母の日が嫌いな少女が母になったんだっけ | 獣医さんになれるかな

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獣医師を目指す娘を見守る母日記


もう何とも思ってないし忘れてたけど


私の実母も継母もひでぇ女だったので


子どもの頃は

母の日もカーネーションも嫌いだった



物心着いた頃から中1くらいまで

自分が受けたひどい家庭環境について

心の底からクソッタレいつか見てろよと思い続け


なまじ反抗したりすると

10倍返しされる勢いだから

心の中でクソ女地獄へ落ちろと念じ


私はひたすら黙って、言われる通りに


朝学校行く前と帰ってからは

毎日家事やおつかいのあれこれをして

小さな弟の面倒をみて

重労働クタクタなのに私だけ別メニューの

完全に嫌がらせの食事を与えられていたのよ


向こうはインテリなのかもしらんけど

10歳くらいのこっちも負けじと

無言で冷たい戦争の戦略をあれこれ練っていたので


そんなかわいげのない私へ、継母が

言葉のかわりに毎日何発も殴ってくるわけ


ああ思い出したらムカツイてきたームカムカ



腹たつので

こないだGWに友人らと行った赤レンガでの

爽やかなバルコニーで一杯の気分を思い出す





で、

子どもの頃はその怒り恨みをバネにして


中2でやっと家を出られて


持ち前の空想力と行動力と危機管理能力を発揮しまくってサバイバルしてここまできたのだから


まぁもう、結果オーライなのよ


親のせいとか育った環境のせいとかにしたくないわけ


それに私だけじゃない


私の姉は、なんと小6で家を出され、

仲の悪い兄と一緒に下宿して、

そこでケンカばかりで泣き暮らし


だけど姉も気が強いから中学から剣道やって

それで兄を叩きのめしてから下宿を出て一人暮らししたんだってさ


12歳からなんて、、

姉の方がきつかったでしょ


だから姉は親に対してのトラウマがすごい


姉はさ、

勉強もできて絵も上手くてピアノも弾けて

なんでもできて、さらに国体の短距離走で

何度もメダルもらって体育の教科書に名前が乗るくらい脚が早かったんだけど


その時のメダルや写真を、大人になってから見せてもらったら


靴買えないから足袋で走ってたんだよ


いつの時代だよって心の中で突っ込んださ


ちなみにそんな父親と母親と継母は超高学歴

けど人としてはクズなわけで



晴れてやっと家を出られた私は、

優等生の姉とは正反対で

いい加減で超適当な性格のおかげで


貧乏だけどかなり楽しくやっていたのだからさ


OKニヤニヤ


歳とってくると

辛かった事より楽しかった思い出の方が残るんだな




ぷーこがアパートへ帰る電車の中から

絵を送ってきた


花は金がかかるが絵はゼロ円もぐもぐ




おお!


うまいねニヤニヤ


嬉しいな、ありがとうラブラブ


揺られながら描いたからガタガタになったウシシ


電車の中で描いたら酔いそうだな


あ、でも私お花もらうのも大好きだよん。


あとゼロ円じゃないよ

そのiPadもペンシルも通信料も私が払ってるもんね



いつかアンタが完全に自立したらさ

カーネーションじゃない、

素敵な花束を楽しみに待ってるよ真顔飛び出すハート