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↓『ご飯を大盛りにするオバチャンの店は必ず繁盛する』島田紳助著、幻冬舎新書、2007)より引用(07)


他人のために力を出せる人間は、心に熱いものを持っている。
熱い心があるから、他人のために頑張れる。
その熱い心で、自分のために頑張ってほしいのだ。


もうちょっと厳しい言い方をすれば、他人のためには力を出せない人は、自分のためにだって本当には頑張れないのだ。


他人の仕事だといって手を抜く人は、自分の仕事でも手を抜く。
なぜなら世の中には、100パーセント自分のためだけの仕事なんてあるわけないからだ。
その反対に、100パーセント他人のためだけにする仕事もない。


引っ越しの手伝いも、自分のためと思ってやれば筋肉がつくかもしれない。引っ越しの段取りが学べるかもしれない。


↑(引用ここまで)
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私は父親に「どうせやるなら喜ばれるようにやれ」と教えられて育ちました。


何か手伝いをさせられるときも、内心「イヤだなぁ」と思いながらふてくされ顔でやろうものなら、ゲンコツが飛んできました。
「そんな態度でやるなら、手伝わなくていい」と。
…まあ、言う通り次から手伝いを断ったら断ったで、またぶん殴られるんですけど。。(笑)


つまり、どんなに自分にメリットのない、面倒くさいことでも、「やる」という船に乗っかった以上は、楽しそうに、、工夫して、「相手に喜ばれるように」やる、という教えです。


私が今、職場やらでゴミ箱がたまっていたらすすんでゴミ出しをするのも、どんなに忙しいときでも重いものを運んでいる人の横を素通りせずに「手伝いましょうか?」と声をかけるのも、幼少のころからの「どうせやるなら喜ばれるようにやれ」という教育のたまものだと思うのです。


…私だって、余計なことに、自分に直接メリットのないようなことに首を突っ込むのは、できればしたくありません。
でも、紳助氏が『引っ越しの手伝いも、自分のためと思ってやれば筋肉がつくかもしれない。引っ越しの段取りが学べるかもしれない』と言うような、「面倒なことに首を突っ込む」楽しさがあることを経験してきているから、困ってそうな人がいたらノータイムで「何かお困りですか?」と笑顔で近づいていってしまうのです。


というか、仕事でも、家事でも、友人関係でも、いわゆる「使える奴」と「使えない奴」のボーダーラインは、まさにそこにあるんじゃないかな、と最近よく思うのですが、いかがでしょうか?


ペタしてね

先日のTDLの帰り道に、夕飯がてら「洋麺屋 五右衛門」に久しぶりに立ち寄りました。




わ、「和風ミートソース」がメニューから消えている…!

これが好きで五右衛門パスタに通っていたのに…!



「カルボナーラミートソース」も消えてる。。(ToT)


聞いてみると、4月のメニュー改変で、品数がずいぶん減らされたらしく、その中に私の好きな2品がばっちり入っていたということらしいです。



…もう行かないかな(ToT)。


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↓『自分を愛する力』乙武洋匡著、講談社現代新書、2013)より引用(06)


(乙武氏と、精神科医の泉谷閑示氏の対談より)


泉谷:親が子育てに専念するようになったこと自体の歴史がまだ浅いんですよね。
大家族が多かった時代は、働き盛りの親に代わって、隠居した祖父母や、子どもを育て上げたおじさん、おばさんなど、手の空いた人が子どもの面倒を見ていました。


専業主婦というあり方も近代になってからです。
昔は女性も農業や店を手伝ったりして働いている人が大半だった。
さらに、近年どんどん電化されて、家事が楽にできるようになりましたから、その余ったエネルギーを子どもの教育に思いっきり注ぐようになった。


乙武:数十年前までは、まだまだ生きることに必死な時代でしたから、子育てと言っても、子どもの生命を維持するための最低限の衣食住を整えて、労働力となる大人へと成長させるという側面が強かった。


だけど、先生がおっしゃるように親の側が時間的にも精神的にも余裕が出てきたうえに、家庭のなかで育てる子どもの人数が減ってきたこともあって、「こういうふうに育てたい」という親の理想や意思を子育てに入れ込むようになってきたように思うんです。


それは一見すると子どもにとってプラスのことのように見えますけど、実は親の理想や意思が、逆に、子どもがまっすふに伸びていくことを阻んでしまうことがあります。
もちろん、うまくプラスに働いているケースもあると思いますが、マイナスに働いていることのほうが、もしかすると多いんじゃないかな。


↑(引用ここまで)
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私も「育児」に従事しながら、こうして「どういう育児、どういう生き方をすべきなのか」なんてあれこれ考えられるのは、数十年前に比べて『時間的にも精神的にも余裕が出てきた』世代だからなのかもしれません。


