【今回の記事】

【記事の概要】
   過干渉言葉の暴力で子どもを傷つける「毒親」。実の親子だからと言って、いい関係を築いていられると決まったわけではありません。実際、ESSE編集部が行ったアンケート調査での質問「母との関係悩んだことはありますか?」に対し、よくある<21%>、何度かある<34%>、一度だけある<7%>、ない<38%>という結果が。そのきっかけは、「他のきょうだいばかりをかわいがる」「私には関わりの無い不満を母がぶつけてくる」「私の子育てに口を出してくる」など多岐に渡っています。
   ここでは、エッセ読者へのアンケートから、実の母親の影響で苦しんでいるという方たちのレポートをご紹介します。

姉ばかりひいきしてきた毒親。いまだに母の呪縛から逃れられなくて…
●Wさん(35歳)の告白
35歳になった今でも、実家の母に精神的に縛られています。とくにつらかったのが、何をするにしても姉と比べられること。中学のとき、近所の人ににっこり笑ってあいさつをしていたら、「下のお子さんは本当にあいさつが上手ね」とほめられたことがあります。ところが母は私をほめるどころか「この子が? 上の子と間違えたんじゃないですか?」と聞き返す始末。おまけに、私には外でいい顔ばかりして」「他人をだましてばっかりなんだから」とひどい言葉を投げつけてきました。
   姉より成績が良くなると「妹は上の子のやり方を見て要領よくやるからずるい」と言われました。それ以来、もうこれ以上がんばろうという気がなくなり、いつも姉を追い越さないように生きてきました。やがて、家族の言動が過剰なストレスとなり、うつ病と診断されました。今でも通院してカウンセリングを受けています。実家を離れた今でも、事あるごとに、母になじられ、父からは1時間くらい説教をされ、姉からも電話がかかってくる状態。実家からの電話をきったあとには、嫌になって叫んでしまうことも…。実家のことが原因で夫とももめることが多く、夫にも申し訳ないと思ってはいますが、苦しくてたまりません。

わが子の病状を理解せず無神経に弟のことばかり話す母
Eさん(43歳)の告白
   子どもができず、精神的に不安定なために精神安定剤をもらって飲んでいる私。それを知っているはずなのに、会うと弟の子どものことばかり話をしたがる実家の母にうんざりしています。控えてほしいと頼んでも、「仕方がないでしょ」と軽く受け流す母に、いらだちが止まりません。母は精神科で働いていたこともあるのに、あまりに無神経。ケンカしても仕方がないので聞き流していても、あとからあとからイライラが募ってきます。最近は、もう自分から連絡しないようにして、自衛策をとっています。

無茶な理論で私を育てた親に、子育ての相談はできません
Kさん(35歳)の告白
   一人娘で育った私も、現在は3人の子育てをしています。自分で子どもを育てるようになって改めて親に感謝することもありますが、それよりも「私のときはひどい対応だったな!」と思い知らされることも多いのが事実。うちの親は「なんでも痛い目に合わないとわからないんだから!」というのがモットーで、私もそうやって育てられました。しかも、友人関係などでなにか問題があれば「相手も痛い目にあわせてやれ!」と平気で言ってしまうような人達です。
   夫は正反対のタイプで、「親が教えてあげられることは、子どもに教えてあげないと」と言ってくれ、子どもにも無茶な押しつけはしないのは、なによりでした。子育てのことは、私たち夫婦で解決できるので、もう実家には育児のことを相談したくないし、子どもたちを連れて行きたくないとさえ思ってしまいます。
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3つの体験談にある共通点。それは、(子供の頃に)親からされたことは大人になってもあとを引きずってしまう、ということ。「親子だから仕方がない…」と思わずに、自分の心を守るためには、「会わない」「距離を置く」という選択肢もときには検討してみる必要があるかも知れません。
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【感想】
   これまでこのブログでもいわゆる「毒親」に関する記事を以下のように何度か投稿してきました。

   しかしこれらはどれも、親の子供に対する“過干渉”な要因となって作られた「母子融合」に関わる記事でした。
   一方今回の記事は、言わば、“母親から受けた言葉の暴力”が要因となっている親子関係に関わるものです。
   一体なぜ、実の親子であるにも関わらず、このような“言葉の暴力”を浴びせる母親になってしまったのでしょう?今日はこの事について私なりの知見から考えてみたいと思います。

