師範Twitterの記録☆2019年6月26日(水)遅咲き選手/もう一つのNBA
師範Twitter
https://twitter.com/shihan2018
師範@shihan2018 6月25日
このところ色々な方から「八村ってどうなの?」と聞かれる。これだけ一人のバスケットボール選手が注目された事はなかったので、素晴らしい事になってきたな、と思います。
師範@shihan2018 6月26日
遅咲き選手(Late Bloomer)と八村が言われています。ドラフトに掛かるような選手は少年期から町一番、市一番、州一番の選手であることが多いためです。その点八村はゴンザガ3年生シーズンまで無名で、スカウトから見たら遅咲き選手ですね。ただNBAにはこうした遅咲き選手で躍進する人もいます。
師範@shihan2018 6月26日
最も凄かった遅咲き選手だとアキーム・オラジュワンでしょう。ナイジェリア時代はサッカー選手で、途中から長身を見込まれてバスケットボールを開始、本格的なバスケ教育はヒューストン大学に入ってから。試合ごとに恐ろしい勢いで上達し、NBAを代表するセンターにまでなりました。
師範@shihan2018 6月26日
日本からのメディアがサマーリーグのウィザーズにも大挙押し寄せているのは、MLBデビューした時の野茂を思い起こします。空前のバスケブーム、NBAブームが来るかもしれません。もしかしたら一部メディアはシーズンが11月からということも知らないかも。
師範@shihan2018 6月26日
現実的な見方だと1年目の八村は出場時間(PT)が恐らく最初は15分から20分。この間にまず存在価値を見せるような動きや働きが大切です。プロとして生き残るにはどこかの部分で二桁の数字を出すことも重要。サイズ的にリバウンドは厳しいでしょうから、得点でということになりますね。
師範@shihan2018 6月26日
例えばジョーダンのライバルだったクライド・ドレクスラーもルーキーシーズンはベンチスタートで、PTも10分ほど。ところが途中から20得点ゲームなどもあり、シーズン後半にはスターターとなることも多くなりました。
師範@shihan2018 6月26日
さすが宮地さんの記事です。八村選手の立ち位置もよくわかります。ぜひお読みください。
https://twitter.com/yokomiyaji/status/1143672220318748677
師範@shihan2018 6月26日
腰痛治療のため整形外科に通っているんだけど、平日昼間はお年寄りばかりで、さらにかなりワガママ言っている人たちも多くて、高齢者業界って結構大変だなと思う。
師範@shihan2018 6月26日
NBA選手が囲みインタビューで日本語喋っているのって、結構新鮮です。
https://twitter.com/TBS_TV_S1/status/1143727110705385472
師範@shihan2018 6月26日
明るい話題が無かった昨シーズンのニックスだけど、RJバレットのドラフトでネット上に出ている写真が笑顔の写真が多くて良かった。バレットはフランチャイズプレーヤーのタイプではないけれど、少しニックスが向上するならリーグ全体にとって良いはず。18-19シーズンのニックスはホームで9勝32敗、アウェイで8勝33敗だから、MSGで応援する地元ファンはホームでも5試合に1回位しか勝ち試合に遭遇出来ないので、相当な辛抱が必用だったと思われます。
師範@shihan2018 6月26日
NBAはシーズンオフに突入だから、いろいろな企画を考えてTweetしてみようと思っています。今や大きなスポーツビジネスとなったNBAですが、ひと昔前は今とはかなり異なっている状況でした。私が見始めた頃に象徴的だったのが、NBAに対抗する別リーグが存在していたことです。今回は【#もう一つのNBA】として、対抗リーグのABAについてTweetしてみます。
師範@shihan2018 6月26日
【#もう一つのNBA】
NBAは1947年BAA(Basketball Association of America)として始まりました。当時いくつか存在していたプロリーグの一つです。幸いBAAは上手にリーグ運営する事が出来て、ABLのチームが加盟。1949年にもう一つのプロリーグNBLも飲み込んで49年からNBAという名称になりました。
