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↓『嫉妬の法則』ビートたけし著、角川書店、2013)より引用(01)


今の女の子が男を見る時に、何を考えているかって頭の中を見れば、「医者の息子だ」とか、間違いなくそんなことが出てくる。
「親父さんが金持ちだ」とか、「車持ってる」とか。


まずそっちから攻めといて、それで「すてきだから純愛だ」なんてよくあることだよ。
今の子なんてそれしか考えてないもん。
ある子に彼氏がいるって聞くと、別の子が必ず、「どんな彼氏? お金持ってるの?」っていきなり聞く。
「どこの大学行ってんの?」って。
そういう自分に都合のいいことを全部背中にしょった男に、純愛を求めるっていうのが一番汚い。


↑(引用ここまで)
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現代日本の「結婚」制度は、まだまだ「男がセックスつき家政婦を雇う」意味合いをもっている、と言っていいと思います。
男は、「結婚する女」には、「セックス」「育児」「炊事」「洗濯」「掃除」など、家庭の一切の雑務をやってほしいと(口には出さずとも)思っている一方で、女は女で「一生働かなくていい」「人の稼いだ金でラクして暮らせる」ことを、まだまだ望んでいるように思います。
…そういう意味では、需要と供給がバッチリ合っているんですよね(笑)。


一方は「セックスつき家政婦がほしい」と思い、もう一方は「セックスつき家政婦になりたい」と思う。
最近では「イクメン」なんて言葉がもてはやされ、「男は家に金を入れるだけでなく、家事・育児も分担すべきだ」「女は”家政婦”じゃないのよ」なんて言ってのけてしまう風潮もあるようですが。


とはいえ、「結婚」を考える女性の多くが、「働かないでラクしたい」「○○してほしい、私を楽しませてほしい」「”結婚”という制度は、私に”幸せ””ラク””トク”を与えてくれるはず」と思っているように(少なくとも私の目には)見えるのです。
…言いすぎですか(笑)?


もし、そんなことはないと言うのなら、皆さん、いったい「結婚」に何を求めているのでしょうか?


男女とも精神的にも経済的にも自立していて、「共同生活」や「育児」といった「人生の負荷」がほしい。
たとえ相手が「やっぱりやーめた」と言って去って行ってしまっても、その「負荷」を楽しみ、苦労し、やり遂げてみたい。
結婚相手や子どもなど、他人のために、「献身的に」過ごす楽しみと苦しみを味わいたい。


…そんなふうに思って、覚悟を決めて「結婚」制度に向き合っている人が、この日本にいったいどれだけいるでしょうか?


むしろ、そこまで「自立」した考えの持ち主は、別に「人生の負荷」なんかとは無縁な、「仕事」や「趣味」に特化した楽しい人生を送ろうと思うのではないでしょうか?


…もうおわかりですね。
みなさん(特に女性は)、「好きだから」「一緒にいたいから」「子どもがほしい」とか何とか口先では言いながら、「結婚」に「楽しませてもらおう」「幸せにしてもらおう」「とりあえず親を納得させちゃおう」と、どこかで思っているんですよ。


まさか「苦労しよう」「苦労を楽しもう」だなんて思って「結婚」を考えないわけですよ。
「消費者根性丸出し」ってやつです。


だから、私は、「結婚」を「おめでたい」だとか「幸せ」だとか評することに、とても違和感を感じます。
むしろ、若い男女に安易な「結婚」のイメージを植え付けるという意味では、「害悪」であるとすら思っています。


「結婚」「育児」をどう解釈しているかを見れば、そいつが「自分の頭で考えている人間」なのかどうかわかる。今回はそう断言しておきます。
…みなさん、世の「そういうもんだ」に流されすぎなんですよ。


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なんだか「餃子の王将」も行きすぎた感があるので、「拉人」というラーメン屋さんに入ってみました。


食券形式。…うしろに並ばれると、気遣いすぎて焦っちゃいますね。特に初めてのお店だと、しっかり選べなかったりします。




「醤油ラーメン」680円。…節系でした。となりは「拉丼」230円。ネギと砕いた叉焼のどんぶりでした。




「味噌つけめん」1000円。

スープのチーズが味噌の風味を消してしまっているような…ちょっと苦手なタイプでした。


…というか、隣のテーブルで食事をされていた男性3人が、隣の私にもしっかり聞こえる声で、仕事の話やらダメ出しやら、ひとりの男性がしっかり説教をはじめたりして、なんだか落ち着いて食事ができませんでした。

