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↓『毒舌訳 哲学者の言葉』有吉弘行著、双葉社、2012)より引用(02)


確かに、自分がやりたいことよりも、人から「キミには、こっちのほうが向いているんじゃない」って言われることのほうが向いていたりします。


だから「人から見た自分」のほうが正解だったりするんですよね。
「自分はもっとできるはずだ!」とか、「自分の力はこんなもんじゃない!」とか、「自分のことをちゃんと評価してくれない」とか、「もっと大きな仕事を任せてほしい」とか。
自己評価と喰い違ってストレスに感じる人もいるだろうけど。


だけど万が一、もっとできるなら、自分が言わなくても大きな仕事が回ってくるだろうし、人が見て”その程度”だから”その程度”の仕事しか回ってこないんですよね。


人から見た自分の評価が「本当の自分の実力」ってことです。
自分はどう思っても、世間じゃ「こいつはこの程度だよな」って見られてるんだから、しょーがないっていう。
「人から見た自分」、それが自分の実力なんです。


↑(引用ここまで)
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あまりに他人の目を意識しすぎるのもどうかと思いますが、後からついてくる「他人の評価」くらいが、自分の実力としてちょうどいい指標なのかもしれません。
仮に自分にいくら潜在的な実力があったとしても、「その実力を生かすチャンスを与えたい」「あいつに頼めばきっとやってくれる」「是非一緒に仕事がしたい」と他人に思わせる影響力・物腰を持ち合わせていないようでは、それは結局「実力がない」のと同じことなのです。
まあ、誰にも理解できないような未知の実力を持った「天才」肌なら話は別なのかもしれませんが、大丈夫です。
きっと、あなたも私も「天才」ではないでしょうから(笑)。


ということはやっぱり、我々凡人は、「実力」と「影響力・物腰」の両方をバランスよく鍛えていかないと、成長していきにくいんだと思うのです。
先述したとおり、「実力」だけで「影響力・物腰」がなければ、他人からチャンスをもらえる機会を得られにくく、結果として「実力」を伸ばせる経験を逃していくことになります。
また逆に、「影響力・物腰」だけで「実力」が備わっていなければ、いくらチャンスを与えられても応えられることができず、結果として「実力」相応のチャンスしか与えられないようになっていくでしょう。…まあ、まずはチャンスをもらっちゃう、というのも一つの手かもしれませんが。。


いつだったか、松本人志氏が言っていました。
「自分が芸能界で一歩一歩山に登るようにがんばってきたつもりはない。自分はすでに山の上にいて、そのことを皆にどうわからせるかだけを考えてやってきた」と(「【哲学】バックナンバー084:自分の山」より)。
自分の「実力」を一般の人にもわかりやすいように、知らしめること。
それは、「影響力・物腰」に注意して日常的に立ち振る舞うことであったり、自分に「一目置かせる」ように戦略的に過ごすことだったり。
「他人が本当の自分をわかってくれない」ではなく、「本当の自分をわからせる戦略性が足りない」と自分に鞭打ち、今日も精進です。


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最近仕事の関係で友人が働きに出ているかもしれないと、休日にぶらっとレイクタウンへ。


…残念ながら彼は本来の店舗で遅番だったようで、やっぱりそちらに出向いて行った方が正解でした。。(>_<)




まずはフードコートでマクドを雑喰い。「ブラジルバーガー」…不発です。

「ジャパンバーガー」が美味しかっただけに残念!


ついでに、たこ焼きなんかも食べたりして…



次は別のフードコートで「ちゃぶ屋」の味噌ラーメン…うーん、これも不発!