師範@shihan2018 6月26日
【#もう一つのNBA】
NBAはアメリカプロバスケットボールの主流となり、その後いくつかのチームが加盟しながら少しづつ発展していき、50年代から60年代にかけてその地位を確立。こうしたプロバスケットボールと言えばNBAという時代が1960年代中盤まで続くことになります。
師範@shihan2018 6月26日
【#もう一つのNBA】
こんな流れに一石を投じて立ち上がったのがABA=American Basketball Associationで、このリーグはNBAに対抗しうる新リーグをコンセプトに1967年に誕生しました。初代コミッショナーにはNBAの大スター選手だったジョージ・マイカンが就任。
師範@shihan2018 6月26日
【#もう一つのNBA】
ABA誕生の背景には当時NFLに対して誕生したAFLとうフットボールリーグが成功し、スター選手も生まれ、最終的に好条件でNFLに合流したといういきさつもありました。ABAの誕生にはこうしたプロスポーツにおける二匹目のドジョウを狙った面もありました。
師範@shihan2018 6月26日
【#もう一つのNBA】
新しいリーグがファンを獲得するには新しい考え方が必要です。そこでABAはリーグのシンボルとして赤、白、青の三色に塗り分けたカラーボールを採用。さらにゲームをスリリングにするために、遠くからのシュートを3点とする3ポイントルールを採用しました。
師範@shihan2018 6月26日
【#もう一つのNBA】
NBAに対抗するためにはNBAチームが存在してない都市にフランチャイズを作り、競合しない戦略も立てられました。こうしたルールは67年の創設時には著名選手はNBAにいるため、ABAが生き残っていくために作られたものです。3ポイントルールのルーツはABAが始まりでした。
師範@shihan2018 6月26日
【#もう一つのNBA】
67-68シーズンの創設オリジナルチームは以下の通りです。
東
ピッツバーグ・パイパーズ
ミネソタ・マスキーズ
インディアナ・ペイサーズ(現ペイサーズ)
ケンタッキー・カーネルズ
ニュージャージー・アメリカンズ(現ブルックリン・ネッツ)
西
ニューオリンズ・バッカニアーズ
ダラス・シャパラルズ(現サンアントニオ・スパーズ)
デンバー・ロケッツ(現ナゲッツ)
ヒューストン・マーベリックス
アナハイム・アミーゴズ
オークランド・オークス
東西とも開幕直前に消滅するチーム、チーム名変更などドタバタです。
師範@shihan2018 6月26日
【#もう一つのNBA】
1年目はピッツバーグ・パイパーズの優勝で幕を閉じましたが、予想通りファンの関心を集めることに苦労し、2シーズン目で既にフランチャイズの変更や、チーム名の変更等々、系譜を追うだけで大変なほど、常に財政上の困難さがABAの特徴でもありました。
師範@shihan2018 6月26日
【#もう一つのNBA】
ABAは「優秀な選手を集めれば人気でNBAを凌げる!」と鼻息も荒く、有望選手の獲得に力を入れました。当時はNBAとの間になんの取り決めも無いので、両リーグでドラフト会議が行われ、選手はどちらか好条件のリーグを選ぶ、ということで結果的に契約金の高騰を招きます。
師範@shihan2018 6月26日
【#もう一つのNBA】
特にジャバーを巡るNBAとの獲得競争に負けてからなりふり構わずとなり、その結果当時は禁断であった大学4年生でない選手をドラフトする、アーリーエントリーにも着手。第1号のスペンサー・ヘイウッドは裁判沙汰になる大騒ぎとなりました。
師範@shihan2018 6月26日
【#もう一つのNBA】
裁判ではABAが勝訴し、ヘイウッドはデンバー・ロケッツに入団。大学界トップクラス選手がここをポイントにABAに流れ込むようになります。後の大スター選手となったジュリアス・アービングもこのルールを活用し、アーリーエントリーでバージニア・スクワイアーズに入団。
師範@shihan2018 6月26日
【#もう一つのNBA】
