東日本大震災チャリティーコンサート
東北地方に慰問に行きました
復興へと力強く歩む姿に心打たれました。
しかしその陰に親を亡くし、友を亡くし、家も愛用の楽器さえも失い、心に傷を負い立ちすくむ子供たちの存在を知りました。
そこにかつての私の姿を見たのです。
今、私に何が出来るか・・・
私が周りの方からしていただいたことをしよう。
音楽に出会う事、そして自らもそれに参加して演奏してもらう。
そこには必ず奇跡のようなエネルギーが宿る、と私は信じます。
「東北レクイエム」をささげました
音楽好きだった女の子への手紙もお供えしてありました
音楽家として出来ること、
出来るだけ多くの方に心の糧となる音楽に触れていただこうと思いました。
私のザルツブルグの友人で音楽療法の世界的権威者ペーター・フィーデルスベルガー博士もこの活動に賛成してくれました。彼はユネスコからの派遣により、ベトナム戦争後の子供たちの精神ケアーを行った人です。
私の活動を応援してくれることになりました。
先ず東京でチャリティーコンサートを開くことにしました。
11月13日東京・杉並公会堂大ホール 19:00 から開演です。
入場料はS席:スーパーチャリティーシートは5000円で一般席は無料です。(入場整理券が必要です)当日募金をお願いいたします。
皆さまぜひいらして下さい。
《演奏曲目》 G線上のアリア モーツァルト:ソナタ KV301 ブラームス:ヴァイオリンソナタ第3番
ユルゲン・ヴォルフ:東北レクイエム(この曲については別の日にご説明します)
東北地方のうた「荒城の月・とんぼのめがね 等です
お問い合わせは 03-3399-0184(東北チャリティーコンサート実行委員会)
e-mail studio-to2@nifty.com まで
収益金により石巻市遊楽館で激励コンサートを開きます。(2012年 3月3・4日)
そこには今回の地震の中、奇跡的に無事だったすばらしいオルガンがあるのです!!
バッハフェストでの共演者 ユルゲン・ヴォルフさん(バッハの17代目後継者)が演奏に来てくれます。
地元の方は皆様ご招待です
こちらのコンサートもよろしかったらいらして下さい。
詳しくは後日。
奇跡的に壊れなかった遊楽館のオルガン
この向こう側のアリーナには家を失った方々が避難して暮らしていました。
バッハフェストのご報告 1
今年の春夏は本当に大忙しでした。
第2回目のバッハフェスト出場が迫り、その時のメインの演奏曲「パルティータ第2番シャコンヌ付き」を納得の行く形で演奏したい、と大格闘をしていました。
今回は地震の被害の情報を知る度に何か音楽家として出来ることはないか、と考え込んでいました。
以前よりシャコンヌの一フレーズごとにヨーロッパにいるときは教会にある聖人像の表情を、そして日本にいるときは仏像の表情をあてはめる、という試みを行っていました
「救い」というテーマを持つようになりました。
実はこの春、誰にも会わずに只一人しばらく京都にこもっていたのです。
たくさんのお寺をめぐり、仏像の目の表情、指一本一本の表情、そして手にする様々な道具・・・。
そしてシャコンヌの最後は・・・「無」をあらわすD(ドレミのレ)の音、長調でも短調でもないDのみの音、と解釈しました。
私のバッハフェストで弾くシャコンヌはこのように作られて行ったのです。
チャリティーコンサート
東日本大震災の被害に遭われた方々に謹んでお見舞い申し上げます。
私も東京の自宅にいたので強いゆれをを感じ、防災ずきんをかぶって外にでました。
只、10年ぶりくらいに出したので、ほこりだらけで鼻水とくしゃみが止まらない状態でした!
