【ツイート①】

記事「アニメ会社に恨みか 男のリュックに複数“刃物”

   京都アニメーションにアイデアを盗まれたというような内容を口にしていた男。


   本人の中ではかなり強い恨みがあったようですが、どんなに怒りの感情があろうとも、それが“放火”という人の命を奪う行為に結びついた点に異常性を感じます。このように“耐性”が極端に弱い人間には、きっと気持ちを安定させる心の拠り所が無いのではないでしょうか。その「心の拠り」こそ、精神科医の岡田尊司氏らが指摘する、親との“愛着形成”によってもたらされる“安心の源”としての「安全基地」なのだと思います。岡田氏によれば、乳幼児期に形成された愛着は「第二の遺伝子」として成人後までその人の人格形成に強い影響を与えるとされているのです。

   つまり、強い恨みがあっても自分の気持ちをコントロールできる人とできない人の違いは、幼い頃にどれだけ親から愛されたかの違いなのだと私は思います。


【ツイート②】

   先日某テレビ番組で、ある鉄道カメラマンの特集をしていました。その方は、ご自身が中学生の時に、1年間引きこもりになっていた期間があったそうです。ところが、当時担任だった先生がその方が撮った写真を大変褒めてくださったそうです。それが自分にとっての自信となり、立ち直るきっかけになったそうです。

   この褒め方は、他の誰と比べるでも、何かの基準に照らし合わせるでもなく、その子どもの中の良さを認める“個人内評価”の手法によるものです。この評価方法には更に「「横断的個人内評価」と「縦断的個人内評価」とがあります。横断的評価はその子どもの特徴的な良さを褒めること子どもに自信をつけます。縦断的評価はその子どもの以前と比べてよくなった点を評価すること子どものやる気を高めます。

   先の担任の先生の褒め方は、そのカメラマンの方のいろいろな要素の中で“写真”と言う良さに注目して褒めているので横断的評価ということになります。縦断的評価は「前よりもテストの点数が良くなったね」「前よりも忘れ物が減ったね」等、その時その時の子どものやる気を高めることができますが、それらはある意味“一過性”のものです。それに比べて横断的評価で褒めた事は、言わばその子どもの中の“宝物”と言えるもので、その宝物を見つけてもらったときの子どもの喜びは縦断的評価のそれよりも数段大きいのです。だからこそそのカメラマンの方は立ち直ることができたのだと思います。なお、この“宝物”は、その子が引きこもっているかどうかに関係なく、子どもが自信を持って前向きに生きていく上でとても大切なものです。

「さすがは○○君、生き物に詳しいね。」「さすがは○○さん、やさしいね」そう言える宝物は、子どもの様子を“よく見る”ことで初めて見つけることができます。因みに「子どもをよく見る」、それも「愛着7」の行為の一つです。


【ツイート③】

「母親が5歳児と2歳児を連れて、ある海水浴場の更衣室に入った。母親は2歳児の世話のためになかなか浜辺に出られなかったが、5歳児は自分で着替えを済ませて待ちきれない。『ママ、先に行ってるよ』この直後この子供は波にさらわれ溺れた」

「魔の着替えの時間」という指摘。十分注意が必要ですね。


【ツイート④】

記事「ぜいたくしたいわけではない… 2人で月11万円の年金「これ以上減らさないで」 無年金者が多い沖縄 候補者は「生活守る議論を」 【暮らしは今 7・21参院選】

「ある夫婦の頼みの綱は2カ月に一度もらえる2人分の年金計約22万円。家には寝に帰るだけ、1日3食全てをコンビニや牛丼チェーン店で済ますという」との記事

   コンビニや外食は逆に高くつきますが、もしかしたら、自炊の経験が殆ど無く、その選択肢自体が無いのかも知れません。

   収入の無い中高年が急増している「8050問題」や、少子高齢化に更に拍車がかかり「33年後、現役世代は収入の9割を税金として納めなければならなくなるかも知れない」とした内閣府の試算を考えれば、子どもの頃の手伝いの経験は重要になると言わざるを得ないでしょう。

