今日は私の生い立ちについてお話したいと思います。
お付き合い頂けると嬉しいです。
私の家族は5人家族で、実家を出るまでは父、母と暮らしていました。(姉、弟は住職や他府県への大学進学ですでに実家を後にしていました)
父はいわゆる亭主関白で、父の言うことは絶対。何か気に入らないことがあると気分で母や子供を叱る人で、父がルールという家庭でした。
父が怒った時は手や足が出ます。
暴言も出ます。そして私が悪いからだと責められます。
何か意見を言おうものなら力尽くで抑え込められ、私が叩かれた痛みと恐怖で泣くと「黙れ‼︎」と怒鳴られます。父から力尽くで引きずられ、家から追い出されそうになることもしょっちゅうでした。
それがトラウマになり、未だに男性の怒鳴り声を聞くと昔を思い出し身体が固まります。
こんな感じなので毎日父が仕事から帰ってくると、家族皆んなが緊張した面持ちになっていました。
私は元々のんびりしているタイプの子供で、小さい頃から「ノロマ、早くしろ、理解するのに時間がかかる、お前には出来ない」などと色んなネガティブな言葉を投げられていました。
1番辛かったのは、父がそういうネガティブな言葉で私をからかい、家族も一緒になって笑っていたことでした。そのうち父以外の家族も私のことでからかい笑うようになっていきました。誰もそれを止める人はいませんでした。
私はしばらくは落ち込んでいましたが、そのうちわざと笑ってそれを面白おかしくするようになっていきました。
顔は笑ってるけど心の中では泣いている。まるでピエロになったような気分でした。
それでも波風立たないなら自分が我慢すれば良いと思っていました。
父に怒られて私が暴力でボコボコにされている時、母ですら助けにくることはありませんでした。それどころか母は父に私のネガティブな情報を伝え、父を怒らせ、その度に私はボコボコにされていました。
本能的に何かが間違ってるというのはわかっていました。
でもそれ以上に私は「私が悪いからだ」と思うようになり、何が正しくて何が悪いのかちゃんと判断できなくなりました。
自分の気持ちを抑え込む癖はこういうやり取りの中で形成されていきました。
家族であっても誰も助けてくれる人はいない。本音も言えない。
父以外の家族はみんな自分の身を守るのに必死でした。
そういうところに身を置き続けることで、私は誰も信用できなくなりました。自分すら信用できませんでした。
自分には力がない。無価値だと思い込み、生きていることですら迷惑だと自分がつくづく嫌になり、消えたい、死にたいと思う時もありました。
本当の愛情に触れたことのない私はいつ見捨てられるかわからない恐怖の中で、対人恐怖症になりました。
いつも人の顔色を伺って生活する毎日。でもそれを隠すように笑顔で誤魔化してやり過ごす日々…。窮屈でたまりませんでした。
過去のことは断片的に覚えてる程度で今もヒーリングをしている途中です。
今後段階を踏んでもう少し詳しく書いて行こうと思います。
被害者支援団体
厚生労働省
※「虐待を受けたと思われる子ども」に気づかれた時の連絡先:児童相談所全国共通ダイヤル:189
お住まいの地域の児童相談所に電話がつながります。
NPO法人児童虐待防止全国ネットワーク(子ども虐待防止オレンジリボン事務局)
全国児童家庭支援センター協議会
http://www4.ttn.ne.jp/~e-jikasen/
全国児童自立支援施設協議会
サバイバー
遠野なぎこさん
https://www.google.com/amp/s/gamp.ameblo.jp/nagiko-tono/entry-12254930553.html
ダレノガレ朋美さん
https://yononakanews.com/entame/talent/1861/
小山慶一郎さん
https://www.google.com/amp/s/www.excite.co.jp/news/article-amp/Cyzowoman_201809_post_202217/
佐々木健介さん
毒親から逃げまして
~murasaki time~ 発達障害・知的障害・障害者雇用・DV•児童虐待•うつ•パニック障害•心理学
毒親持ち、アラホー、独身、同居のブログ
毒親にも親孝行✴これが最強の開運法
毒親育ちでスピリチュアル大好きカウンセラーが綴る、徒然なる人生日記
https://ameblo.jp/charotan0908
私も自分の体験談を話してみたい!話しても良いよ、と思われた方はこちらへご連絡下さい。
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