いつものように、また夢を見た。
わたしは昔から夢をよく見る。
そして時々、その夢は妙に芝居や映画のような構造を持っている。
広島の山の中腹の民家の中になる隠れ家的な蕎麦屋さん。
先日見た夢は、先輩の劇団によるテント芝居だった。
いよいよ最後の幕が開く。
ところが、その舞台上にいるはずのわたしは、なぜか劇場の外をうろついている。
目が覚めたあとも妙に印象に残った。
そこで食べた鴨肉。
わたしはずっと何かを作り続けている。
眠っている間でさえ頭の奥は止まらない。
まるで心の風景に濁流が流れ込み、次々と何かを運んでくるようだ。
世田谷オークラボクシングジムのオリジナルTシャツ。
次回作でジムシーンに出演してくれた役者全員に配った。
最近は生活も変わった。
以前は7時起きだったのが、今は6時に起きて動いている。
体力が落ちると、発想も落ちる。
集中力も鈍る。
以前、村上春樹が「体力が芸術的感性と同じくらい必要です」と語っていたが、本当にそう思う。
この仕事は、一に体力、二に人格、三四がなくて五に才能なのだ。
羽田から宮古島に向かう直行便はピカチュウ仕様だった。
最近は“STRAYDOG”でボクササイズもやらなくなった。
稽古前のアップ程度はやるが、以前のようなものではない。
役者に「体力をつけろ」と言葉で言うだけでは意味がない。
自分がやって見せるしかないと思ったからだ。
還暦を過ぎたわたしが毎朝動いているのだから、若い連中はやるしかない。
それでもぼんやりしている者は、プロにはなれない。
先日も、わたしの脚本作品に出演した役者がいたが、チケット販売がたった12枚だった。
その時、もう二度と一緒にやることはないだろうと思った。
これも結局、体力と人格なのだと思う。
対岸からスマホで撮った原爆ドーム、撮影上手じゃない?(笑)
最近Netflixで配信されている「地獄へ堕ちるわよ」も見た。
脚本は「真中なにがし」という人物名義なのだが、経歴がほとんど見当たらない。
業界では「実は監督自身なのではないか」という話もあるらしい。
さらに、伊藤沙莉が演じる小説家も実在しない架空の人物で、監督の瀧本智行自身を反映していると語っていたそうだ。
なるほどと思った。
創作者というのは時々、自分を別人格に変えて作品の中へ潜り込ませる。
名前を変え、職業を変え、性別まで変えても、結局はその人の思想や欲望や孤独が滲み出る。
最近見たモンスターもそうだった。
戸田恵梨香も頑張って細木数子を演じていたが、次にやる舞台『産声が聴こえない。』のヒロインがデリヘル嬢なので、久しぶりに映画「モンスター」を見返した。
実際にあった連続殺人事件を題材にした作品で、7人を殺害した売春婦が主人公だ。
演じたのは、これでアカデミー主演女優賞を受賞したシャーリーズ・セロン。
関連ドキュメンタリーも見たが、本物の犯人本人が映っていて驚いた。
セロンは役作りのために14キロ増量したという。
そこまでやるのか、と。
それを見てしまうと、日本の役作りはまだまだ甘いと思ってしまう。
もちろん戸田恵梨香も熱演していた。
でも、細木数子を演じるなら、もう少し体ごと寄せてもよかったんじゃないかとも思う。
日本の俳優は、どうしても「きれいに見られること」を手放せない。
だが本来、役者とは壊れる仕事だ。
昔なら「舞台の中」にいる夢を見ていた気がする。
でも最近は少し違う。
舞台を作りながら、映画を考え、地方を回り、人を育て、企画を立て、現実と作品世界を行ったり来たりしている。
今年は特に映画の準備や撮影が多い。
だからなのかもしれない。
稽古場付近の道から原爆ドームが見える。
同じ作品でも、監督や脚本家は時々、自分を別人格として作品の中へ紛れ込ませる。
舞台に立っているつもりでも、本当は客席から世界を見ているのかもしれない。
あるいは、外を歩きながら作品そのものになっているのかもしれない。
テント芝居という原点の夢を見たのも、少し意味があった気がしている。
人生は幕が閉じるまで、稽古中なのだ。