ありていに言えば、良くも悪くも「ヒマだから」。


乙武氏や泉谷氏も指摘するように、父親や母親も忙しく、子どもの数も多かった頃のほうが、親もあれこれ「育児」について悩むヒマなどなく、子どももいい具合に「放置」され、祖父母やおじさん・おばさんなど大勢の大人と関わることができて、「過保護」にされることもなく、比較的バランスのとれた「育児」がなされていたように想像できます。


特に、子ども自身が家庭の中で「そんなに注目されていない、特別扱いされていない」ところがいいですよね。
大人たちには既存の「コミュニティ」があって、子どもも、新参者の自分がオマケ程度の存在であることは嫌でも理解できてしまいます。
そりゃあ中には、祖父母を中心に「過保護」にかわいがられて育った子どももいたでしょうが、少なくとも現代よりは大人たちも皆忙しく、食べることに必死で、ネットやDVDなんていう娯楽ももちろんなく、そこそこ「自分で工夫して暇つぶしをする」必然はあったと想像できます。


それが、現代ではどうでしょうか。
家事が電化されてラクになってきたとはいえ、炊事・洗濯・掃除をはじめ、祖父母やおじさん・おばさんがやってきた子どもへの多様な関わり、そしていい具合の「放置」…これらすべてを主婦(夫)ひとりでこなしている家庭が大多数なのではないでしょうか。
…そりゃあ、主婦の関心事が分散されずに、「育児」「わが子」に偏ってしまうのも頷けます。


「だから、数十年前のように大家族で育てるべきだ」「あの頃はよかった」なんて、安易な懐古主義を展開する気はありません。
ただ、今さら大家族、という時代でもないのは皆さん異論のないところでしょうから、私たちにできることは、あえて「意図的に子どもを放置する」「『こういうふうに育てたい』なんて色気づくのはおこがましい、と考えるようにする」というあたりではないでしょうか。


数十年前では「子どもばかりにかまっているヒマはない」「自分や家のことで忙しい」ことが、良くも悪くも必然的にあった。
でも、現代ではそれがない。
「自由な時間ができた」のではなく、「子どもを適度に放置する時間が”なくなった”」と考えれば、意図的にそういう時間の割り振り方に持っていくしかないのではないでしょうか。


そういう意味では、私もあれこれと、「育児」に意識を傾けすぎなのかもしれません。


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先日のホテルオークラの翌朝、T君とY君を見送った後、子どもらを引き連れてTDLへ。




基本、小さな子どもを抱いていても大丈夫なアトラクションをS君の案内で。




雨の中でも結構な混み具合でしたが、休み休み回ることができました。

…最後は17:30からのシンデレラ城のプロジェクションマッピングを見学して帰路につきました。


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↓『ご飯を大盛りにするオバチャンの店は必ず繁盛する』島田紳助著、幻冬舎新書、2007)より引用(06)


資金面でいうと、僕はこの店(お好み焼き屋「のろ」)に20パーセントしか出資していない。
野呂は自分でも20パーセントの出資をしているから、そういう意味では後輩とはいえあくまで対等の関係だ。


だけど、僕のアイデアである以上、オープンするまでは、僕が徹底的に野呂をリードした。
苛めたと言われても仕方ないくらい、ガンガン言った。


たとえば、工務店からの内装工事の見積もりが来たとき、野呂が「最初の予算より何十万円オーバーしそうです」と泣きついてきた。
工務店の見積もりは、対外こちらの予算をオーバーしているものだ。予算以内なんてことはまずあり得ない。


そんなことは百も承知なのに、僕は野呂を許さなかった。
「あかんぞ。なんやそれ。お前はこの店、死ぬ気でやる言うたやないか。予算内じゃできないと言うなら、今から、その工務店の社長を殺してこい。お前、死ぬ気でお好み焼き屋やんのやろ?」
冗談ではなく、本気で怒って、野呂に退路を与えなかった。


野呂は必死で考えたのだろう。数日後に僕のところに来てこう言った。
「師匠、こう解決しました。ずいぶん交渉したんですが、工務店さんも、どうしても無理やというんです。だから、僕、工事現場で働きます。働いたら、その分の人件費を引けるって言われました。」
そいう言って、あいつは1カ月間、自分の店の工事現場で働いた。しかも、毎晩その現場に寝泊まりまでして。


それで、20万円だけ引いてもらった。
残酷な言い方だが、ほんとはそんな金はどうでもよかったのだ。
大切なのは野呂がどこまで本気で取り組めるか、だ。


死ぬ気で頑張りますと口で言うのと、本当に死ぬ気で頑張ることとはまったく違う。
”死に物狂い”という言葉がある。
ビジネスに限らず、どんなことでもそこまでやらなければモノにはならないと思う。
逆に一度でも死に物狂いの経験をしていれば、その後にどんな逆境が来ようとも、絶対に乗り越えることができる。


↑(引用ここまで)
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「死ぬ気で頑張ります」なんて、軽々しく口にする人もいますが、本当に「これができなかったら死のう」と覚悟して取り組める人は、あまりいないと思います。


つまり、こういうことです。
「頑張ります」とよく人は言うけれど、実際は「そんなに頑張っていない」のです。


…「そんなことはない。自分は”頑張っている”」って?
いやいや、紳助氏の言う、野呂さんの頑張りほどに「頑張っている」人が、はたしてどれだけいるでしょうか?


