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ブログタイトル考え中。

年間360日は反抗期。世の中の疑問、質問、悶々を書いていきます。
自分の好きなジャンル(メンズファッションやJ-POP)でも容赦しません。
お世辞や愛想の「いいね!」やコメント要りません。
つまり、いい子にはなりません。

最近、考えていることを。

ここに例えば、
「サラダを食べるのは健康的である」
という命題を仮定したとして、

これを理論的に立証、ないし反駁することは可能だろうか?

例えばポテトサラダなんか、(売られているものは )じゃがいもをマヨネーズで和えたのに、申し訳程度に人参を混ぜたものが主で、
一緒に入ったキュウリなんか言うまでもなく栄養価値はほとんどない。

もしかしたらハンバーグの付け合わせたるゴロリとした人参やブロッコリーのほうが栄養価値が高いかもしれない。

いわんやサラダをばかり3食続けるのが健康的であろうはずがない。

…ま、結論を言ってしまえば「バランス」ってことなんだろうけど。

肉+肉だったのを、肉+サラダにしてみる。これで初めて、健康的である。



そんなことを5年くらい前から漠然と考えていたら、
去年か一昨年、コカ・コーラのからだすこやか茶か何かのCMで、
「ラーメンだかチャーハンに、健康を考えて付け合わせたポテトサラダ、
それも結局、脂肪と糖」
みたいなCMを流してくれて、
あー、やっぱりそうなんだ。
と思った次第。

だからどうした、という程度の話ではあるのだけれど。
と言っても、深煎りアツアツのマジなコーヒー論議ではなく。

青森県津軽地区のシンボル、岩木山。
それを間近に臨む弘前市役所近くに、昨年の今頃でしたか、弘前市初(!)のスターバックスコーヒーがオープンしました。



ナントカっていう歴史的重要建造物の中を改築したとのことで、たしかにレトロでいい雰囲気。



そーいえばこの年は、青森県内にセブンイレブンや“てんや”が初出店した年でもありました。(^^)

ついでながら、私は弘前駅周辺に勤めていますが、スタバが駅ビルもしくはその周辺にできないあたりが、弘前の田舎具合を表してますなァ、と。( ̄ー ̄)
(青森市は、駅ビルにスタバが入ってます)



↑ お土産物もの屋さんがメインの駅ビルと、遮るもののない真っ青な空…。

駅から市役所までは徒歩で約20分。
私も福島の育ちなので決して都会ではありませんが…、しかしスタバに車で行くか!?と。((^^;


…さて。ここからが本題。

皆さん、スターバックスコーヒー…、美味しいですか!?!?

厳密に言えば「スターバックスのコーヒー」を美味しいと思われますか??


私はそうは思いません。濃いだけで、深みも何でもない。ソイ・ラテは豆乳の臭みが残る。
(ちなみに個人的にはタリーズ派です)

私は父とは色々意見が合わないのですが、
「スタバは以前より不味くなった」
という一点のみにおいては、見解を同一にしております(笑)


ではスターバックスの何が人気かと言えば、ご承知のようにフラペチーノや何かでしょう。

試しに「♯スターバックス」で検索すると、出るわ出るわ。フラペチーノの画像(笑)
期間限定とかもあるしね。
私は一度も飲んだことがないので、もしかしたら美味しいのかもしれませんが…。

そもそも「スターバックス」で検索したら、当のスタバのページのトップ画像がコーヒーやラテじゃないです(笑)
   ↓  ↓





以前に私に同意した部下が、
「スタバってコーヒー屋じゃないですよ」
と言ってるのを聞いて、成る程、言い得て妙だなと思いました(-ω-)/


ただタリーズと違い、ポーションではなく小さなステンレスポットに入ったミルクが備えてあったり、
ダーク・ブラウンを基調とした内装の落ち着きは、皆さんご存知の通りかと。


邪推をするのであれば、ミルクポットもブラウンシュガーもローファット・シュガーも、
 “演出”
なのではなかろ~か…、

…そう。スタバは、美味いんじゃなくて、上手いんです!


日本人をまとめて語れる程に偉くはありませんが、特に日本人は“雰囲気”に弱い(酔う)のかもしれませんね。


でも「藍より青し」とは言え、コーヒー屋が出したフラペチーノがヒットするのァ構いませんが、本家のコーヒーが不味くなっちゃダメだよなァ…(*_*)


ところで、先日ご紹介しましたギャルソンのシャツ…、
 「お洒落か?」
って言われたら、…そーでもないと思います。笑



デザインらしいデザインや色遣いもなく、こないだ書いたパッカリングくらい。


ですが、そもそも往々にして、特に男性のファッション好きって、自己満足的な意味合いが強いと思いますし、

それを承知で私見を書くなら、このシャツには

 「味わい」

がある。


もちろん全てのギャルソンの服に、という訳ではありません。ものすごく自己主張が強い服もある。


「味わい」――、

ディーゼルとか、一時期のD&Gのような、ダメージ加工のジーンズとも違うんだよなあ。

なんとなくわかります?(^-^;