   さて、私は以前次のような記事を投稿していました。
この中では、自分の実の子供であるにも関わらず、その子のことを「かわいいと思えないという母親の事例を紹介し、以下のように述べています。
なぜ(実の子が)かわいいと思えないのか、ということについては様々な実態があると思いますが、代表的な事例は、“子供がお母さんになつかない”という場合ではないでしょうか。

   私は、今回の事例で紹介されているような、我が子に対して厳しい態度をとる母親の気持ちの中に、上記のような「この子がかわいいと思えない」という深層心理があるのではないかと推測します。更に、「我が子がかわいい」と思えない背景には、上記の記事中で述べているように、その子供が“お母さんになつかない”という実態があるのではないかと考えます。
   事実、今回の記事でも、幼少の頃からに対して嫌悪感を感じていた事例が複数ありました。子供ですから、本人は気付いていなくても、その気持ちが母親に対する態度に現れていても何ら不思議ではありません。
   では、なぜその子がお母さんになつかなくなるのでしょうか?上記の記事ではそのことについても以下のように触れています。
このような(母親になつかない)お子さんの場合、考えられる要因は次の二つです。
自閉症スペクトラム障害である場合
②『回避型』(人との接触を避けるタイプの愛着不全である場合

①は、「社会性の欠如」という障害特性が要因となって、人との交流を避けがちになる場合です。今回の事例の場合考えられ得るのは、この①ではなく、②の場合ではないかと思われます。

   今回の記事では、今現在母親との関係に苦しんでいる女性たちが、自身の幼少期にどのような養育を受けてきたかということについてはあまり紹介されていません。しかしその中にあって、当時の親がなんでも痛い目に合わないとわからないんだから!」という厳しい養育方針だったというKさんの事例が紹介されています。
   私も今まで「子供が“不利益”を経験しないと本気で行動を直そうとしない」という事を話してきました。しかし“不利益”といっても限度があります。宿題をしないで行って先生に叱られる程度なら別ですが、子供の心に傷が残るような“不利益”は避けるべきです。
   私事で恐縮ですが、私が小学校3年生の時に担任だった先生がとても厳しい方で、学級会の議長を任せられた私は、やり方も教わらずうまく進行できない時に厳しく叱られていました。私は家で母親に泣きながら「もう学校に行きたくない!」とSOSを出したものでした。あの時の辛さは今でも心の傷として残っています。
   確かに「失敗を通して学ぶ」という考え方はありますが、失敗した時に厳しく叱られていると、“恐怖”しか感じることができず、そこから何かを学びとると言う事は至難の業です。失敗した時に、大人が穏やかな諭す言い方で「どうして上手くいかなかったのかな?」と働きかけることで初めて失敗から学ぶことができるのです。
   また、「自立4支援」の中に「子供に任せる」というサポートがありますが、これは子供がやり方を知っている場合のことであり、やり方が分からないのに子供に任せきりにする養育は「ネグレクト(育児放棄)」と言っても良いでしょう。
   これらのように、子供にやり方も教えず、あえて失敗体験をさせようと思っているかのような厳しい親の養育を受けた子供は、親を憎み距離を置こうとする「回避型」の子供になる確率が高いです。

   また、Wさんの「姉と比べたがる母親」の事例もありました。これは一般論の域を出ないかもしれませんが、えてして、初めて出産した子供に対してはできるだけきめ細かな世話をしようとしますが、その後生まれた子供に対しては、第一子に対する養育経験から「このくらいは大丈夫」と言う油断が生まれ、第一子に比べ放任されがちな傾向があるようです。そのような場合、第一子は親との「愛着(愛の絆)」を形成できますが、それ以後に生まれた子供は、第一子ほど安定した「愛着」を育めない、つまり親との“愛の絆”が弱くなるという危険性が考えられます。その結果、やはり「回避型」の子供になり、親に対してなつかなくなる事が予想されます。
   いずれにせよ、厳し過ぎたり放任し過ぎたりする養育は、子供を親から遠ざけてしまうという事だけは、精神科医の岡田氏の指摘から明らかです(上記「愛着の話」シリーズは、その殆どが岡田氏の文献での指摘内容を一般の方でも読み易くなるように表現のみを変えたものです)。そして、親も人間です。自分になつかない我が子に冷たく当たってしまうのもまた人情でしょう。

   最後になりますが、記事でも紹介されている通り、乳幼児期における親から受けた養育は、実はその子供の一生にわたって影響を及ぼすのだ、という事実を私達は知る必要があると思います。なぜなら、乳幼児期における親のちょっとした油断が、子供の一生の不幸に繋がりかねないからです。
(大変長くなってしまい申し訳ありませんでした)