紳助氏や野呂さんから見たら「全然がんばってないやん」と思うようなレベルの人も、本人は「頑張っている」つもり。
「この人、めちゃくちゃ頑張ってるやん。毎日1~2時間しか寝てないことが”当たり前”になってるやん」と思う人も、本人は「別にこれが普通」だと言う。


野球のイチロー選手も「努力家」だと評されたりしますが、本人は「他人が言うどんな”努力”よりも、厳しい”努力”を自分に課せない者は、良い結果を出し続けることはできない」と言っていました。


甘い自己評価。
また、それに気付けない者。
こんなことを言っている私だって、自分では「そこそこ頑張っている」つもりでも、その「努力」のレベルの低さに気付けないでいるだけなのかもしれません。
「頑張ります」「頑張って」なんて、簡単に口にできませんね(笑)。


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先月末で誕生日を迎えた友人T君がお台場近辺に職場が移ったので、各々仕事帰りに舞浜駅に集合してもらって、「ホテルオークラ東京ベイ」のコネクティングルームでグループステイ+お夜食バイキング+朝食バイキングつきのプランに行ってきました。




さすが単独3,000円を超えるお夜食バイキング、種類も多く、大満足です。




夜…というか、早朝6時頃までモンハン4Gの緊急クエスト三昧。

朝食は9:00。激混みの1階バイキング2店舗をやめて、2階の和定食に。こちらはだいぶ余裕があって、T君の出勤時間に間に合うように食べられました。

…眠たいけど楽しかった!


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↓『ご飯を大盛りにするオバチャンの店は必ず繁盛する』島田紳助著、幻冬舎新書、2007)より引用(05)


最近の若者は、根性がない、夢がない、礼儀も知らない。
世の大人はそういうことをよく言うけれど、僕はそんなことはないと思う。


僕が言うのもおかしいが、吉本興業なんてところは、根性なしの礼儀知らず、おまけに怠け者と、三拍子揃った若者の溜まり場みたいなものだ。


だけどそういう中に、感心するぐらいのいい子もいる。
なんとかこの子に実力を発揮させてやりたい、幸せになってもらいたい。僕にそう思わせる若い子が時々いるのだ。


↑(引用ここまで)
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『最近の若者は、根性がない、夢がない、礼儀も知らない』なんて、古代エジプトの壁画にさえ書かれていたくらいの古典的な「ぼやき」ですが、紳助氏のように『僕はそんなことはないと思う』と言ってのけるおっさんやおばはんに、私はあまり出会ったことがありません。


そりゃあダメな若者も山ほどいるのもわかりますが、けっこういますよ、根性も礼儀もある若者が。


少なくとも、「自分が学生時代の頃は、もっとだらしなかったよなあ」とちょくちょく想起させられる程度には、見どころのある若者は、います。


要は、それを「やりよるな」「根性のある若者もけっこういるよな」と思える精神性やゆとりが、我々大人の中にあるかどうか、ということだと思うんです。


逆だって然りです。
若者たちが、我々大人の立ち振る舞いを見て、「あの人の言動は、筋が通っている」「あの人の言うことなら信用できる」と言えるような「おっさん」や「おばはん」であるか、どうか。
…できれば、若者を失望させないような「おっさん」や「おばはん」でありたいものですが。


自分と異年齢の人たちを、どう評価する「人を見る目」を持っているか。
また同時に、自分自身を棚に上げない「厳しい自己評価」を持ち合わせているか。


自分自身にそういったバランス感覚が身に付いているかどうかもさることながら、他人を見るとき、こういう指標を持つ人物であるかどうかを見れば、その人自身の人となりがわかるように思うのです。


少なくとも、「最近の若者(大人)は○○だ」と安易に口にする奴は、信用できないですよね(笑)。


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朝マック時間帯に近くを通りかかると、ついつい買って帰ってしまいます。




以前にクーポンをもらっていた「ビッグブレックファスト デラックス」です。写真のほかにハッシュポテトとドリンクMつきです。


マフィンやハンバーグ型ソーセージは、通常朝マックメニューの「ソーセージマフィン」を分離しただけの感じですが、スクランブルエッグやホットケーキもあり、わんさかつまみながら食べられるので、なかなか楽しめるかも。…マフィンはちょっと固めでした。


