師範サンズのせいでまさかの復帰
@isWYYgoukXBIzv6
サンズ01
フェニックス・サンズはアリゾナ州のフェニックスを本拠地に1968年に誕生しています。この誕生を知るには当時のNBAを囲む環境を知っておく必要があります。 66-67シーズンまでNBAは東西カンファレンスに10チームのみが存在する小さなプロリーグでした。 #サンズを知ろう
2021年6月27日(日)よりスタート。
今度もまた、いつ「焼き畑」になっても良いように、記録に残して行きます。
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サンズの将来は今シーズン優勝できても出来なかったとしても、来シーズンに向けてCP3を切れるかどうかで左右される感じがします。
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サンズ13
ジャバーが獲得できず辛酸をなめたサンズでしたが、センター以外のポジションは徐々に好人材が集まりだし、70-71シーズンはとうとう48勝34敗で勝ち越したものの、ジャバーを獲得したバックスはこのシーズンは優勝で、大きな差が生じました。
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サンズ14
当時のサンズ主力で忘れられないのが、プレーグラウンド系のコニー・ホーキンス(SF 203㎝)で、ギャンブル関与などでいろいろ黒い噂の絶えない選手でしたが、巨大な手でボールを鷲掴みにしてアクロバティックなダンクを決める選手として人気を博しました。
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サンズ15
その後数シーズン42勝40敗系のチームとして過ごしていますが、そんなサンズに絶好のチャンスが訪れたのが75-76シーズンです。西のチームが全体的に低調だったことに助けられ、プレーオフもあれよあれよで勝ち進み、なんと初のファイナル出場を果たします。
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サンズ16
サンズのエースはBOSからトレードで得たポール・ウェストファル(SG 193cm)で、甘いマスクのウェストファルはサンズでPTを得ると、BOS時代の冷遇が嘘のような活躍を見せサンズをファイナルに導く原動力となります。
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サンズ17
76年ファイナルはサンズ千載一遇のチャンスで、相手のBOSは主力選手が高齢化。リーグ全体もABAとの獲得競争で若手有望選手がABAに進むケースも多く、NBAの力量が落ちている時でのファイナルでしたから、センター不在のサンズが優勝を狙うにはここしかない、ポイントでした。
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東はバックスが今日のアウェイを勝ったのが大きい。これやマジでバックス対サンズのアルシンダーコイントスの因縁シリーズになりそう。
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サンズ18
76年ファイナルではセルティックスとサンズは互角の戦いぶりを見せます。2勝2敗で迎えたボストンガーデンでの第5戦はNBAの歴史に刻む大熱戦でトリプルオーバータイムになだれ込んだこの試合はThe Gameと命名されました。逆転に次ぐ逆転で一歩も譲らない壮絶な戦いでした。
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サンズ19
Wオーバータイムでセルティックスがハブリチェックのシュートで逆転。勝利と思った観客がフロアになだれ込み、コートは大混乱しますが、実際には2秒残っていたためコートから観客が排除されゲームが再開されます。
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サンズ20
試合が再開され、ハーフコートからのインバウンズパスをキャッチしたガーフィールド・ハードのシュートは高いアーチを描きゴールに吸い込まれ、ゲームはトリプルオーバータイムへ突入しました。天国から地獄に落ちたセルティックスファンの観客は啞然。
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サンズ21
3OTでは両チームとも主力選手がファウルアウトする中、さらに一進一退の試合が進みますが、無名のグレン・マクドナルドがシュートを続けて決め、この世紀の名勝負はBOSが勝利。試合後に具合が悪くなる人続出で、レッド・アワーバックも脱水症状で病院に運ばれました。
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サンズ22