店頭にも人が並び始めたので、そそくさと店を出ました。。


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↓『毒舌訳 哲学者の言葉』有吉弘行著、双葉社、2012)より引用(05)


冗談が通じないのか、マジメなのか、不粋なのか、賢すぎるのか、あるいは単なるバカなのか……世の中、遊びがない人が多いと思うんですよね。


たとえば、プロレスファンは何十年と、そういう輩と戦ってきたわけです。


「今の本当に痛いの?」とか「わざと倒れたでしょ?」やら「どっちが勝つか決まってるんでしょ?」等々……しまいには禁断(?)の「八百長でしょ!」発言。


そんな輩に、プロレスファンは笑って大人の対応。そりゃまあ、ある程度プロレスの裏事情ぐらい知ってますよ、ホントかウソかぐらいは。でも、そこで、プロレスラーがリング上で敵のレスラーに向かって発する、「テメーコノヤロー! ぶっ殺してやる!」を聞いて、
「おー怖ぇー! マジだぜ」
と乗っかるわけですよ。ここで乗っかるかどうかが大事なわけで。


プロレスラーの「ぶっ殺してやる!」と、お笑いの「昨日おもしろいことがあってなー」はまったく一緒。乗っかると、そこからおもしろいことが始まるわけで、「ウソでしょ」と言ったら、そこで終わり。とりあえず乗っかっとけば、何かおもしろい展開が待ってる。


だからホントかウソかなんてどうでもいい。なんならウソのほうが良し!


「事実は小説より奇なり」なんてダメ。「ホラ話は事実より笑える」、これがベストです。
相手のウソに乗っかって笑えるぐらいの余裕を持ってほしいです。


↑(引用ここまで)
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…『相手のウソに乗っかって笑えるぐらいの余裕』、ないですよね~。


学校でも会社でも、今のご時世どこを見渡しても、誰が見ても不快に感じないよう、誰からもクレームが来ないよう、これでもかというくらい不特定多数の他人に配慮して、自衛しようとする(せざるを得ない?)風潮を強く感じます。…こんな「はみだし者を許さない」風潮に危機感を覚えているのは私だけでしょうか?


政治家が、ありきたりの言葉を使って、無難にしゃべる。
確かに、その一挙手一投足が多くの国民の目に晒される以上、ある程度の「一般向け」の語り口は仕方ないでしょう。
でも、その人の人間性までつまらなく見せてしまうほどの「無難トーク」は、「逃げ」すぎだと思うのです。
また逆に、政治家にそんなトークばかりさせてしまう、国民の「遊び」のなさ、許容量のなさもどうかと思うのです。


テレビのバラエティ番組で、「この○○は再利用しています」なんてテロップが流されるのを見るたび、そんな日本人の「遊び」のなさに危機感を覚えてしまう今日この頃です。


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子どもふたりを連れて、飲み会より帰宅しました。


その昔、ヤマザキパンから販売されていた「チキンスティックドーナツ」のつくね風チキンの歯ごたえが忘れられず、先日、今夏のモスの新作「モスのナン スパイスチキンカレー」を食べてみました。




…私の期待より、だいぶ柔らかめでした。


「スパイスミートタコス」の方も、例年通りの感じ。


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先日、「結婚したい」と言っていた女性の話のつづきです。


私は、彼女と話したあと、こんなことも考えました。
世の母親のほとんどは、学校で言うところの「クラス担任」だと。
すると父親の多くは、そのクラスの「副担任」といったところでしょうか。


専業主婦にせよ、仕事をしているにせよ、一番子どもと多く接し、炊事・洗濯・掃除のメインを張っているのは「女性」である場合が、まだまだ多いのが日本の現状ではないでしょうか。
だから、「子どもたちの監督責任者」といえば、やっぱりそれは「クラス担任」みたいなもんです。
「副担任」である父親は、そのサポートにすぎない。
「家事に協力的」「育児に協力的」「風呂に入れるのは父親の仕事」…こんな言葉のどれもが、父親が「サポート」であり、「メイン」を張れていないことの表れではないでしょうか。


