師範Twitterの記録☆2019年6月8日(土)9日(日)歴代オリンピックについて
師範Twitter
https://twitter.com/shihan2018
師範@shihan2018 6月8日
2019ファイナルはカワイのシュートが4回バウンスしてゴールに沈んだあの時から決まっていたのだと思う。
師範@shihan2018 6月8日
今回のファイナルからニック・ナースはパット・ライリーと同じ道を歩むことになるでしょう。
師範@shihan2018 6月8日
カワイ・レナードはトロントに優勝をもたらし、自らの価値をMaxにして他チームへ移籍となりそう。
師範@shihan2018 6月9日
2020年のオリンピックに全日本男子チームが、1976年のモントリオール大会以来実に44年ぶりに出場となります。今回は当時の状況を伝えるためだけにTwitter復帰しています。
師範@shihan2018 6月9日
現在のオリンピックを基準に考えると、当時はかなり状況が違っていて、キーワードとしては以下の通りです。
1.当時はアマチュアしか出場できなかった
2.アジアの強国である中国は共産党政権下で国際大会には参加せず
3.アメリカチームは学生選抜チームを送っていた
師範@shihan2018 6月9日
60年代から70年代では日本は韓国とフィリピンに勝てばオリンピックに出場できる状況でした。韓国もフィリピンもあまり強化が進んでおらず、サイズも小さかったので、日本チームはかなり楽な状況でした。
師範@shihan2018 6月9日
ちなみに64東京オリンピックでは全日本チームのセンターは193㎝の小玉選手で、今より全てのポジションが15㎝位小さい選手でチームが編成されていました。日本初の2m選手は沼田選手(204㎝)で彼が72ミュンヘンオリンピックで初の2m選手となりました。
師範@shihan2018 6月9日
72ミュンヘンオリンピックは今日のバスケットボールシーンに繋がっています。このオリンピックで日本はエジプト相手に1勝したのみ。予選Aグループでアメリカと対戦し、33-99のトリプルスコアで惨敗しています。このアメリカチームにはカレッジのエースであるビル・ウォルトンらは不参加でした。
師範@shihan2018 6月9日
特筆すべきはミュンヘンオリンピックでは全日本のエースであった谷口正朋選手(186cm)が大会の得点王になっていることです。サウスポーのシューターでしか点が取れなかった、というチーム事情もあったのですが、見事な活躍でした。
師範@shihan2018 6月9日
ミュンヘンオリンピックではアマチュアの参加と言いながら、事実上は国お抱えのプロ選手をずらりと揃えたソビエトとアメリカの決勝戦が今でも語り草になっていて、東西冷戦の中、そこまでオリンピックバスケットボール競技において全ての試合無敗であったアメリカをソビエトが破っています。
師範@shihan2018 6月9日
アメリカが史上初の敗戦を喫した試合は、ソビエト最後のゴールが入るまで2回、エンドラインのスローイングが不可思議な判定でやり直されていて、アメリカが受け取りを拒否した銀メダルは今でもミュンヘン市に保管されています。これが後のプロ参加やドリームチーム編成へとつながりました。
師範@shihan2018 6月9日
国が抱えるプロ選手を公務員としてアマチュア参加させる社会主義、共産主義国家と報酬を受け取ることが出来ない西側では基本的に学生選手しか選ばれないため、こうした歪がアマチュアルールをオリンピックから撤廃される方向に動き、オリンピックが商業化しました。
師範@shihan2018 6月9日
1976年のモントリオールオリンピックでは、まだ中国の参加が無かったので日本はアジアを勝ち上がり出場を決めています。チームも2m選手を3人揃える(沼田、北原、斎藤)布陣で臨みましたが、世界の大型化とスピード化には付いて行けず、全敗(エジプト戦は不戦勝)で終わっています。
師範@shihan2018 6月9日
ミュンヘン大会で苦杯を舐めたアメリカはカレッジ最高峰の選手を揃え、ソビエトとのリターンマッチに備えましたがソビエトがユーゴスラビアに敗れたため、実現はしませんでした。メイ、バックナー、ダントリー、カプチャック、デイビスらで揃えたメンバーで金メダルを取り返しています。
師範@shihan2018 6月9日
モントリオールオリンピック以降、中国が国際大会に復帰を果たし、日本がオリンピックに出るためには、中国を破らないといけないという大きな壁が突然目の前にやってきました。日本より大型の選手を揃えた中国はまさに最大の敵となりました。
師範@shihan2018 6月9日