幸い私の周りは、たいした被害はなかったのですが後に、報道で津波や原発の被害を知り、ここまでのことになっているのかと驚きました。
過去にも四川やスマトラ沖の地震等、多くの天災の被災者の方々の声を聞き、私の精いっぱいの支援をしたいと思い、本当に微力ながらさしていただいています。
今回の震災は同じ日本人として、心の底から痛み入ります。
特に、親を亡くしてしまった子供たちを何とかして救いたいです!
私が父を亡くした時、この先どうやって生きて行くのか、途方に暮れてしまいました。
しかし、その時とても運よくバッハの音楽にふれる機会があり、立ち直ることができました。
被災地の子供たちにもぜひ音楽にふれてもらいたい!
4月23日:熊野 4月25日:紀州田辺 4月29日東京、杉並公会堂でコンサートがあります。
これらのコンサートの収益金で被災地の子供たちに楽器(音楽室にあるタンバリンやカスタネット等も流れてしまっているそうです)を送り、一緒に合奏をしたいです。
もちろん、即、というならば食べ物や水等、必要なものがあるでしょう。
しかし、それらが配給された後、自分の状況を見つめなおせるときが、もっとも怖いです。
私は父が亡くなった時、すぐはお葬式や何やらであわただしく、すごせてしまいました。
しばらくのちに、何故こんなことになったのか、なぜ私だけがこんな目に会うのか、どうやって生きて行けばいいのか、とても耐えられない思いでした。
その時に私にはヴァイオリンという音楽があったのです。
今、未来が見えなくなってる子供たちと一緒に、日本の未来を見すえられるように、こういう時だからこそ、音楽家としてできることをやって行きたいです。
そして聞くだけでなく、一緒に音楽を奏でて、生きる喜び、希望、素晴らしい未来を感じてもらいたいです。
風邪
今朝からなんだか寒いなと思っていたら急にゾクゾク
と来てしまい熱を測ったら40度近くありました
ハイドンの合わせがあったのですがお休みにしてもらいましたごめんなさい
頭がいたくてボーっとして こんなときこそ音楽です
ベートーヴェンのカルテット、スメタナカルテット演奏のを聞いてました
モーツアルトのシンフォニーもいいですね プラハ・ジュピター・・・いろんな人のをボーッとしてただただ聞くとも眠るともつかない状態で何時間いたことか
今は・・・少し元気
それでパソコンに向かって皆さまにご報告しています
先週は色々な方とお会いできてとても嬉しかったたくさんの事を学ぶことが出来て充実感を持って過ごしました
お母さんに「知恵熱かもしれない」 て言われました
やんちゃ和尚 講演会に感銘
京都で「こころ」の会の講演会におさそいいただきました。
やんちゃ和尚で有名な西居院ご住職廣中邦充師の講演があるそうです
住職は10年前から問題や悩みを抱える子供たちをお寺に引き取り、一緒に暮らしながら400名以上を更生させた方です
この日は「ありがとう」の心を持つようすすめられました
日本の各界のトップで活躍されている方たちがズラリなのです
さぞやお忙しいであろう方々が「こころ」の問題をこんなに大切にして下さっているのだ
と嬉しくなってしまいました
私も「こころ」を大切に、いろんなことを学んで誰かの役に立つ音楽家になりたいと思います。
「いつかごいっしょに何かやりましょうね」 と誓い合いました
東西イノシシ対決 「丹波のぼたんはvsミラノのチンギオリ」
打ち合わせのため京都に行きました
今日の京都はとても冷え込み、急にぼたん鍋が食べたくなり、ぼたんといえば丹波に来てしまいました
ありました、ありました
イノシシ鍋の出る温泉旅館
先ずは露天風呂で 体中ホカホカ
至福の時です、野性味ある脂味を京味噌がマイルドに仕立てて
日本の山の味
そういえば前に訪れたミラノのイノシシ(チンギオリ) やはり山の味でした
でもこちらは強い 口の中で突っ込んでくる
