遺書を書くほど追い詰められていたひきこもり時代 | 中卒ひきこもりニートから始める介護士(10年目)

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高校中退、ひきこもりを経験し介護士(老健)になりました。私の経験が誰かの役に立てば思いブログをしております。

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先日実家に帰った時のこと、私は不用品を売るために、昔集めた玩具やキーホルダーが入っているいわゆる『宝箱』を開けました。

すると中には20年以上前のトレカとか、某人気漫画のキーホルダーといった、何個か売れそうな物がありました。

 

宝箱の中を一通り確認した後で、底の方に封筒が残っているのを見つけます。

「何だろう?」と思い封筒を開けてみると、紙が一枚出てきます。それは何と遺書でした。私の。

 

確かに私が書いたものですが、正直すっかり忘れていました。 

書いた年は2014年、今から10年も前です。

 

ちょうど、ひきこもって半年くらい経った時期でしょうか。

最終学歴が中卒(高校中退)、運転免許以外の資格なし、正社員歴なし(フリーター経験のみ)、二十代中盤でひきこもった私は、将来への不安と自己嫌悪に押し潰されそうになっていました。

 
遺書のドット絵
 

遺書を読んでみると当時の自分の苦しみが滲み出ていました。

今回は当時の感情をリアルに表現するために、遺書の内容を一部抜粋して記事に載せます。

 

『遺書』なので大分ネガティブなことも書いてありますが、そんな絶望的な気持ちになっていた当時のことを10年経つと忘れてしまえる。というポジティブな事例として読んで頂けると嬉しいです。

 

下線内が当時書いた遺書です。

 


遺書
 

 

まず、これを書く意図はここ半年くらい、ひとりでに涙が出たり、無性に「死んでしまいたい」と思うことが多く、そして強くなってきている為で、もし私が自殺してしまった時に無駄に家族や友人に疑いの目が向くことが無いようにする為である。

 

普段というか大半は「まだに死にたくない」と思っているので、きっと自殺する前日まで、まるで死ぬことなんか全く考えていないかのように振る舞っているだろうから。

 

 死ぬのは誰のせいでもなく、ただ自分の弱さからのみなので、私が死んで悲しむ ことがあっても、どうか誰も責任を感じないで欲しい、どうか私の思い出などを引きずって長いこと悲嘆にくれないで欲しい。

 

自殺してしまうこと自体が大きな迷惑、親不孝であることは重々承知しながらも、私は身勝手にそう願うのみである。

 

一応簡潔に動機を記すと、ただ自分に自信を持てず未来に希望を持てないからだ。

 

母へ

ここまで沢山の愛情を注いでくれたのに、親不孝をしてごめん、できるだけ早く笑顔になって下さい 。

 

父へ

「ありがとうとごめんなさい」。ほとんど母と言いたい事は同じですがどうか母と仲良く、できれば幸せに。

 

兄へ

兄としての責任なんかない、辛いことも多いだろうけど、家族をつくって乗り越えていって。

 

※以下、友達や知人に向けたメッセージが続きますが割愛します。

 

他全ての私に関わって下さった方々へ

書ききれずに本当に申し訳ないです、皆さん本当にありがとうございました、お幸せに。

 

最後に葬式はできるだけ安くすむようにして下さい。私の所持品は全て金に換え、家族の幸せのためにお使い下さい。

みんなの幸せを願う。

 


以上です。

 

遺書の内容的には絶望しきる一歩手前といった感じですが、本当は今すぐにでも死んでしまいたいと思っていました。

 

希死念慮と言える程の強い思いかは分かりません。

ただ、一時期はそのことばかり考えていました。

 

HP減少のドット絵
 

本当に死にたくても何とか乗り越えられるし、十年以上経つと楽しく生きていける……こともある。

 

だから前向きに生きて行こうとか、希望を捨てずに頑張ろうとか、そんな無責任なことを言うつもりはありません。

 

でもこれだけは心から思います。

生きていて良かった。

 

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