父親も母親も子どもふたりも、全員スマホやゲーム機の画面に黙って見入る4人家族を横目に帰ってきました。。


ペタしてね

先日、長く交際している彼氏と結婚を考えている女性と話す機会がありました。


私は彼女と話しながらもまた、あらためてこう思わされたのです。
「何のために”結婚”するのか?」「何のために”出産””育児”をするのか?」と。


誰かと共同生活をする。育児をする。
これは、間違いなく「してもしなくていい人生の負荷」です。
しかし、彼女は自分からあえてそこに飛び込もうと言うのですから、「○○してあげたい」「たとえひとりであっても育児をやってみたい」くらいの覚悟がないと、相手に対する不満ばかりになってしまうのは目に見えていると思うのです。


ただ「好きだから」「一緒にいたいから」「けじめをつけてほしいから」といった理由だけで、そんな「人生の負荷」に飛び込もうなんて、それはまるで「ちょっと登ってみようかな」と何の覚悟もなしに富士登山に挑戦するようなものです。
「ちょっと走ってみようかな」と何の準備もなしにフルマラソンに挑戦するようなものです。


私は、この場でもちょこちょこと言わせていただいていますように、「シングルファーザー(マザー)だったら、これらすべての家事・育児をひとりでやっているんやし」くらいの覚悟で、結婚・育児に臨んでいます。それはもう、結婚相手に失礼なくらいに(笑)。


子どもには、何かあるたびに「はい」「ありがとう」「ごめんなさい」を言わせる。
子どもがぐずったら、自分に時間のないときでも、子どもを別室に引っ張って、膝を突き合わせて勝負する。
保育園の敷居をまたぐときは、「お願いします」「ありがとうございました」を言わせる。


…こんな育児方針を偉そうに言っちゃってるのですから、メシは作らない、洗濯はしない、保育園の送迎はしない、フロや寝かしつけもしない、では説得力がありません。


自分で言うのもなんですが、私は「育児に協力的な男」なのではありません。
「育児の責任を負う(負いたい)男」なのです。


しかし、私がこうだからといって、世の男性全員にこの姿勢を要求していい、ということにはならないと思います。
先述したとおり、「結婚」や「育児」は、富士登山やフルマラソンのように、「してもしなくてもいい人生の負荷」だからです。
「そんな面倒なことしたくないよ」と思う人が、あえて飛び込む必要なんてありません。


そりゃそうですよ。「結婚」や「育児」は、「自分以外の人間に気を遣い続けなければいけない」=「面倒くさいこと」なのですから(笑)。
「あんたもやりなさいよ」と、半強制的に富士登山に連行するなんて、とんでもないことです。
ふたりで登る準備と覚悟が決まったら、登ればいいのです。


つまり、話を戻しますと、「結婚したい」と言っている彼女の問題点はこうです。
まず「”結婚””育児”に何を求めるのか? ”人生の負荷”をあえて自分に課す自覚はあるのか?」という「覚悟」の問題。
さらに、「”○○してあげたい”という献身が人間関係のベースにあり、またその献身に見合う相手なのか?」という「人を見る目」の問題。


ハナから「家事に協力してよ」みたいな姿勢では、彼どうこう以前に、彼女自身がとうてい、「結婚」や「育児」というフルマラソンは、走り切れないように思うのです。


(つづく)


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S君が午前中から遊びに来たので、お昼はKちゃんのリクエストでラーメンに。




最近オープンした「川崎屋」さん。

情報源の「ぱど」を握りしめて、「野菜醤油ラーメン」を700→500円でいただいてきました。


大人4人でラーメンを注文しつつ、「唐揚げ定食」をみんなでつつきます。

2歳児には、定食のごはんと味玉、醤油ラーメンの切れ端をちょいちょい与えました。


個人的には、「黒とんこつ」が美味しかったかな?


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↓『現実はマイナーの中に』江川達也著、ウェイツ、2004)より引用(13)


別に称賛されなくていい。
誰も見ていないところで密かにすごいことをやっている、というのが私の中でのカッコよさなんです。
そういうカッコよさが現代はなくなってきています。
私の好きなヒーローは、みんなにはわかってもらえないけれど、密かにいいことをやっているやつなんです。


昔のヒーローはそうだったじゃないですか。
いまのヒーローはみんなの前に出てきて、しかも五人で、仲間がいて明るくヒーローをやっている。
あれは明らかに結果的に悪になりやすい。
現実では、ああいうのは売名行為で悪い奴なんです。
本当の意味での正義なんてやっていない。カッコつけのためだけ。


↑(引用ここまで)
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称賛されない、前に出ない「カッコよさ」「優しさ」。
私の処世術というか、日々心がけて実践していることが、まさにこれです。