この試合は両チームとも疲労困憊で、実は第6戦にセルティックスが勝利して優勝したのですが、ほとんどのファンはこの第5戦が優勝試合と勘違いする歴史に残る名勝負でした。その様子の一部をビデオでご覧ください。 https://youtube.com/watch?v=3ZjNDvuMxzc…
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サンズ23
長年サンズを見てきましたが、このThe Gameがもしサンズに転がっていたとしたら、歴史が変わっていたでしょうし、すべすべさんもサンズファンになっていなかったかもしれません。サンズが最も優勝に近づいた時でした。
師範サンズのせいでまさかの復帰
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そういえば東のカンファレンスファイナルの2チーム本拠地のアトランタとミルウォーキーはどちらも仕事で行ったことあるな。ミルウォーキーは試合無くて観戦できなかったけど、アトランタはアリーナで観戦しました。
2021年6月27日(日)よりスタート。
今度もまた、いつ「焼き畑」になっても良いように、記録に残して行きます。
師範サンズのせいでまさかの復帰
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サンズの快進撃で約束を守らざるを得なくなりましたのでTwitter復帰しました。NBAについてつぶやきます。基本フォローもリプライもしないので、皆さんもテキトーに距離を置いてあしらってくださると幸いです。 背景写真は1964年の後楽園遊園地で、サムネは3歳時の私です。当時としては奇跡的なカラー写真です。
師範サンズのせいでまさかの復帰
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サンズがファイナル進出したら「これでにわかサンズファンとは呼ばれない誰も知らないサンズ秘話」をつぶやきます
師範サンズのせいでまさかの復帰
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まさかサンズがこんな快進撃するとは夢にも思っていなかったので、完全にTwitter復帰準備不足です。
師範サンズのせいでまさかの復帰
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前回Twitter抜けてからの今日復活までの変化。
1. コロナで経営する会社大打撃
2. 仕事をオンライン特化に切り替えたらV字回復
3. 自宅をオンラインスタジオに改造
4. パソコンをAMDのRyzenで組んで爆速化
5.ドローン購入しフライト満喫中
6. 孫が生まれて名実ともに爺さん化
師範サンズのせいでまさかの復帰
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復帰してからこれからちょっとやってみたいこと
1. PUBGか荒野行動やってみたい
2. またYouTubeで自宅からNBAの動画発信してみたい
3. 若い人鍛えて会社を譲り渡して隠居したい
4. 車中泊とかしながら行ったことのない都道府県に行きたい
師範サンズのせいでまさかの復帰
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サンズがファイナルに行けるかもしれないので、少し早いですがサンズの歴史的背景をボチボチアップします。
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サンズ01
フェニックス・サンズはアリゾナ州のフェニックスを本拠地に1968年に誕生しています。この誕生を知るには当時のNBAを囲む環境を知っておく必要があります。 66-67シーズンまでNBAは東西カンファレンスに10チームのみが存在する小さなプロリーグでした。 #サンズを知ろう
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サンズ02
当時はカレッジの人気が強く、NBAは商売になりそうな大都市を中心にフランチャイズを構えるプロスポーツでした。その後リーグは「もう少しチーム増やしても行けるっしょ?」で67-68シーズンにシアトル(ソニックス)とサンディエゴ(ロケッツ)の2チームを作ります。
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サンズ03
こうした拡張の背景には67年に誕生したライバルリーグABAの存在がありました。ABAはフットボールで成功を収めつつあったAFLの手法を真似て、NBAのフランチャイズが無い都市にチームを作る戦略でNBAの未開拓マーケットを押さえようとしていたのです。
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サンズ04
68年にNBAはアリゾナ州フェニックスにフランチャイズを置くことにしました。アリゾナ州は裕福な高齢者層が老後を過ごす避寒地的な場所として急速に発展し注目を集めており、フランチャイズとしては魅力的な未開の地であったからです。