70年代になるとABAは行け行けムードとなり、とうとう高卒選手をも指名して入団させることになります。その第1号となったのが、後にNBAでMVPも獲得したモーゼス・マローンで、ここまでされるとさすがのNBAも静観できないほどリーグには優秀なタレントが集まりだしました。
師範@shihan2018 6月26日
【#もう一つのNBA】
この頃になると、ABAドラフト会議は名ばかりの会議で、チームの集客に寄与するような選手をあらかじめ談合で決めておいてからドラフト指名する、ということがなかば公然となっていました。しかし、過激な選手獲得競争はリーグの財政面を一段と圧迫することになりました。
師範@shihan2018 6月26日
【#もう一つのNBA】
リーグの終焉は76年に訪れました。シーズンを9チームの2ディビジョン制でスタートしたものの、開幕11試合目でサンディエゴ・セイルズが倒産、16試合目でユタ・スターズが倒産、残りのバージニアも危機的状況となり、途中からディビジョンなしの1リーグとなりました。
師範@shihan2018 6月26日
【#もう一つのNBA】
ABAは75-76シーズンにニューヨーク・ネッツの優勝と共に解散し、シーズン終了後は残ったチームがNBAへの加盟を話し合うことになりました。ここでネッツ、スパーズ、ナゲッツ、ペイサーズが膨大な加盟金を支払ってNBAに合流。残りの選手はNBAとのFA契約を狙うことになりました。
師範@shihan2018 6月26日
【#もう一つのNBA】
ABAは僅か11年で幕を閉じましたが、現在のNBAに与えた影響は計り知れません。伝統的なNBAに対して、運動能力の高い選手たちがスピーディーに動き回るABAのスタイルはNBAに引き継がれることになります。さらに3ポイントルールなども採用され、ABAの遺伝子は随所に残っています。
師範@shihan2018 6月26日
【#もう一つのNBA】
一方ABAが残した負の遺産もありました。それは選手の年棒高騰で、NBAとABAの競争によって吊り上がった選手のサラリーは多くのNBAチームを苦しめることとなり、これが70年代後半のリーグが存続できるか否かの財政不安を引き起こしています。
師範@shihan2018 6月26日
【#もう一つのNBA】
自分がプロバスケットボールにはまった頃はABAが存在しており、華やかな演出や選手のプレースタイルなどは実はABAの方により引き込まれたものです。特にスター選手のDr.J、デビッド・トンプソン、アーティス・ギルモア、マービン・バーンズらのプレーには魅せられました。
師範@shihan2018 6月26日
久々にマイク・コンリーJr.を見たけど、ルックスが変わっていて驚いた。あのヘアスタイルって、定年になったサラリーマンのオジサンがポニーテールにしたがるのと同じ心境なのかな?
https://youtu.be/jvhBbiQ2kz0
師範@shihan2018 6月26日
MVPになったのも当然。過去に比較する選手がなかなか見つからないヤニス・アデドクンボのハイライト映像。スケール感が凄い。
https://youtu.be/7vwRU03sSlQ
師範@shihan2018 6月26日
杉浦さんの記事もなかなか良かった。結果で後から評価が決まるのがドラフト。事前と事後のギャップは恒例行事だからね。
https://twitter.com/NBAJPN/status/1144002647134834688
師範@shihan2018 6月26日
背番号8に決定!背番号8番のビッグネームは意外と少ない印象。ミルウォーキーのマーカス・ジョンソンと前期コービー・ブライアントかな。八村選手らしい背番号で良いですね。
https://twitter.com/WashWizards/status/1144008620675411968
師範さんがリツイート
https://twitter.com/y_takefield/status/1144022703038332929
小永吉陽子 Yoko Takeda@y_takefield 6月26日 明成はセンターが14番をつける伝統があり、八村選手も1年生の時は14でした。2年生からはポジションにとらわれない規格外の選手ということと、佐藤久夫先生の「八村だから8!」の一声と、本人も好きな数字なので8になりました。弟の阿蓮選手も高校時代は14→8でした(明成の背番号の伝統は例外もあり)
