
文豪・田山花袋、終焉の地の代々木のカフェにて小説『少女病』を読む。ジャスミンの香りに包まれながら
あたたかな春の日の昼下がり、
東京の代々木にある、
文豪・田山花袋(たやまかたい)の終焉の地を訪れると、
楽しみに待っていたジャスミンの花が咲いており
甘い香りを漂わせておりました。
ここには名店のパン屋「塩見」があり、
カンパーニュと食パンを買い求め、
同じ敷地内にあるFarm Mart & Frendsにて、
桜と小倉のドーナツを食べながら、
そして、オーツラテを飲み、
田山花袋の短編小説「少女病」を読書してきました。
明治40年に執筆されたこの小説の舞台は、
代々木と千駄ヶ谷です。
田山花袋がまさしく住んでいたこの土地に暮らす
売れない小説家の中年男性が主人公。
当時の田山花袋そのものを現しているかのよう。
山手線って、明治40年にすでにあったんですね。
千駄ヶ谷に田んぼがあるというのが驚きです。
僕は、神宮前に生まれ、5歳から千駄ヶ谷にずっと住んでいるので、
この小説のことがとても気になっていました。
桜ソーダと、
チョコレートバブカを追加注文。
「少女病」は、驚いたことに春の季節が舞台の物語でした。
まさしく今の季節に、この地が舞台の小説をここで読むという、
特別な体験です。
ジャスミンの甘い香りに包まれながらの読書、
これまでの人生の中でも飛びきり幸せな時間でした。
「少女病」の中で、一番お気に入りのフレーズは、これです。
「黒い柔らかい美しい春の土」
なんて素敵な表現でしょう。
その上に、少女が落としてしまったアルミニウムのヘアピンは
「金屏風に銀で画いた松の葉のよう」
と、これもまた美しく表現されています。
ただの何の飾り気もないヘアピンが道に落ちているだけなのに。
あとをつけている気になる少女が落としたものだから、
男には宝物のように目に映っているという、
ストーカー気質の変態性を、
ここまで美しく表現するというギャップがたまらなく好きです。
明治から令和へ、時代を超えて、
田山花袋の心に触れることができたような、
そんな気持ちになれた、うららかな春のひとときでした。
ちょうど今年の2月に「少女病」が、イラストレーターのカオミンさんとのコラボ本として出版されていてタイムリーです。
千駄ヶ谷は、通ったことのない道はありません。
しかし、その隣町である代々木はまだ、通ったことがない道が残っています。
帰りに通ったこの道も、生まれてはじめて通る道でした。
帰宅してから、塩見で買ったカンパーニュを食べました。
2年前に、然る女の子からいただいたオリーブオイルと、
やはり2年前、その女の子からいただいたお塩を開封し、
カンパーニュにつけて。
ふと
「田山花袋から、このお塩とオリーブオイルをどのように表現しただろう」
と考えてしまいました。
14年ぶりに女装をして外出!原宿に行った結果は!?ファッションについて
14年ぶりに女装をして外出してきました!