で、私は、世の男性では珍しく(?)「自分がクラス担任(責任者)をやりたい」と言い出したと。
そして、そんな私の日常を知る彼女だからこそ、「私の彼氏もそんなふうに”協力的”でいてくれないだろうか」と思ったのかもしれません。


しかし、それは見誤っています。
私はパっと見「超~協力的な副担任」「こんな副担任が欲しかった!」(笑)なのかもしれませんが、そのつもりは毛頭ありません。「自分こそがクラス担任」のつもりでやっているのです。


そしてそれは、私が「妻にクラス担任をやらせてあげていない」ということを意味しています。
周りの母親連中が皆、愚痴を言いながらも「クラス担任」をやっている中、「自分はろくに家事・育児をやらせてもらっていない」「自分が産んだのに、家事・育児の”苦労”をあまり味あわせてもらっていない」という「逆ストレス」はかなり妻を苦しめているだろうと想像しています。…そんな私の勝手を受け入れてくれている、彼女の懐の大きさにはただただ頭が下がります。


そういう意味では、世の母親どもは、「○○してくれない」「所詮男は…」と、家事・育児・ダンナの愚痴は言うくせに、その実「クラス担任」の座は手放したくないと思っているのではないでしょうか。
それは、「結婚したい」と言う彼女も然りです。
「結婚」するにあたって、「○○は手伝ってよ」「子どものオムツくらい替えてよ」と男に注文はつけるくせに、いざ男の方から「じゃあオレが家事・育児の全部をやるよ。キミは仕事のことだけ考えていればいい」なんて言われたら、「えっ? 私は家事・育児に関われないの?」と突然「副担任」を宣告されて戸惑うことは、想像に難くありません。


だから、私は彼女をはじめ、「結婚」を口にする女性たちに言いたい。
「”クラス担任”をやる覚悟はあるのか?」もしくは、「”副担任”に甘んじる覚悟はあるのか?」と。


「自分でひとりで”クラス担任”をやるなんて荷が重くてイヤだけど、”副担任”で子どもにあんまり関われないのはそれはそれでイヤ」だなんて、まるでガキのワガママです。
ハナから副担任を頼りにしている「クラス担任」なんて、私がそこの子どもだったら、そんな大人についていきたくないですし、「うちのダンナって何もしてくれないのよ」と副担任の使えなさを愚痴る「クラス担任」なんかも、尊敬できません。
…「クラス担任」やるんだったら、自分自身の面倒も、子どもの面倒も、責任もってきっちり見ろや。
…「副担任」やるんだったら、そこそこ「いいサポート」をしてあげて、そのぶん「仕事」や「趣味」に力を入れろや。


自ら「苦労」を買って出て、「クラス担任」をやるのか。
「仕事」や「趣味」を充実させてもらって、「副担任」として担任をサポートするのか。


口先で「結婚したい」と言うけれど、おまえは一体、そのどちらがやりたくて「結婚」するんだ? 、と私は彼女たちに問いたいのです。


そしてこの問いは、「万年副担任」の世の男性たちにも、そっくりそのまま投げかけてもいい問いだとも思うのです。


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↓『毒舌訳 哲学者の言葉』有吉弘行著、双葉社、2012)より引用(04)


「世の中で一番いらないものってなんだろう?」と思ったときに、小さいプライドだと思うんですよ。
大きいプライドはあってもいいと思うんです。たとえば、戦争とかで「劣化ウラン弾は絶対に使わないぞ!」っていうプライド。それぐらいの規模のプライドなら、あっていい。
その点、小さいプライドといったら、「あの人と仕事したくねー!」とか、「こんな安い給料で働きたくねー!」とか、「なんであいつのほうがいい家住んでるんだ!」とか。
そういうプライドはいらない。
そんな小さなことは”プライド”とすら言わないんじゃないかと思うんです。
個人的な小さいことは、プライドじゃなくて”ちょっとしたこだわり”。しかも、そんな小さなこだわり、いらないっていう。
小さいプライドなんか、なんの役にも立たない。むしろ生きていくうえでは邪魔だと思います。


↑(引用ここまで)
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いやー、『小さなこだわり』をお持ちの方って、いっぱいいらっしゃいますよね。
「あの人と仕事したくねー!」って思ってても、それを態度に出したり、口に出したりしちゃイカンでしょ。


