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サラリーマン社長のムービートラベル

9連休だ、なんだと言っていた年末年始の休みもあっという間。年明け第2弾は安定のジェイソン・ステイサム、定番のジェイソン・ステイサムのアクション映画「ビーキーパー」。ビーキーパー=養蜂家です。ミツバチからはちみつ取ってる男が何をしでかすんやと言うのは観てからのお楽しみ。世捨て人のように暮らす男。元〇〇〇と言うのが多いんやけど御多分に漏れずこの主人公もそれ。自らを客人として扱ってくれた人が自殺に追い込まれる。それで「そこまでする」と言うくらい暴れまわり、怒りの矛先は国の最高権力者まで...。まあ正直、彼の作品としても気軽なB級アクションかなと思いきや、正月三が日の公開とあってか劇場は超満員。一席も空席は無し。ほんま久々に最前列で観ました。ストイックでニヒルなジェイソン・ステイサムの魅力満載の作品。正月映画はやっぱこう言うのでないと。

 

アダム・クレイは養蜂家として世捨て人の様な暮らしをしている。誰からも相手にされず彼を唯一、理解しているのは自宅の農場の納屋を貸与えている元教師のエロイーズ・パーカーのみであった。

だがある日、エロイーズは悪質な詐欺に引っかかり全財産を失ってしまった。絶望した彼女は自らの命を絶ってしまう。クレイが衝撃の光景を発見したところにFBI捜査官である娘のヴェローナが飛び込んできた。疑いをかけられたクレイは一度は逮捕されてしまうがすぐに嫌疑が晴れ釈放される。唯一の理解者であるエロイーズ・パーカーの仇を討つため独自のルートから情報を得て詐偽を仕掛けたのは「ユナイテッドデータグループ」と言う企業だと突き止める。早速、彼はオフィスをビルごと爆破。その際、巨大詐欺ネットワークの総元締めがいることを知る。その総元締めの名はデレク・ダンフォース。デレクは両親が築いた大企業「ダンフォースエンタープライズ」をバックに好き放題をやっている若き実業家である。彼は自らの傘下クレイに殺し屋を差し向けるがクレイの敵ではなかった。手に負えないと思ったデレクは自らの身辺を警護する元CIA長官ウォレス・ウエストワイルドに泣きつくがウエストワイルドはクレイの写真を見て顔色を変える。クレイはウエストワイルドが以前、手足として汚れた仕事をさせていた最高の元エージェントだった。現役のCIA長官にも圧力をかけて現役エージェントを差し向けるがやはりクレイの敵ではない。

そんなクレイの逮捕に向かうのは心ならずもFBI捜査官のヴェローナだった。四方八方からの追跡から逃れながらもクレイはデレク・ダンフォースの組織を一つまた一つと叩き潰していく。だがクレイの前に最後に立ちはだかるのはデレクの母親、それはこの国の最高権力者だったのである。

 

共演者がなかなかですねー。この作品ならラスボスになるべき役者さんがジェレミー・アイアンズ。玄人好みの人には言わずと知れたイギリスの名優です。名門ロイヤルシェイクスピァカンパニーの一員で、「フランス軍中尉の女」「ミッション」「運命の逆転」等、名作の主演は数知れず、アカデミー主演男優賞もとってます。それだけに限らず「ジャスティスリーグ」や「タイムマシン」なんかの話題作では脇で善玉から悪玉まで演じ強烈な個性を発揮します。ことに「ダイハード3」でブルース・ウィリスの敵役となったテロリストのリーダー役は知性と残虐性を備えた独特の存在感でした。けどここではなんかイマイチ、存在感が薄かったですねー。もうちょっとヒーローをいびってほしかったねぇ。けどその分、権力者の息子、若き悪徳実業家を演じたジョシュ・ハッチャーソンのクズっぷりは最高でした。「ハンガーゲーム」シリーズでジェニファー・ローレンスの相手役の一人を演じ、共に戦う戦友を演じたのとは真逆、マジのクズっぷりなんか知らんけどあっちゃったね。

題名「ビーキーパー」=「養蜂家」には作品としていろんな意味がありました。CIAの汚れ仕事、政府にとって邪魔な存在を始末する仕事を請け負う組織のエージェント達を「ビーキーパー」とこの作品では呼んでいます。その最高峰であったアダム・クレイを演じたジェイソン・ステイサムのセリフがなかなかふるっています。

「蜜蜂の社会では不良分子を生み出す女王蜂は抹殺しなければならない」

女性の最高権力者=女王蜂を働き蜂=政府の元エージェントが抹殺してしまおうと言うわけです。蜜蜂の生態と言うのは当然頂点にいるのは女王蜂なんですが、女王蜂の下で働く働きバチたちは女王蜂が集団に害を与える子を生み出すと判ると働きバチたちが女王蜂を殺してしまうと言う習性があるそうです。知らんかったわー。映画は最高の教本。最高の教師であります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

