studio7の映像実験室 -7ページ目

今は自分が何か言うべきではない

 ネット上には様々な方々…被災した方や救援復興に携わっている方及びその関係者がブログやツイッターなどで情報を発信している。
 それ以外の、つまり私のような「生活に影響はあるが“被災”はしていない人」も、マスコミ報道その他の情報から判断して感想や現状分析に関するブログ記事をアップしているケースも多いようである。

 自分自身に関して言えば、一連の災害について何か記事にしたい気持ちはやまやまなのだが、正確な情報を提供できる立場には無いし、感傷的な記事や憶測による記事になる危険性があるため、敢えて沈黙をすることにした。

 被災地の皆さんに送りたいメッセージもあるし、福島などからの電力供給に頼ってきた東京都民として色々な思いを抱えてはいる。
 ただ、そのメッセージは必ずしも被災地の方々の応援になるかどうかという自信も無く、また都民としては単なる言い訳にしかならないのではないかという気がする。

 「支援」という言葉を使うことにも抵抗を感じている。
 なんだか他人事として傍観しているような言葉のイメージが(自分の中では)ある。
 「一緒に頑張りましょう!」と言える状態になれば良いのだが、現状では「被災地の皆さん、復興にあたっている皆さん、頑張って下さい」と祈り、“お願い”するしか無いという非力さを感じる。

 今、「思い」は「形」にしなければならないと思っているものの、義援金や(首都圏機能を維持して救援対策を滞らせないために、という気持ちで)節電を心がけているくらいしか出来ることが見当たらない。
 そんな自分に何か具体的に語る資格は無い。


 一方で、福島の知人から…
「・・・もしや例の映像(=『チビセブンファイト』)制作が今般、自粛しているのであらば、
それは私的には非常に残念です。
この件に関しての私の寄せるコメントは少ないかもしれませんが、
ファンのひとりです。
にやけているひとりです。
ユル~い姿勢を信条とするstudio7さんには酷かもしれませんが、
どうか使命感を持って制作に望んでください」
…とのメッセージをいただいた。

余震が収まり、原発の状況が収束すれば制作を再開したいとは思っている。
私(たち)、エンターテインメント系の人間がその力を発揮できるのは日本が笑顔を求める時期に入ってからのことだと考える。

 結局色々書いてしまったが、情報の混乱を避ける意味も含め、当面はブログ記事の更新は自粛したいと思う。

東京電力 輪番停電(Yahoo!ニュースよりコピペ)【情報削除】

さきほどコピペした情報と異なる情報があることが判明しましたので、混乱を避けるために内容を削除しました。
同時に、いただいたコメントも削除させていただきました。
申しわけありません。

どうして我々の映像制作はそんなに時間がかかるのか

 どうもその、予算はかけないのに時間だけはかかるんである。

 これは、私以外の主要スタッフというのが、とてもとてもあんなゆるゆる映像を作っているなどとカミングアウトするのがはばかられるくらいに社会的地位が高い人たち…なのかどうかわからないが、それぞれに本業が忙しくて全員が集まる時間を作るのが難しいというのが原因のひとつ。
 
 そして、お約束として海岸でのバトルシーンの撮影は、海岸に人出が少ない時期&時間を選ばなくてはならないこともある。
 主役の“チビセブン本人”は海岸を散歩する人たちに手を振るという余裕をかましているくらいだし別に「恥ずかしいから」というわけではない。単に、イイ歳こいた大人が怪獣ごっこをやっているのが通行人の邪魔になるからというだけのハナシである。
 結果として「暖かくなる直前」か「寒くなる直前」という季節でないと撮影が難しい。…この調子で毎年撮影していったら、あの海岸の季節の風物詩になるのではないか。「そろそろチビセブンが来る時期だね~」とか地元の人が噂をしている…って、渡り鳥かよ。
 美術監督兼ロケ地コーディネーターには海岸を買い取ってプライベートビーチにするように頼んであるのだが、本人は海岸よりもレゴのコレクションをしたいらしい。


 で、制作に時間がかかる最大の問題は、無駄なコダワリにある。
 「今回もまた例の海岸で…」と話していたら、鬼プロデューサーKが「え~~~っ? またあそこですか? 今回は趣向を変えて別の海岸にしませんか?」と。
 どうせ怪獣ごっこの撮影しかしないわけで、どこの海岸だろうが全く“趣向が変わった”映像にはならないのだが、それを承知でそんな提案をしてくるわけである(この提案はボツになった)。

