田代 Yukio のカイロス便り

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BORN TO RUN 民族の苦境

走る民族の苦境

 メキシコ北部が歴史的な干ばつに見舞われ、「人類最強の走る民族として知られるメキシコ先住民タラウマラ族が飢餓に直面している。


最強の走る民族の苦境は、征服者によって僻地に追いやられ、今日なお、麻薬戦争やジャンクフードなどの侵食にさらされているメキシコ先住民の厳しい立場を浮き彫りにした。


BORN TO RUN


タラウマ族は2009年の米ベストセラー・ノンフィクション「BORN TO RUN/走るために生まれた」(日本語版は10年、NHK出版)で紹介され、有名になった。

BORN TO RUN 走るために生まれた
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 トレーニングをしているわけでもないのに、サンダル履きで、野山を長く、速く走ることができる人たちだ。


 著者であるジャーナリストのクリストファー・マクドゥーガル氏によると、人間はそもそも「長く走れるよう進化した」のであって、タラウマラ族は本能に忠実なのである。


 16世紀、スペインの征服者たちが居住地に押し寄せてくると、この最強の走る民族は戦いも交渉も嫌って、山中へと走り去った。


 20世紀、革命家や麻薬王たちが侵略してくると、さらに奥地へと走って逃げ、チワワ州の銅峡谷(バランカスデルコブレ)に引きこもってしまった。


 かつてはレースに引っ張り出され、米国の100マイル(約161㌔)レースで優勝したりもしたが、1990年代半ば以降、姿を見せなくなっていた。


そのタラウマラ族の走者と米国のウルトラレイルランナー(つまり、現代文明が生んだチャンピオン)が銅峡谷を舞台に競い合うシーンが「BORN TO RUN」のクライマックスだ。


干ばつが銅峡谷を襲う


 チワワ州を含むメキシコ北部は、71年前に降雨統計を取り始めて以来最大の干ばつに見舞われている。


タラウマラ族は約22万人。山の急な斜面で自分たちが食べるトウモロコシを育てている。


昨年の雨期、雨に恵まれず、種まきができていない状態らしい。


1月中旬、絶望した住民が大量自殺したと伝えられた。


大量自殺は誤報だったようだが、そんな噂が立つほど、状況はひどかった。


フランス通信(AFP)が最寄の町であるクリールで取材している。


 クリールにはタラウマラ族の人たちのための食料配給センターがあり、大勢が順番待ちの列を作っていた。


6時間歩いて山を下りてきたという男性は「腹が減った」と言った。


赤ちゃんを抱いた女性は「トウモロコシも豆もない。山には食べ物がない」と話した。


銅峡谷が雨も雪も降らず、その上、ひどい寒さだという。


麻薬戦争、貧困も


 米ロサンゼルス・タイムズはメキシコ市発で、タラウマラ族の食料不足は慢性的なものだと伝えている。

干ばつで状況が更に悪くなったのだ。


 タラウマラ族も他の多くのメキシコ先住民族同様、貧しく、医療や教育の機会は限られている。


 奥地で暮らしているとはいえ、昔ほど隔絶されておらず、ジャンクフードや安いテキーラなどが入り込んで、食生活が変わり始めているという。


 タラウマラ族の暮らすチワワ州は、メキシコの麻薬戦争の最前線で、米国との国境の町シウダフレアスは治安が悪いことで悪名高い。


クリール周辺では峡谷観光の観光客減などの形で、麻薬戦争の影響がみられるという。


「BORN TO RUN」の著者マクドゥーガル氏はブログで、タラウマラ族の置かれた状況について「どの状況が正しいのかよく分からない」としながらも、知人のウルトラランナー、ウィル・ハーラン氏のが彼らを支援するため
現地に向かっており、事態は深刻だとの連絡があったと報告している。(内畑嗣雅)



(2月2日付けSANKEI EXPRESS「今、何が問題になっているか」より)

 