そりゃあ私だって、苦手な人、嫌いな人はいます。
でも、そういう人たちとの関わりに頭を悩ませたり、愚痴をこぼしたりする時間の比重が多くなればなるほど、自分本位でものを考える癖がついてしまう気がするのです。


「その人が、何に多く言葉を費やすか」がその人の「生きざま」を決めると私は考えているので、嫌いな人の対応にぶつぶつと悩んでいる自分に気づいたら、「時間がもったいない!」と、打ち切るよう努めることにしています。


いつだったか、平井堅氏がラジオ番組で、「納豆のネバネバが気になるのですが、どう対処したらいいでしょうか?」というリスナーの質問に対して、こう言っていました。


「えー、それは”気にしない”という対処法が一番ですね」と(笑)。


ラジオを聴いていた私は思わずふきだしてしまいましたが、「そんな細かいことを気にしている暇があったら、もっと他にやることあるでしょ」という平井氏のツッコミのようにも感じました。


気づいたら、聞かされる人のことも考えず、嫌いな人の愚痴ばかり口にしていた…なんていう「生きざま」では、恥ずかしいですからね!


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S君を誘って、7月11日オープンのセブンイレブンを覗きに行って、近くの「牡丹飯店」で夕飯です。




「冷やしジャージャー麺」や「豆腐とシイタケのオイスターソース炒め」から、定番の「麻婆豆腐」「牛バラ肉とニンニクの炒飯」「焼き餃子」なんかも。


S君は今日、中学校の教員採用試験だそうです。…大丈夫かな(^_^;)?


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↓『毒舌訳 哲学者の言葉』有吉弘行著、双葉社、2012)より引用(03)


『知は力なり /フランシス・ベーコン』


なんか体鍛えてないヤツの言い訳のように聞こえるんですよね。
苦労知らずのボンボンで甘いヤツ。体は鍛えてないし、ひきこもりみたいな。理屈ばっかりこねて。
やっぱ、こういうこと言ってるヤツは、アフリカのソマリアとか内戦してる国とか行ったら、本当に思い知るでしょうね。
「知は力じゃねーな」って。
「そんなもん関係ねーな」って。
だから、あんまり偉そうにしてほしくないんですよね。
「なり!」って断定されても……。
確かに無知よりは知があったほうがいいけど……っていうその程度のものです。


↑(引用ここまで)
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こんな文章をちまちまと毎週書いている私なんて、まさにこんなふうに思われているのかもしれませんね。
「おまえみたいな理屈ばかりこねている奴は、いざというとき何にも行動できないタイプだ」と。


確かにそうかもしれません。
電車に乗っているときや車の運転をしているとき、マナーの悪い奴を見かけては、ゴミを拾ったりできるだけ注意したりして歩いているので、チンピラみたいな男を怒らせてしまい、それ以上強く言えないことなんか、よくあります。
いざ何か事故や事件を目撃したら、ビビらずに先陣を切って駆け寄り、いつも適切な対処ができるかと言われたら、実際現場では二の足を踏んでしまうかもしれません。


だから、有吉氏の言うように、どんなに「こういうときは○○すべきだ」と普段から考えていても、過信は禁物だと思うのです。
自分の「普段の行動」に見合った「思考」であるか、どうか。
逆に、「普段の思考」を、外に出て「実践」「体現」できているか、どうか。「机上の空論」になっていないか、どうか。
普段ネットやらで偉そうに語っておいて、いざ街でチンピラに絡まれたら何も言えなくなっちゃうのは、説得力も何もあったもんじゃないですからね(笑)。


私がこうして書く文章を、『体鍛えてないヤツの言い訳』なんて言われないように、今日も「己の生きざま」を体現して歩きます。。


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セブンイレブンがオープンするので、シュークリームなんかが30円引きだと、S君とKちゃんに誘われつつ夕飯を「星乃珈琲店」で。




喫茶店なのに「カツカレー」を注文してみたり。




「ナポリタン」を注文して、子どもに与えがてらみんなで食べたり。


…実は今日も、またごく近くのセブンイレブンがオープンするということで、ふざけで押しかけてきたところです。

「7月11日」オープンとはまたオツですね!


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