新年あけましておめでとうございます。崖っぷちの一年、いろんな意味でね。年明け一作目の鑑賞作品がなんとも地味~な、メキシコ映画「型破りな教室」。舞台はアメリカ・テキサスとの国境に近い街マタモロス。ここまで言えばまた麻薬だ、人身売買だのとメキシコギャングの暗躍する暗~いイメージの作品が連想されます。この作品も御多分に漏れずそんな貧困世界の負の部分が出てきます。しかし、これは学園ドラマ。と言ってもどっかの国の学園ドラマのようにアイドルたちが大挙出演と言うような脳天気な作品ではありません。貧困問題を抱えるメキシコだけじゃなく、世界の教育者たちが観るべき作品です。勿論、日本の文科省もな!

教育を受けるべき子供がその環境にない世界で過ごさなければない不条理。そこに一人の風変わりな教師が赴任してきます。ギャングが蔓延り、子供たちに麻薬の配達をさせ、通学路には死体が転がる。彼が受け持つクラスの子供たちは全国最下位の成績。これを全国トップにまで押し上げる。2011年に起ったこれは奇跡の実話。地味やけど秀作です!

アメリカ・テキサスの国境に近い街マタモロス。日夜、銃声が響き、麻薬の売買が横行し、路上には毎日のように遺体が転がっている。メキシコでも最悪の治安、危険地域である。ここにあるホセ・ウルピナ・ロペス小学校の生徒の半数以上は卒業が危ぶまれ、成績は全国の最下位である。この環境では仕方のないことであった。ここにセルヒオ・ファレスと言う風変わりな教師が赴任してきた。初めての授業で彼は机や椅子を教室の端に追いやり、真ん中に座り込んで「これは救命ボートだ。ボートは6つ、君たちは23人、さあどうする?」いきなりの彼の行動に子供たちは面食らう。「何これ?」「変な先生」。だが子供たちは彼の議題に興味を持ち始めた。「そもそもなぜ船は沈んだり浮いたりするんだ?」ところが学校にはパソコン室にパソコンがない。ファレス先生は自分たちで考えるよう促した。その日から子供たちは自らが興味を持ったことを独自で調べるようになった。ファレスの授業は奇想天外、ある時は校庭で、ある時は野外で。教育委員会の定めたカリキュラム通りに進めないファレスをみて、校長は苦り切った表情をしたがファレスの過去の後悔や理想を聞くにつれ、彼の良き理解者となっていく。だがこの街では子供たちが教育を受けるには最悪の環境にある。子供たちは常に問題を抱えている。おとなしく何事にも消極的な少女パロマは浮力の法則をノートに書きこんでいたり、ファレスが出す数学の難問をいとも簡単に解いたり、彼女の才能にはファレスも舌を巻いたが彼女の家は父はゴミの山から廃品を売り捌き生計を立てている超極貧家庭。「娘に無駄な夢を見せないでくれ」と言われる始末。哲学に興味を持ったルペは図書館でスチュアート・ミルの哲学書を読み漁っている。しかし二人の幼い弟と妹の面倒をみなければならない上、また子供が生まれる母親から「来年は学校には通えないのよ」と伝えられる。兄がギャングに加わっているニコは船を作ることに興味を持ったが兄に麻薬の配達の片棒を担がされギャングに引き入れようとされている。ファレスの言う「君たちには必ず一人一人が持っているものがある。何だかわかるか?それは『可能性』だ」とは裏腹にすべての環境が子供たちの「可能性」を阻んでいた。そして行政からはENLACE(メキシコの3~6年生までが受ける国家試験)を受けるためのカリキュラムを進めろと圧力がかかる。そして悪夢のような悲劇がファレスを襲う。

 

カリキュラムって言ったってね、子供たちはそれぞれ個性がありそれぞれ違った可能性、才能があるわけです。一括りに一つのカリキュラムで教育しようと思っても無理なわけです。主人公の教師ファレスの理想は素晴らしいがあくまで理想であり一人一人違う教育をすると言うのは無理な話し...と教育界の頭でっかちたちは言うわけですが、それに一歩でも近づこうとしていますか...と言う話です。中学時代に別のクラスやったけどある先生がこんなことを学校の卒業文集に投稿していたのを思い出しました。「みんなどんな道でもいい、その道のプロになれ、そうすれば日本は世界一の国になる」そのようなことを書いてはりました。この先生、「俺は昔、不良やったんだー」なんてことを自慢か学校のワルたちに寄り添おうとしたのかわからんけどそんなことをの賜っていたのでなんかあんまり好きやなかったけど、あの投稿だけはなるほどなと思ったもんです。

先日、政府自民党の小野寺政務調査会長が例の「103万円の壁」についてこんなことを言うとりました。「なんで学生が103万も稼ぐ必要があるんだ?学業が本文だろ?」

アホ、この映画、観てほしいわ。この物語ほど極端ではないにしても近いことが日本でも起こっとるんや。奨学金の返済や授業料、それにある程度の年齢になりゃあ小遣いもいる。親の給料だけじゃどうにもならんとこまで来とるんや。この男もうちょっとましかなと思ったけどやっぱりこの党はあかんわ。

