泣くかどうかは、こっち(読者)が決めらァ! | ブログタイトル考え中。

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年間360日は反抗期。世の中の疑問、質問、悶々を書いていきます。
自分の好きなジャンル(メンズファッションやJ-POP)でも容赦しません。
お世辞や愛想の「いいね!」やコメント要りません。
つまり、いい子にはなりません。

おととい――3月11日の2時46分はお客様が次々とご来店され、黙祷どころではありませんでした。(^-^;

夜のニュースで、海沿いの市町村だけでなく、仙台の街のど真ん中でも、人々が立ち止って黙祷していたのが印象的でした。



さて――。

日本語への興味は尽きません。
もう一度大学へ入学する機会があれば、教育ではなく日本文学科に入るかも? どんな勉強するのか知りませんが…。



というのも最近、あるベストセラー小説を読んだ。映画化もされた作品だ。

人の好みは個々人ソレゾレだというのを重々承知したうえで書きたい。ファンの方いらしたらごめんなさい。


大袈裟に書けばその小説は、次のようなものだった。(刑事小説ではないが、ある職業を刑事に置きかえています。)

『過去、過激麻薬密売組織のアジトへ突入し殉職した父の、そのときの一部始終を元・同僚の刑事から聞いた成人した娘は、全てを聞き終えた後、
「どうしてそんな無茶な作戦を…!?」
と涙声で言った。
父の元同僚は頷いて、言った。
「彼が、家族を愛している、と言ったのを聞いたことはありません。しかし、常に奥さんとあなたの写真を手帳に入れて持ち歩いていました。」
その目にも、光るものがあった――』

断っておくが、これは要約や粗筋ではない。やや盛ってはいるが、おおよそ上のような文章だった。



「父の悲しい話を聞いて娘は泣いた。話したほうも泣いていた」

これはいささか酷くはないだろうか…!? ヒドイを通り越して、いっそ惨めだ。
このどこがベストセラー小説なのだろう。中学生の卒業文集でももっとまともな文章はある。


登場人物が「泣いている」と書けば、読者も感動するとでも思っているのだろうか。
こちとら、そこまで安かァねえ、落ちぶれちゃいねえぞ?


家族への愛だって? そんなもの(少なくとも小説では)口に又は文にした端から、陳腐に崩壊していく。
それは多くの人が持つ普遍的な感情だ。
例えるなら、広島の平和記念公園を訪れて、連れに「平和って大事だね」と当たり前の感想を言うようなものだろう。小学生の修学旅行の感想文じゃないんだから、さぁ。



ツッコミどころは後を絶たない。

・会話が下手糞。

・標準語の老人の一人称が「わし」って、昔話じゃないんだから。
(坂本龍馬が「わしはそう思わんぜよ」っていうならわかる。だって方言だから。でも50まで「俺」言っていた人が、70になって「わし」に変わるわけあるか?)

・妻が旦那に敬語(サザエさんの時代じゃないんだから)

など…。


間違いなく現代の文壇を牽引する、久方ぶりのベストセラー連発作家なだけに、残念。


いや彼に関しては仕方ない面もある。これがデビュー作だから、作品を重ねるごとに上達の可能性はある。

問題なのは、この程度が大ヒット小説であるという点だ。

どのくらいの人が、私と同じように疑問をもち、どの程度の人が「ふーん」と読み流したかは知らない。
だが概ね、感動した! と感じている方が多いようである。


日本人は愛情表現やコミュニケーションが下手とか、人前で直接的に愛を語らないと言われて久しい。
しかしながら、こんな直球な「ハイ、登場人物が泣きました。愛を語りました」なんて小説が売れていいものか?

アイドル俳優が涙を流すのを真正面から撮るドラマが、あってもいいし、感動する人がいてもいい。
だが、名優の名演技――特に抑えた演技――顔を背けて肩を震わせるとか――のような小説が売れなくなるのは侘しいものがある。


以心伝心、沈黙は金、という価値観を手放しで賛同する訳ではない。


しかし、五・七・五の17文字から情景をイマジンする私たちの感性は、一体失われてしまったのか、と少し寂しい気持ちになる読後感、なのでした☆