それでもアジア大会などでは、まだ中国相手に接戦となりましたが、中国は国際大会復帰後急速に力をつけ、日本チームはサイズ的にも能力的にも中国に追いつけず、また他のアジアチームも一気に力を上げて、アジアでの立ち位置が2番手、3番手と交代しながらオリンピックは遠くのものになっていきました。
師範@shihan2018 6月9日
大型選手が次々に細かい技術やシュート力をつける中、国内試合での勝利重視で選手を育成する日本はアジア諸国に対して相対的な力を失っていきました。特に大型選手のバーサタイル化が大きく遅れを取ったのです。
師範@shihan2018 6月9日
オリンピックにおいては、国家間の政治利用が極端になり、80年のモスクワオリンピックでは西側諸国が参加ボイコット、その報復で84年のロサンジェルスオリンピックでは東側諸国がボイコットで、世界のバスケットボールの実力バランスが76年以降は分かりづらくなりました。
師範@shihan2018 6月9日
そんな中、久しぶりに東西の国が一堂に会した88ソウルオリンピックでは、全盛期のサボニスを中心としたソビエトが、デビッド・ロビンソンを中心に学生エースを揃えたアメリカを準決勝で破り、もはや学生選抜チームでは世界で勝てないことが判明したのです。
師範@shihan2018 6月9日
ソウルオリンピックでのソビエトチームには、後にソビエト初のNBA選手となったアレクサンダー・ボルコフ、GSWでおなじみのサルナス・マーショローニス、そして世界一のセンターであったアルヴィダス・サボニスなどの逸材が揃っていました。
師範@shihan2018 6月9日
こうした背景が1992年のドリームチーム誕生につながり、そこから今日のNBAがあることを知っておくと良いでしょう。アメリカ一強から、東西体制の違い、グローバル化とコマーシャリズムによる実力拮抗化等々、バスケットボールシーンも世の中と共に揺れ動いていくものです。
師範@shihan2018 6月9日
92年のバルセロナオリンピック前に、世界では大きな節目があり、91年のベルリンの壁崩壊により、第二次世界大戦後から続いていた資本主義対共産主義・社会主義が終わり、ソビエト連邦解体、東西ドイツの統合などが起こり、各国ナショナルチームには「プロ」としての選手が大量に発生しました。
師範@shihan2018 6月9日
バスケットボール競技においても、プロ選手参加が当たり前になり、その結果各国にプロリーグが誕生するようになりました。これに完全に乗り遅れたのが日本でした。プロ化を口にするものの、誰も具体的なアクションを起こさず、プロ化した各国に決定的に置いて行かれるようになりました。
師範@shihan2018 6月9日
プロ化による競技力の底上げは必須なものでしたが、実業団という母体で国内リーグを運営していたことが大きな壁となり、プロ化が全く進まないのが90年代の日本バスケットボール界でした。さらに従来の実業団チームが産業変化によって次々に消滅していったのも、強化を厳しくしました。
師範@shihan2018 6月9日
KDのコンディションは良く分からないけど、1勝2敗で迎えたMust Win Situationで出場できないのはGSWにとってはかなり痛かったよね。この試合を勝てば2勝2敗で、負ければ1勝3敗の崖っぷち。結果は敗戦で崖っぷちなので。
師範@shihan2018 6月9日
トロントが優勝した場合、何が凄いかっていうと、NBAが始まった(当時はBAA)1946年11月1日の最初の試合が、トロントで行われたNYニックス対トロント・ハスキーズの試合からで、最初のゲームから実に73年経って初めてカナダにトロフィーが行くっていう事です。
師範@shihan2018 6月9日
現役使用されているアリーナで最も古いのはマディソン・スクエア・ガーデンかと思っていたら、意外なことにオラクル・アリーナだったのね。このままGSWが敗退してしまうと、Game 4がオラクル・アリーナ最後のNBAゲームだとESPNが言ってました。(来年からは新アリーナ)
師範@shihan2018 6月9日
最新のアリーナを楽しめるのと、古いアリーナでの熱戦をリアルタイム経験できたのは、オッサンファンの醍醐味かな。ボストンガーデン、フォーラム、スペクトラム、ヘミスフェア、マクニコルズなどなど懐かしい。
師範@shihan2018 6月9日
日本の古いバスケットボールの資料をネットで検索しても、なかなか見つからず、アメリカとバスケ情報のネット化については雲泥の差がある事を痛感中。前にも書いたけど、なんとかならないか?それとも自分で資料アーカイブつくらないといけないのかな。
師範@shihan2018 6月9日
