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サラリーマン社長のムービートラベル

近年は、正月映画なんて死後になりつつあります。昔はね、「今年は3G」なんて言葉が年末に近づく流行りました。3Gって「ゴーストバスターズ」「グレムリン」「ゴジラ」です。年末年始の映画は大作、話題作の娯楽作品がどっと押し寄せました。「タイタニック」然り、「アバター」然りです。近頃は正月映画って全く聞かなくなりましたね。年末年始やからて派手な映画でお客呼ぶ必要ないと言うことなんかな?

大型連休やから正月はハワイで、ヨーロッパでなんて人が増えましたからね。少々寂しい、まっ、旅行会社がこんなん言うのなんやけど...。

今年で言えばこの「クレイヴン・ザ・ハンター」が洋画代表の横綱格かな?うーん、少々線が細いかな、ああ、またマーベルコミックかー。と思いきやなかなか面白かったです。正統派のヒーローじゃない、流行りのダークヒーローってやつです。父は超が付くほどの悪党、それから逃れたくて少年時代に家を出る。あることがきっかけで一度は臨死体験をするが謎の秘薬によって蘇る。蘇った彼はまさに荒れ狂う獣のような攻撃性と敏捷性で敵を襲う。なかなかですよ。

重犯罪者が集められた極寒のロシア刑務所に一人の男が送られてきた。彼はいとも簡単に看守たちの看守たちの目を掻い潜り刑務所であるにも関わらず、超特別待遇で豪勢な生活を送る、裏世界の大物セミョンチョーニイを暗殺しどこへともなく姿を消す。野獣のような攻撃と俊敏さ常人とは思われない彼を人は伝説の暗殺者クレイヴン・ザ・ハンターと呼ぶ...。

16年前クレイヴンことセルゲイクラヴィノフは弟ディミトリとともに父親の資産家ニコライクラヴィノフの元で生活を送っていた。ニコライクラヴィノフは表の顔は超が付く資産家だが裏の顔は世界の犯罪界を牛耳る冷酷無比の男だった。兄弟は父親を心の底から憎んでいたがその支配下から逃れることはできなかった。セルゲイには大きな期待が寄せられていたが気弱な弟ディミトリは父に疎まれていた。セルゲイはいつもそんな弟を庇い続けていたのだった。

ある日、二人は父に連れられアフリカのハンティングに狩り出されたのだが、セルゲイが地元で有名な人食いライオンに襲われ瀕死の重傷を負う。一度は心臓が停止したものの不思議な少女の持つ秘薬により一命をとりとめる。昏睡状態から目覚めたセルゲイには獣のような俊敏性ととてつもない強力な力が備わっていた。クラヴィノフ家に戻ったセルゲイは遂に父に反抗しディミトリが懇願するのも振り切ってクラヴィノフ家を去る。彼が住処に選んだのは冷酷な父のため精神に異常をきたしこの世を去った母の住んでいたロシアの荒野だった。ここで彼は世界の犯罪者たちを闇に葬る伝説の〝クレイヴン・ザ・ハンター〟として生きていく...。

年月が経ちクラヴィノフ家を取り巻く環境も変わっていく。ディミトリは自らの音楽の才能をいかしクラブを経営していたがセルゲイは毎年、弟の誕生日には駆けつけていた。そのクラブで一番会いたくない男、父ニコライに出会う。セルゲイが立ち去った後、クラブに潜んでいた殺し屋がニコライに襲いかかる。何とか命拾いをしたニコライだったが確実にニコライの犯罪勢力図は変わりつつあった。ニコライを狙ったのはかつて彼の元で働いていたアレクセイ。アレクセイは特異な遺伝手術を受け体中がサイのような皮膚となる怪人ライノに変身する。彼の元には催眠術を駆使するフォーリーナーなど強力な殺し屋たちが集まってる。アレクセイは今度はディミトリを誘拐、セルゲイは弟の救出に向かう。だがこれは〝ザ・ハンター〟クライヴを誘い出す罠だった。クライヴ、アレクセイ、そして父ニコライの三つ巴の戦いが始まる。

