先週末は、
専門学校の時の友人と5人で会った
皆、歳も入学した年も少しずつ違うけど
生徒の時から学校でアシスタントしたり
卒業して一度就職した後に、
講師として、その学校で働いてた期間
スタッフ仲間として仲良く、
これまで長く付き合っている
スタッフ辞めたあとは皆それぞれ
地方に戻り、自分の教室を開いたマミさん
大先輩のくーさまは、都心に学校を設立した
もう15年以上経営している
資格の勉強を極め、
アメリカとフランスでのディプロマを持つ
まりちゃんは今、他の専門学校で教えていて
最近は、専門書を監修
何でもこなせて優秀なあぜちゃんは
その業界でかなり長く働いてきたが
子育てしてからは、他で仕事してる
みんなから、ぜったいもったいないよ〜と言われてる
私は、完全に独立しこの仕事1本にしてからは23年が経った
19になる少し前に、
歯科医院の勤めを辞め、
専門学校に通うために東京に出てきて
兄のマンションに居候
午前中は百貨店のおもちゃ売り場でバイト
昼から学校行って授業受けて
夕方からは駅前の喫茶店でバイトする生活
入学して半年後、
器用でカンがいいためそこそこ優秀な私は
アシスタントにならないかと言われ
午前中は学校のお手伝い、
午後や夜間に授業を受けて
授業料は全額免除
したら、時間的に毎日バイトができないから
もっとど貧乏になり生活やばくて
お弁当持参して節約して
休日に観光バスの添乗員バイト
兄があれこれウザイのでマンションを出て
3歳の時から会っていなかった母親の家に居候させてもらったが風呂使えなくて銭湯通い
これまた毒親がすぎて、
とにかく何でもいいから早く自立をしたかった
14歳から、
貧乏ではあるけどめちゃ自由で楽しい一人暮らしをしてきたので
クセの強い毒家族との同居は苦痛でしかなく…
そのあと就職して母親の家から出た
光熱費込みで家賃3万の、女子限定の昔の下宿みたいな部屋に住み、また銭湯通い
仕事は営業職OL
夜は週2で六本木でバイト
土日祝日はバス添乗員
夜中に車の代行のバイトしたりも
あとは
自分で取ってきた仕事を家でこなす内職
せっせと貯金がんばる生活を続けた
したら1年後くらいに会社で
なんだこの部長たちのやり方は?
と思う事があって
顧客を金づるとしか見ていなくて
おまいらふざけんなよと心の中でちゃぶ台をひっくり返したくなり
翌週には一身上の都合でと辞表を出した
そしたら、すぐに副部長が私を応接室に呼び
「もし何か他にやめる理由あるなら僕が話聞くよ」と言ってきたが
あれはもしかしたら幹部たちが
なんか不満があるのか聞いてこいって指示したのかも
そうだよな、
社長や部長の犬である副部長も
いろいろと苦い思いがあるんだろうな〜うんわかるよ〜と内心思いつつ
21歳の私は笑顔で、
「えー別になんもないですよ〜
家の都合なんで〜すみませーん今までお世話になりました」と
こいつらクソだなと思った理由を言わなかった
なぜかと言うと、以前に
高校卒業してから
地元の会社に半年か一年くらい勤めてて
そこを辞める時、
18歳の私が
「この会社のこことここがすごく効率悪いし
所長のこの行動はもっとこうしたほうがいいと思います」とか
若気の至りで、ズカズカと言った事あって
そんな事を小娘に言われて、
気の優しい所長がずっと悲しげに首をかしげてる様子を見て
あ、やべえ、ワタシ余計なこと言ってしまったわ
そんな事言っても、会社はどうせ変わらないだろうし…
だから次は
辞める時になんも言わず去ろうと決めていた
上から下から板挟みの役職の人って大変だよね
会社辞めた翌日に専門学校に遊びに行ったら
ささっと学長が近づいてきて
「あ、じゃ明日からこっち来てね〜」と
講師バイトが始まる
当時バブルで生徒数も3倍に増え
時給もどんどん上がってた
他の仕事2つ3つかけもちしながら
学校で週に2、3日働くのを、5年ほど続けた
教えるのは嫌いでもないんだけど
自分では向いてないなと思ってて
一生懸命やる生徒をひいきしちゃうし
同じ事何度も言うの飽きるし
あと、「先生」と呼ばれてもピンとこない
自分で創意工夫しながらどんどんなんかをやる方が好き
生徒やスタッフと
しょっちゅうキャンプや旅行に行ったのは楽しかった
今や…
われわれ皆60代だ、
親の介護や自身の老後を考える…
5人で喋ってあっという間に3時間たった
飯田橋の店を出ると、雨降ったあとで
だいぶ涼しくなって
帰りの電車は
花火大会の帰りの人と
野球観戦帰りの人でいっぱいだった〜