例えるなら、起承転結ハッキリしたハリウッドの大作ではなく、邦画・アジア映画でも洋画でもいいのですが、ミニシアター系の作品。


全然ミニシアターではありませんが、ぱっと思い付くので言えば、北野武の「菊次郎の夏」とか「キッズリターン」とか。

小学生と知人のおっさんがお母さん探しの旅に出るとか、親友の高校生同士がボクシングやるとか、ただそれだけの話。

最後は感動的なハッピーエンドも泣ける悲劇も起こりません。


「余韻がある」、っていうのかな。



ラブストーリーはとつぜ…、じゃなかった笑、話は突然に変わりますが、
ビートたけしは足立区の出身で、チャキチャキの江戸っ子です。


私自身は東北の出身ですが、小学生の頃、父親が寝る前に絵本ではなく「寿限無」とか「饅頭怖い」を読み聞かせしてくれていたので(爆)、

江戸っ子気質、もしくは自分がそうでないためにそれへの憧憬があるのか、

いずれにせよ、「火事と喧嘩は江戸の華」みたいに言われますが、私は江戸っ子の本質の重要な一つに

 「照れ」

があると思います。


困っている人を助けたり、後輩に奢ったりしても、お礼を言われるのが恥ずかしい、みたいな。




その意味で言えば、飛躍した論ではありますが、このシャツは「恥ずかしがっている」とも言える。



佇まいがね。

英国の服のように、律然としてはいない。


イタリアの服のように、端正、または色気、手仕事の柔らかさを前面に押し出したりしない。

(写真下は、イタリアのダノリスというブランドのカジュアルシャツ)




アメリカは、カジュアル、ラフ、自由で平等、大らか。


フランスの服は、たしかにそのどれでもないけれど、なんていうか、もう大人!

日本人はしばしば童顔と言われることと、関係があるかな…いかはわかりませんが、

英・伊・米のような特徴はないけれど、フランス服は。自分の行くべき道がちゃんと見えている感じ。

と言うより、我が道を行く! って感じかな?


(下は、フランスのJ.M.ウエストンのローファー)





それを鑑みた上でギャルソンをみれば、生地は一級のドレスシャツにも使われるような上質なものを使用し、決してアメリカを代表するようなオックスフォードのようなカジュアルさはない。

どちらかと言えばヨーロッパ的。

その記事にアメリカのワークウェアに用いられるような、野太い糸でテンションをかけたステッチで縫い上げることで、写真1枚目のような

 「味わい」

が出る。




まるで、まだ自分の道は見つけていないけれど、どれにも属さないよ、と、

いやいや、をするように首を振っている、日本の思春期の中学生のような…、


と、思うままに考察してみたのですが…、



ちょっとシャツ1枚から論理が飛躍し過ぎましたかね!?!?




…あ。

でも、ギャルソンの創始者・川久保玲が何県の出身かは忘れましたが、

現メンズのデザイナー、渡辺淳弥は、私と同じ福島県出身で、

全ッ然、江戸っ子じゃありませんでした…(-ω-;/


どうも、ご無沙汰しております。

買い物日記です(^^)/



私が拝読しているブログを書かれている皆様は、おそらくがほぼ、『men's EX』誌に近い、つまり


【イタリアン・クラシコを軸足に、ブリティッシュ・ジェントルメンも、アメリカン・トラッドも大好きですよ♪】 


というスタンスが基本かと思われます。



私も無論そうなのですが、モードブランドもけっこ、好きです(-ω-)/


私が、もし身長が高くて身体ががっしりしていたら、ブリオーニでもトム・フォードでもなく、ジョルジオ・アルマーニか、山本耀司を絶対に着たい。

って日々妄想してるくらいなもんです。笑



さて、それで!


最近の買い物は、ヨウジと違ってXSサイズも作ってくれている、良心的な(?)以下のブランドです。









コム・デ・ギャルソン のシャツです!


大学の友人がギャルソン好きで影響されました。といっても私は、“奇抜じゃないの”専門ですが…



デザインは、小さめのレギュラーカラー、前立てあり・胸ポケットあり。

専ら主流のイタリアン・クラシコ系とは真逆ですね(笑)


その点ではどちらかと言えば、アメリカっぽいかもしれません。

(写真下は冬のセールで購入した、イタリアの「ダノリス」のカジュアルシャツ。端正さがまるで違いますね。笑)




                             


