学校の理不尽さ。落ちこぼれと浮きこぼれ | 中卒ひきこもりニートから始める介護士(10年目)

中卒ひきこもりニートから始める介護士(10年目)

高校中退後、ひきこもりを経験し20代後半で介護士になりました。老健に勤務。
私の経験を誰かの役に立てたいという自己満足でブログをしております。
(介護福祉士・一児の父)

ブログに来て頂きありがとうございます。

皆様に読んで頂くことがモチベーションです照れ

 

 

落ちこぼれという言葉。

 

辞書によればその意味は『ある組織や体制についていけない人を俗にいう。』となっています。

※デジタル大辞泉より

 

学校においては主に勉強ができないことを指します。

 高校を中退した私にとっては心にグサッとくる言葉です。

 

これと真逆の言葉で浮きこぼれというのがあります。

 

その意味は学力の高さや学習意欲の強さが原因で、学校の授業に物足りなさを感じたり疎外感を味わったりすることです。

 実際にクラスで孤立し不登校になることもあるそうです。

 

原因は全然違いますが中学校の時に不登校気味になっていた私は、ある種のシンパシーを感じます。

 

少なくても学校で感じた一人ぼっち感は同じはずです。

 

授業風景のイラスト

 

学校に何となく存在する『普通』明確にラインがあるわけでもないのにそこからズレると弾かれる。

 

ラインから上に行き過ぎても、ラインから下に行き過ぎても輪の中にいられなくなる。

 

とてもとても理不尽で無慈悲な枠組みです。

 

枠組みが理不尽ならその枠組みからはみ出しても良い。

 

フリースクールや通信制の高校、大学もあります。

 

個人的には、この記事 でも書いているように、不登校も自分の将来のためになり得る選択肢の一つだと思います。

 

学校に居場所がないのは決して本人のせいではありません。

 
非常口のドット絵

 

今後の人生を輝かせるためにする、勉強、集団行動、部活、人との関わり合い。

 確かにこれらは大切で、それこそが学校の役割なのでしょう。

 

しかし、人生を輝かせるための場所で人生に暗い影を落とす

経験をすれば心に大きなキズができてしまいます。

 

そこまでして学校にこだわる必要なんてあるでしょうか?

 

高校中退もひきこもりも経験し、今は介護士として働けている私としては、心に修復不可能なキズを負うくらいなら学校に行かなくても良いと思います。

 

ただし、学歴が低いということは学歴コンプレックスだったり、就職の幅が狭まったり、学校の思い出が共有できなかったり、それなりの苦労が伴います。

 

今自分が潰れるリスクを負うか?

社会に出てから苦労するか?

それとも中間択である、自分ができる形で勉強して大学卒業を目指すか?

 

究極の選択で慎重に決めるべき選択です。

 

慎重になっている人のイラスト

 

落ちこぼれでも浮きこぼれでも、学校が決めた基準から外れているというだけで上も下もありません。

 

それは強い個性を持っている証拠で、活かし方次第では社会に出てから武器になるものです。

 

学校と違い社会には無数の評価基準と正解があります。

 

例え学校でどう評価されようとも人生はなんとかなる。

そう思います。

 

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