師範@shihan2018 6月27日
KDの移籍は金額ベースでみるとGSWなんだけど、NYKとかの市場規模を考えると関連収入などでは移籍したほうが上回る可能性もあるのかな。23-24の契約金額は35歳になったバスケットボール選手には莫大な金額。スポーツビジネスのリスクを感じさせられる。
https://twitter.com/SportsCenter/status/1144048255589896197
ちなみに私がNBAを追い始めた72-73はこのKDのサラリー表示の、小数点から下がトップクラスの年棒でした。
師範@shihan2018 6月27日 八村選手のファンにはウィザーズ公式アカウントをフォローするのがお勧めです。英語なんだけど、好きなことだから理解しやすいし、学生の皆さんだと勉強感なしに生きた英語を感覚値で得られると思う。そもそも英語(外国語)って勉強で学ぶものじゃないしね。
師範Twitter記録2019年6/23-25八村がNBAで成功する10の理由/NBA歴代MVP
師範Twitter
https://twitter.com/shihan2018
師範@shihan2018 6月23日
【#八村がNBAで成功する10の理由】
1. まだ背が伸びているっぽい:本当は206㎝はありそう。
2. 遅咲き選手である:ゴンザガで急成長したので、この先が予想外
3. ウィザーズはFWが減りそう:契約でジャバリ・パーカーが抜けそうなので、出場チャンスさらに増大な予感
4. ウィザーズが弱い:守るものが無くて、これから勝ちに行くチームは新人には朗報
5. 良いガードがいる:ウォールとビールにディフェンスが寄るので、イージーなシュートチャンス多そう
6. 東海岸は移動が楽:東海岸は大都市が密集しているので、移動が楽
7. ウィザーズは伝統的に新人にギャンブルする:当然PTも多いと思う
8. 現地ファンやアナリストが疑問視している:今に見ていろよ感で行ける
9. アリーザが年取ってきた:今年のようなPTからは減るはず
10. 何と言っても我々が全力で応援している!
師範@shihan2018 6月23日
全日本総合 97 男子決勝 松下電器 VS 三菱電機 男子バスケットボール 平成9年 オールジャパン
https://youtu.be/PZ_yqPUiV-Y @YouTubeより
懐かしい天皇杯の動画です。
師範@shihan2018 6月23日
この頃のいすゞチームを見るとBリーグが20年前に出来ていたら、と思います。佐古、南山、高橋マイケル。
いすゞ VS 松下電器 男子バスケットボール 日本リーグ 1998 JBL 平成10年
https://youtu.be/r7Lka4yMUNw @YouTubeより
師範@shihan2018 6月24日
自分の場合は「驚くほど根気のないおじさん」だろうな。
師範@shihan2018 6月24日
一般人と並ぶと見た目が倍の大きさ。それが岡山さんです。
師範@shihan2018 6月24日
現在人生最悪級の腰痛発症で、晩御飯食べるのに呼ばれてからベッドから起き上がるのに20分掛かった。クレイ・トンプソンのようには一般人はいかないのである。そんなワケでパソコンデスクに連続して座っていられるのが1時間くらい。ちょっと強気のウルトラマン程度の状態です。
SportsCenter@SportsCenter 6月24日
There were some nasty crossover during the 2018-2019 NBA season
https://twitter.com/i/status/1143164579708637184
師範@shihan2018 6月25日
今シーズンのMVPに予想通りバックスのヤニス・アドドクンボが選ばれましたね。まさに次の10年を代表するような逸材だと思います。そこで今回は【#NBA歴代MVP】として、MVP選出選手に関するいろいろな話を書いてみます。
師範@shihan2018 6月25日
【#NBA歴代MVP】