しかしながら最大の特徴は、パッカリングと呼ばれる、引きツレをわざと起こした縫製になっていること。

縫製箇所を、野太い(?)糸でテンションをかけて縫うことで、写真は一度洗濯した後ですが、ほら、この通り。

いい具合に“味、雰囲気”が出るのです。(-ω-)/





ギャルソンでは、ジャケットをはじめ昔から定番の、デザイン…?? と呼んでいいのかわかりませんが、技法です。


余談ですが、本当は、同じギャルソンでギンガムチェックのシャツを以前に見かけたのでそれを買いに行ったのですが、

サイズが無かったことが一つ、

もう一つは、BEAMSの中村達也さんが今季やたらとストライプのジャケットを推してくるように、無地はともかくチェックは一通り一巡したかな、という印象もありまして、

こちらの購入と相成りました。





もう一つ、袖筒は普通、1枚の布をクルッと回して作ると思うのですが、

ジャケットの「細腹(さいばら)」のように、布を2つ使うことにより、袖筒がかなり立体的な円柱形に仕上がっています。





それと珍しいのは、フロントが「6つボタン」だということ。そのため着丈はかなり短いです。


基本的にパンツにインして着るものが多いイタリアのキレイめシャツは、裾をアウトにして着ると、

折角のGTAやPT01などの股上が浅い美脚パンツのラインを隠してしまいかねませんが、

コイツは裾をアウトにして着たり(というかインできないと思われ)、Tシャツの上にさくっと羽織るのにも好都合。

もちろん季節が変われば、ジャケットやニットの中に着ても…。



私の手持ちアイテムなら、そうですな…、

同じくギャルソンの紺無地の丸首Tシャツか、同じく紺無地のジル・サンダーのVネックTシャツに、この子を羽織って、

ボトムはGTAのベージュのチノ。

靴はJ.M.ウエストンの180シグネチャー・ローファーを履いて…、と妄想が膨らみます。


まずはその格好で…、

近所のスーパーに夕飯でも買に行きましょうかね…。笑
















おととい――3月11日の2時46分はお客様が次々とご来店され、黙祷どころではありませんでした。(^-^;

夜のニュースで、海沿いの市町村だけでなく、仙台の街のど真ん中でも、人々が立ち止って黙祷していたのが印象的でした。



さて――。

日本語への興味は尽きません。
もう一度大学へ入学する機会があれば、教育ではなく日本文学科に入るかも? どんな勉強するのか知りませんが…。



というのも最近、あるベストセラー小説を読んだ。映画化もされた作品だ。

人の好みは個々人ソレゾレだというのを重々承知したうえで書きたい。ファンの方いらしたらごめんなさい。


大袈裟に書けばその小説は、次のようなものだった。(刑事小説ではないが、ある職業を刑事に置きかえています。)

『過去、過激麻薬密売組織のアジトへ突入し殉職した父の、そのときの一部始終を元・同僚の刑事から聞いた成人した娘は、全てを聞き終えた後、
「どうしてそんな無茶な作戦を…!?」
と涙声で言った。
父の元同僚は頷いて、言った。
「彼が、家族を愛している、と言ったのを聞いたことはありません。しかし、常に奥さんとあなたの写真を手帳に入れて持ち歩いていました。」
その目にも、光るものがあった――』

断っておくが、これは要約や粗筋ではない。やや盛ってはいるが、おおよそ上のような文章だった。



「父の悲しい話を聞いて娘は泣いた。話したほうも泣いていた」

これはいささか酷くはないだろうか…!? ヒドイを通り越して、いっそ惨めだ。
このどこがベストセラー小説なのだろう。中学生の卒業文集でももっとまともな文章はある。


登場人物が「泣いている」と書けば、読者も感動するとでも思っているのだろうか。
こちとら、そこまで安かァねえ、落ちぶれちゃいねえぞ?


家族への愛だって? そんなもの(少なくとも小説では)口に又は文にした端から、陳腐に崩壊していく。
それは多くの人が持つ普遍的な感情だ。
例えるなら、広島の平和記念公園を訪れて、連れに「平和って大事だね」と当たり前の感想を言うようなものだろう。小学生の修学旅行の感想文じゃないんだから、さぁ。



ツッコミどころは後を絶たない。

・会話が下手糞。

・標準語の老人の一人称が「わし」って、昔話じゃないんだから。
(坂本龍馬が「わしはそう思わんぜよ」っていうならわかる。だって方言だから。でも50まで「俺」言っていた人が、70になって「わし」に変わるわけあるか?)

・妻が旦那に敬語(サザエさんの時代じゃないんだから)

など…。


間違いなく現代の文壇を牽引する、久方ぶりのベストセラー連発作家なだけに、残念。


いや彼に関しては仕方ない面もある。これがデビュー作だから、作品を重ねるごとに上達の可能性はある。

問題なのは、この程度が大ヒット小説であるという点だ。

どのくらいの人が、私と同じように疑問をもち、どの程度の人が「ふーん」と読み流したかは知らない。
だが概ね、感動した! と感じている方が多いようである。


日本人は愛情表現やコミュニケーションが下手とか、人前で直接的に愛を語らないと言われて久しい。
しかしながら、こんな直球な「ハイ、登場人物が泣きました。愛を語りました」なんて小説が売れていいものか?

アイドル俳優が涙を流すのを真正面から撮るドラマが、あってもいいし、感動する人がいてもいい。
だが、名優の名演技――特に抑えた演技――顔を背けて肩を震わせるとか――のような小説が売れなくなるのは侘しいものがある。


以心伝心、沈黙は金、という価値観を手放しで賛同する訳ではない。


しかし、五・七・五の17文字から情景をイマジンする私たちの感性は、一体失われてしまったのか、と少し寂しい気持ちになる読後感、なのでした☆