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↓『自分を愛する力』乙武洋匡著、講談社現代新書、2013)より引用(05)


時間になって、保護者が教室に入ってくる。
一礼してから僕の向かいの席にすわると、みなさん、きまって同じセリフを口にするのだ。
「先生、うちの子なんですけどね……」


どの保護者も、判で押したように、わが子に対する愚痴をこぼしはじめることに、僕は驚きを隠せなかった。
さすがに親だけあって、その指摘が的外れなものであるケースは、ほとんどない。
だが、「そこまで厳しい見方をしなくても……」と思わずフォローに回ってしまうことも、たびたびあった。


「先生、うちの子は集中力がなくって……」
――でも、授業中はきちんと集中できていますから、心配ありませんよ。


「家では、おやつ食べながら宿題したりするんですよ。どう思います?」
――僕もよくお菓子を食べながら原稿を書いたりしていたんで……何とも言えないです。


「学校ではいい顔をしてるのかもしれませんが、家ではホントにだらしなくて困ってるんです」
――うーん、僕も世間的には「乙武さんは立派な方だ」とか言われてますけど、やっぱり家ではだらしないんで、それも何とも……。


もちろん、保護者に悪気などない。どの親も、わが子のことを思うからこそ、その粗が目立ち、未熟さが気になるのだ。


↑(引用ここまで)
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巷の母親どもの、子どもに対する細かい注意。
それも、やかましいわりに、子どもに全然響いていなかったりすると、耳に入ってきてしまう側としても、げんなりさせられることも多いです。


「うるさい! ちょっと静かにしなさい」「こら! 走り回らないの!」「何でそんなことするの!」「やめてって言ってるでしょ!」「ほら、言ったじゃない!」と、金切り声をあげるも、子どもはやめる様子もなく、聞き流すばかり。
全然言うことを聞かない子どもにも、言うことを聞かせられない母親にも、だんだん腹が立ってきます。
…なんでその一部始終を聞かせられなあかんねん、と(笑)。


私は基本的に、子どもは何にでも好奇心を持つもので、「あれはなに? これはなに?」とやかましいのは当然だと思っています。
意味なく大声をあげたり、突然走りだしたりしたくなるのも、よくわかります。…だって、私自身がそうでしたから(笑)。


だから、私はできる限り、子どもが委縮しないように、「きっとまた怒られるから、自分から何か行動を起こすのはやめよう」なんて小ぢんまりとした奴になってしまわないように、放置しておくように心がけています。


我々大人が子どもを叱るとき、教育的視点でなく、「うるさい」「汚れる」「面倒なことになる」のを嫌って、そんな大人の都合だけで叱ってしまっていることが、けっこう多いと思うんです。
そりゃあ、レストランで他の客に迷惑をかけるほどのレベルであれば、「黙れ。ここは家ではない」と一喝しておしまいですが、そうでない場では、できる限り発散させてやりましょうよ、と最近そう思うのです。
逆に、普段から口うるさくしないように、家やら保育園やらで十分に発散させてやっていれば、出先で多少黙っているくらいの我慢はむしろしやすいと思うのです。


子どもが多少、だらだら過ごしていたって、いいじゃないですか。
子どもが後先考えずに、おもちゃを散らかしまくったって、いいじゃないですか。
子どもが多少、自分の進路選択を誤ったって、いいじゃないですか。
…所詮、子どもの人生。自分のことではないですし(笑)。
みなさん、特に世の母親どもは、子どもに関わりすぎなんですよ。子どもの細かい欠点を注意しているヒマがあったら、自分の「生きざま」にその注意を向けましょうよ。
育児の目的は、人によって多少は前後するでしょうが、大方は「そいつが親元を離れたとき、周囲にかわいがってもらえる、礼儀と愛想を振りまける人物であるか、どうか」なのですから、それに直接関わらない些末なことは、苦笑いをして黙っていましょうよ。


「効果的に黙ることができる」「適度に関わりすぎないことができる」選択肢の有無が、その人の育児レベル、ひいてはその人の「人生」をも物語っているように思うのです。


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いつも珈琲ばかりなので、たまにはアールグレイをミルクティーで飲みながら晩御飯でも、と「AfternoonTeaRoom」に行ってきました。




11/5(水)までの季節限定「きのことローストチキンのソイソースパスタ」(お茶+スイーツつき)1,690円が、なかなか美味しかったです。

アフタヌーンティのパスタは、ソースでつゆだくのようにならずに、いい具合にソースが絡まって、醤油の香ばしさやきのこの香りをしっかり味あわせてくれます。




食後にはもちろん、「アールグレイ」をホットでミルクと一緒にいただきます。




定番の「アップルパイ」もつけて。


アフタヌーンティは、客単価が1,500円以上とけっこうお高いのですが、ついつい値段を気にせずゆっくりお茶を楽しんでしまいます。。


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