原宿で紅茶を飲んで、お化粧品やアクセサリーをショッピング♪
とっても心の解放感があり、幸せでした♪
ブラウスの上にワンピースを重ね着して、ボレロを羽織って、
ドクターズバッグ(イギリス製)と、ヴィヴィアンウエストウッドのオーブを。
クラシカルなファッションで、
修道女っぽさがあったので、
サンタ・マリア・ノヴェッラの香水を纏いました。
もうすぐシーズンであるジャスミンの香り。
今回はじめて年相応のファッションを意識したからなのか、
原宿だからなのか、
時代の変化なのか、
奇異の目でみられることもなく町の中に溶け込むことができました♪
むしろ普段よりも、優しく接してくれる方が多かったくらいで、
とても安心することができました♪
思い切って外出して、本当によかったです・・・
セクシャルマイノリティーであるトランスジェンダーとして
生きにくく辛いことはたくさんあるけれど
大好きなモッコウバラが満開の今
この花のように明るい気持ちで生きていきたいです。
この記事を書いていたら、ふとYouTubeから
渋谷慶一郎さん、「for maria」から11年ぶりのピアノソロアルバム「ATAK024 Midnight Swan」の中の一曲
「Midnight Swan」が流れてきました。
渋谷慶一郎さん、一時期すごく好きでずっと聴いていました。
このアルバムは、映画「ミッドナイトスワン」のサウンドトラックです。
当時話題になっていたトランスジェンダーの映画ですよね。
まだ観ていないのですが、これも何か思し召しのサインかもしれませんので、観てみようかな。
二か月間に渡って制作してきたサンドアートとフィンガーダンスのミュージックビデオについて
二か月間に渡って制作してきたミュージックビデオは、Conanimalさんの「ライオンにあこがれて」という曲のMVです。
Conanimalさんは、元The brilliant greenのギタリスト・松井亮さんと、作詞家であり動物保護活動家、そしてアニマルウィスパーとしても活動するZinney Imasatoさんのお二人の動物愛護家の想いが重なり誕生したユニットです。
先日、MVの撮影現場に、Zinney Imasatoさんが訪れてくださった際に、みんなで記念撮影した写真です。
昨年結成した、サンドアート集団SILTとフィンガーダンスチームXTRAPさんによるユニット「tenoe」の初仕事となります。
XTRAPさんとは2019年からコラボを開始し、これまでにAliAさんの「letter」のMVや、乃木坂46さんの名古屋ドーム公演用の「風船は生きている」の映像や、同じく乃木坂46さんの全国ツアー用の「Sing Out!」の映像や、スイスの時計ブランド「IWC」のプロモーション映像を制作してきました。
その後、大阪関西万博300日前イベント及び100日前イベントに出演しミャクミャク様とステージ上でコラボ、TV番組「ひるおび」に生出演してパフォーマンス。
さらに、世界の強豪も含む数多くのエントリーの中から、大阪関西万博のプロジェクションマッピングコンテストに入選。万博のメインホール「シャインハット」の外壁という数十メートルの巨大プロジェクションマッピングで、一か月間に渡り毎晩上映されたことを契機に、「tenoe」を結成するに至りました。
今回の楽曲「ライオンにあこがれて」は、とても切ない実話をベースとした歌詞となっています。その実話を元にMVを作りました。
サンドアートとフィンガーダンスの共通点は、「手」を使うことです。手の温もり、真心を込め、時間をかけて作り込んだ渾身の一作、ぜひご覧いただきたい、ぜひお聴き頂きたいです。
満を持しての公開を、どうぞお楽しみに。
映画「落下音」感想。 人生の中で、一番好きな映画かもしれません。
カンヌ国際映画祭で審査員賞を受賞した
マーシャ・シリンスキ監督のドイツ映画『落下音』を、映画館で鑑賞してきました。
人生の中で、一番好きな映画かもしれません。
以下は、感想レビューとなります。
言われるように難解な映画だとは僕は思いませんでした。
東ドイツの歴史だとか、人物相関図だとか一切知っておく必要もなく、考えるのではなく、感じるままに観れば良い、必見の映画です。