MVPのアワードが設定されたのが1955-56シーズンからです。リーグが出来てから10年目での設定ですから、意外と遅かった印象です。初期の頃の選手選手は当時のプレースタイルを反映して圧倒的にセンターばかりでした。初代受賞者はセントルイス・ホークスのセンター、ボブ・ペティット。
師範@shihan2018 6月25日
【#NBA歴代MVP】
55-56シーズン以降は56-57のボブ・クージー、63-64のオスカー・ロバートソン以外は79-80まで全てセンターからMVPが選出されています。この辺りまでが完全ビッグマン時代のNBAと言ってよいでしょう。ちなみに80-81はSFとしては初めてのMVPにDr.Jが選ばれました。写真はクージー。
師範@shihan2018 6月25日
【#NBA歴代MVP】
新人王でMVP受賞という前人未到の快挙を達成したのが、ご存知ウィルト・チェンバレンで平均得点37.6点に27リバウンドという、ちょっと信じられないスタッツ。もう一人が猛烈に地味なウェス・アンセルドがちょっと不思議な平均13.8点、18.2リバウンドで受賞。現在までこの二人のみ。
師範@shihan2018 6月26日
【#NBA歴代MVP】
アンセルドが新人王とMVPを同時獲得した68-69シーズンは、同じく大型新人のエルビン・ヘイズも新人で平均28.4得点に17.1リバウンドを獲得していて、それに比べれば平凡な数字のアンセルドが新人王のみならずMVPというのは、いくらボルチモアが東の首位だとしてもちょっと解せない。
師範@shihan2018 6月25日
【#NBA歴代MVP】
MVP選手が大きく変わり始めたのが80年代、バード、マジックという二大スターに加え、マイケル・ジョーダンがここに加わり、83-84のバード以降、次にセンターがMVPに選ばれたのは10年後のデビッド・ロビンソンです。NBAは完全にスピードのある選手時代に突入しました。訂正します。ロビンソンの1年前にアキーム・オラジュワンが93-94にMVP受賞しています。
師範@shihan2018 6月25日
【#NBA歴代MVP】
歴代最多受賞はカリーム・アブドル・ジャバーで20年の現役キャリアで6回の受賞。2位があのマイケル・ジョーダンの5回、3位がレブロン・ジェームスの4回とそうそうたる顔ぶれになります。こうした選手たちは実績からもNBAの時代を作った選手達と評して良いでしょう。
師範@shihan2018 6月25日
【#NBA歴代MVP】
一瞬の輝きは強烈でそこからフェードアウトしてしまうMVPもいます。代表的なのが74-75のボブ・マカドゥーで、このMVP以降、急速に目立たない選手へと変化。77-78のビル・ウォルトンも時代を築くかと思えば、怪我でほとんどプレーできなくなりました。近年ではローズも残念でした。
師範@shihan2018 6月25日
【#NBA歴代MVP】
NBAもレブロン・ジェームスが圧倒的な力を発揮していた時代から、新しいプレースタイル、戦術にマッチした選手たちが出てきました。この先の10年に選ばれるMVPやMVP候補を見ると、時代の変遷を皆さんも感じられる事でしょう。
師範さんがリツイート
Kench@Kenchsden 6月25日
MVPといえばその昔(80年代半ばぐらい)は副賞に自動車が付いてくるのが当り前だった(自動車メーカーが賞のスポンサーであることも多かった)が、いつのまにか選手の年俸が高騰して副賞でもらえる車を誰もありがたがらなくなって姿を消しつつある。セドリック・コーンブレッド・マックスウェルは81年のファイナルMVPに選ばれたがNBAが金銭的にどんぞこだった当時、副賞は自動車ではなく時計だった。後々まで「FMVPで時計をもらったのはオレだけだ」と嘆いていたがその嘆きがなかなか通じなくなってきた。
自動車の副賞を無意味にした最初の選手は、おそらく「JUMP」のナンバープレートを付けたフェラーリを乗り回していたマイケル・ジョーダン。賞をいくつも取り、個人的にも多数のスーパーカーを乗り回していたので副賞の自動車の処分に困るようになっていた(他のプロスポーツでも同様な現象が)。オーナーとの話合いが決裂して最後にWASのチーム・オフィスを離れるMJの写真、強く印象に残っていたがこの前は見つけられなかった。ナンバープレートは「JUMP」ではなく「JUMP 23」、車はコルベットだった。もう一つ印象に残っている写真がこれ「M AIR J」プレートのテスタロッサ。シカゴ・スタジアムの選手・関係者専用の駐車場だったはず。