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サンズ05
68年にサンズはリーグに加盟金200万ドルを支払い誕生しました。チーム名は公募によって決められ、他の候補名はスコーピオンズ、ラットラーズ、サンダーバード、ラングラーズ、マーヴェリックス等々でした。
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サンズ06
チームの作り方はNBA各チームが8名まで選手をプロテクトし、新しく作られたサンズとバックスはプロテクトされなかった選手を自由に獲得しロースターを構成できるというものでした。サンズの主力はゲイル・グッドリッチとディック・バン・アースデールの二人のガードでした。
師範サンズのせいでまさかの復帰
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サンズ07
当時のNBAはビッグマン絶対の時代だったので、PGのグッドリッチ(185㎝)とSGのアースデイル(195cm)を主力としたチームでは戦力が全く足りず、1シーズン目は16勝66敗という惨敗のシーズンを最下位で終えています。しかし次のドラフトでは20年に1人の大物が待っていました。
師範サンズのせいでまさかの復帰
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サンズ08
カレッジ界には20年に1人の大物と称されるルー・アルシンダー(後のジャバー)が大学を卒業、前年エクスパンションしたサンズとバックスの間でコイントスが行われ、アルシンダー獲得権が争われることとなったのです。この結果がサンズの運命を長年支配することになります。
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サンズ09
サンズはファンの投票で決まったヘッドをコール。運命のコイントスの結果はテールとなり、その後のNBAを20年に渡って支配したジャバーはバックスが指名権を獲得することになりました。仕方なくサンズが2位指名したニール・ウォークはジャバーの1/10の価値もない選手でした。
師範サンズのせいでまさかの復帰
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サンズ10
ジャバーをめぐってのバックスとのコイントスは運命を明確に分け、バックスは創設3年目でNBA王者に輝き、一方のサンズは永遠のセンター不在チームとしての歴史が続くことになります。ちなみにニール・ウォークは1位指名と2位の差が極端にある場合の例え話に使われています。
師範サンズのせいでまさかの復帰
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サンズ11
余談ですが、20-21シーズンのファイナルがサンズ対バックスになった場合、50年以上前のコイントスの恨みをサンズが果たす直接対決かと思いますので、個人的にはこのカードを期待していますし、ファンとしてはこうした伏線を知っていることが楽しみを増しますね。
師範サンズのせいでまさかの復帰
@isWYYgoukXBIzv6
サンズ12
これも余談ですが、歴史の長いMLBではベーブ・ルースのトレードにまつわる「バンビーノの呪い」やシカゴ・カブスの「ビリーゴートの呪い」などがありますが、サンズの場合は優勝が出来ないということでは「ヘッドコールの呪い」とも言えるかもです。
師範サンズのせいでまさかの復帰
@isWYYgoukXBIzv6
なんだかすごい勢いでフォロー通知が届いていて申し訳ないです。
師範サンズのせいでまさかの復帰
@isWYYgoukXBIzv6
考えてみるとサンズは自分の観戦歴にかなり近いチーム史なんですよね。ちなみに私は72-73シーズンから追い始めたので、今シーズンが49シーズン目!になります。半世紀ってすごい長さで、自分の寿命も残りわずかを実感させられます。
師範サンズのせいでまさかの復帰
@isWYYgoukXBIzv6
ファイナルでサンズがバックスと対戦した場合、エイトンMVPでバックスを破って初優勝したら、コイントス、ヘッドの呪いからサンズが解き放たれる時なんじゃないかな、と思っています。
師範Twitter
https://twitter.com/shihan2018
師範@shihan2018 6月30日
ペイサーズのダレン・コリソンが宗教上の理由で引退表明とのこと。過去にそんなケースあったかな?で思い出したのが、UCLAの長身選手だったラルフ・ドロリンガー。218㎝の長身センターは75年ドラフトで上位指名確実だったのに「神様のためにプレーします」と表明して、宗教活動に専念。
師範@shihan2018 6月30日
【#NBAダンクストーリー】01
NBAの華といえば豪快なダンク!ですが、最初からあったわけじゃありません。もともとゴールに手が届かない前提で、空中にゴールを設置したバスケットボールですから、例えば40年代のNBAの試合はこんな感じ。全然違うでしょ?