 

もともと〝クレイヴン〟って原作コミックではスパイダーマンのヴィラン(悪役)として描かれていたそう。ようするに〝ヴェノム〟と一緒。こう言うの多いですよね。要するにコミック雑誌のヒーローだけじゃネタ切れと言うことやろね。だから善玉になりそうな強そうなやつを主人公としてヒーローものを作るって事かな。「ダークヒーロー」って響きええですもんね。なんにしても「ああ、またか」と思ったけどバックグウウンドの悲劇性、思うにままならない人生とドラマチックな人物像が面白い、ヴィランに相対するヴィランが少々ダサいけど。命を懸けてまで守ろうとした弟がラストが「あぁ~っ」て最後がねぇ、これからの空しい戦いの予兆を描いていて独特な雰囲気がありました。これからが楽しみ。

 

今年はこれが最後になります。もう、本当に大変な、ほんと酷い一年でした。昨年、一昨年からホントに収まらない負の連鎖。何とか断ち切りたいです。皆さん良いお年を...。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

先週は体調不良のため日曜の映画鑑賞はお休みさせて頂きました。お客さんや業者の方、友人、親戚...「体の調子はどないや」としょっちゅう声をかけて頂きます。有難いことです。この12月で今の新薬投与を受けてから丸三年になります。おかげさまで数値は健人の平均数値より良く、CTの映像も膵臓の大きさは健人と全く変わらない大きさ。これをずっと維持し続けています。しかし、とは言っても抗癌剤であることに変わりはありません。年齢もあるんやろうけど何もせんかってもしんどい時がありますわ。けど、ステージ4と言われて目の前が真っ暗になった時のことを考えると今は...同じ癌で絶望的になられている方々、自分がこんなこと言うのは何なんですが毎年、新たな薬が認可されています。日本は認可されるまでの道のりが長いんですけどね、希望を捨てずに頑張りましょう。

 

今回鑑賞した作品はこの健康や体調管理にも十分かかわりのある作品です。テーマは「食」。ある学校に革新的な栄養学の先生が赴任してきます。彼女の教えは「食べない」こと。まあ暴飲暴食の若者を抑えるにはいいかも知れませんが、これが度を過ぎると...一種カルト宗教並の話になってしまいます。育ち盛りの若者に過激なまでの教えが施されて行くと言うお話し。人間が生きていくために必要な「食」が題材となっていると同時にことは「洗脳」だとか「解放」果ては「覚醒」と言う話にまで発展していきます。

文武両道、学歴、スポーツ、芸術など子供たちの持つ能力を最大限に伸ばすことをモットーとした学校、〝THE TALENT CAMPUS〟に栄養学の専門、ノヴァクと言う女性教師が赴任してきた。彼女の教鞭はまさに革新的なものだった。意識的な食事「食べないこと」が細胞を活性させ、力強さ、体力、病気の治癒、新陳代謝、寿命の延長など様々な効果をもたらし、地球の環境保全にも繋がると言うものだった。彼女の授業を受講する者は環境保護、自制心を鍛える、持続可能な生活、奨学金を得るため、とさまざまであったがノヴァクの教えは生徒たちに確実に浸透していく。一方、生徒たちの家庭環境にもさまざまな問題があった。トランポリンの選手であるラグナは毎回、父親がベジタリアン料理の腕を振るう、エルサは常に外見に気を使い、母親と共に少食だが父親に反対されている。フレッドは両親が幼い兄妹とともに海外出張に出たままで帰って来ない。彼には全くの無関心、週末も寮で過ごしている。ベンは学業優秀だがシングルマザー。よって母親が作る料理を食べなければ悲しませると感じている。そのためノヴァクの教えには否定的である。だが、そんなベンでさえもノヴァクに心を開き、彼女の食事療法を実践していくことになる。彼女は「食べないと死ぬ」と言うのは単なる人の思いこみだと教える。受業は次の段階「モノ・ダイエット」へ進む。一度の食事で一種の食べ物だけを摂取することで心身に有害なものを排除すると言うもの、一切れのポテトをナイフで切って食する...そしてついに彼女の授業は最終段階へ。ノヴァクは「何も食べない人達による世界的団体」、「クラブ・ゼロ」を生徒たちに紹介し、自分もその一員だと打ち明ける。生徒たちが「何も食べないこと」を実践し始める。事ここに及んで親たちがざわつき始めた。父母会はノヴァクの解雇を求めるのだが...。
 

