A Cheap Log. -28ページ目

A Cheap Log.

Kei

昨晩の長雨でなんとなく暖かい。マフラー巻いてたが殆ど必要ないので鞄にかたして歩いていると風は強いが気持よかった。


久々にミナミに出る用事があってアメリカ村の近くを歩いていたが、時間が空いたのでブラッと街に入った。


ずいぶんご無沙汰やったこの街は、物凄く様変わりしとった。サンビレッジとトムズハウスは残っとったが、殆どの店は昔の名残も全くない別の店になっとった。


三角公園に行って久々に座って辺りを眺めとったが、昔とは雰囲気はまるで違った。昔は公園におじいはんが散歩休憩なんかで佇んではったりしたが、今はそんな風情はどこにもなかった。


この街が大きく様変わりし始めたんは、考えればもう20年も前になる。


当時この街が根城やった僕は、公園横のウェスタンカフェのエルパソで連れと茶をしばいとった。


暫くするとネクタイはめた連中が十数人入ってきて図面出して打ち合わせし始めた。この街に不似合いな連中やった。


暫くしてブルータスビルが出来た。これが街が変貌する最初の大きな出来事やった。


今ゼニアが入ってる場所はビルごと建て替わったが、昔はのんびりした洒落た喫茶店があって、カウンターの上をオーナーが飼ってはる猫が歩き回っとった。カレーの美味しい店でゆっくり寛がせて頂いたのを覚えてる。


コークステップホールが建つ前にあった学校の事なんか歩いてる若い子らは全く知らんやろうと思いながら、暫く歩いて通り沿いのマクドナルドに入って仕事しながらブログ書き初め、昔の事をあれこれと思い出し始めた。


高一の時、インディーズのラフィンノーズが公園でライブしとんのを連れと見とった。殆どハードコアパンクの連中ばかりやった。僕はバラクーダのスイングトップにLevi's,連れもおんなじようなカッコしとった。ミナミの街中はビックリするくらいパンクスが集まって来て、調子に乗って引っ掛け橋にスプレーで落書きしとる奴もおった。公園は今まで見た事ないくらい人で溢れとって、周りにおった普通の子らはビビってるようやった。横のポリ署の警官さんらもいつもよりぎょうさんおってかなり警戒しとったのを覚えてる。


元々この街はサーファーの溜まり場から始まった。ヨーロッパ村のバブル的雰囲気にに馴染めない連中が集まるサブカルチャーの街には、古着屋とか中古レコード屋がぎょうさんあった。店もみんな特徴あった。アメカジやったらスタジアムとかアンティーク物やったらマチネーとか、とりあえずDEP’Tとか、みんな好きな店もたいがい決まっとって、お店の子らと値切りすんのも楽しみのひとつやった。僕はグッディーズやダナポイントに良く行っとった。三つ釦の服をよく探しとったのを覚えてる。半日くらい平気で歩き回るんは常やった。


今はピンクのレコードチェーンのマネージャーやった連れも、最初はこの街の黄色いレコードチエーンで土日のミニライブの司会なんかやりながら働いとった。


以前、この街を創った十数人の中の一人の方と仕事でご一緒した事があった。今は世界シェアダントツの某メーカーの部長サンになってはるが、若い頃は渡米して自由に生きてはった方やった。


その人と最初に街を一緒に創らはった方々は、自分達が居心地の良い街を創ろうと夢があって街を創ったらしい。その後仲間が段々減っていって最後はみんないなくなったそうやけど、その頃は毎日がほんまに楽しかったと一緒にメシ食いながら懐かしそうに話してはった。


僕らが街におった頃は、所謂第二世代なんやと思うが、まだ当初の匂いは残っとった。みんな共通項があった。ブランド物なんか糞喰らえ的な、自分らだけのアンテナに引っ掛る価値観を持っとった。


15年前、某ドーナツチェーンのユニフォーム製作の為にリサーチに来た。当時はまだ20代半ばの結婚前で、プチデコレーションのべスパ転がしモッズのかっこしてアホみたいに闊歩しとったが、なんとなくこの街が居心地悪く感じるようになっていた。


自分が年経って変わったんは勿論やが、それだけやなくこの街が商売の匂いのする街に変貌しとったんが一番の原因やったと思う。店の出入りが激しくなり、どこ行っても古着のGパンにネルシャツとか売り易いもんばっかし並べて店の特徴はあんましなくなっていた。結構好きやったNYLONみたいな感じの店が殆どなくなった。


