【ツイート①】

   ある報道番組で、あおり運転をした挙句に暴行容疑で逮捕された宮崎文夫容疑者と行動を共にしていた木本奈津子容疑者について特集していました。


番組に出演した専門家は次のように指摘していました。

「木本容疑者は宮崎文夫容疑者から暴力を受けていた可能性が強いが、それでも宮崎から離れられなかったのは、宮崎に対して『女性にマメなタイプ』と言う印象を受けていたように、時折見せる彼の優しさがあったからではないか?」

つまり、“暴力と優しさ”によって木本容疑者は宮崎容疑者に対して依存していったのではないか?という指摘です。実はこれは、相手からの愛情を強く求め過ぎる不安型」愛着タイプの「親からの“叱責”と“受容”によって陥る」という背景と重なります。子どもは親からの叱責を受ける中でも、時折もたらされる受容の存在を知ります。すると子どもは、叱責を出来るだけ避け、受容を過度に求めるようになります。危険を避け幸せを求めようとする、ごく自然の防衛本能と言えます。これが叱責だけで受容が無いと分かったなら、その親に近づこうとしない「回避型」の子どもに、更にそれに暴力が加わるようであれば「混乱型」の子どもになっていくでしょう。

   元々愛着とは親子間に限ったものではなく、“人と人との愛の絆”のことを指しますから、木本容疑者の宮崎文夫容疑者を求めようとする絆についても同様のことが言えます。

   また、木本容疑者は、宮崎容疑者と知り合う前は、相手をあおるという人間ではなく「むしろ注意するタイプだった」(30年来の知人)と言います。これには、「愛着の後天性」、つまり“生まれつき(先天性)”ではなく、その時々の生活環境の中で決定づけられる性質が関係しています。以前木本容疑者は、規範意識の高いタイプだったとのことですが、これは恐らく、彼女が乳幼児期に親から受けた愛情によって獲得された愛着による人格の表れだったと思われます。しかし、その後成人し異性との出会いを求める世代になった時に、宮崎容疑者との交際という生活環境によって変わってしまったのではないでしょうか?

   なお、この「愛着の後天性」の性質があるからこそ、愛着形成に最もふさわしい時期とされる1歳半までの間に安定した愛着を子どもに獲得させることができなかった場合でも、その後の養育を望ましいものに改めることで愛着形成のやり直しができるのです。つまり、“改善”も“改悪”もその時々の環境次第というわけですね。


【ツイート②】

記事「あおり運転・宮崎容疑者 年上恋人はクレーマー母と瓜二つ

「母親は近所でも恐れられていた。『給湯器の音がうるさいから風呂に入るな!』と怒鳴り込む。スーパーに行けばトラブルを起こしてパトカーで帰ってくる」との記事。

「この親ありてこの子あり」と言いますが、単に宮崎はこの母親に似たのではないと思います。いつも怒られていた為に本能に怒りを刻み込む「回避型」か「混乱型(恐れ・回避型)」になったのではないでしょうか?おそらく、単なる叱責ではなく、“気分次第での体罰”も受けたことによる後者に…。


【ツイート③】

記事「小2男児不明 川で溺れたか 友人4人は通報せず

「友人達は『ラッコ泳ぎをしていて沈むのを見た。怖くなって立ち去った』と話しているという。学校では子供達だけでの川遊びを禁止しているという」との報道。

   元々子供達だけでの川遊び(校外生活での危険行為)をやめさせるのは親の責任です。学校頼みになって、親が油断していたのかも知れません。因みに、小学校5年生だった少年が乗った自転車と歩行者との衝突事故をめぐる損害賠償訴訟で、地裁が少年の母親に約9500万円という高額賠償を命じた事例(⇨https://ameblo.jp/stc408tokubetusien/entry-12196944697.html)があります。“自転車乗り”は学校が取り締まるのではないのです。

   また、人生経験の少ない子ども達には生活スキルが十分備わっていません。しかし、子ども達は大人を混じえず友達と遊ぶことが日常茶飯事。「自分たちで対処できない事態が起きたら、直ぐに近くにいる大人を呼ぶ」、このことを普段から言い聞かせてやる必要があります。急務です!


【ツイート④】

記事「14歳生徒を少年院送致=所沢の同級生刺殺事件-さいたま家裁

「裁判官は決定で『被害者は、少年に対し嫌がらせをしていたとはいえ、改める機会を与えられることもなく、突如として将来ある生命を奪われた』と指摘。『年齢相応の社会性と社会適応スキルを身につけさせることが再非行防止のために不可欠』と判断した」との報道。

  “友人からの嫌がらせ”という刺激に対して過敏に反応し、殺害という究極の対応で完全に刺激の排除に走った男子生徒。“感覚過敏”の特徴が強く感じられます。因みに、この“感覚過敏”の特徴は大なり小なり誰でも必ず持っています一般的には、この特徴を強く持つ人に対しては、“厳罰”よりも“指導”の方が問題の改善に有効です。つまり、さいたま家裁の判断は適当だと思います。

   一方で学校現場では、この特徴を強く持つ自閉症スペクトラム障害の子どもに対しては、未だに“指導”よりも“厳罰(叱責やからかい)”の対応がとられています。とても残念なことです。


【ツイート⑤】

記事「小泉進次郎 結婚披露宴をやらない背景に「実母との疎遠」

「進次郎氏の実母佳代子さんは離婚後小泉家とは事実上の絶縁状態に。進次郎が母として慕ったのは純一郎氏の姉道子さん(享年84)。『お腹がすいて泣く1才の進次郎君に道子さんはおっぱいを吸わせてあげていた。母乳はでないけど“母”として寄り添っていた』(小泉家の近隣住人)」との記事。


   これが「愛着は肉親関係上の親との間に結ばれるものではなく、育ての親との間に結ばれるもの」とされている所以です。つまり、子どもは熱意ある養育者との間にだけ愛着という“愛の絆”を結ぼうとするのです。