https://youtu.be/py6ZbsTTXrA
師範@shihan2018 6月30日
【#NBAダンクストーリー】02
バスケットボールにおいて初期の長身選手の役割は、ジャンプボールを取る事で、あまり戦力としては期待されていませんでした。しかし競技が発展するにつれて徐々に動ける長身選手が現れてきました。初めてのNBAゲームにもこんな広告が打たれています。
https://twitter.com/shihan2018/status/1145136880817545217/photo/1
師範@shihan2018 6月30日
【#NBAダンクストーリー】03
40年代後半になると、練習などでは長身選手がゴールの上からボールを押し込むシュートを見せ始めています。DunkingとかStuffingと呼ばれるシュートです。ちなみに私の世代ではダンクじゃなくて、ダンキングシュートと呼んでいましたw
師範@shihan2018 6月30日
【#NBAダンクストーリー】04
映像としてのダンクが出てきているのが50年代で、リーグ初期のスーパースターであるミネアポリス・レイカースのジョージ・マイカン(208㎝)とバン・ミケルセン(201㎝)らが練習でダンクを決めるシーンが残されています。
https://youtu.be/mjiRbnKAEp0
師範@shihan2018 6月30日
【#NBAダンクストーリー】05
50年代にカレッジでは運動能力の高い黒人選手が活躍しだし、中でもサンフランシスコ大学のビル・ラッセル(206㎝)は従来の長身選手とは異次元の運動能力とジャンプ力を持っており、ダンクも積極的に武器として使いだしました。
https://youtu.be/FnjC0nm2q5U
師範@shihan2018 6月30日
【#NBAダンクストーリー】06
ダンクを強烈な武器として使ったのがウィルト・チェンバレン(216㎝)で、現在の選手としてもトップアスリーツの能力を持ったチェンバレンのダンクはだれにも止められず猛烈なスコアリングをダンクによって記録しています。
https://youtu.be/WGllSScyi_g
師範@shihan2018 6月30日
【#NBAダンクストーリー】07
長身選手以外のダンクとなると、やはりエルジン・ベイラー(196㎝)が代表的な選手でしょう。長身センターをものともせずダンクを叩き込むベイラーのプレーは多くの観客を魅了しました。
https://youtu.be/Y8DOIbbOcwk
師範@shihan2018 6月30日
【#NBAダンクストーリー】08
60年代になると、運動能力の高い選手は積極的にダンクを狙うようになり、190㎝台、あるいは180㎝台の選手でも試合中にダンクを決めるシーンが見られるようになります。
https://youtu.be/d640ACIM2rg
師範@shihan2018 6月30日
【#NBAダンクストーリー】09
70年代に現在のダンクのルーツとなる選手がABAに出現しました。それがDr.Jことジュリアス・アービングで、素晴らしいジャンプ力を武器に誰も見たことのないようなダンクを連発します。
https://youtu.be/jK6OPqHpyWo
師範@shihan2018 6月30日
【#NBAダンクストーリー】10
Dr.Jの素晴らしいダンクは多くの選手を触発しました。その中でも70年代中盤に現れたダリル・ドーキンスは一線を画すパワーダンクの元祖として信じられないダンクを連発しゴールも二度破壊。それぞれのダンクには名前が付いています。
https://youtu.be/2sLM7-07Bqw
師範@shihan2018 6月30日
【#NBAダンクストーリー】11
驚異的なジャンプ力のダンクと言えばデビッド・トンプソンでしょう。当時のギネスブックにも載った42インチの垂直跳びで、プロでは素晴らしいダンクを連発。身長190㎝弱とは思えない強烈なプレーは、当時一番の人気選手でした。
https://youtu.be/k6OsKy1c5A0
師範@shihan2018 6月30日
【#NBAダンクストーリー】12
1968年から1976年までカレッジではダンクが禁止されていました。それは驚異の長身選手ルー・アルシンダー(218㎝)が次々繰り出すダンクが「不公平だ!」となったためです。通称アルシンダールールと呼ばれています。
https://youtu.be/dfkalgtZraE
師範@shihan2018 6月30日
【#NBAダンクストーリー】13
ここまでの流れの中で登場してきたのが、あのマイケル・ジョーダンで、ルーキー時代の空を飛ぶような素晴らしいプレーの数々はNBAファンだけでなく、一般大衆も魅了。
https://youtu.be/79MQ4_r7QZM
師範@shihan2018 6月30日
【#NBAダンクストーリー】14
こうしてダンクはNBAの華として見せ場を作り出し、今も現役!のビンス・カーターによって究極の位置まで上り詰めています。恐らくカーターはダンクにおいては歴代トップ選手と思われます。
https://youtu.be/LrIfS5_TyQQ
師範@shihan2018 6月30日
ちなみにトンプソンはカレッジ時代には試合でダンクを決めていなくて(例のアルシンダールールによって)、彼のダンクは国際試合とエキシビションゲームでしか見られませんでした。なので全日本との試合で見られたのはラッキーでした。
師範@shihan2018 6月30日
ドーキンスが命名したダンクの名前一例。
・ターボサクソフォニック
・真上からの赤っ恥
・お母ちゃん!