街は刻々と変化する。人もどんどん変わっていく。昔が良かったなんて感慨に浸るんは単なる年寄りのノスタルジーやと思うけど、なんとなく予定調和的になったこの街から、新しいノイズがもう少し出て来て欲しいと漠然と思った。


ロンドンのモッズの中から生まれたスモールフェイセスみたいに、自分らの街から何か分からんが何か生まれるという感じが街に溢れてきたら、大阪はまた変わっていくんやと思う。もうだいぶ昔になったけど、関西から最後に全国に流行らせたイタカジみたいなムーブメントが、この街から生まれる事を期待しとります。

新年初めてのブログは大寒らしい冷え込んだ日となった。


今年は元旦に大阪天満宮にお参りに行ったが、物凄い人だかりやった。ほんまに誰もが「神頼み」なんやなと思った。新年めでたいという雰囲気はあんまし感じへんかった。


震災から14年が経った。テレビでも震災の番組は年々減ってきた。皆それどころやない現状の中、記憶はどんどん風化していく…


震災当時僕は義理の親父にあたる方の建築関係の会社を継いで2ヵ月くらいやった。


勤めていたアパレルメーカーをまさか辞めなあかん事になるとは思ってなかったが、世話になった親父さんが脳梗塞で倒れ危篤になっ為、止む無く急遽退社して会社を動かす事になった。

何も分らんまま仕事を始め、朝5時に起きて京都の旧帝国大学の100周年改修工事に行き現場で職人の作業管理と施工を手伝っとった。


17日朝の事はいまだにハッキリ覚えてる。揺れた瞬間普段全く起きない僕が怖がってしがみつく家内を放して下に走り降りガスや電源を引っこ抜きすぐNHKのニュースをつけた。

速報では京都で震度5となっとった。

「こりゃまずい…壊れとったら金が入らんかもしれん」請負金は数千万円…どないしようか思案しとったら、家の向かいの化学工場が燃え始め、明け方7時過ぎには全焼した…


事務所に走りどないするか考えたが、兎に角現場行かんと何も分らんと思いバイクで飛び出した。


途中走ってて何もなく大学も無事やった。現場所長ら皆が集まったんは午後4時を過ぎた頃やった。

所長から「○○社長、あんた明日バイクで神戸走ってくれんか?何か大変な事になっとるらしい…」

地震当日の情報はこの程度やった。


翌日からほんまにしんどい日々の始まりやった。地獄やいうたら大袈裟やけど、今思い出してもかなりの長い間が非日常の日々やった…


イトマン事件に大震災と、関西はまさしく壊滅状態となった。大学で神学を専攻しとったが、この時ほど神なんかおらんと思った事はなかった。


今こうして生きとる…お亡くなりになられた多くの方の事を思えば、生きられる事自体を日々ほんまに感謝せなあかんとつくづく感じる。

人間嫌な事しんどい事はすぐ忘れる。そやけど忘れたらあかん事はある。


僕ら関西人は、こんだけひどい震災から立ち上がって今に至ってる。自信もってプライドもって前向きに生きなあかん…



気がつけば大晦日。あと数時間で今年も終わる。


師走とはよう言うたもんやと毎年感じる。いや年々早くなるような気がする。


本厄やった今年、一年通してほんまにええ事は少なかった。ただひたすら耐える、という感じやった。


ええように考えたら、厄年がこの程度で済んだんやと思えば儲けもんやと言い聞かせ、後厄もスウェイバックでかわしまくれたら御の字や…


年末のテレビ見とったらオリンピックの再放送やってて、夏頃は年末にこないな事が待ち受けとるとは殆ど誰も思ってなかったやろな~と漠然と思った。


日本も現時点で使えるカードは使い果たした感があってしんどい。これからがほんまの長期低迷に入るような状況下、昔よく冗談で言うとった「日本人はそのうち華僑になるか移民になるかどっちかやで」が現実的になってきとって笑える状況ではなくなってきた。


僕の大好きなソウルシンガーのサムクックのWhat A Wonderful Worldを思い出した。

  ~何にも知らない。それでも何てこの世界は素晴らしいんだ!~

当時のWASP全盛のアメリカでとてつもなく苦しい状況下にあった彼らが、それでも生きる事から逃げんと頑張ってる様が前向きに朗々と謳われてる。


「生きる」事は戦う事でもある。閉塞感漂うこの日本も、「まだまだこれからや」と個々人が精神的にタフになっていけば、しんどく思う事も少なくなっていくと僕は思う。気休めかもしれんが、しんどうても笑って堪えるだけで人は強くなれる筈やと信じたい…