師範@shihan2018 6月25日
そういえばカードマニアの人って、すごく情熱があるから、ジョー・スミス全所属チームでのカード(複数回所属の場合はそれぞれも)なんて持っている人もいるんだろうな。
師範@shihan2018 6月25日 ありがとうございます。杣友さんに会う機会があったら(以前お会いしたことあり)見せてもらおうっと。 師範@shihan2018 6月25日 カードそのものが発行されていない事もあるんですね。
師範Twitterの記録☆2019年6月22日(土)23日(日)NBA優勝チーム/NBAの影
師範Twitter
https://twitter.com/shihan2018
師範@shihan2018 6月22日
今シーズンはラプターズの優勝で終わりました。NBA全チームの目標は優勝ですが、優勝という切り口でNBA各チームを見てみます。【#NBA優勝チーム】
師範@shihan2018 6月22日
【#NBA優勝チーム】優勝していないチーム一覧
ブルックリン・ネッツ*
インディアナ・ペイサーズ*
シャーロット・ホーネッツ
オーランド・マジック
LA・クリッパーズ
フェニックス・サンズ
デンバー・ナゲッツ
ミネソタ・ティンバーウルブス
ユタ・ジャズ
メンフィス・グリズリーズ
NO・ペリカンズ
*のチームはABA時代には優勝アリ。 この中でチーム創設以来最も長期間に渡って優勝してないのがフェニックス・サンズで76年のファイナルではBOSに敗れ、93ファイナルではシカゴに敗退。1968年の創設以来51年間優勝無し。2位はクリッパーズの48年。
師範@shihan2018 6月22日
【#NBA優勝チーム】長年優勝から遠ざかっているチーム
優勝はしたものの遥か昔の話というチームもあります。
ニックス:73年を最後に優勝無し
シクサーズ:83年を最後に優勝無し
バックス:71年ジャバーで優勝したのが最後
ホークス:58年セントルイス・ホークスで優勝
ウィザーズ:78年ブレッツで優勝
OKCサンダー:79年にシアトル・スーパーソニックスで優勝
ブレイザーズ:77年にビル・ウォルトンで優勝
キングス:51年にロチェスター・ロイヤルズで優勝 となり、キングスは何と68年間優勝から遠ざかっています。
これらのチームのファンからしたら、ラプターズが95年創設で「もう優勝できたんなんてよござんすね!」って感じがするはずです。特にキングスとホークスは当時の優勝を知っている人で存命の人が少ないと思われます。
師範@shihan2018 6月22日
【#NBA優勝チーム】優勝回数多いチーム
1位セルティックス:17回 59-66まで8連覇もあり。
2位レイカーズ:16回 各時代で上手に黄金期を作っての結果
3位ウォリアーズ:6回 初期のフィラデルフィア、サンフランシスコ時代もあり、最近の黄金期で荒稼ぎ。
3位ブルズ:6回 全部ジョーダンさんです。
5位スパーズ:5回 提督とダンカンにポポビッチの采配
6位シクサーズ:3回 シラキュース・ナショナルズで1回優勝
6位ピストンズ:3回 アイザイア時代に連覇、04年もまさかの優勝
6位ヒート:3回 ウェイドとシャック、その後はビッグ3で2回
9位ニックス:2回 70年代初期に2回優勝
9位ロケッツ:2回 オラジュワン黄金時代に連覇
1回優勝のチームは省きました。やはり歴史のあるセルティックスとレイカーズは別格ですが、今後はGSWのようにあっという間に黄金期を築いて荒稼ぎかもです。
師範@shihan2018 6月22日
こんなコメント出来る人は大物に化ける予感。
https://twitter.com/rm31sg_game/status/1142306228929880071
師範@shihan2018 6月22日
八村選手のNCAAでの活躍によって、今まで日本で延々と続いてきた部活動の在り方もトップ選手に対しては変わってきそう。高いレベルでの競り合いがトップ選手を育てるから、八村も日本の大学に進学していたとしたら運命が変わっていたかも。
NBA Japan@NBAJPN 6月22日
