだけに料金も安い。そのうち実験映画や、新人無名監督の作品なども大量に見られるようになるのだろうか。ますますこれが語学に使える、と思えてきた。

もともと映画をDVDで観る時もデスクトップPCで観ていた位なのでiPadで観ても、確かに画面は小さいが、それほど文句はない。さすがにiPhoneで観ようとは思わないが。作品数が増えたらもっと魅力のあるものになるだろうな。
本日も勉強なし。

車の中で聴いているのは数年前に買った『English Journal』の付録CD。ハリウッドスターのインタビューなどが収録されているが、ほとんど聴き取れません。早さのせいもあるが、単語もわからないものばかり。ここに至るにはまだ段階を踏まないとだめだろうか。それとも、もうこれを繰り返し聴いて行けば理解出来るのだろうか。そうするとしてもただ聞き流しているだけでは理解できそうにない内容だ。IC RECORDERなどで細かく聴き取っていかないとならないかも知れない。

それから、単語学習についての考えがちょっと変わってきた。今すぐにボキャビルに手をつける気はないが、今後始めるであろう単語学習についての考えだ。先日読んだ本に日本語学習(国語の授業)について書かれていて、読んで少したってからジワジワとある考えが湧いてきた。読書による、こういった思考の醱酵現象のようなものは面白い。これが積み重なって、色々な考えが自分の中に生まれてくるのだろう。読んだ本同士が頭の中で関連を持ち始め、繋がることもある。まさに、シナプスが手を結んでいくようだ。

内容については、また次回。今日も、もう寝る!