職場でも、家庭でも、街ゆく人にでさえも、「先に○○しといたら過ごしやすいだろうな」と思ったら、多少急いでいようが、フットワーク軽く、やっておくんです。
基本、相手に気づかれなくていい、と思ってやります。


あんまり偉そうに発表するようなことでもありませんが(笑)…
簡単なところで言えば、職場でゴミがたまってきたと思ったら、自分がゴミを捨てに行く。他のゴミ箱や、ゴミ袋ストックの残数もチェックして、補充しておく。次に気づいた人に、やらせないようにする。
トイレットペーパーやコピー用紙も同様です。なくなる前に、補充しておく。次の人に、かえさせないようにする。これは職場でも、家庭でもです。
食器類や洗濯物がたまっていることに気づいたら、多少急いでいようが、洗い物をしておく。洗濯して干しておく。乾いていたら取り込んで畳んでおく。次の人に、やらせない。
人の家やお店で靴を脱ぐときは、自分の靴を揃えるのはもちろん、他人の靴も揃えておく。嫌味にならないよう、素早く。
飲食店で食事をした後は、店員さんが持って行きやすいように、無理のない程度に食器を重ねておく。できるだけテーブルをきれいに拭いて、原状復帰しやすいように片づけておく。
ひとりで食事をするときでも、必ず手を合わせて「殺生した」動植物に「いただきます」と言ってから食べる。
職場にも家庭にも、「今日おやつがあったら嬉しいだろうな」と思ったら、差し入れする。…これは密かにできないか(笑)。


…この場で具体的にあんまり言いすぎると、やり逃したとき「おまえ、あんなに偉そうに言っておいて、実際やってないやないか!」とツッコまれそうで恐いので、このくらいにしておきます(笑)。


私が思うのは、恋愛だったり、結婚生活だったり、職場だったり、人間関係が良好に長続きする秘訣は、「優しさ」や「思いやり」なんていうフワフワした感情論ではなく、こういった「先に○○しておく」気づきとフットワークの軽さが身についているかどうか、ということです。
それも、無理なく、日常的に、自然にできるくらい癖になっていることがポイントです。
どちらかというと、「気持ち」より、「テクニック」の問題に近いと思うんです。
昔風に言えば、「働き者」であるか、どうか。


また逆の見方をすれば、「働き者」でない、このくらいの行動テクニックも身に付いていないような人間に、恋愛や結婚生活が長続きさせられるはずがない、とも言えます。
何かに気づいても「面倒くさい」というのが優先事項の上位になってしまっていたり、奉仕され慣れてしまって自分から行動を起こさない「消費者根性」が身についてしまった「ガキ」に、まともな人間関係が築けるはずがないと思うのです。


「○○してもらっちゃった。嬉しいな。今度は自分がしてあげたい」という献身的行為のキャッチボールこそが、コミュニケーションの基本なのですから。


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午後に0歳児だけ拾って、新規開拓のお店「すびーと」へ入ってみました。




もともと特産物直売所のようなところが、パン屋さんとイートインスペース、おしゃれなカフェを併設して立て直した感じです。


パスタランチ700円。サラダ・パンつき。




雑穀カレーランチ850円。これもサラダ・パンつき。


ドリンクバー220円(珈琲や紅茶、アップルジュースやオレンジジュースのみ)つけても、ちょっと少なめかも。


この後、預けていた2歳児も拾って、繁忙期のT君を狙ってレイクタウンに行ってみるも、今日は凱旋なしということで撃沈…残念(>_<)!


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↓『住んでみたドイツ 8勝2敗で日本の勝ち』川口マーン惠美著、講談社、2013)より引用(05)


数年前、日本の女子大生がフィレンツェで聖堂に落書きをしたということで、騒ぎになったことがあった。
大学の学長が、泣きじゃくる女子大生とともに謝罪に出向いたというばかばかしい話だ。


フィレンツェまで飛行機に乗って遊びに行ける大人なら、自分の行動には自分で責任を取ってほしい。
落書きをして悪かったと思えば、自分で謝ればいいし、どのみち落書きだらけなのだから、別に悪くないと思えば、そういえばいい。
学長が出てくる幕ではない。


親が子供の行動に、直接責任を持てるのは、せいぜい一八歳までだ。
実際には一四歳くらいでほぼ不可能になる。
三〇歳を過ぎた息子が麻薬で捕まるのは、親のせいではない。
それは百パーセント息子の罪だ。