 ベクトルは異なれど、スタッフ全員に共通する“無駄なコダワリ”の根っこは同じ。
 「こんなゆるゆる映像のために、そこまでやるか?」ということをやりたいんである。

 つまり、我々がやっているのは単純に映像を完成させることではなくて、映像を作る作業トータルでのパフォーマンス活動なんである。ちょっとアートだな(←違う)。

 
 私の分担は、そのパフォーマンスの映像化作業。

 これまた私なりに“無駄なコダワリ”を持っている。加えて実作業が伴うので制作期間に非常に悪い影響を及ぼす。

 何にこだわっているかというと、オリジナリティ…ではない。その逆で、「ありがちな映像」っぽくすること。

 ちょっとマジに言っちゃうと、我々のような素人が画期的な映像なんて撮ろうとしたら、非常にわかりづらい作品になる危険性がある。「ありがちな構図」「ありがちなカット割り」「ありがちな音楽」…というのは、わかりやすいわけである。

 そもそも、チビセブンのマスク(類似品として“ウルトラセブンのマスク”が市販されているw)と、美術監督が作る宇宙人や小物以外、セットも無いし現場での仕掛けも無い。これといった設定も無く海岸でチビセブンと宇宙人が戦っているというのは、考えようによっては実にシュールな光景である…やっぱりアートだな(←だから違うってば)。
 だから余計にわかりやすさが求められる。

 また、ちょっとしたデッサンでも額縁に入れると立派な作品に見えることがある。
 子どものお習字でも、掛軸にでもしたら名のある書家の作品に…見えるかもしれない。

 我々の映像というのは、デッサンどころか落書きである(それが誇りでもある)。が、それを「ありがちな映像」というフォーマット…言うなれば表装をすることで何となく作品っぽく見える、のではないか。
 私個人の作業は、経師(きょうじ)…正式には「(ひょうほえし)」と言うらしい…とか、額縁職人みたいなもの。
 それがまた、実作に携わったスタッフにしかわからないネタを仕込んだりして…額縁の裏側に妙な仕掛けをして喜んでいるようなもので、まあ、無駄に時間がかかるわけである。


 困ったことに、今企画を進めている作品はプリ・プロダクション(撮影前の準備)に時間がかかる。
 それが主に私の分担。

 これがどういうことかというと、事前資料や素材などに妙に凝る危険性が高い。額縁どころでは無く、スタッフ以外誰も見ないものである。


 実は、私の最大の喜びってのは(もちろん沢山の人に完成作品を観ていただいて、なおかつ誉めていただければとても嬉しいのだが)、他の三人のスタッフにウケることなんである。
 前のブログ記事で「世界市場狙い」とか書いてしまったが、私個人レベルで言うと「三人市場」という実に狭いターゲットなんである。
 私の分担で時間がかかるのは、ひとえに“そのため”だったりする。

 
 そんなわけで、今も超内輪ウケを狙って準備作業段階。
 凄く時間がかかるんである。

『チビセブンファイト』世界征服計画

 中途半端な数字だが、YouTubeでの『チビセブンファイト』シリーズ再生回数が8,641回を超えた。

 『チビセブンファイト 第一話』が3,848回、『チビセブンファイト THE MOVIE』が1,132回、こまごまとした予告篇の再生回数を合計すると8,641回になる。
 例によって、YouTubeでこの程度の再生回数なんて大した数字ではないことは承知の上。半分くらいはスタッフ自らが閲覧した回数だったりするかもしれないし。
 とは言え、もともとが30人程度の仲間内に向けて作った映像群である。
 この手の映像を上映会だけで発表することを想像すると、8,000人に観ていただくなんて不可能。
 凄いですね、YouTube。

 そして以前もこのブログに書いたように、アメリカの方から同作に対するコメントを頂いている。

 我々は、調子に乗ったぞ。


 次回作、作ります。


 当初は、ある自主制作映画の上映会に向けてサクっと作るつもりでいた。

 が、鬼プロデューサーが「何ぃ? そんな小さな上映会のために動けるかよっ! 我々がターゲットにする市場は、世界だ! ワールド・ワイドだ! グローバルだ! カンヌに行くぞ!」と言い出した。
 …いや、言ってないような気もするが、そんなオーラを感じた。

