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ブログタイトル考え中。

年間360日は反抗期。世の中の疑問、質問、悶々を書いていきます。
自分の好きなジャンル(メンズファッションやJ-POP)でも容赦しません。
お世辞や愛想の「いいね!」やコメント要りません。
つまり、いい子にはなりません。

先日、TSUTAYAで映画を借りてきて観た。
素晴らしい邦画だったので、また詳しく書きたい。


『イノセント15』より。

ところで、「皆の感想はどうなんだろう?」と映画のタイトルを検索すると、
第2検索キーワードで、
出るわ出るわ、「あらすじ」「ネタバレ」「結末」…、

僕も失敗は嫌だから、ジャケ買いならぬジャケ借りはせずに、
レンタルの際はパッケージの裏を必ず読むんだけれど…、

最近は、その感覚で皆、検索しているだけかな?
そうだよねきっと!?


何が言いたいかっていうと、要は…、

『まさか皆、ストーリーや結末をネット検索してから、
映画館行くなりDVDレンタルしてる訳じゃないよね!?(;´д`)』

って勘ぐった。


…まァ。

他の人の感想を気になってタイトルを検索した俺も、五十歩百歩だとは思うけど(笑)💧

最近、舌が馬鹿になりそうな、もしくはもうなっているのか、そんな気がしてならない。


ゴールデンウィーク、サービス業の私は丸1週間、勤務した。
独り暮らしの朝は忙しいので、朝はトーストとインスタントコーヒー。
夜は眠りが浅くなるから、ブラックコーヒーは淹れない。せいぜいコンビニの甘ったるいカフェラテ。
もちろん美味くもなんともない。ただしマズイとも思わない。
そんなこんなで1週間。

果たして私は、次に自分で淹れたコーヒーを、または専門店に行ったときに、
コーヒーをしみじみ「美味しい…」と感じられるのだろうか?



ここで思うことは、きっとインスタントコーヒーで育った人はそれがコーヒーの味、チルドのカフェラテを先に刷り込まれた人は、
それぞれが「ディス・イズ・コーヒー」だと思うのではないか? ということ。

いわゆる、雛鳥のインプリンティングのように。


仮にそうだとした場合。

バナナはまぁいい。大衆的な果物だから。親世代とは違って、スーパーに行けばいくらでも食べられるから。

ではマンゴーを食べた経験がなく、マンゴー味のかき氷やドリンクを、
これがマンゴー味、と思っている人はけっこう多くないだろうか?

抹茶の苦味を知らずして、キットカットやオレオの抹茶味をディス・イズ・抹茶、そう考える人は多くないだろうか。

そういう人は、高級宇治抹茶とか台湾の本場のマンゴーを食べたとき、
果たして美味しい、って伝わるのかなァ…?
これまでの数件の記事を読んだだけでもおわかりかと思いますが、私…、

相当に天の邪鬼です(笑)。


例えば小学生の頃に興味があったことは、「完璧な『あ』は、発音・発声できるか?」と考えていました。
普通に「あ」って言ったら、そこには必ず破裂音が伴って、「あッ」ってなるよな~、と思って。
ね、ひねくれものでしょ?^^;

(余談ですが、以前に色彩検定の勉強をしたとき、「どんなに真っ白・真っ黒でも、純度100%の真の黒や白は、我々の想像のなかにしかない」みたいな勉強をして、勝手に親近感を覚えました…って、関係ないかな?)


さてここからは、食事中に読まないでほしい話。


昔、バラエティー番組『中居正広のミになる図書館』で、とあるタレントさんが「夜は念入りに歯磨きするけど、朝は塩水でのうがいだけ」って仰っていて、
そうしたら歯科の専門の先生が、「朝、起き抜けの口の中には、大便10gと同程度の細菌がいる」というお話をされて、
スタジオは(案の定)爆笑と悲鳴で騒然としたわけです。

で、ここからが天の邪鬼の出番でして。


私としては、全然『え~ッ!?』とはならない。

じゃあそれ、歯磨きしたらどこまで減るの? そもそも通常(朝以外)の口にはどのくらいいるの? でも完全に細菌ゼロになったら、それも不健康なんでしょ?
そいつら質的にも便と同じくらい汚い(不健康、悪さする)の、それとも量的な話だけ??


