かりそめに今ここで、アメリカン・トラッド(アメカジ含む)という服飾ジャンルを、
洗練されたヨーロピアン・スタイルに対するカウンター・カルチャー的側面があると仮定しよう。
即ち、キメキメは格好悪い、ちょっとダサいくらいが逆にカッコいい、飾り立てるなんて野暮だよ、という立ち位置、スタンス。
ウエストを絞らないジャケット、チノクロス・パンツ、厚手のオックスフォード地ボタンダウンシャツ、機能的だが不恰好な大きなポケット、大量生産に適した粗く朴訥としたステッチ…、
成る程これらアイテムを、人種のるつぼたるアメリカの合理性的お国柄に求めるファッション雑誌や書籍も一般に散見されるし、無論、間違いではあるまい。
しかし約10年前、(惜しむらくは)既に廃刊になった「ザ・スーツ・カタログ」という雑誌(たしか)にて服飾評論家の遠山周平氏は、
欧州の圧倒的エレガンスに対するカウンター、といった見方を示した。
(バックナンバーがないのが残念な限りである。)
氏の言うところ、それは絶対的な京都の【雅】に対する、江戸の【粋】なのだ、と…。
この部分だけを見ると、哲学者ニーチェの言うところの「ルサンチマン」、つまり、
弱者の妬みやひがみ(ブドウの枝に届かなかったキツネが、どうせ酸っぱいブドウさ、と理屈をつけて諦める)に見えるかもしれない。
しかし江戸の粋はそこにとどまらなかった。
奢侈禁止令への反骨として、着物の裏地にだけは派手な生地を贅沢に使う、幕府の(文字通り)裏をかく(裏を描く?)、裏でテヘペロと舌を出すようなしたたかさ。
トラッドやアメカジも同じだろう。成る程、遠山氏の言を借りれば、
合理性一辺倒ならばフックベントなどという手間の掛かるディテールは生まれないのである。
こうしてトラッドやアメカジは、洒落者をして曰く「素朴なのに、否むしろ、素朴で機能的なところが格好いい」という逆説的な地位を確立した。
特に男性に人気な理由は、男は一生涯男の子、ミリタリーやアウトドアのファッションが好まれることと同じだろう。
以上がアメリカン・ファッションをカウンター・カルチャーとする理由である。
…で、長々とここまで書いてきて、何が言いたいの? と問われれば…、
翻って2018年現在、DA PUMPの『U.S.A.』が「ダサカッコいい!」としてヒットしているけれど、
ファッションのU.S.A.とDA PUMPのU.S.A.が共に「ダサカッコいい」のは、
無関係なのか、そうでないのかな?
という疑問の為に以上、ぐだぐだ書きました(´▽`)笑


