次にやってきたのは、
土盛海岸のすぐ近く
『奄美市歴史民族博物館』
奄美群島で二番目に古い展示施設です
(一番古い展示施設はどこだろう…)
笠利町の東海岸はサンゴ礁が発達し、
先史時代遺跡が集中的に分布している地域
奄美群島が日本復帰した直後の
昭和29年(1954)に行われた
宇宿貝塚の発掘調査を始まりとして
約40年間にわたる発掘調査資料を
保管、展示している施設です
入館料200円/人
考古資料展示室
旧石器時代から中世までの出土資料を
年代順に展示しています
珊瑚礁で造られている仏像♪
こちらは石製の仏像
ウーバルグスク遺跡で
発掘されたサイコロ(15世紀前後)
奄美で初めて出土したサイコロなのですが
なんとジュゴンの骨で作られています!
宇宿小学校遺跡で出土した貝製品
貝の加工装身具は九州との
交易の目玉商品だったとのこと
食べてもおいしい夜光貝♪
ここで実食!
奄美諸郡の歴史を語る上で無視できない
『黒糖地獄』の解説が分かりやすかった
琉球王朝や薩摩藩に支配された
歴史がある奄美諸島ですが、
特に薩摩藩の支配下だった時代を
「黒糖地獄」と呼びます
薩摩藩は、これまで米だった年貢に代わり
当時高価だった黒糖で代納させることに…
さらに1830年からは生産した黒糖の全てを
薩摩藩が買い入れする制度「惣買入制」を
復活させ黒糖を独占します
薩摩藩は自身の財政難を救う切り札として
奄美の人々に黒糖生産を強制し
生産が追い付かなくなると
島民の唯一の食糧だった
サツマイモ畑のほとんどを
サトウキビ畑へ転換するよう命じます
島民は黒糖の生産を優先せざるを得なくなり
自分たちの日々の食糧すら生産できず…
隠れて砂糖を売れば死罪、
サトウキビの切株が高いと厳罰、
砂糖を舐めればムチ打ちなどが科されたほか、
金銭の流通を禁止し、生活必需品は藩が
一方的に定めた不当な値段で砂糖と交換する、など
島民を苦しめ続けた時代…
これが“黒糖地獄”です
もちろん取り立ては厳しく、江戸時代にはなんと
島全員が黒糖関連の仕事に従事していたとか…
主食だったサツマイモが生産できなかったので
(サトウキビ畑に転換させられていたので)
サトウキビ畑にならなかった急斜面の山に
6万本の蘇鉄を植え、ソテツの実(なり)を
毒抜きして食していたそうです
なんてことだ…、薩摩藩めっ!
そういえば、あやまる岬に
ソテツの群生地がありましたが
それもこれが理由だったのかな…
民俗資料展示室
戦前に使われていた古民具など
貴重な資料を展示しています
フタツメガネ(名前がかわいい)
今でも使われている箱メガネの昔バージョン
島なので、やっぱり海系のものは外せません
糸芭蕉の繊維を用いた糸
高級品です!!
首飾り『玉ハベル』と『玉ガーラ』
ノロが神事を行う際に身に着けます
ノロについてはここで学習済
外にも展示品がありました
ノジュールとはなんぞや?
ノジュールとは、地質体中に見られる、
周囲と成分の異なる塊のこと
このノジュールは、地層のズレによって
泥と鉄分が一ヵ所に集まって出来た塊です
通常、ソフトボールのサイズらしいけど
ここに展示されてるのは巨大でした!
サンゴ臼
野ざらし状態なので、ちょっと心配になる(笑)
小さい博物館でしたが、見どころ満載で
奄美について勉強にもなる場所でした!