自然光を活かしたり、ピンホールカメラを使用したり、人物配置の構図や長回しなど、こだわりぬいた映像美はレンブラント絵画のようでもあり、かと言ってキューブリックの「バリー・リンドン」ほど様式的でもなく、タルコフスキーの「ノスタルジア」ほど詩的でもなく、生っぽい視線がまとわりついてくる、言葉で形容しがたい監督独自の感性が瑞々しく冴えわたっています。
音の感性も、とても心の奥底に響き、鑑賞後も残響として感覚が残り続けています。
台詞は少なく、その1つ1つが忘れられない、示唆に富んだものでした。
映画の中の「労災」という言葉が指し示すように、言葉はカテゴライズして安心を得るためのものでしかなく、1つ1つの事案ごとにしっかりと見つめないといけない。
聞きたくない言葉、見たくない人の暗部、少女たちの視線を借りて突きつけられるようです。
「記録」ではなく「記憶」を映像化する監督のこだわりは、心の想いを大切にされている優しさだと感じました。
私はこの映画を観て、自分自身が心に蓋をしていた、子供の頃の記憶がいくつも蘇りました。
わざと立ち止まって、母とお友達がいつまで自分に気がつかないで、楽しくお喋りして歩いていってしまうかを試し、ずっと遠くなるまで気がつかれなくて辛くなったことや、死のうと思って何度も死ぬことを想像したこと。
可愛い女の子の服はサイズが合わなくて、横たわった身体の上にのせられて、心が辛くなって歌っていたら黙っているように言われ、嫌われたくないから父が満足するまで従って。
父に、高い声で喋るのを気に入られ、ずっとその声を出すように言われ、好かれたいから従って。
それらは、1910年代でなくても、東ドイツでなくても、少女でなくても、どの時代のどこの場所でも起こっている子供の頃の記憶の数々です。
そうしたことを見つめなおさせてくれて、優しく包み込んでくれて、乗り越えさせてくれる映画でした。
ラストシーンには解放感を感じました。
ずっと観ていたい、これからも何度も観たい映画です。
マーシャ・シリンスキ監督が、
「落下音」を作る上で影響を受けた映画はなく、
フランチェスカ・ウッドマンに影響を受けたとインタビューで語られていて、
とても気になり手に入れた次第です。
アメリカの写真界の草分け、
フランチェスカ・ウッドマン。
ひじょうに強い感銘を受けました。
もっと早く、若い頃に知っておきたかったとさえ思いました。
「落下音」を気に入った方はぜひ、
フランチェスカ・ウッドマンの写真もご覧になられることをお薦めいたします。
アンドリュー・ワイエスの画集を見ながら、コーヒーとチョコレート。
アンドリュー・ワイエスの画集を見ながら、コーヒーとチョコレート。
「薄氷」は、唸り声をあげるほど感動しました。
「霧の中のオルソンの家」「オルソンの家」「カーナー家の夕暮れ」「粉挽き小屋」といった、
家がうつる風景画に惹かれます。
「薄氷」「駆ける雄牛」「雪まじりの風」のようなミニマルな世界観も心を奪われます。
「私は世の儚さというものに、人一倍敏感である。
すべては移り変わる。父の死が、私にそう教えてくれた。」
ワイエスのこの言葉に強い共感をおぼえました。
私は21歳の時に最愛なる父を亡くし、
まさしくそれが世の理だと感じ、
世界の尊き美しさを知ったのです。
人生は短く、生きることに意味はない。
されど、この世は美しく、傍観者として世界を眺めることができることは幸せなこと。
それでも、その世界の美しさに感動した心の高まりによって、
作品を創作したいという衝動が生じ、
それは抑えられるものではない。
僕にとって、一番大切な桜の木を想い、短歌を詠みました。季語「夢見草」を用いた代表的な俳句。
僕にとって、一番大切な桜の木。
今年もまた愛でることができました。
桜には様々な別称があり、
その一つが「夢見草」(ゆめみぐさ)
とても素敵な言葉ですね。
日本語は美しいです。
この季語を用いた有名な俳句。
「夢見草 の むかし や 今 に かえり ば な」
(夢のように美しいこの花を見ていると、昔の思い出が鮮やかに甦ってくることだ)
なんて心に響く俳句でしょう。
これ以上ないくらいに共感をおぼえます。
僭越ながら、僕も、
この時に感じたことを短歌にして、
一首詠みたいと思います。
咲いて散る
幾年(いくとせ)の春
夢見草(ゆめみぐさ)
耳を澄まして
永遠(とわ)に眺(ながむ)る
(桜の木は、生まれては死にゆく人々の想い出を、ただ静かにずっと聴いてくれている)









