だから親の任務は、せめて子供を一四歳くらいまでに、自分の頭で考え、行動に責任を持てるようにすることなのだが、これが残念ながらいつもうまくいくとは限らない。


ただ、どうしようもない親から、立派な子供が育つこともあるのだから、子供の出来不出来をすべて親のせいにしてはいけない。
たいていの親は、良かれと思っていろいろやっている。
それが残念ながら裏目に出たからといって、親だけを責めるのは酷だ。


日本の教育の問題は、子供をうまく独立させてやれないことだと思う。
遅くとも高校の時点で、子供を大人にしてやるべきだ。


保護や指導ばかりでなく、責任の取り方を教え、大人として扱ってやれば、大学生はもう少し毅然とし、日本の将来は明るくなるのではないかと思う。


↑(引用ここまで)
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「子離れ」。
「子どもを自立させてやること」。


不況、不況とは言いつつも、日本もまだ、それなりに豊かだということなのでしょうか。
子どものいる大人(とくに母親)の第一の関心事は、「衣食住」でなく「かわいいわが子」のようですし、大学の授業料から自動車運転免許のお金まで、親が当たり前のように払ってやっていると聞きます。


私事ですが、私が親に払ってもらった授業料は高校までですし、高校でアルバイトを始めてからは、参考書のお金から大学入試センター試験の代金はもとより、大学の授業料から車の免許なんかもすべて、自分でやりくりしていました。


「そんな自分って偉いでしょ」と自慢話がしたいのではありません。
自分が親の立場で、「子どもに金をかけない」「子どもに経済的責任を与えてやる」ことができるかどうか、という「覚悟」「子離れ」の話です。


子どもは確かにかわいいですが、所詮は他人。自分の人生ではありません。そいつには、そいつの人生がある。
逆に言えば、私たち大人にだって自分の人生があるのですから、いつまでもガキと乳繰り合っていないで、さっさと「子離れ」して、大人の友人たちと、おもしろおかしい毎日を送ったらいいんです。


だからやっぱり、子どもに執着しすぎるの、よくないですよ。とくに、世の母親ども。
「子どもが一番大切」だなんて、おまえ自身の人生、どんだけ薄っぺらいんだよ、と私は心の中でいつもツッコんでいます。
ガキの存在ごときで、おまえの大人としての人生上書きされてんじゃねーよ、って。
…言いすぎでしょうか(笑)。


でも、そのくらい普段から「子どもはいつまでも家にいない」「少なくとも、外でかわいがってもらえる大人に」と、「子離れ」を意識しながら子どもたちと接するように心がけていないと、そりゃあやっぱり子どもはかわいいですから(笑)、ついつい判断が甘くなってしまうと思うんです。
「大学の授業料くらい、払ってやってもいいかな」とか。
「登下校で心配だから、携帯電話を買い与えてやったほうがいいかな」とか。
…ついつい、いつまでも「大人の管理下」に置いてしまいそうですよね。


私の父のように、「高校を出たら、寝るところくらいは確保してやるが、あとは自分で生きてゆけ」とまで、バーンと突き放せる自信はありませんが(笑)、その片鱗くらいは受け継いで、伝えて、死んでいってやろうと思う所存です。


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いや~、まともに子どもの相手をしていると、パソコンを開く暇もないですね(^_^;)!



18:45仕事を切り上げ、職場から保育園に2歳児と0歳児をお迎え。


19:00帰宅。2匹の保育園バッグから連絡帳をチェック。明日のぶんのおむつと着替えを、手伝いたがりの2歳児と一緒に詰め込みます。それと同時に洗濯機を回します。


19:15そのまま、予約炊飯で炊きあがったごはんや豆腐、納豆、味噌汁なんかを2歳児と用意しながら夕飯。0歳児はあらかじめ冷凍しておいた10倍がゆ2ブロックと市販のおかずをレンジで。


19:30夕飯。2匹にご飯を食べさせつつ、自分にも流し込みます。


20:00夕飯終了。健康な2歳児はきまって「うんちー」と言ってくれるので、トイレに行かせ、踏ん張らせます。そのあいまに洗い物、終わった洗濯機から洗濯物を取り出し、干します。一部乾燥機にかけます。