お店の人が勧める強めの赤ワインでようやく調和
私は最初「チンギオリ」が分からなくて「What?」てきいたら、お店のお兄さん「ポーク・フリーフリー!」
とイノシシのまねをして見せてくれた 自由な豚
辞書をひいたらイノシシでした
どちらがおいしかったかですか・・・
寒さの中、風呂上がりに食べるなら断然 丹波の牡丹・・・かな
ちなみにこの日に合わせたのは地酒の「おきなづる」
これがまたマイルドに口を包んでくれるのです
でも又「ポーク・フリーフリー」にも出会いたいなあ と懐かしむ私です
バッハの名曲でも売れないことが!!!(有名人ガッカリ集)
今日は売り上げが伸びなかった
今期の販売数は昨年の何割ダウン
最近良く聞かれる言葉ですね
出世街道を歩んだ、と思われているバッハもそんな言葉をつぶやいていたであろう時期もあったようです
今では名曲として有名な「フーガの技法」気合の入った曲なのですが、その曲が出版された時、何部売れたと思いますか
なんと・・・わずか30部
銅板で印刷したそうなんですけど、銅の方がまだ価値があるということでつぶしてしまったそうです
その後250年の間にどれだけ売り上げが伸びたことか・・・
いい物は強い これが私の“MY信念”です
ちなみに私のデビューCD「シャコンヌ」、発売と同時に即バッハの出版より売り上げが多かった と思う事にして日夜がんばってます
私の入魂のシャコンヌ、なかなかがんばった跡があると思うんですけどよかったら聞いてみて下さい
バッハも試験に落ちた!?☆
今まさに受験シーズンですね
試験は実力も必要ですけど時の運も大いにありますよね
バッハも当時東ドイツで有名な音楽家ではあったそうです
しかしライバルもいました
バッハが死ぬまで28年間勤めたライプツィヒの音楽監督の座はこの職の最高峰の座です
あるときその座を得るべきチャンスが訪れました
バッハはさっそく応募したのですが・・・
結果はボツ
ナナなんと人気者テレマンに敗れたのです
バッハに勝ったテレマン
しかしテレマンはハンザ同盟都市ハンブルグに行ってしまったためライプツィヒの音楽監督(カントル)の座がまわってきた、というわけです。
そこで実力を駆使してマタイ受難曲、ヨハネ受難曲、ロ短調ミサ曲など続々と名曲を出し名声をあげて行ったのです
試験に失敗したからと言ってめげてはいけないという例ですね
ちなみにバッハフェストでの我が共演者 ユルゲン・ヴォルフさんも若くしてこの座を得た天才です
バッハフェスト応援して下さいね
バッハはどんな人?
バッハフェストも近づき、私はバッハの曲の研究と並行してバッハの人間像を研究しています。
生涯に20人の子供を設け、65歳までの人生を音楽にささげています
当時としては長生きな方ですね
熱心なクリスチャンですが宗教の曲ばかり書いていたわけではないのです
例えばコーヒーカンタータ
この曲は「コーヒーばかり飲んでいるとお嫁に行けなくなっちゃうよ」 という面白い曲
原作では「それは大変、私コーヒーをやめてお嫁に行きます」になっているのを「やっぱりコーヒーはやめられない実家に帰ってコーヒーを飲むわ
」とバッハが筋を変えて作曲してしまっています
ライプツィヒにあるバッハ像は上着のポケットが裏返って外に出ています
これはいつもお金は空っぽという意味だ、と聞いたことがあります
これが有名なバッハ像です
この向かい側にバッハは住んでいたのです (家にも入れるんですよ)
子供がたくさんいた割に広いとは言えない家です
バッハの足元に子供が這い這いをしていてその中で作曲をしている絵を見たことがあります
そんな環境でもああいう素晴らしい曲がかけたんですねー
収入はというと今のお金に換算は難しいのですが年収で200万円位
というので決して裕福ではないですね
家族に「バターを使いすぎるな」といったりしてたそうで・・・だんだん近しい人
という気がしてきましたね
・・・・・・つづく