“STRAYDOG”の制作部長がわたしblogの表紙を変えてくれたので、
書いてみようと思う。
このblogの他に映画『向田理髪店』の公開を記念して、
正しい『向田理髪店』の作り方なるものも書いてみる。
(まだ書いてない)
映画は叔父や叔母が好きだったことから、始まっている。
親戚の家に遊びにいくと必ず、テレビで映画を観ていた。
小さい頃、外人がみんな日本語を喋っていることに違和感はなかった。
物心ついて、映画館でスティーブ・マックイーンの本当の声を聞いた時、
テレビの『大脱走』で聞いた吹き替え(宮部昭夫)の方がいい声でマックイーンらしかった。
スクリーンでスティーブ・マックイーンを観たのは『ゲッタウェイ』が初めてだった。
中学1年生だった。
叔母の友達で近くに住んでいたモデルをしていたお姉さんに連れて行ってもらった。
多分、まだ20代だったと思う。
同棲していた彼氏が仕事かなんかでいなくて、
暇なので連れて行ってもらったような感じだった。
その映画の激しさは今でも変わらない。
監督はサム・ペキンパー。
映画のパンフレットを買って貰った。
それが生まれて初めてのパンフレットだった。
そこから、映画を観る度にコレクションするようになった。
これが、まさか何十年後かに、役に立つとは想像だにしなかった。
映画はシナリオを書く前に企画書なるものを作ることが多い。
企画意図はイントロダクション、あらすじはプロットで、
映画によってそのあらすじの書き方は全然違うのだ。
高倉健の『幸せの黄色いハンカチ』は武田鉄矢演じる欣ちゃんのモノローグになっているし、
アラン・ドロンの『暗黒街のふたり』なんか映画が始まる前に読んでいたら、
結末まで書いてあって、「ええ~ッ、これから観るのに!?」と心の中で叫んだものだ。
(あらすじは、最後まで書かなくていいが、プロットは最後まで書く)
小学生の時も叔父にディズニーの海賊映画(タイトル不明)や『チキチキバンバン』や、
叔母に加山雄三の若大将シリーズを観に連れて行って貰ったが、
思春期にさしかかる頃に観た『ゲッタウェイ』が一番印象に残っている。
その後は『エクソシスト』やブルース・リー、パニック映画なんかが流行し、
ますます映画にはまっていった。
『俺たちに明日はない』『明日に向かって撃て』『スティング』なんかもその当時に
映画館で観た映画だ。『イージー・ライダー』はちょっと難しかったが、音楽は最高だった。
叔母からサントラを貰い、「ワイルドで行こう」をずっと聞いていた。
学校の勉強は全然覚えられなかったけど、映画の監督の名前とかはすぐ覚えたナ。
『スティング』のジョージ・ロイ・ヒルはその後、わたしが上京して間もない頃に
『ガープの世界』という映画を撮った。
それが、わたしの一番好きな映画となった―――。
『ゲッタウェイ』のパンフレットは今も持っている。
人生、好きなことをやって生きていられるのは素敵なことだ。
だから、何が大事か、今何を大切にしなければいけないかで運命が変わってくる。
やはり、世話になった人に感謝をするのは当たり前だし、
そこを大事に出来ない人は、神様も微笑まないのではないだろうか。
「そういうお前は大事にしてるのか?」
どうだろうか? よく稽古中に「神様が微笑む」という言葉を口にする。
いい脚本が書けたり、いい演出が出来たとき、
それは自分の力ではなく、天(神様)が書かせてくれたような気がするのだ。
いろんな人と出会ったり、見たりしていると、
映画に出演出来たり、芝居でいい役が貰えても、
やはり、感謝のない人はぱっとしないモノだ。
俳優が役を貰えるのは、事務所でもマネージャーのお陰でもない。
俳優の努力と、縁、そして運(その運を輝かせるのが演出家の役目)。
事務所やマネージャーは窓口にすぎない(窓口は大事だけどネ、家の玄関と同じ)。
若い人はわからないかもしれないが、何年後かに結果が出るよ。
もし、ぱっとしてなかったら、感謝の気持ちが足りなかったンだよ……きっと。
わたしがそうだから(笑)。
映画のポスターを貼ってくれた文教大学教育支援課の方々に感謝してます。