8年ぶりの森林公園ラン完走

2月11日、第37回森林公園完走マラソン大会 に予定通り参加、完走してきた。


種目:ハーフ タイム:1時間42分06秒


8年ぶり(2004年が最後)、6回目の参加、ちなみに、今までに参加回数が一番多い大会


それだけ気に入って、好きな大会。


自然の中を走るのは、とても気持ちが良いんです。



初参加は1995年。 何と、もう、17年も前のこと。


昨年11月からまた一生懸命、頑張ってランニングを始めたのは、この大会で気持ち良く走るため。


11月、12月、1月と3ヶ月、緊張して目標レースが終わり、今、ちょっと気が抜けているところでもある。


タイムの方は、加齢と老化もあり、我が肉体の全盛期(2004年)には及ばなかったものの、ほぼ満足のいくランができた。


公園内、自然に囲まれ起伏の激しいコースだったので、その後、3日間(~14日)は疲労と若干の筋肉痛(足よりも特に背中?)に悩まされる。


ようやく昨日(15日)当たりから体力が回復、気持ちも落ち着いてきたようで、こうやってブログが書けています。


ところで、先月の1月、練習会のような皇居30キロレースに参加したが、20キロ過ぎて、走れなくなり、残念ながら25キロの地点で棄権!


その後の2週間で、よく体が創れたものと、ほっとすると同時に感心。


次は、3月3日、鴻巣ハーフ 、走ります。

声に出して応援する大切さ

声に出して応援する大切さに感動した新聞記事をご紹介します。


 僕も、2月5日、何と7年ぶりの大会参加をします。その日の みさと(埼玉)ハーフマラソン には8年ぶりで2回目の参加。


風なし、寒さなしと、天気さえよければ、楽しめる大会なのですが、どうなることやら。


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 マラソンや駅伝で走り終わった選手が「沿道の声援に押されました」と話すのを聞くと、「本当にそうなのかな」と疑問だった。


 直接手を引っぱってくれるわけでも、背中を押してくれるわけでも無い人の言葉だけで、そんなに頑張ることはできないのではないか、と。


 間違っていた。 1月22日の日曜日、千葉市を走る千葉マリンマラソンに参加してわかった。


 参加したのは、プロ野球千葉ロッテの本拠地、QVCマリンフィールドから稲毛海浜公園を折り返す10キロのコース。


 小雨そぼ降る天候、スタートした午前10時の気温は5度と、震えるほど寒い。 こういう大会に出場したのは初めて。


スタート後、ただただ、大勢のランナーと一緒に前に進む。


ぶつからないように、邪魔にならないように気を遣い、折り返したときは、かなり疲れていた。


 雨と汗で髪が額に張り付く。 海岸沿いの真っ直ぐな道は、行けども行けどもゴールが見えない。


 「頑張れ~」 その時、かわいい声が聞こえた。 沿道を見ると、若い女性が声援を送っていた。


 それまでは余裕がなくて気づかなかったが、小雨の中、大勢の人が声をかけてくれている。


 「いけるよ~」 「いいよ~」と親子連れ。 「もう少し、もう少しだよっ」 と年配の男性。 一生懸命手をたたいている女性もいる。


「これは頑張らないといけない」と、クタクタだった足に急に血が通い始めた。


  隣を走っていた中年男性も声援がよほどうれしかったのか、「頑張るよっ」と笑顔で応えると、ラストスパートしていった。


 さっきまで疲れ切っていた様子だったのに。 誰だって、自分のことを気にかけてくれている人がいるのはうれしい。


 そして、言葉にしてくれるともっとうれしい。 「頑張れ」という言葉は、あまり使わないほうがいいと思われている。


でも、つらい時、同じ目線で言われる言葉には重みがあった。


 ゴールが、一緒に走った若い同僚に「速かったじゃないっすか」と言葉をかけられ、「頑張れ」同様、グッときてしまった。


今度は自分が声援する方に回らなければ。



(小川記代子・記 1月30日付けSANKEI EXPRESS 「勿忘草」より)

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