キッカー誌情報です。
どうやら、ヴォルフスブルグはヘッキングを解任した後の後継に、ビラスボアスを考えているようです。
会合が持たれたといわれてます。
ビラスボアスは、FCポルト、トッテナム、チェルシーなどで監督暦のある若干39歳。
モウリーニョのFCポルト時代のアシスタントが監督キャリアのスタート。
FCポルトではヨーロッパリーグでの最年少監督として、優勝、リーグでも連続無配記録など有能さを発揮。
その後のトッテナムやチェルシーは解任されてますよね。
監督としても、回生のチャンスといったところ、上手く両者のニーズが合って復活すればいいんですけどね。
連続しますが。
サン誌によると、ボーイ・ジョージが、一文無しでなくなったピート・バーンズのお葬式代を負担したようです。
サン誌は、ボーイジョージのスキャンダルを、これでもかと報道してた筈ですが、今回は一転して、美談の主として語ってますね。
元妻であるリン、現夫であるマイケルが、お葬式代に困って相談に行き
彼らのプランどおりにやって、自分は金だけ出す式の援助をしたそうです。
その前には、リンとマイケルは、クラウドファンディングのページを使って捻出しようとしていたらしいですからね。
ちなみに、ボーイ・ジョージは、スティーブ・ストレンジのお葬式のお棺も担いでいたね。
あの当時の仲間、義理堅いね。
スパンダーバレエのマーティンケンプ兄弟と共に。
ボーイ・ジョージは最近復活して、日本ツアーをはじめ世界ツアーを行って、今潤ってるけど、一時は危なかったデショ?
カルチャークラブほどの売れ方なら、印税でなんとかなったんだろうかね。
ピートがなくなってから、沢山色んな動画が上がってます。
(整形後の、モンスターぶりを紹介するものが多いっすが、若いころの整形前の美貌のまま、
ぶっきらぼうに、時にフレンドリーにインタビューを受けるピートなどもありました。)
その中でも、こちらは面白かっただ。ボーイジョージが、おそらくなくなった後で語った、ピートバーンズとの交流。
「彼のことでは、面白い思い出が沢山あるよ。最初に彼に会ったときには、70年代だったけどね、彼はものすごく激昂した様子で、『アンタはオレのファッションのコピーをした!!』と叫んだんだ(笑い)。」
「いや、それは、カムデン・パレスというクラブでのことでね。トイレに入ったときに、ピート、妻のリン、そして(デッドオアアライブの)ドラマーとしてキミも知ってるスティーブ・コイに出会ったんだ。」
(ちなみに、ピートはリンと結婚しつつ、スティーブとも関係があった.。そしてカムデンパレスは、今はKOKOと名前をかえたけど、沢山のDJ出身アーティストやファッションアイコン的スターを生み出した有名なクラブ。)
「僕もドレッドヘアで、彼(女)もドレッドヘアで、『アンタはオレのまねをした!』と言ったんだ。
僕は、『キミになんて似てないよ!』っていいかえしたような感じだったかな。
一触即発的なムードでね。
ピートと会うずっと前から、彼のことを知ってた。70年代は面白い時代でね、パンク全盛期の後、インターネットも携帯電話も、ファン雑誌も今みたいに進んだものが無かった時代にもかかわらずね。」
「そんな時代なのに、どうやってか、お互いを知っていたんだ。僕は前からピート・バーンズと、リバプールのエリックズクラブ(ピートがたむろってた)を知っていたし、彼のバンドのことも知ってた。リバプールのピート・バーンズといえば、後にSigue Sigue Spurtnikとして有名になるバーミンガムのMartin Degvillもそうだし、僕や、マリリン(世界デビューしたけど一発屋だった)、ロンドンのスティーブ・ストレンジ(ヴィサージでデビュー、数曲ヒット)もそうだったけど、全員お互いのことを知ってるという、そういう存在だったわけだよ。」