この物語の元ネタは「ハーメルンの笛吹き男」だそう。

鼠の大量発生に悩まされていたハーメルンの住民がどこからともなくやって来た「笛を吹く男」に大金を払うことを条件に鼠退治を依頼する。笛を吹き、鼠たちを川におびき寄せて溺れさせ、見事退治したのだが、住民たちは彼に大金を払うことを阻んだ。その夜、男が吹く笛に吸いよせられた町中の子供たちが忽然と姿を消した...。

この作品に出てくる大人たちもこれと似たり寄ったり、自分の思うように操ろうとする者、全く無関心の者...いやはやである。

ところでこの物語の舞台はどこ?このユニフォームからオーストラリアかと思ったがクリスマスには冬服を着ていたし、アメリカ?ヨーロッパ?舞台がはっきりすればその国の抱える教育事情、家庭事情も分かるんやけど。

この作品で新任教師ノヴァクを演じたミアワシコウスカ、不気味ですよねー。何を考えているかわからない。教祖様のような役をやる彼女が主演のこの作品はある種、ホラー映画です。しかしいかんせん退屈すぎた。最後は何や判らんうちに終わってしまって。そうそうこの不気味さ、この後味悪さは「ミッドサマー」によう似てるわ。だけど育ち盛りの子供たちに飯を喰わさんと言うのはどう考えてもおかしいです。飢えたら死にます。それは迷信て...やっぱり理解できない話。この作品、真のテーマは「食」についてよりもやっぱり「ハーメルンの笛吹き男」やろな。子供に無関心、あるいはマウントをとるような親たちへの警告と言うのが作品の趣旨やない?

それにしてももったいないわな、ミアワシコウスカと言うベストなキャスティングをしておいてもうちょっとな―、どっかメリハリが欲しいかなー。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

原作が山田風太郎とは知りませんでした。大好きな作家の一人。奇想天外、オカルト、エロスのオンパレード、史実、事実の中に虚実を混ぜ、「ええっ-!そんなことできんの―?、うんうん、なるほどなるほど、そうかー」と馬鹿馬鹿しさのなかに妙に納得させる彼の執筆。時には物理、化学を持ち出して彼お得意のあり得ない忍術を「可能なんだ」と思わせてしまうその技法。確か、柴田錬三郎だったか(間違ってたらごめんなさい)、彼の才能に嫉妬したと言います。「魔界転生」「甲賀忍法帖」「柳生忍法帖」「くノ一忍法帖」「忍法忠臣蔵」etc...若い時は長編、短編、彼の忍法帖ものはほとんど読み漁りました。洋のジャックヒギンズ、和の山田風太郎、これが私の二大巨頭です。

そしてこれは読んでないんやなあ。今回の「八犬伝」、原作者の滝沢馬琴が友人の葛飾北斎に自らの構想を語って聞かす手法。現実の世界と虚構の世界、二次元の世界を観客は行ったり来たりするわけです。血沸き肉躍る世界にエキサイトしていると突然現実の世界の江戸時代に引き戻される。読んでへんから何とも言われへんねんけど今までの彼の手法とは違うわけです。現実(史実)の中に虚構の世界を描いていたのに現実の世界と虚実の世界をくっきりと分けてしまう。その辺がねぇ、観ていて冷めてしまうわけなんですが...。