   将来、不安定な生活が予想されるだけに、子ども達には今のうちに自炊能力を身につけさせておく必要があると思います。この夏休み、お家の方からすると「毎日何を食べさせようかしら?」という悩みがあろうかと思いますが、簡単な昼食くらいなら、子どもが食べたいものを自分で作らせてみてはどうでしょうか?普段はいくら言っても手伝いをしない子どもでも、きっと意欲が湧くはずです。


【ツイート⑤】

記事「海老蔵休演も勸玄君は無事舞台終える 涙ぐむ観客も

   市川海老蔵が急性咽頭炎で休演したため、息子の勸玄君は父親なしで舞台に立ち、立派に務め上げました。

   お父さんの急病で、思わぬ独り舞台となりましたが、一般的には、“親が子どもと適度な距離を保ちながら活動を見守る”、これが子どもの自立を願う“父性”の働き(⇨https://ameblo.jp/stc408tokubetusien/entry-12452616162.html)となります。勸玄君も、お父さんがいないということで、子どもなりにいつもよりも集中して演じたと思います。海老蔵さんがその日のブログに「頼もしいです」と綴っていたのは、そんな我が子の成長を感じ取ってのことだったのでしょう。


【ツイート⑥】

記事「松たか子の叱らない子育て、娘が騒いでも “笑顔で傍観” に隠されたメリット

   始めから頭ごなしに叱らずに、最初は笑顔を保っていることは大切ですが、「傍観」ではなく「次は気を付けようね😊」と笑顔で一言かけるべきだと思います。それでも子どもが直さない場合に叱る(子どもの実態によっては、その前に「真剣な表情で声をかける」をはさむ場合もあり)という親のルーティンを子どもが分かっていれば、子どもは叱られる前に必ず直します。「叱らない子育て」とは「始めから頭ごなしに叱らない」という意味だと思います。

   因みに、ある専門家は、松さんの叱らない接し方の意味について、記事の中でこう述べています。

公の場で叱ることで子どものプライドを傷つけてしまうこともあります。そう考えると、公の場で叱らないからといって、一概に否定することはできないと思います

ただ、笑顔で「次は気を付けようね😊」と声をかければ、子どものプライドが傷つけられる事はないと思います。

「注意」=「怒って叱る」とい先入観から抜け出すことがポイントだと思います。


【ツイート⑦】

記事「小学生向け!家庭でできる理科実験の自由研究おすすめ3選

「鉛筆を使って燃料電池を作ろう」

残念ですが、この時点で自由研究の意義から外れていると思います。例えるなら、自由研究は子どもが大人になった時の練習。自分から「?」を持って、進んでその解明に当たる、そういう経験ができなかった子供は大人になってもやっぱりできません。

   一番偉いのは、どんなに粗末でも子ども自身が一生懸命考えて工夫して努力して作り上げた研究だと思います。仮に学校の先生が正しく評価してくれなくても、子どもは親の言葉次第で 満足感を得ることができます。

   一番好ましくないのは、初めから子どもが「どうせ親が手伝ってくれるだろう」と頼っていることです。将来に生きて働く力の一つである「意思決定能力」を身につけるという意味では、取り組む内容を子どもが自分だけで決めるだけでも意味はあります。親の役目は、一緒に作ることではなく、作り方を教えること(「魚を与えるのではなく、魚の釣り方を教えよ」)だと思います。


【ツイート⑧】

記事「一学期の通知表にドキドキ 福岡市内の公立小中学校で終業式 20日から長い夏休み

   子供が持ち帰る一学期の通知表。

   ぜひ、まず先に以前と比べて伸びた点や今学期頑張った点を褒めてあげてほしいです。始めに「ここはがんばりなさい」という親の指導の言葉を伝えてしまうと、子どもの心は塞ぎこんでしまい、子どもがその言葉を受け入れ難くなります。また、たとえその後で褒めても、既に塞ぎ込んでしまった子どもの心には響き難いです。逆に、始めに褒めてあげると、嬉しくなった子どもの気持ちは解放されるので、その後で伝える指導がより伝わります。

   通知表が子どもにとってのプレッシャーにならないようにしたいものですね。