来年も芳しくない状況は続くやろが、「困難かかってこいや」と自分に言い聞かせ、ええ年になるようせいぜい頑張りたいと思います。



急に寒くなった。その後のWHOの関東でのライブも盛況のようでまずは良かったと。

バタバタしていて結局行けなかったが、次回の再来日を信じて日々生きていこうと…


時代が大きく変わりつつある。一昔前に車メーカーは大連合を形成し新たな時代に突き進むと、華々しい幕開けの喧伝やったが、遂に鍍金が禿げ始めた。理の叶わぬ事は世界規模で通用しなくなってきている。


アメリカの崩壊が日を追うごとに顕在化し、日本も他の国も狼狽している。


以前NHKの傑作ドラマ「バブル」に「誰かが最後にババをつかむ」とあった。白人のマネーロンダリングに、日本も諸外国も片棒を担がされ最終的に皆がババを掴まされる事になってしまった…


自民党の限界が露呈してきた。末期症状のステージ4やと思われる。


Meet A New Boss,Same As The Old Boss


何も変わらないのではなく、何も変えられない今の日本政界に蔓延る二世議員の無責任(全ての人がそやとは思わんが)なその場しのぎの言動を、それでもまだ支持する輩はいるのか?


I’ve Had Enough


次の選挙にはとにかく皆行って投票して欲しい。


テレビのインタビュー見とったら、誰が政権を担っても何も変わらないとか無責任な事を平気で言う輩が多すぎる。自己の義務放棄は何とも思わず、批判を口にすれば自分はまともな人やと妙な錯覚しとって何もしない無責任極まりない人々…投票にすら行かない人々がとやかく言う資格は僕はほんまにないと思う。


在日外国人の方々は、日本人と同じように暮らし税を納めても、選挙権を有していない。そういう方々は選挙行かずに文句ばっかし言うてる日本人をどう思うのか?ほんまに恥ずかしい事やと思う。


僕らが子供の頃から、日本は幾多の窮地を乗り越えてきた。その度にそのハードルはどんどん高くなっていった。現在のそのメカニズムは、以前と比べ難解極まりないものに変貌している。角栄さんが今おられても、当時のようにはいかんと思う。

「どうせやってもあかんのやったら、当たって砕けろでやるだけや」と「どないしていいか分らんが、とりあえず何とか凌げれば」と、どっちがこの国に今必要なのか?


正直、ほんまにみんなが考えなあかん時期です。





昨日に続き絶好の快晴。縁起が良い。


朝からKidsAreAlrightを久々にずっと見ながら支度してた。よく見ると昔のVHSの頃と訳が違うところが一杯あった。


二時頃、家内と家を出た。折角やから京橋で乗り換えて久々に大阪城公園駅で下車した。


だいぶ早かったけど、それでも何人か来てはった。ちょっと写真撮ってから暫くして一杯飲みにOBPへ。ええ具合に酔っぱらって戻ってきて4時半頃から物販の列並び始まりパンフとポスター、キーホルダー、かみさんは黒のTシャツ買ってまた一杯飲みに戻った。


5時過ぎに戻ってきたら、ええ具合に一杯になって来てた。6時半くらいまで噴水の所で座ってて来た人らを眺めてた。アーミーパーカ着てる人らは結構おったけど、僕みたいにスーツの人は殆どおらんかった。やっぱしターゲットのTシャツが一番多かった。ほんまにみんな来るやろかと心配してたけど、まずまずの入りやった。


席はアリーナの一番右のほぼ最後尾やった。半泣きやった。UDOの先行予約チケットレスはほんまにみんなの言うてた通りやった。家内が初めて観るからもうちょっとええ席でで見たかったけど、ステージまでほんまに遠かった…

おまけに訳の分らん映像をスクリーンにずっと写しとって、ステージ映さんかいとかなり頭にきとった。


4年ぶりに観たWHOは元気やった。ピートは前より痩せてシャープになったように見えた。ロジャーも前よりも声が出ててビックリした。セットリストは大方の予想通りやった。ザックのドラミングに合う曲が多かった。


トミーのメドレーが今のメンバーでは一番合ってる。スパークスのあたりは、横浜の時もそうやったけど、キースとジョンが降りて来てんのちゃうかと思う位良かった。鳥肌立って気付いたら泣いとった…


家内は来て良かったと喜んでた。結婚して15年ずっと聞かされてたのを生で観れて良かったと嬉しそうやった。


武道館か…なんとなく行きたくなった。


そやけどまた来るような気もしてきた。LONG LIVE ROCK(昔のLPライナーには「ロックよ長生きせよ」なんてちんぷんかんぷんな訳詞ついてましたな…)またの来日を楽しみにしとります。