時は室町、安房国領主、里見義実の滝田城は隣国の舘山城主安西景連に攻め込まれ陥落寸前にあった。万策尽きた義実は愛犬八房に冗談交じりに「景連の首を取ってきたら褒美に娘の伏姫をやろう」と語りかける。すると八房は何処へともなく姿を消す。数日後、八房が景連の首を加えて帰ってきた。これを機に里見軍は一斉に攻勢に転じ安西軍を滅ぼす。景連を誑かし悪政へ導いたとして愛妾である毒婦玉梓は捕らえられ首を跳ねられる。だが玉梓は斬首の間際「里見家を呪い、子々孫々まで祟ってやる」と言い残した。勝利を祝う里見家の中、玉梓の呪いをかけられた八房は伏姫を奪い山中に立て籠もる。山中に隠れた八房をみつけた里見軍は一斉射撃をかけたがこの時、八房を庇い伏姫も共に命を落とす。この時、伏姫の首にかけられていた数珠は仁・義・礼・智・忠・信・孝・悌の八つの玉となり四方に飛び散った...。

 

江戸時代...時の人気作家滝沢馬琴は友人の人気絵師葛飾北斎に自らの新作の構想を聞かせる。そしてこの物語を絵にしてほしいと北斎に依頼するのだった。これが28年間に及ぶ超大作「南総里見八犬伝」の始まりであった。

 

室町時代...伏姫が没して数年後、再び里見家に暗雲が立ち込める。関東管領扇谷定正が里見領に触手を伸ばしてきたのである。定正を思うままに操るのは彼の愛妾となった毒婦玉梓の怨霊。風雲急を告げる里見家にどこからともなく八人の剣士が集う。犬塚信乃、犬川壮助、犬塚毛野、犬飼現八、犬村大角、犬田小文吾、犬江親兵衛、犬山道節。彼らの手には仁・義・礼・智・忠・信・孝・悌の玉が握られていた。目の前に立ちふさがるは強大なる関東管領扇谷定正、そして悪霊玉梓...。

 

大切な息子を失い、妻を失い、そして齢70を過ぎ視力も失くした滝沢馬琴。「南総里見八犬伝」この壮大なスケールの物語の完結を諦めかけた時、思いがけぬ者が彼に手を差し伸べる。

 

まさに日本初の冒険ファンタジー、そしてその誕生秘話。物語の展開の途中でファンタジーの世界から現実の世界(執筆時代の江戸時代)に引き戻されます。その時に鶴屋南北なんかが出てきて「忠臣蔵」や「四谷怪談」まで登場。もうなんかごちゃまぜ状態。何を中心に構成されているのか。「南総里見八犬伝」に胸解きめかした人たちはなんか消化不良やったんやないかな。自分としてはハリウッドで確固たる地位を築き今や時の人、若き時代の真田広之と当時の映画界のトップアイドル薬師丸ひろ子が主演した1983年の「里見八犬伝」が懐かしい。この物語を観てあまり深く考えたくないよな。ただ、ただ勧善懲悪の世界に浸り、ファンタシーに酔い、そして読書で体感できない演者たちの殺陣に魅入られる。これですよね。やっぱりなぁ、脇を千葉真一、志穂美悦子、夏木マリ、目黒裕樹など骨太役者たちの豪快さに比べたら...線が細いわぁ今の若い役者さんたちは。名前がわからん。それにCGばかりにおんぶにだっこ。仕方ないかなぁ。ちなみに1983年度版の監督は深作欣二です。そりゃあ骨太さでは今の監督たちじゃ叶わんやろ。少々のバカバカしさやきめの粗さは目をつぶりゃあ娯楽作品とすれば面白い。180年以上も前の原作を映画にするんや。理屈はいらんのよ。