・背筋ゾクゾク一級品
・ゴリラダンク
・チョコレートサンダー
師範@shihan2018 6月30日
選手移籍の事前情報でTLが賑わっていますねー。 選手やチームのファンって事が一度もなかった自分は、オフシーズンの動きって全く気にならないです。シーズン直前にチームの構成を確認出来ればOKです。
師範@shihan2018 6月30日
Youtubeで異常に喋りがダメダメのオジサンの動画を探すのが結構好き。トーク力って才能だよね。頑張っている姿が微笑ましいです。
師範@shihan2018 6月30日
【#47年前のNBA情報収集】
1. TV中継無し=動いている選手は見られない
2. 雑誌は1誌(途中から2誌)で記事が2ページほど
3. 新聞には結果すら載らず
4. 当然インターネットなど無し
さあ、この状態で皆さんならどうやってNBAを追いかけるのか?
師範@shihan2018 6月30日
【#47年前のNBA情報収集】
1. いつも欠かさず新聞のTV欄確認。さらにTVニュースの最後の時間に3分ほど放映される国際ニュースは欠かさずチェック。さらに日曜昼間のプロ野球が雨で中止になった時の差し替え番組は必ずチェック。思わぬところでNBAの映像が差し込まれる可能性あり。さらに実業団や学生のTV中継試合は必ず見る。ハーフタイムでNBAの話題を20秒くらい話してくれることあり。こうでもしないと動いている選手が見られない、というのが当時のNBA映像事情です。ちなみに私が最初に見たNBAファイナルは75年のGSW対WAS戦で、50分放送されました。
師範@shihan2018 6月30日
【#47年前のNBA情報収集】
2. ならば文字情報なんだけど、日本の雑誌は暗記するまで読む。でも圧倒的に足りないので、横浜の有隣堂に行って外書コーナーでSports IllustratedやSporting News等の雑誌を1冊1000円以上出して買う。さらに知り合いのアメリカ人から古い雑誌をもらったりしていました。
師範@shihan2018 6月30日
【#47年前のNBA情報収集】
3. 試合結果については、Japan Times等の英字新聞にはNBAの結果やら、順位、スタッツが載ったりするので、図書館に行ってそれらの英字新聞を定期的にチェックしてノートに書き写していました。
師範@shihan2018 6月30日
【#47年前のNBA情報収集】
こんな方法で、例えばアメリカスポーツ選手運動会で、エルビン・ヘイズの100ヤードダッシュ(かなり速くてビックリした)みたいなレア映像を幸運で見たりしました。とにかく動く選手が見たい!というのが一番の望みでした。
師範@shihan2018 6月30日
【#47年前のNBA情報収集】
動くジャバーの姿、動くDr.Jの姿を初めて見たのは1975-76シーズンで、この年はどういうことかUHF局でNBAとABAの試合を合計で4試合放送。初めて見た動くジャバーはキリンみたいで驚き、さらにDr.Jは噂通りのプレーがその試合では不発でガッカリでした。
師範@shihan2018 6月30日
【#47年前のNBA情報収集】
アメリカにでも住んでいない限り、何の情報もない。今と違ってファン通しの交流も無し(誰がファンなのか分からない)。自分より詳しい人に教えてもらえない。などなど普通なら情報を追うの諦めて野球とかプロレス見る方に行ってます。そんな時代を少年期に過ごしています。
師範@shihan2018 6月30日
47年前ネタ書いていてこれだけの世の中に変化があるのに、その間一度も優勝していないチームもあるのがNBAです。
師範@shihan2018 6月30日
そういえば、昔のシンセサイザーって初めて音色がメモリー出来るようになり、いつでも読み出せるようになったのはとてつもない進歩だったんだけど、バックアップを取るのがカセットテープだったなぁ。テープに音声でデジタル信号覚えさせるっていう。 https://twitter.com/shihan2018/status/1145218138344083456/photo/1