文句言ってもしょうがないので、引退後に資料作りしてネットにあげるようにします。
師範@shihan2018 6月9日
ちなみにアメリカはこれが素晴らしくて、いろいろな資料がデジタル化されて簡単に閲覧できます。有名なチェンバレンの100得点を含む、全試合のスタッツがコレ。にわかに信じがたい数字のオンパレードです。
https://www.basketball-reference.com/players/c/chambwi01/gamelog/1962/
師範@shihan2018 6月9日
シーズン平均得点で50点を超えるってこのペースで得点取る事なんだよね。
師範@shihan2018 6月9日
アカウントの背景写真は、1972頃のバッファロー・ブレーブス(現在のLAクリッパーズ)が他チームに先駆けて採用したチアリーダーです。今の洗練度とは雲泥の差ですが、時代ってそんなものなのです。
師範@shihan2018 6月9日
皆様なんだか凄い勢いでフォローしていただいてありがとうございます。ただ私の場合は過去を知っている方はご存知のように突然アカウントごと消して消滅を繰り返す「焼き畑式農業」なので、フォローはあまりお勧めできません。そのあたりはご了承くださいませ。
師範@shihan2018 6月9日
ちなみに長く見ているから聞かれることが多かったのですが、昔の選手と今の選手、どっちが凄い?って話は当たり前ですが今の選手の方がフィジカル面も技術面もそして戦術面でも上ですよ。それらは過去の選手が築き上げてきたものの上に加えられてきたものとして存在しています。
師範@shihan2018 6月9日
今期のプレーオフでナゲッツのハイライト見たけど、ヨキッチって若くしたファジーカスみたいだった。久々に現れたテクニシャン系のセンター。ケビン・マクヘイル辺りで途絶えた芸風でコーフンしました。
師範@shihan2018 6月9日
先日、セルティックスレジェンド中のレジェンドである、ジョン・ハブリチェックが亡くなってしまったんですよね。幸い彼の現役を生観戦できた(現役最後の頃)ので、あのスタミナの塊が亡くなられたのは、あまり信じたくないニュースでした。
師範@shihan2018 6月9日
カワイ・レナードの対シクサーズ第七戦での決勝ゴールは「The Bounce」と名付けたい。 師範@shihan2018 6月9日 それまでは、セルティックスのドン・ネルソンの放ったショットがゴールの上2m近く跳ね上がって決まったショットとして有名でした。
【NBAどっと混む】師範Twitterの記録☆序章
かつて【NBAどっと混む】というNBAファン・サイトが存在していました。
作成・運営していたのは、ハンドルネーム「師範」という男性。
まだSNSの存在が無くて、一日のアクセス数10万などと言う、
とてつもなく楽しいNBAファンの集まるホームページでした。
http://web.archive.org/web/20000925074013/http://www.hi-ho.ne.jp/shihan/
今でもアーカイブから掲示板などが少し読めるようで嬉しくて懐かしい。
http://web.archive.org/web/20000925074013/http://www.hi-ho.ne.jp/shihan/
当時はネット上を「オン」、ネット外で実際に逢う事を「オフ会」と呼んでいて、
師範ならではの楽しい企画「虎の穴」というオフ会リポートも一部見られます。
http://web.archive.org/web/20001015180632/http://www.hi-ho.ne.jp/shihan/tora/offmtg/off.htm
その師範が再度Twitterを始めたのですが、NBAだけでなく
バスケットボール全般の宝庫にも関わらず突然に辞めてしまい、
過去ログも削除するという「焼き畑農業」なのが玉にキズ。
以前Twitterや、このアメブロも記録用に書いていましたが、
やはり焼き払われました。
師範自身のTwitterプロフィールにも、「NBA観戦47シーズンとなりました。
昨年孫も誕生したので、本当にお爺さんです。
背景画像は三浦半島小網代の森です。
突然Twitterは辞めたりするので、フォローしないほうが良いと思います。」
と書かれてます。
https://twitter.com/shihan2018
そんなこんなで次に焼き畑農業になった時の為に、
今後はココに記録しておきたいと思います。
バスケットボール★ブログ
過去に日本のストリートバスケットボール・ファンサイト【Street Pride】を運営していました。
今は閉鎖しております。
現在は、仕事と家庭と日々の生活を大切にしています。