ピートがなくなってから、沢山色んな動画が上がってます。
(整形後の、モンスターぶりを紹介するものが多いっすが、若いころの整形前の美貌のまま、
ぶっきらぼうに、時にフレンドリーにインタビューを受けるピートなどもありました。)
その中でも、こちらは面白かっただ。ボーイジョージが、おそらくなくなった後で語った、ピートバーンズとの交流。
「彼のことでは、面白い思い出が沢山あるよ。最初に彼に会ったときには、70年代だったけどね、彼はものすごく激昂した様子で、『アンタはオレのファッションのコピーをした!!』と叫んだんだ(笑い)。」
「いや、それは、カムデン・パレスというクラブでのことでね。トイレに入ったときに、ピート、妻のリン、そして(デッドオアアライブの)ドラマーとしてキミも知ってるスティーブ・コイに出会ったんだ。」
(ちなみに、ピートはリンと結婚しつつ、スティーブとも関係があった.。そしてカムデンパレスは、今はKOKOと名前をかえたけど、沢山のDJ出身アーティストやファッションアイコン的スターを生み出した有名なクラブ。)
「僕もドレッドヘアで、彼(女)もドレッドヘアで、『アンタはオレのまねをした!』と言ったんだ。
僕は、『キミになんて似てないよ!』っていいかえしたような感じだったかな。
一触即発的なムードでね。
ピートと会うずっと前から、彼のことを知ってた。70年代は面白い時代でね、パンク全盛期の後、インターネットも携帯電話も、ファン雑誌も今みたいに進んだものが無かった時代にもかかわらずね。」
「そんな時代なのに、どうやってか、お互いを知っていたんだ。僕は前からピート・バーンズと、リバプールのエリックズクラブ(ピートがたむろってた)を知っていたし、彼のバンドのことも知ってた。リバプールのピート・バーンズといえば、後にSigue Sigue Spurtnikとして有名になるバーミンガムのMartin Degvillもそうだし、僕や、マリリン(世界デビューしたけど一発屋だった)、ロンドンのスティーブ・ストレンジ(ヴィサージでデビュー、数曲ヒット)もそうだったけど、全員お互いのことを知ってるという、そういう存在だったわけだよ。」
「70年代の一番面白い思い出としてはね、僕らはリバプールに本当にいきたかったんだよ、エリックズクラブのことを面白い場所と聞いていたしね、だけど、怖かったんだ、リバプールに行けば、僕らはボコボコにされるだろうといわれていたんでね!(笑)
分かるだろ?当時の僕らってさ・・・
つまり・・・70年代っていうのは、ファッション・見た目が凄い、っていうかさ・・・もし誰かが、似たようような格好をしてきたら、パンチを食らうっていうか。
だから、最初のころのピート・バーンズとの関係は・・・敵意に満ち満ちたものだったよ・・それで、何年かした後に、やっとというか、友達、のようなものになっていったし、仲直りしたわけだけど・・
でも、80年代は、お互いに意地の悪いことを言い合ったね。僕は「三流芸能人のバーンズ」って彼のことを呼んでいたし、僕の最初の失敗作であるメダル・ソングが、チャートの上位に行かなかったときに、彼は僕にその記事を送ってやろうとしていたらしいしね。
そんな風に、意地悪ではありつつ面白さもある関係で、僕は彼を大好きだったんだよ。
面白い性格だし、いつだって魅惑的に振舞うんだ。
彼が、部屋に入ってきたり、道を歩いてきたりしたら、目が引き寄せられるんだよ。
彼が自分自身をものすごく変えたし、ショッキングな変人でもあって、僕は熱烈に賞賛するようなキャラクターだよ。
まさに彼は、自分の人生を生きたし、スポットライトのど真ん中で生きたし、
(リアリティーショーで、24時間、生活を放映したこともある)
彼は暗闇にまぎれて隠れることもできないぐらいだったよ、僕なら、メイク落として帽子を取って、フードをかぶってサングラスすれば、人に僕だって気づかれなくなるんだけど、
ピート・バーンズは家を一歩出ると、ピート・バーンズだ!って言われるからね。。」
ボーイ・ジョージも、麻薬→転落→復活という、山あり谷ありの人生でしたが。
ピートのことを、良く言おうとしてるけれど、どこかイジってるよね
整形のことをさりげなく、辛らつに。
また、お金のためにリアリティーショーに出て、整形の治療代にしていたというのは伝えられてますが、晩年も困窮していたし。。
ピート・バーンズは英国内では、デビュー後まもなくも、もっぱらイロモノとしての扱いを受けていて、ブレイクしたのもつかの間、デッドオアアライブは早々に飽きられてましたね。
本国では一発屋の印象。
でも日本やアメリカでウケて、大金を稼ぎ、全部整形に使いスッカラカン。
さらに、整形で使われた薬剤で全身に病魔が広がり、死のふちを何度もさまよった。
手術代もかさみ、そのためにリアリティーショーに出演して、いろいろさらけ出しまくった。
まぁ、もともと、さらけ出すことは、抵抗がない人だったとおもうけれど。
長年の手術の心臓の負担も凄かったでしょうし、ピートはヘビースモーカーでしたからね・・。
若い頃はビーガン、麻薬大嫌いな人でしたが、そこは変わらなかったのかな。
お酒はよくワインを飲んでいたようです。
ボーイ・ジョージが、整形や生活っぷりを見下して、当時も落ち目だった自分を慰めたようなところもあるだろうし、ピートもピートで、ボーイジョージが麻薬やったり、恋愛相手を監禁したりというときに、見下したりしたんだろね。
仲がよかった、わけではないけれど、お互いに、存在を認め合いつつ、反発しあいつつ、よきライバル?悪いライバル?の関係かな。
亡くなる前も、お金に困っていた、という話もありますが、ピートも長年の友人もいたりして、晩年もそうそう不幸ではなかったでしょうね。