子供たちの可能性と言うのは個々違います。前述の「皆が一流のプロ」になるそんな世界になれば本当に世の中が良くなる。そう思います。現実は程遠いですがね。じゃあそれを阻んでるのはだれか?世の中であり、その世の中を作ったほんの一握りの大人です。この作品に出てきた少女パロマは作品のエンドロールに出てきたように雑誌「WIRED」に「次代のスティーブ・ジョブス」としても載ったとのこと、あれから10数年たっているから今の彼女がどうしているのかも知りたいとこやけど、エンドロールの最後がかのアルベルト・アインシュタイン博士の放った言葉で締めくくられています。

 

「私の才能を妨げたものは、教育である」

 

強烈な皮肉やね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今年は最後と思いきや...今年最後の日曜日、行って参りました。「はたらく細胞」。人間の生きている世界と人間の体の中にも実は世界があると言う、体の中の細胞の一つ一つを役者一人一人に演じさせると言う二元中継。おバカ映画と思いきや結構感動させられるんよね、これ。この作品結構、今年のお正月映画では目玉商品かも知れない。まさに「文部科学賞推薦」足るべき作品だと思うのですが。

人間の体内の細胞は37兆もあると言う。あるごく普通の一般家庭、団地に住む父と娘。母は病気で既に他界。父、漆崎茂はトラック運転手。酒好き、タバコ好き、カップラーメン好きの典型的な不摂生親父。一方娘の日胡は医者を目指す女子高生。父とは真逆の人一倍体に気を使う健康少女。母を早くに亡くした思いから父の食事にも気を使うが、茂はせっかく作ってくれた娘の健康弁当だけでは足らずに会社でカップラーメンをかけこむ始末。これでは体が悲鳴を上げる。そんな二人の体の中はと言うと...

日胡の体の中は燦燦と太陽が降り注ぐ中、赤血球がせっせと体中の細胞に酸素を運び込み、白血球は忍び寄る悪玉菌を撃退する。まさに細胞たちが活発に動き回っている。好きな先輩とデートが決まってアドレナリンも爆発!一方、父茂の体内はと言うと暴飲暴食、多量のアルコールで体内は薄暗く細胞たちは悲鳴を上げている。赤血球はやる気を失くし疲れ切っている始末。これでは酸素の量もままならない。親子でも体内の環境は雲泥の差だ。だが人一倍、娘のことを愛しているし、医大を目指す娘のために超過勤務。これが逆にいけない。過労に加えて、勤務中の暴食で下痢、おまけにトイレの中で倒れてしまう。

発見が早かったため事なきを得たがこれを機に心配する娘のためにもと多少は健康に気を使い始めた。だがそんな時、日胡が学校で倒れる。病名は白血病。日胡の体の中で細胞たちと病原菌との熾烈な戦いが始まる!

 

抗癌剤と言うミサイルが撃ち込まれ、放射線治療と言うオーロラのような光線が健康だった体内を照らすと病原体だけではなく体の活力の源となる細胞まで死滅してしまう。人間の体は都合よくにはできていない。この作品を観ると身につまされる思いです。かつては自分の体の中もこうだったのかと。体の中の細胞が死滅すれば体力は亡くなり、同時に苦しみだけが残る。それでも人間は生きていく。体内の細胞はいずれは死滅する。しかし生きている限りまた新しい細胞が生まれる。人が生きている限りそれは続くのであります。

しかしね、阿部サダヲ、何をやってもうまいね。彼の出演している作品には自分は彼の填り具合をいつも絶賛しています。

善人、悪人、アホな人、賢い人。役者としてのスキルはほんとに高い俳優さんだと思います。

バカバカしいと思いながら笑っていると物語の展開に思わず泣きそうになります。この頃、年を取ったせいかな。けど自分がどういう状況やったかがようわかりました。先日お客さんのところの忘年会で映った自分の姿、なんか自分が考えている以上に胴回りが太い。阿部サダヲ演じる親父の体の中のように薄暗ーい場末の飲み屋が続くドヤ街のような体内。自分の体内もあんなんやねんやろうな。ちなみに私は酒は飲みません。ビールも、アルコールは一切。昔は付き合い程度に友達同士の間では1杯、2杯程度は飲んだけど、病気になってからは一切口にしてません。元々あんまり好きやなかったしね。けど

食うんだなー、ガキの頃から。最近はだいぶそれも落ちたけどなー。

そうそう、排泄物が体内から噴出するシーン。括約筋が頑張ってたけど。あの括約筋、俺はだいぶ衰えとるね。

兎にも角にも運よく助けて貰ったこの命、あらためてそれを感謝してこの一年の締めくくりにしたいと思います。