…とまァ、このへんの疑問を訊かないことには「え~ッ!?」となれない面倒な性格です^_^;


ちなみに釈迦の当時のインドには様々な苦行があり、牛の糞を食べる苦行もあったとかなかったとか。
そう考えると、そこまでドン引きするデータとも思えません。(現代人には無理だろうけどね)


なお、「直前まで、体内や皮膚などいわゆる『カラダ』にあったモノ」をなぜ、汚く感じるか? については、
大阪大学の元・総長の哲学者・鷲田清一先生が著書にて書いておられます☺️

ご一読あれ♪(^_-)
以下の写真は食器用洗剤の『JOY』ですが、最近“こーいうの”多くないですか???

ファブリーズもかな、99.9%除菌、ただし“全ての菌がなくなる訳ではありません”ってやつ。



私は常々疑問なのですが、食器スポンジもまな板も風呂釜も洗濯機も、布団もカーペットも衣類も、何もかも…、
これらが全て“99.9%除菌”されし尽くして、ほぼ無菌空間みたいなのになったときにね、
そこで育つ子どもって、病気にかかりづらくなるのか? って思うんです。^_^;

どーなのだろう、むしろちょっとのバイ菌でヤられちゃうんじゃ?
それって、病気から遠ざける目的が、逆に近づけてないかと。
菌を減らすそのこと自体が目的化しちゃってると思うんです。

その子は探検家が夢で、アマゾンの奥地に分け入ったときに、生活できるのだろ~か?(゜ロ゜;

私自身アトピー性皮膚炎で、もちろん住環境を清潔に保たなきゃいけないんだけど、
顔や身体が痒くなる度にいつも、
『あ~、もっと鈍感な皮膚神経に生まれたかったな』
と思うんです。

だから杞憂だとは思うんだけど、上のようなことが心配なんですよね。本当に杞憂ならいいんだけど、って。

そうそう、CMで言えば、
未就学児くらいの子が「ママ、このタオル、臭~い」…
ってやつ、あれもどーなんですかね?^_^;

少なくとも30年前の福島では、そんなこと一言も言う子はいなかった、というか気にすらならなかったし、
それは東京だってどこだって、似たようなものだと思う。

子どもの快・不快はそんなところを感知したり意見するもんじゃないだろっ、
をわかりやすく言い換えるのなら…、

「そんなんいいから、とっとと外で遊んでこいっ!」

ですかね(笑)

次行きます(笑)

「電車で席を譲るのは、優しいからか??」
これを理論的に証明また反駁できるでしょうか?

一般的にポジティヴとされる「優しい」は、噛み砕くなら
1、「性根が穏やかだ」
2、「相手の状況を鑑み、共感する。またはそれを慮(おもんぱか)って行動する、できる」
ってなところでしょうか。
広辞苑とかから引っ張ってきたわけではありませんが、ま、大間違いはしていないだろう、と。

じゃあ「2」のほうって、(一般的にネガティヴとされる)哀れみや同情と、どう違うの?
邪推するのなら、好きな人が見ていたから譲ったんじゃないの?
優しい、って先天的なモノかな? 道徳の授業で教わったから「優しく」なったの? 優しいじゃなくて「大人になった」んじゃなく??

それから…、

よくある笑い話で「席を譲ったら、そんなに年寄りに見えるか!と怒られた😢⤵」なんて言いますが、
席を譲る相手は、一般的に、高齢者に妊婦さん、子ども連れということになると思うけど、
くたくたにくたびれた営業マンの帰途と比べ、どっちに譲るべきかという問い。
対象は人にも時間帯にもよるかもしれない。

(しかし下に付けたリンクの中にもあるように、一般的にビジネスマンは、席を譲らず狸寝入りする悪者として描かれることが多いようです…^_^;)

…とまァ、これについても疑問は尽きませんナ。

なお、道徳の授業で高齢者に席を譲ることをやたらと美化することへの警鐘(本では「気持ち悪さ」と書いています)は、
敬愛するビートたけし師匠(殿!)がその著書『新しい道徳』にて書いておられます。(北野武名義)



→ http://www.gentosha.jp/articles/-/4413

得体の知れぬ私の言うことに信用がならないという読者は、巨匠の本をどうぞ^_^;

なお誤解のなきよう付け加えておくと、私はそのような行為を否定する者ではなく、むしろ自然にするほうです。
なんなら私の信ぜられぬことには、3人席の真ん中には私もよく座ります(広々してるからね)が、
後から2人組が来たときにどちらかに寄らない人が多いこと!

まァそれは置いておいても、私もたしか10年くらい前・関東や大阪にいた頃は、扉が開くや我先にと人を押し退けても座席を確保していたと記憶します。
それが今のようになったのは、ま、大人になったのか、職場も変わり心ないしカラダに余裕が出たのか、…

少なくとも優しくなったからとか、20年前に道徳で教わったからではないよなァ。