 プロデューサーの一人は自分でもYouTubeのアカウントを取って自ら撮った映像をアップしている。
 マジで世界を狙ってるな、と思うわけである。
 この映像については、近々にプロデューサー本人からアナウンスがあることだろう。


 そんなわけで、新作は世界に向けて発信し得る内容にするという方針が決まった。

 これはどういうことか。
 過去作品では実況風のナレーションで状況説明をしてきた。もちろん『ウルトラファイト』に倣ってのことである。
 しかし、コメントをくれたアメリカのチビセブンファンは日本語はわからないらしい。それでも面白がってくれたわけであるからして、ひょっとして我々は「絵(動き)だけで見せる」だけのポテンシャルを秘めているのではないか。その辺を前面に出した作品が作れるのではないか。

 また、もともとのターゲットである仲間内というのは、ウルトラマン(シリーズ)のファンというつながりである。
 我々は観てくれる方が当然に持っているであろう「ウルトラ教養」に頼って作品を作った。逆に言うと、「ウルトラ教養」を持たない人が観ても何のこっちゃわからんだろうと。
 ところが、「ウルトラ教養」が無い人たちにお見せしてみたら、意外に面白がってくれたんである。しかも、見せた相手は“プロの自主映画制作集団”の面々。
 これまたひょっとして我々は「万人受けするスラップ・スティック・コメディ」を作る才能にあふれたチームなのではないか。


 こうした大きな勘違いをパワーにして、現在具体的な企画に入っている。
 
 完成目標は、2011年の秋。

ギャグの作り方(その2)

 ギャグ…というか、笑いを生むきっかけの一つは「意外性」にあると思っている。

 「Aだと思ったら、実はBだった」というのが一番簡単な構造ですな。

 これは、ギャグだけでなく、恐怖や安堵感や悲しみといった人間の感情を動かすわけである。

 「消化を助ける薬草だと思ったら、実は人間を溶かす薬草だった」
 …これは落語の『そば清』だが、笑いとホラーを兼ね備えている。

 「父を殺した敵だと思ったら、実はその敵こそが父だった」
 …アナキンとルークの親子。

 「主人公が危機一髪だと思ったら、実は助かる道があった」
 …ほとんどのアクション劇がこれで、そういう展開だとわかっていながら観客はホッとしちゃう。

 「母親は人間だと思っていたら、実はヘビだった」
 …楳図かずお作品がトラウマになった人も多いらしい。

 「隣の空き地に囲いが出来たと思ったら、実は塀だった」
 …わけがわからん。


 こうした意外性は、対観客(読者)というケースもあるし劇中のキャラ同士のやりとりというケースもある。
 だが、作っている本人が「え? こういう展開になっちゃうの?」と感じることで物語なりギャグなりに意外性をもたらすこともある。

 我々のプロジェクトである一連の『チビセブンファイト』作品は、まさにそんな感じで進んできた。

 ミーティングでは全員が無責任にネタを出し合う。ネタがネタを呼んで、もう何のハナシだかわからなくなってきたりもする。そんなネタを1本の作品にまとめようとすること自体に無理があるだろ、とヒィヒィ言いながら絵コンテを作っていくと、わりと自然に「そう来たか!」という展開になる。そのノリをみんなして楽しみながら作ってきたのである。

 これを感じたのは、“次回作”のネタを何となく思い付いたときだった。
 ちょっとしたシーンについて、ネタと構図とカット割りと撮影方法と入れるべき音が同時に思い浮かんだ。
 …予定調和に陥っちゃうんだよな。
 
 だから、そのシーンも敢えて絵コンテに落とし込んだりせずに、ネタ出しミーティングに臨むことにした。

 のだが。

 今回、私の都合で撮影やポスプロのスケジュールがシビアである。
 そのあたりも含めて、メンバー全員が「見えている」状態になっている。善くも悪くも慣れてきたわけである。
 「それは撮影が大変だ」とか「そのネタだと、広がり過ぎちゃう」とか、リミッターが効いた発言が出るようになった。

 ただ、幸いにして“次々回作”の構想も出た。
 「そっちは、ネタを詰め込みましょう」というハナシになった。恐らくネタの暴走が再発してくれるであろうと思う。

 ん~、まだ作ってもいないくせに“次回作”よりも“次々回作”の方が楽しみな気もする…(^^;

 まあ、ギャグってのは、そんなノリなんでしょうね。