「70年代の一番面白い思い出としてはね、僕らはリバプールに本当にいきたかったんだよ、エリックズクラブのことを面白い場所と聞いていたしね、だけど、怖かったんだ、リバプールに行けば、僕らはボコボコにされるだろうといわれていたんでね!(笑)
分かるだろ?当時の僕らってさ・・・
つまり・・・70年代っていうのは、ファッション・見た目が凄い、っていうかさ・・・もし誰かが、似たようような格好をしてきたら、パンチを食らうっていうか。
だから、最初のころのピート・バーンズとの関係は・・・敵意に満ち満ちたものだったよ・・それで、何年かした後に、やっとというか、友達、のようなものになっていったし、仲直りしたわけだけど・・
でも、80年代は、お互いに意地の悪いことを言い合ったね。僕は「三流芸能人のバーンズ」って彼のことを呼んでいたし、僕の最初の失敗作であるメダル・ソングが、チャートの上位に行かなかったときに、彼は僕にその記事を送ってやろうとしていたらしいしね。
そんな風に、意地悪ではありつつ面白さもある関係で、僕は彼を大好きだったんだよ。
面白い性格だし、いつだって魅惑的に振舞うんだ。
彼が、部屋に入ってきたり、道を歩いてきたりしたら、目が引き寄せられるんだよ。
彼が自分自身をものすごく変えたし、ショッキングな変人でもあって、僕は熱烈に賞賛するようなキャラクターだよ。
まさに彼は、自分の人生を生きたし、スポットライトのど真ん中で生きたし、
(リアリティーショーで、24時間、生活を放映したこともある)
彼は暗闇にまぎれて隠れることもできないぐらいだったよ、僕なら、メイク落として帽子を取って、フードをかぶってサングラスすれば、人に僕だって気づかれなくなるんだけど、
ピート・バーンズは家を一歩出ると、ピート・バーンズだ!って言われるからね。。」
ボーイ・ジョージも、麻薬→転落→復活という、山あり谷ありの人生でしたが。
ピートのことを、良く言おうとしてるけれど、どこかイジってるよね![]()
整形のことをさりげなく、辛らつに。
また、お金のためにリアリティーショーに出て、整形の治療代にしていたというのは伝えられてますが、晩年も困窮していたし。。
ピート・バーンズは英国内では、デビュー後まもなくも、もっぱらイロモノとしての扱いを受けていて、ブレイクしたのもつかの間、デッドオアアライブは早々に飽きられてましたね。
本国では一発屋の印象。
でも日本やアメリカでウケて、大金を稼ぎ、全部整形に使いスッカラカン。
さらに、整形で使われた薬剤で全身に病魔が広がり、死のふちを何度もさまよった。
手術代もかさみ、そのためにリアリティーショーに出演して、いろいろさらけ出しまくった。
まぁ、もともと、さらけ出すことは、抵抗がない人だったとおもうけれど。
長年の手術の心臓の負担も凄かったでしょうし、ピートはヘビースモーカーでしたからね・・。
若い頃はビーガン、麻薬大嫌いな人でしたが、そこは変わらなかったのかな。
お酒はよくワインを飲んでいたようです。
ボーイ・ジョージが、整形や生活っぷりを見下して、当時も落ち目だった自分を慰めたようなところもあるだろうし、ピートもピートで、ボーイジョージが麻薬やったり、恋愛相手を監禁したりというときに、見下したりしたんだろね。
仲がよかった、わけではないけれど、お互いに、存在を認め合いつつ、反発しあいつつ、よきライバル?悪いライバル?の関係かな。
亡くなる前も、お金に困っていた、という話もありますが、ピートも長年の友人もいたりして、晩年もそうそう不幸ではなかったでしょうね。
フンメルス、ファンとの一問一答形式のイベントをツイッターでやってました。
にもなってるし。
10月23日に、イギリス Dead or aliveのピート・バーンズが心停止により永眠。享年57歳。
あの、Princeと同い年で亡くなりましたか。
二人とも、長生きの相じゃなかったとはおもうよ。
そして、ふさわしい、激しい生涯でした。
どうやら、オランダでは、あんまりハロウィンには力を入れていないらしい。