https://twitter.com/NBAJPN/status/1142327830836944896 UA BASKETBALL TOUR 2019 TOKYOのため来日中のステフィン・カリーが、富永啓生、三谷桂司郎の両選手と交流。その模様は @UAbasketballJP のインスタグラムでチェック
@StephenCurry30 #TeamUA #WEWILL #NBA #NBAjp
師範@shihan2018 6月22日 「いつまでもザイオンでいなさい」というお母さんの言葉が印象的。とても親しみやすい人柄を感じさせるので、多くのファンの人気を集めそう。バスケットボールはあまり南部では人気が無いが、ザイオンはGame Changerになるのかもしれない。
https://twitter.com/NBAJPN/status/1142323668296486912
師範@shihan2018 6月22日
twitter復帰で思ったけれど、フォローしてくださった方々のアイコンが、時代時代を表していて面白いです。前回の時はGSW系が圧倒的に多かったですが、今回はそれがもう少しワイドレンジになってきていて、やはり強くなるチーム関連のアイコンやらプロフィールが多いですね。
師範@shihan2018 6月22日
仕事がらいろいろな企業の人事担当者とも話をするけれど、ある外資系ホールディングス会社の担当者が「専門の人材紹介業者を通じてヘッドハンティングしても、期待通りの成果をあげるのは10人に1-2人程度」という話は、NBAにも当てはまる人間の真理なんだと思った。
師範@shihan2018 6月22日
人間の特性は全て正規分布曲線に従うというのは自然界の法則ですね。
https://pbs.twimg.com/media/D9poe5RUIAAS27L.png
師範@shihan2018 6月22日
八村選手のドラフト指名で、ルーキーに支払われるサラリーの高額さを強調した報道が多くあります。自分がNBAを見始めた72-73シーズンはトップクラスの選手が年棒30万ドル位で、現在の1/100以下。それでも当時は高給でしたが、70年代末の倒産危機を乗り越えて、いかにリーグが発展したかが分かります。
師範@shihan2018 6月22日
【#NBAミニ知識】
史上初の年棒100万ドル選手はネッツのオーティス・バードソング。キングス時代にシュート成功率が54.6%、平均得点が24.6点というSGでFAで値を吊り上げ、81年にキングスとネッツで奪い合いになった末の出来事で、当時リーグの全員が馬鹿げている、と思った破格の契約でした。
師範@shihan2018 6月22日
カイリー・アービングがどこのチームに行くのか?やはりカイリーはサポーティングキャストとして誰かと組んだ時に、最高の力を出せる選手だと思う。なのでチームじゃなくて相手を選ぶべきかな。長年見ているけど速攻からのレイアップでフィニッシュは、長年見ているけど歴代最高のテクニシャンです。
師範@shihan2018 6月22日
これは理屈抜きに面白い。過去のNBAゲームでのセレブリティリアクション集。ジャック・ニコルソンは貫禄です。
https://youtu.be/AFC5RaH4xMg
師範@shihan2018 6月22日
NBA選手の60%以上が引退後2年以内に破産する、というTweetがかなりRTされたりして、知らなかった皆さんは驚かれたようですね。典型的なパターンは以下の通り。
1.チームから再契約の意思なしと告げられる
2.ほかのチームが声かけてくんだろう、と勝手に思う
3.声が掛からず焦る
4.条件を下げる
5.他チームから声が掛からず
6.豪邸の税金が払えず督促
7.換金性の高い高級車等を売り飛ばす
8.それでも税金払えず、不動産が差し押さえられる
9.正式な奥さんが全財産没収される前に、離婚訴訟を起こして自分の取り分確保
10.各地に認知した子どもから養育費関連で訴訟を起こされる
11. 資産管理していた人の使い込みなども見つかる
12. 万事休す
このパターンはかなり頻繁に見られます。かつてのスター選手がチャンピオンリング等をオークションで売っていたりするのを見ると、かなり悲しいですね。あのジャバーも資産管理マネージャーにやられちゃったりしてます。
