自分の音楽の原点と変遷の話(その2) | 貯え 小道具 興味ない?

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自分の音楽の原点と変遷の話」にも書きましたが、音楽を聴き始めた「原点」は「[書籍]キーボードマガジン2016,Autumn」に掲載されていた「シンセサイザーに魅入られた音の探求者」としての冨田勲さんでした。

 

エンジニアに憧れる中学生だったのですが、シンセサイザーと言うものに惹かれて「音(音色)」を探求したいという子供でした。当時なのでCDはまだ無く「LPレコード」の「組曲 惑星」を買ってきて自宅にあったステレオで聴きました。冨田勲さん(linkはWikipedia)はMoogシンセサイザーを個人輸入して音の造り方を探究して多重録音で主にクラシック曲のシンセサイザーでの編曲した作品を発表していました。

ホルスト作曲の「組曲 惑星」から宇宙旅行の様な解釈をした作品は、印象に残るものでした。地方に暮らしているのでレコード店から買ってきた冨田勲さんの作品を聴いてみて、「原曲(クラシック)を聴きたい」と思った時には図書館で借りられるオーケストラの作品を聴いていました。ムソルグスキーの「展覧会の絵」、ドビュッシーの「月の光」などを冨田作品とクラシックの原曲の両方で聴いていたのが、当時のことです。

シンセサイザーというものを使ってはいますが、冨田作品は決して原曲のイメージを壊すことなく新たな解釈の作品となっていました。

 

こういった作品を聴く事が音楽体験ではあったのですが、一方でエレクトロニクスのエンジニアに憧れている面もあったので、「子供の科学」、「初歩のラジオ」を読んだりもしていて、「シンセサイザーを作りたい」と憧れる面もありました。当時は音楽にも触れてはいましたが、自分で演奏するとかには興味は及ばず、「音は聴くもの」でした。この流れで耳に入ってきたものが、「YMO」などでした。

YMOは主に歌詞はなく、旋律も単調なものを繰り返す様な作品が多かった様に思います。ただ音色は独特のものでした。YMOを耳にしたのは主にラジオだった様に思います。ただ、シンセサイザーの耳新しさはあったものの、当時は聴いていて「面白い」とは思っていませんでした。

 

中学生の後半から高校生の時代になると、友達も様々な音楽を聴き始めていました。ビートルズやQUEENをよく聴いている友人もいましたし、オリビアニュートンジョンや山下久美子さんを聴く友達もいました。

 

Olivia Newton-John - Jolene

 

この頃になると段々とポピュラーソングへと聴くものが変わってきた気がします。友達の中には音楽を聴くだけではなく、楽器演奏(ギター)に手を出し始めている人もいました。友人達は兄弟が居て楽器の演奏へと進んだ様子でした。彼らは、アリスの曲をカバーしたりしていました。

 

ちょうどその頃は弟たちも母の影響があり、学校のブラスバンドに参加することになったり、フォークギターを手にしたり、オルガンのレッスンを受けたりしていました。

高校生の頃で学校の校内放送などでプロアーティストの曲が昼休みに流れてきたりしていました。

その頃、偶々耳に入った一曲が「オフコース」の「やさしさにさようなら」でした。

声が高くて男性なのか女性なのかも分からず、歌詞も「誰か他の人の為に生きるの」と何か印象に残るものでした。

そしてイントロにあるハーモニーに惹きつけられました。

 

 

多分、これがオフコースの曲との出会いでした。

 

#追記(2022/11/27)

「やさしさにさようなら」は小田和正さんの作詞作曲ですが、シングル盤のB面になった「通りすぎた夜」は鈴木康博さんの作詞作曲です。

どちらの曲もハーモニーが良いのですが、歌詞もどちらも好きです。

(参考:「通りすぎた夜」(linkは歌ネット))

 

#追記(2022/11/27)

「通りすぎた夜」の動画(?)も有ったので、載せることにしました。