でも、お店は、若者がアメリカ風のハロウィングッズを買うので、並べたりはするらしい。
この辺、日本と似てるわー。
ドイツでもそんな感じらしい。あの、お固いドイツのジャーマン君も、ひそかにハロウィーンを楽しみにしてる。あ、っていうか、ドイツっぽいものが嫌いだから、逆にアメリカモノがすきなんだね。
若者がコスプレをして楽しむ、というのは日本独自な行事になってしまった感が。
でも、コスプレは、実はヨーロッパのほうがずっと古い。
オランダでコスプレというと、オランダ君にとっては、カーニバル。
オランダ君の住むエリアは、オランダ南部、アイントホーフェンの近くなので、カトリックが比較的多く、街ぐるみでのカーニバルが行われる。
「今年は仮装はなんにするか決まった?」
「子供の頃はしたよ。お医者さん、ヒッピー、吸血鬼・・・色んな仮装をしたね。」
「今年はしないの?」
「めんどくさいよ。」
「「アダムとイブ」の仮装だったら、簡単だよ![]()
」
「へぇー!君がオランダに来てくれて、イブをやってくれるんだったら、もちろんいいよ!」
「いやいや、アタシは、「イチジクの葉」になるから、アンタはアダムをやりなよ![]()
![]()
準備は何もいらないよ!![]()
」
「![]()
」
カーニバルは、復活祭イースターの46日前の2月~3月に行われる。基本的にカトリックのお祭り。なので、オランダだけでなく、もちろん、リオのカーニバル、イタリアの仮面をかぶったカーニバルなど、さまざまな旧教国で行われる。
オランダって、旧教国なの?という疑問がありますが。そう、昔は、旧教国であるスペインと、戦争もしてましたが。新教国であるイギリスの援助を受けて。だから昔はバリバリ、プロテスタントだったんでしょうが、現在は、ビミョウにカトリックのほうが多いらしい。
イースターは前にも書いたけど、キリスト受難の日から3日後の復活の日を祝うもの。
春分の日からの満月の次の日曜日、だから毎年日付が変わる。
もともと、復活祭も、カーニバルも、キリスト以前からの伝統で、ゲルマンたちの、そもそも春の祭り、長い冬を追い払うお祭りだったようで、ランチキサワギが元。
昔は、馬鹿騒ぎの騒動からケンカから、労働者たちによる激しいものだったので、領主や教会のおえらさんがたが、何度か禁止にしたりしたみたいだけど、今もなお生き残っている。
一神教キリストを大事に信じるヨーロッパ、と思いがちですが、実は、そっちの伝統のほうが強かったり。
街を架空の街の名前で呼び、架空の市長。や王子様を選び、カーニバルの間だけ、別の国として振舞うそうな。
街には架空の国旗が飾られ、みんな仮装をして、架空の国の住民となる。
いいよねーー!本当に、街ぐるみで御伽噺を実行するみたいな祭り。
オランダ君の住まいは、「北ブラバント」と呼ばれる地帯で、(これが前にも書いた、ベルギーとの関係で、北ブラバントしかない、南ブラバント=ベルギーになる場所なので、北、という名前のクセに、オランダの南端にあるという)
カトリックの多い街なので、ほとんどの街では、カーニバルを盛大に行い、この「架空の国」の別名がある。
デンボッシュ(スヘルトーヘンボス)もオランダ君の住まいの近く。
デンボッシュは、カーニバルの間は、「沼のカエル国」という名前になる。
そして赤と黄色と白の国旗を掲げて、カーニバルを祝う。
オランダ君の住まいの町では、「森のカエル国」という名前になって、緑を基調とした旗を掲げる。
来年の2月にガンバってオランダまでいって、アダムの仮装を手伝うかね。![]()
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いや、基本的に、バラバラじゃなくて、毎年何らかの、決まりごとがあるらしいっす。
農夫になる、とか、赤ちゃんになる、とか。
お住まいが近い人は、どの街かわかっちゃうかな!![]()