副業で失敗のパターン(洗車場経営・レストラン経営などが典型的)も多いですが、個人的には堅実でない暮らしぶりって、スポーツ選手の魅力の一つのようにも思います。 そもそも今もらえている、凄い桁数の金額が意味する事を理解できない、というのが問題の根っこにあります。怪我をしたり、より良い選手が現れると、次の小切手が振り出されない事が分からなくなってしまうんですね。MTVで豪邸を得意げに披露しているスポーツ選手は、全体に危ない傾向にあります。
この9の「正式な奥さんが・・」って、さらに凄い話があって、NBA選手と肉体関係を結んでなんとか子どもを妊娠しちゃうっていう、エゲツない戦略の女性陣がいるというのもESPNのBroke(破産)という番組で放送されてました。完全に養育費を狙った妊娠ビジネスなんです。
師範@shihan2018 6月23日
【#NBAの影】クリス・ヘレン 1
巨額のお金が飛び交い、メディアからも常に脚光を浴びる華やかな世界であるNBA。成功を上り詰める者もいれば、道を掛け違えて栄光から転落へ落ちてしまう人もいます。今回はダークサイドに落ちたクリス・ヘレンの話を書いてみます。
師範@shihan2018 6月23日
【#NBAの影】クリス・ヘレン 2
マサチューセッツ州出身のヘレンは、多くのNBA選手がそうであるように、高校時代から抜群のバスケットボール能力で、多くの大学から勧誘を受けて地元のボストンカレッジに入学します。
師範@shihan2018 6月23日
【#NBAの影】クリス・ヘレン 3
スポーツ選手が試合後、仲間と乱痴気騒ぎをするのも若さゆえの楽しみ。ある晩ヘレンの部屋を訪れた女性ファンは麻薬のコカインを持ち込んでいました。「ドラッグを使っても試合に影響ないし、それならバレないから平気よ」とそそのかされ、ドラッグに手を出してしまう。
師範@shihan2018 6月23日
【#NBAの影】クリス・ヘレン 4
実際、試合のパフォーマンスが当初は落ちなかったために、ヘレンはドラッグにのめり込むようになる。当然こんな事がバレぬわけがなく、ヘレンは薬物検査で陽性反応が出て、カレッジのスカラシップを外れ、大学から去ることになる。新聞には「恥さらし」の文字が躍る。
師範@shihan2018 6月23日
【#NBAの影】クリス・ヘレン 5
こんなヘレンに救いの手を差し伸べたのが、フレゾノ州立大学の名称ジェリー・ターケニアン。「若者には更生のチャンスが必用」とヘレンをリクルートし、ヘレンはその期待に応える大活躍で、一躍NBA候補生となり、デンバー・ナゲッツに99年ドラフト1位指名で入団。訂正します。ヘレンはドラフト2巡目33位指名です。
師範@shihan2018 6月23日
【#NBAの影】クリス・ヘレン 6
ヘレンはバン・エクセルから「チームとお前自身に泥を塗るような行為は許されない」と釘をさされたこともあり、クリーンな1年を経験。ところが翌シーズン故郷のボストンにトレードされたことから、人生が変わる。かつての友人、悪の知り合い、麻薬の売人がすぐそばに。
師範@shihan2018 6月23日
【#NBAの影】クリス・ヘレン 7
ヘレンは再びドラッグに手を出すようになり、とうとう試合中も隠れて使用するまで状態は悪化。2001年にドラッグ検査陽性でチームを解雇されると、イタリアに渡りプレー。ここでもドラッグを手に入れる方法を見つけ出し、ドラッグ中毒は全く改善されず。
師範@shihan2018 6月23日
【#NBAの影】クリス・ヘレン 8
中国でのプレーを最後に選手を引退するも、ドラッグ中毒はさらに悪化。かつてNBAの舞台に立った男は最後はドラッグに溺れ路上で寝て過ごすようなところまで落ちてしまいました。こんな事が起こってしまうのもNBAの華やかな世界の陰にはあります。
師範@shihan2018 6月23日
【#NBAの影】クリス・ヘレン 9
幸いヘレンは更生施設で自分を取り戻し、現在は各地での麻薬依存防止キャンペーンで自らの愚行を赤裸々に語っています。こんな事例はヘレンで最後にして欲しいのですが、現在でも似たような事が残念ながら発生しています。
師範@shihan2018 6月23日
成功例!
https://twitter.com/nbareporterjp/status/1142635369558466562