以前、「必要な支援は、なぜ「愛着7(安心7支援)」と「自立4支援(見守り4支援)」に行き着くのか?という記事を投稿しましたが、今回の投稿は、その記事を整理し直し、一部内容を変えて、「ダイジェスト記事」として書き直したものです。

   因みに、この「ダイジェスト記事」とは、私のこれまでの多数の投稿記事の根幹を成すもので、例えるなら、漫画「美味しんぼ」でいうところの「究極のメニュー」にあたるものです😅。


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   神様は私達人類に女性と男性という両性を与え、それぞれが協力してより良い子孫を残す本能を授けました。この両性の持つ働きが、それぞれ「母性」と「父性」です。


   このうち、「母性」の働きは“子どもの受容”です。この働きは、子どもを肯定的に受け止め安心感と癒しを与える愛情行為である「安心7支援」による働きと同じ意味を持ちます。



   これに対して「父性」の働きは、“子どもの社会化(子どもを社会に通用する人間に育てること)です。
「子どもの幸せな自立」を目指すNPO法人ハートフルコミュニケーション代表理事の菅原裕子氏は、「母親は子どもを自分の体の一部として認識しているため、子どもが不快な思いをしているのを冷静に見守ることができない(手を差し伸べてしまう)。その分父親が、子どもを自分と別の存在と捉え、子どものすべきことや責任をきちんと教えなければならない(括弧部遠藤)」と述べています。この父親の働きは、先の“子どもを社会に通用する人間に育てる”という「父性」の働きと同じものであり、更に、子どもと一定の距離をおいて活動の様子を見守り、子どもが求めれば必要な助言を優しく諭して教える見守り4支援」による働きと同じでもあります。
   即ち「見守り4支援」による働きこそが、「父性」の働きと同じ意味を持つものと考えることができます。

   これらから次のことが言えます。
母性」の働き⇨「安心7支援
父性の働き⇨「見守り4支援

   繰り返しになりますが、神様は私達に女性と男性という両性を与え、それぞれが協力してより良い子孫を残す本能を授けました。即ち、「安心7支援」と「見守り4支援」こそが、子どもを育てるうえでの原点と考えられます。


   更に、本来の父親のあるべき姿として、従来からありがちな“子どもを力で強引に鍛える父親”ではなく、“子どもを離れたところから見守る”という覚悟を決めて、子どもからSOSが要求された時等に優しく諭すという「見守り4支援」に基づく“子どもに対して寛大な父親”の姿が浮かび上がってきます。

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   さて、我が国の戦後の1950年代半ばから70年代初めにかけてのいわゆる高度経済成長期において、仕事は父親に任せ、家庭という閉ざされた環境の中で子どもと密着した母親が、「うるさい!」「はやくしなさい!」「何回同じことを言わせるの!」「もうあなたのことなんか知りません!」等の母親による子どもの支配”を行いました。そのために子どもは体が大きくなる思春期の頃には、それまでの支配から逃れようと母親に反抗し、結果的に学校に行かなくても許される“引きこもり”に陥りました。その結果、その子ども達は現在50歳程になってもなお家庭内に引きこもり続け、「8050問題」という深刻な社会問題を引き起こしています。と同時にこれは、子どもの幼少期に父親が家庭を不在にしていた ために起きた問題と考えることもできます。

   これらは、母親が“子どもの受容”という「母性」の働きを自覚せず、逆に子どもを攻撃してばかりいたために起きた問題であると同時に、子どもを“社会化”する「父性」の役割を持つはずの父親が家庭を不在にしたために起きた問題でもあります。何れも、「母性」と「父性」が本来果たすべき役割が世の中に周知されていなかったたために起きたと言っても過言ではありません。

   社会生産に携わるはずの現役世代が家庭内に引きこもることによって、今後ますます他国の労働力に頼らざるを得なくなる今の日本の現状だからこそ、私達は今一度、「母性」と「父性」という子育ての基本に目を向けて、それぞれの働きを「安心7支援」や「見守り4支援」のような具体的な支援によって実現するよう努力する必要があると思うのです。