20:30お布団を2歳児と一緒に敷き、パジャマを用意して、お風呂へ。2歳児に歯磨きをさせながら、0歳児を洗います。その後、2歳児の歯磨きの仕上げ。洗い。2匹を遊ばせながら自分もザっと洗います。


21:00お風呂を出たら2匹を拭き、2歳児には自分で着替えさせ、私は0歳児を着替えさせたら自分も着替える。お湯を200ml沸かして、0歳児のミルクの用意。冷ましてミルクを飲ませたら、2歳児にも牛乳をくれてやる。そして2歳児にドライヤー。


21:30~22:00消灯。2匹とも寝かしつけるのはなかなか大変ですが、まず0歳児を抱っこひもでゆらゆらさせてノックアウトしてから、2歳児が寝付くのを待ちます。

寝付いたら、このタイミングでだいたい乾燥機が終わるので、洗濯物を畳んで私も寝ます。


次の日も朝7:00には子どもたちを保育園に連れて行かなければ仕事に間に合わないので、5:30起きです。…気づけば、パソコンを開く暇もない(ToT)!




そんなこんなで、たまの休日に、妹宅の5歳児と3歳児と一緒に2歳児を遊ばせてもらいつつ、0歳児だけを背負って、S君やKちゃんと「ハナカフェ」へ。

14:00~17:00すぎまで預かってもらっちゃいました(>_<)! 助かります。


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↓『現実はマイナーの中に』江川達也著、ウェイツ、2004)より引用(12)


いまの世の中は、能力がある人が認められない社会だと思います。
私なんか高校ぐらいになると、美術なんかもシュールレアリスムな先生で、よくわからないけど、うまく描くと怒られる教育があるんですね(笑)。
あまりうまいと世の中不遇なんです。
学校では、できすぎるためにいつも不遇だったと言ってもいいぐらいです。
「社会が矛盾している」なんて言うと、学校ではもう不遇じゃないですか。
本当に能力のあるやつは、無意味なものは暗記きないわけだし……。
「歴史的に言ってこれは矛盾している」とか、「平和、平和と言うけれども、戦争をなくすためになぜ軍人の心理を研究しないんでしょうか」なんてことを言うと、先生は「そんなこといいんだ、考えちゃいけない」みたいなことになる。


↑(引用ここまで)
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こういう江川氏の語り口が鼻につく人もいるかもしれませんが、ちょっと待ってください。
問題なのは、学校やら職場やらで「例年通り、前例踏襲でええやん」という周りの空気に流されず、本質的なことを指摘する姿勢を私たちが持っているかどうか、という点です。
江川氏の言うように、空気を読まずに「本当にそれが正しいかな?」なんて言い出したら、「おまえ、空気読めよ」「面倒臭い奴だなあ」「全部一からやりなおせと言うのか?」みたいに思われて、確かに不遇な扱いをされそうです。


そういう意味では、本質的な指摘ができる目線や度胸を持っている人が煙たがられる社会、つまりは『能力がある人が認められない社会』という表現もあながち言い過ぎではないように思えます。


あなたは、そういう「本質的な指摘ができる人」を『能力がある人』と認めることができますか?
それとも、「話をややこしくする奴」「面倒臭い奴」と思ってしまいますか?
また、あなた自身は「本質的な指摘ができる人」ですか?


普段の会話をしているとき、会議中に他人の提案を聞いているとき。
そんな自分を思い起こし反省しながらも、「一からやりなおすことになるけど、確かにそれは筋が通っている」と言える空気やゆとりを作るにはどうしたらいいか、あれこれ考えさせられる江川氏の文章でした。。


ペタしてね

休日でも見事に朝7時に起こされ、着替えを用意し、朝ごはんを食べさせてやる頃には、少ない睡眠時間でもすっかり目を覚まさせられてしまっています(^_^;)。




AM10:30までに注文すればいいので、子どもたちにとっては、お昼寝前のランチがわりです。




期間限定のミスドとのコラボ商品も買ってみたり。


今日は午後から雷雨でしたし、一日家の中で、子どもたちの相手でした。。


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